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天才様の唯物論  作者: 上海X
御伽奏子と譜祇遊戯
90/116

86時限目 花葛

「で、いつまで小生の家に居座るつもりなんですか?」

「え? さぁ?」


 昼休みから屋上に逃げ込み、仕事から免れて昼食を摂る。

 屋上が開いてるとかフィクションの中の出来事だろうと思っていたが、まさか開いているとは思わなかった。

 曇天の中で休む人もおらず、小生と世羅さんの二人きりで風当たりの少ないとこに向かう。


「とりあえずサイカの目的を思い出さないといけないとだし、しばらくは一緒にいるつもりだよ?」

「…………」


 うんともすんとも言い難い。

 弊害は未だに出てないものの、実際に起きてからでは手遅れだ。

 もしかしたら今だって生気が奪われているのかも……とファンタジーの世界を想像する。

 今のところは問題ないが、いずれは――――。


「どしたの?」

「っ、いや」


 ひゅっと小生の眼前に現れて、俯いた顔を覗き込んでくる。

 驚いた拍子にのけ反ると、後頭部を壁にぶつけた。

 世羅さんが焦って驚いた顔を見せる。


「つってぇ……」

「大丈夫!?」

「大丈夫ですけど……」


 近い近い顔が近い。

 退こうとするも壁に阻まれているため、逃げ場がなくどうすることもできない。

 どうにかして平常心を保ち、表情を崩さないように専念していると、気が済んだのか、世羅さんは貯水タンクの更に上空までふわふわ浮かんでいった。

 世羅さんに聞こえない声量で、ぽつりとつぶやく。


「本当に自由な人だなぁ」


 図らずも零れたその台詞は、つい彼女の境遇を軽んじるものだと後悔した。

 ――――世羅賽花さんの境遇は、神サマから聞いた。

 今となっては躁鬱の面影は全くないものの、生きている内はもっと酷い有様だったのだろう。


 独りになりたくなくて、縋る相手が消えてしまって、雁字搦めになった糸をほどく術もなくて、命ごと断ってしまった同い年の女子高生。

 慮るのも烏滸がましいと言えるかもしれない。

 ここ数日一緒に過ごしていたが、そういった事は一切たりとも彼女の口から出なかった。

 もしかしたらまだ、心の奥底で溜まっているのかもしれない。


「世羅さんは――――」

「?」


 琴線に触れるのならば、それは小生がしないといけないことだろう。

 世羅さんが小生の呼び声に気付いて、再度こちらに近づいてくる。

 たった一人、見えているから、ではない。

 大人じゃないから。ひとりだったから、他人だから。多分、そういった理由からだ。

 唇が渇く。未だに恐怖が拭い切れていない。口がぱくぱくと不自然な動きをする。


「っ、なんでもない」

「言って」

「―――――っ。…………」


 はっきりとした口調で、真面目な顔で小生をじっと見つめてくる。

 曇りなき眼は、何を聞かれても応えるとでも言わんばかりの説得力があった。


「世羅さんは、生きてた時は、何がしたかったの?」

「何がって……?」

「先生から聞いた話だと、世羅さんは母親を殺して自分自身も死んだって聞いた」


 その台詞に、世羅さんは顔色一つ変えずに肯定を示す。


「じゃあ、結局世羅さんはなんで母親を殺して、自分を殺したのかって思って」

「……それは、心中した理由を聞いてるの?」

「……? それもだけど、世羅さんは結局何を叶えたかったのか(・・・・・・・・・・)を知りたい。もしかしたら、それが今の目的に繋がるかもしれないし」

「それって、絶対君に話さないといけないこと?」


 低いトーンでそう言った世羅さんは、相変わらず真面目な表情で小生の瞳をじっと見つめる。

 癇に障ったかもしれない。だが、それは重々承知の上だ。

 こうでもしなければ、小生は一生また一人で生きていくに違いない。

 世良さんは小生の覚悟から、何かを考え込むようにして暫く顎に手を当てていた。


「わかった。話すよ」

「!」

「けど、胸糞悪いものだよ。君の聞きたい結果に直結するとも言い難いし、そもそも聞いて得になるとは到底思えないけど。それでも良い?」

「…………うん」


 酷く荒んだ顔をし出した世羅さんは、天を見上げて嘆息を吐いた。

 曇天を見上げるその顔は、何か諦めのついた顔のようだ。

 数秒の後、息を大きく吸って深呼吸。

 そして、落ち着いた感情で語りだした。


「サイカはね、昔から虐待を受けてたの」


 酷く、静かに話し出す。


「いつからかなぁ。わかんないけど、気が付いたら身体に痣があったのは覚えてるよ。

 お母さんがサイカを叩いて、出来損ないのサイカを詰ってたのも凄い覚えてる。

 それでね、お母さんは毎回言うの。『貴女のためなの』って。


 だからサイカは凄い頑張って、凄く耐えて生きてきたの」


 話しながら、世羅さんは制服を少し脱いで痣の痕跡を見せてくる。

 脇腹、太腿、二の腕――――他にも数えられない程。

 葬儀の時には全く以て見当たらなかった痕跡だったのに、今の世羅さんの身体にはしっかりと赤い裂創が刻まれていた。


「その時のサイカはもう狂ってたんだろうね。

 言われるがままに勉強して運動して頑張って。最初は揃って応援してくれてたお父さんも、だんだんとサイカのおかしさに気付き始めたんだ。


 サイカはおかしいって、サイカは狂ってるって、直接言われたときは悲しかったなぁ……。


 でもね、別に二人は私のやりたいことは止めたりはしなかったんだよ?

 ゲームをしたいならゲームを与えてくれて、友達が欲しかったら友達(人形)をくれたの。なんでも聞いてくれて、なんでも叶えられたんだよ。


 だから、どれだけ酷くてもどれだけおかしくなってても、サイカはサイカの周りが、――――サイカが楽しければそれだけで良かったの」


 暗く暗く叫ぶその姿は今でも狂っているように話す。

 父親はそんな狂った娘を忌避したのだ。

 母親はそのおかしい娘を篭絡したのだ。

 どこまで聞いても反吐が出る内容に、世羅さんはまだまだ吐き出して続ける。


「お母さんの異常さには気付いてたんだよ?

 お父さんとの距離も分かってたんだよ。でもね、その時のサイカが何をどうしたって、それらはもとに戻るとは到底思ってなかったの。だから、その現状に甘えて、その惨状を許容して生きたの。生きてしまったから、今こうなってるんだけど。


 でね。病院に行って診断されたら、やっとそこで躁鬱になってるんだってわかったの。

 それからお父さんの反応は目に見えるくらいに変わっていったの。遠ざかる距離はもう見えなくなるくらいに、でも近づこうとしてもお母さんの腕の中からは逃れられなくて。結局それに耐えきれずにお父さんはいなくなっちゃった。


 それで、サイカはお父さんがいなくなったことに不満を抱いて、その拍子にお母さんを殺しちゃったんだ。殺した時は本当に心の底から焦ったよ。我に返ったっていうのかな。

 でも、それと同時に。生きてる感覚がなくなっちゃったの。

 サイカが欲しかったのは優しい笑顔を向けてくれるお父さんとお母さんだから。

 どっちかがいなくなってちゃ、もう手遅れなんだって気付くのもそう時間はかからなかったよ。

 最初はお父さんに会いに行こうとも思ったけど、どこにいるのかも何をしているのかもわからないし。もしかしたら新しい家族を作ってたなんて知ったら、それこそお父さんまで殺してしまいかねないから。だからサイカはサイカ自身で完結して、楽になろうって思ったの。


 だから結局、サイカは何がしたいのかはよくわからない。サイカがどうすればよかったのかは、今でも禍根として残ってはいるけど。

 気難しいいい訳なんか結局これっぽっちも必要なくて、したかったことは一生涯叶えられないって分かったなら死んでしまおうって思うのは、当たり前のことじゃない?

 君だって、同じだったんでしょ?

 君だって。辛かったから、独りで生きてきたんでしょ?


 死にたいときだってたくさんあったんじゃない?

 世界に絶望したときなんて数えられない程あったんじゃない?

 世界が滅んでしまえって思うことなんて、腐るほどあったんじゃない?


 それと一緒だよ。だからサイカはもうしたいことは何もなくて、あの家の中で終われて良かったの」


 世羅さんは酷く淡々と、耽々と述べる。

 そうだ。小生だってそう考えたことはない訳がない。

 死ぬほど考えたことだ。飽きるほど想ったことだ。


 どんよりとした曇り空は、動く雲がだんだんと加速する。

 もうじき雨が降ってくるだろう。早くここを去らないといけない。

 貯水タンクの上に座り、足をぷらぷらさせている世羅さんは、乾いた笑みを浮かべて遠くの街を眺めていた。


「今ならわかるんだ。

 あの扉の先に居たのは、お父さんだったんだって」


 ぽつりと、世羅さんはつぶやく。なんのことかはわからないが、酷く悲しい表情なのは理解できる。

 気付けば恐怖は心底から去っていた。

 刺し殺したのは代わりない。刺し殺されたのは変わりない。

 だが、未だに謎が残る。


「君はどうなの?」

「……?」

「君も引きこもってたんでしょ? ならサイカと同じじゃないの?」

「小生は……――――」


 小生だって、同じだ。

 境遇が少し違えばそうなっていたに違いない。

 何なら、もっと凄惨なことになっていただろう。


「似たようなものだよ。ただ小生は、誰からも無関心で、人付き合いに疲れたから一人になった」

「――――ふーん」

「ただ、世羅さんと一つだけ違うことがあるとすれば」


 あるとすれば、それは多分―――――時間以外の他にない。


 もう少しだけ早く誰かから手を差し伸べられていたら、世羅さんは今も生きて楽しく生活することができただろう。

 小生がこうして制服を身に纏えているように。

 だが、それは禁句だ。

 たった一つの境遇の違いで括れるわけがない。


「小生は無力だったから」

「……どういうこと?」

「誰かのために動くとか、誰かのために頑張るとかは、今までの人生で一つたりともしてこなかった。

 両親は無関心だし、クラスの連中は関わるだけ無駄だし。誰かに頼ったところで、誰かに期待したところで結局大事なのは自分自身なんだからって、そう決め込んでたんだ。


 だからそれこそが、一番の違いなんだと思う」


 軽んじた発言だ。彼女が包丁や拳銃を持っていたら一瞬後には殺されていてもおかしくない。彼女の傷跡を抉るような行為をしていることは分かっているし、自分自身の非力さを免罪符にしようだなんては微塵も考えていない。


 けれど、これだけは言っておかないといけなかった。


「じゃあサイカは結局、他人に期待した自分が馬鹿だったってこと?」

「逆だよ。他人に期待したから、最期まで自分の意思を果たせたんだと思う」


 それは誰にも愚弄できない唯一の美徳。眼前の少女が純粋ながらに汚さを知っていて、それでもなお貫いた彼女自身の意思。それをできない人は――――小生は、言葉をかけることすら傲慢だ。

 自分の意思のないやつなんて、生きながらにして死んでいるのと同じだ、と。


「だから――――――だから、一つだけ教えて欲しい。世羅さん――――君は。君が、あのゲームに参加していたはずだ」

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