76時限目 骰子の死色
始めはいつもの喧嘩だった。
お母さんが怒って、お父さんが傷ついてた。
よくあることだった。よくある嫌なことだった。
いつもサイカはお部屋の中で人形と遊んでいた。
遊んでいたら、サイカは怒られないし、嫌なことも気にせずに遊んでいられた。
けど、嫌な音だけはずっと、ずっと、ずっとずっとずっとずーっと。
頭の中に響いてた。
人形はサイカといつも遊んでくれて、大事な大事な友達だった。
人形とゲームをして、勝ったり、負けたり。
他愛もないことで喜んでいるときはずっと、お母さんの悲鳴が聞こえていた。
寝るときも、お風呂のときも、ご飯のときも。
いつの日か、お父さんがサイカにこう言った。
「ごめんな。父さん。お母さんとはもう一緒にいられない」
『なんで? いつもみたいに仲直りしないの?』
「もう無理なんだ。もう、仲直りはできないんだ。ごめんな。……本当に、ごめんな」
悲しそうな眼で、サイカの頭をなでてくれた。
それが、お父さんの口から聞いた最後の言葉だった。
その日から、サイカは壊れてしまったらしい。
お母さんがサイカと一緒に病院に行ってくれた。
うつ病? らしい。
いつからだったのか分からないらしい。
何が原因なのか分からないらしい。
サイカは、お家に閉じ込められた。
お父さんに会いたい。またお母さんと三人で暮らしていたい。
そう言った。だけだった。
それは、叶わなかった。
¿¿¿¿¿
「何人殺したの?」
今にも殺されてもおかしくない。
瞳の中が真っ黒の、生きているとは到底思えないその女性は、澄んだ声でそう小生に問いかけた。
何人殺したか? なんて分からない。
ただ、今は眼前の女性に純粋たる畏怖を抱いていた。
「たくさん人を殺してたね」
「……ぁ」
「たくさん人が泣いてたね」
「……っ」
「じゃあ、君も死んでいいってことになるかな?」
「――――」
両腕を抑えられて、落ちていた包丁が、女性の手に渡った。
表情からは何も訴えてこない。それが純然たる行動のように。
ルーチンワークのように、小生の胸に包丁を垂直に立てた。
「このまま君が死ぬと、この世界から強制的に脱出させられるんだ」
「っ!?!?」
「嘘じゃないよ? ちょっと私が特殊だからね」
嘘をついているとは到底思えない無造作な表情で、小生をじっと覗く女性。
「君もここから出たいんでしょ? ならこのまま殺されるのが理想なんじゃない? それとも――――今更殺されるのが怖いの?」
「ぃっ――――」
「今更怖いだなんて、それこそ道理がなってないんじゃないかな?
君は常に誰かを殺めてきたんでしょ? ゲームに必要だったから殺しをして、武器の調達に必要だったから人を殺して、人を殺していたからその人を殺して、のうのうと生きているから人を殺して、自分をこんな世界に送り込んだ元凶さえ殺してしまって」
「あ、ぁ」
「それで、自分は常に被害者だなんて。そんな都合のいいことを言うの?
いつまで被害者ぶってるの?」
いつしか瞳だけでなく、開いた口の奥が真っ黒に染まっていて、貼り付けた仮面のように表情は変わって無くて。
滑らかで綺麗だと思っていた四肢は操り人形のようなぶつ切りの接合部が露見していた。
「ほら、露骨に表情が強張った。とりあえず両手を切り落としておこっか」
その瞬間、両手の感覚が一瞬にして消えた。
同時に、一呼吸遅れて激痛が走る。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああアアアアッ!!!」
「ははははははは!」
一部の裂傷ではなく、完全に切り落とされた。
視界の端で自らの手を見ると、手首から先が見当たらない。
濁った紅色が手首の先から滴る。流血とショックで気を失いかけたところに、肩を刺されて再度意識が覚醒させられた。
「っぐがぁッ!」
「おーよく意識保ったネ♪ でも、君が他人に押し付けた傷みはこんなのじゃないでしょ?」
意識が混濁する。この人の狂気に満ちた笑みが眼の前に広がる。
ぼろぼろと顔のパーツが落ちてくる。頬が、鼻が、耳が、口が、眼が落ちてくる。
その内側からは、暗闇に覆われた、赤い眼をした何かが現れてきた。
今になって分かる。
この人は――――――プレイヤーでも、
NPCでも――――――
人でもない。
得体のしれない、正真正銘の化け物だ。
出会った時から疑うべきだった。最初の階層から一つ下に居たということは、少なくとも一度は誰かに殺されているはずだった。
はずだったのに、傷一つ付いていなかったんだ。
背筋が凍る。
呼吸が止まる。息ができない。
締められているのではなく、脳が呼吸を忘れている。
瞳孔が震えているのが分かる。
四肢が動かない。動けない。
死ぬんだ。死ぬ? 死ぬんだよ。
死ぬってなに? 死ぬ? 今さら。い今さら
なんで、なんでなんでなんでなんで――――
「あははは! はははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハははははははははははははハハハははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハははははははははははははハハハははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははハハハははははははははははははは!!!!!」
死ぬ。死ぬ怖い嫌だ誰か助け死ぬ死ぬ怖い死ぬ死ぬ嫌だ死にたくない!
声にならない声が、涙としてあふれ出てくる。
足が動かない。足がない。肩から先の感覚も消えた。
首を振って這いつくばる。頭を掴まれて、逃げ場を失う。
ガチガチと歯を震わせて、意識の薄れる中――――
「傲慢だね。生きている癖に」
それが、ゲームの中で聞いた、最期の言葉だった。




