89時限目 喫茶
「結局来なかったぁ!」
「んー。そうだなぁ」
テーブルに突っ伏す彼女の頭を自然な動きで撫でる。
隣にあるパフェが少しずつ溶けかけているのを理解しつつ、今は何も言わないことにした。
撫でられている僕の彼女は、とても居心地が良さそうな笑顔をしていた。
つられて、僕自身も頬が緩む。
「レーくんって頭撫でるの好きだよね~」
「……? うん」
闇色の髪は今はポニーテールでまとめられていて、横に向けた顔から僕のことを覗いているのが目に入った。
身体を起こして、再度パフェをつつきだす。
咲夜は同じクラスの葛星夜に向けて、彼が気まずくならないようにと仕事を割り振って仲間内に入れてあげようとしていた。
最近は桜音祇と御霊が有志の練習で準備に携われず、ウチで管轄している作業が滞っているため、いっそ引き入れて仕事をしてもらおうと思っていたのだ。
そこで雷斗に葛を引っ張ってくるように伝えたのだが……。
音信不通になるし行方不明になるし、挙句の果てに「あはは……帰っちった☆」
と成果もなしに笑いながら帰ってきた。
「とりあえず僕らで作業はできてるけど、これじゃ咲夜の負担が」
「レーくんも頑張ってくれてるじゃん!」
そうして互いに互いを想うため、最近の放課後はいつもの喫茶店でスイーツを嗜んでいた。
咲夜の幸せそうな顔を見れるだけで、正直僕としては十二分に対価をもらっているようなものだ。
「咲夜、頬にホイップついてる」
「? どこ? ――――ん」
「ここ」
眼を閉じて顔を前に出してきたため、指で取ってあげる。
ん、甘い。最近は臆せずにこういうことができるようになってきたと思う。
未だに倦怠期は来ず、喧嘩をすることも滅多にない。少し不安な気がしなくもないが、それ以上の多幸感を得ているため、互いに平穏に過ごしていた。
「あの二人は上手くできそうなのか?」
「うーん……ちょっと最近ギスギスしてるかも……でもわたしが口を挟むことでもないし」
「それは確かに辛いな……」
ここ最近、酷く悩んでいるようだ。
僕としても何かできることがあれば手伝いたいと考えているが、結局今のところ何もできていない。遣いを出した雷斗にも相談をしたのだが「まぁどうにかなるっしょ」と楽観的に返される。本当は雷斗の方が少し心配ではあるのだが、しばらく話題にあげなかった。
「でも、レーくんが付いてくれてるから大丈夫」
「ん。僕にできることがあるなら言ってくれ。可能な限りは動くから」
「うん、ありがと♪」
そんな浮いた会話をしていると、喫茶店の鐘が鳴る。
夕方のこの時間帯は来る人も多いが、今日は雨だからか一際客の入りが少なかった。外の景色が見えるテーブル席を確保できていたのもそのおかげだ。
お店の店長すら、のんびりグラスを拭いていた。
珍しいと思いつつソファから覗いてみると、見知った顔の女子高生。
咲夜も振り向いて扉の方を見ており、ぽつりと名前をこぼす。
「あ、透乎ちゃん」
その声は無響には聞こえておらず、何も知らぬままカウンターに着いた。
店長さんは、いつもの柔和な顔を崩すことなく無響さんの注文を聞く。
今いるテーブル席は、少し聞き取りづらい場所だった。
期末試験の時もみたが、無響も割とここの喫茶店を愛用しているようだ。
注文をし終えた後で、無響はまたも口を開く。
「兄様は、文化祭に来るんですか?」
「此方は行こうと思ってる」
「(あ、兄様……!?)」
「(咲夜、声、声……!)」
極力声量を落とすように告げながら、無響の言葉を噛み砕く。
今兄様と言ったか……? この店の店長が無響の実兄だとは夢にも思わなかった。
年は離れすぎ……とは思わないが、何より顔が似ていない。
僕も内心驚きつつ、会話の内容を盗み聞く。
「なんかスパイみたいなことになっちゃった……!」
「でも、ここで退店するのも――――僕ら制服だし。絶対バレる。
もう少しだけなら大丈夫だろう」
そう告げて咲夜が了承してくれる。
僕も、内心楽しんでいるかと問われれば否定をしづらい。咲夜は笑みが隠しきれておらず、眼がキラキラしだしている。
「ということは、サトル先生はまた何かをやらかすということですか」
「おいおい……なんでアイツが」
「聞いたでしょう。うちの学校の文化祭は招待状が無ければ入ることができないんです。兄様宛に招待状を送る人なんて限られます」
「――――なるほど。それは失念していた」
静かに瞳を閉じた店長さんは、嘆息を一つ吐くと無響にカフェラテを差し出した。
店長と先生が旧友だとは知らなかった。でも、年齢的にこの店長は伴侶がいて、先生は――――いや、考えるのを止そう。
理解が追い付かなくなってきた咲夜は頭から少しずつ煙を出している。まだもう少しは大丈夫そうだ。
無響は一口飲んで、更に続ける。
「それで、サトル先生は何をするんですか?」
「残念だが、それは的外れだ。アイツが何をやるかなんて知らない。もしアイツがやるとしても今回はまだ此方を頼ってきてはいない」
「兄様は分かってますよね。先生のアーツがどれだけ危険なものかを」
「当然。でなければ手助けなんてしてない」
「「…………?」」
危険? 先生のアーツが?
一体どういうことか分からない。先生のアーツは【全権】で、誰が何と言おうと最強のアーツだ。全てのアーツを使うことができて、ルールや条件を自由自在に変更できるまさに神のようなアーツ。
そんな誰もが手にしたいものが、危険かと問われれば――――確かにその通りだ。
だが、今の会話の内容では、まるで別側面の――――。
その結論は、僕が考えるよりも早く、二人が喋ってくれた。
「あのバグアーツは、先生が必死で隠し通してるものです。いつ奪われてもおかしくないんですよ?」
「だが、それはアイツが覚悟して決めたことだ。そもそも、高校の文化祭程度で大人が来るとは思えない」
「そういう甘い考えが、いずれ首を絞めることになるんです」
「だが、今なお知はあのアーツでこれまでも乗り切ってきたんだろう?」
「それはあの人じゃないといけないことで――――」
聞こえてきた情報が、必死で脳の理解から拒む。
バグアーツ? 奪われる? 何故。どうして?
深く長考する。対面にいた咲夜も同様に理解に苦しみ思考が働かないながら考えている。今のことを何故無響が知っている? 店長が知っている?
バグアーツとはなんだ? アーツが奪われる事例などがあるとでもいうのか?
先生は、何を隠してるんだ?
「あの人の気分でもなんでもなく、【乱数出現】はゲームシステムが全て乱数で決定することを自在に我が事を為すようにするだけで、あの人自体は――――」
「だが、それを全部考え抜いた上で動いてるんだから、それを為せるヤツに任せるのが良いものだろう。それに、公衆で少し喋りすぎだ」
「だから、なんであの人にそんな重責をわざわざ背負わせるんですか!?」
「気になるなら勝手に助けておけ。此方も此方で動く」
思考が追い付かない。
状況が整理できない。
だが、一つ分かることは――――今この場に僕たちが居ることは絶対にバレてはいけないということだ。
恐らくバレてしまえば、先生の存在を脅かすことになる。最悪のケースは――――考えたくもない。
だがここはあくまで喫茶店。支払いも済ませず店を出ることはできない。完全な詰み状態。
どうにかここから脱出する方法はないだろうか。それとももう少し情報を聞き出すのが先決だろうか?
どうする? どうすべきだ? 咲夜も今は動けそうにない。
今どうにかできるのは僕だけだ。
だけれど、そんな煮え切った思考の状態で何が――――
「あなたたち、ここで何してるの?」
心臓が、引き絞られる感覚がした。




