72時限目 夏休んだ
床……ではなく道路。
白線。樹木。塀、家、電柱
電線
道路標識
ガードレール
太陽
雲
これまで見た光景と何も変わらない状況。のはずだった世界には、人というオブジェクトが追加されていた。
道路のど真ん中で立ち尽くしていると、歩道から昔聞いたような声が聞こえてきた。
「おーい! 葛。なにやってんだよ。そこあぶねーぞ?」
「…………は? 酒口?」
「そうに決まってんだろ? ほら、早く来いよ」
歩道から手招きしてくる酒口の言うがままに、歩を進めていった。
近くで見ても明らかに酒口だ。かつて一緒に会話したり談笑に耽っていた酒口だ。
髪型も、ほくろの数さえ同じだ。頭が混乱する。
あれ? 階層間違えたか? これで終わり? あの女性が言ってたことは嘘だったのか?
「なーにボーっとしてんだよ」
「えっ、いや、その――――」
相変わらず会話スキルが絶滅危惧種。思考がぐるぐる回って思わず噎せてしまった。
それを見た酒口は、心配そうな様子で小生を気を揉んだ。
深呼吸して、状況を整理する。
「酒口さ、変なゲームに参加したりしてない?」
「ゲームに参加? 何言ってんだ? 今なんかのゲームのイベントとかやってんの?」
「あぁ、いや。なんでもない」
至極純粋な瞳でこちらを見つめてくるため、少々罪悪感が募った。
周囲に目を向けると、酒口の他にもプレイヤーとは思えない量の人が町中を闊歩していた。
何かに怯える訳でもなく、何かを探しているわけでもないようだ。
ゲームが終わった? な訳ないだろうよ。
銃創をさする。未だに傷は残ったまま。
恐らく、一般的なゲームで言うところの、|ノンプレイヤーキャラクター《NPC》なのだろう。あろうことか現実の人間にとても似つかわしく、周囲のプレイヤーの記憶から再現された超絶リアルな者たちだ。
一人一人まじまじと見つめても、端正な仕上がりで、小生の不気味な挙動に不審な目を向けている。
「凝ってんなあ……」
「何にだよ。ただでさえ今日は警察とか救急が頻繁に動いてるんだから、葛まで搬送されたりするなんて事だけはやめろよ?」
「警察と救急――――――」
この階層はよもやそこまでやるか。……まぁ殺されたプレイヤーも殺したプレイヤーもこの階層からは消えてしまうため、事件は迷宮入り確定なのだが。
今この場で人殺しをしようものならほぼ確定でムショ行き快速片道切符だ。避ける他ない。
幸いにもプレイヤーならば殺したところで消えてくれる。この階層にいるもともとのNPCにそれが適用されているかどうかは不明なため、慎重に動かなければならないが。
「下手な騒ぎにはできないな……」
「?」
きょとんとした表情でこちらを見る昔の友人。
視線の奥にいる人たちだっていつどこでプレイヤーがのうのうと歩いているか分からない。どの面して人を殺して進んできたのか見当もつかないプレイヤーたちばかりだ。
記憶から薄い道路だったが、この道は確かに現実にもあるような道だった。
腐っても幼い時はしっかりと学校に通っていたものだから、通学路くらいは頭に残っていた。
酒口が急かすようにバッグを振る。
「早くいくぞ~葛」
「あぁ、ちょっと忘れ物したから後で行く、酒口」
「はぁ? んじゃ、学校で待ってるわ。遅刻すんなよ~?」
「…………」
あぁ、の一言くらい言えたら良かったのに。
今言えたらこうはなってねぇよ。と、
精一杯の笑みだけ添えて、酒口に背を向けた。
「――――っ…………」
駄目だ。今、緩めてしまっては、いけない。
堪えろ。でなきゃ気付かれる。
鼻頭が熱い。呼吸が浅い。視界が、滲む。
「ひっぐ…………」
歩いて、路地に向かう。酒口が見えなくなってから膝をつき、号泣した。
今、あそこに立っていたのは小生じゃない。似たような何かだ。
綺麗な青春なんか送れないし、楽しい生活なんてできないんだ。
小生には暗い部屋でパソコンと仲良くやっているのがお似合いなんだ。
それに、今のこの汚れてしまった手でどうやって友の手を握れと言うんだろう。
「ひ、ひとを……ころしだんだぞ……」
呼吸が困難になる。涙がぼろぼろと流れて、口の中に入る。
しょっぱい。
人殺しには普通の生活なんて遅れない。
例えゲームの中だったとしても、人を刺したのは、人を撃ったのは変わらない。
その事実だけで小生は死ぬ義務がある。生きる資格などはその時点で失われていた。
他人に原因を求めた時点で間違っていた。
息ができない。つらい、だというのに。
茹る思考回路とは別に、何か別の感情を抱いているのは何なのだろうか。
「っ、はぁっ。はぁっ……はぁっ! はぁっ♪」
果たして小生は本当に存在していい人間なのだろうか。
■■■■■
「ったく、どういうことだよこれ…………」
死臭漂うカビた床を踏む。
俺は鼻をつまみながら、鍵の開いていた家の中へと入りこんだ。
最後にして最大の問題を抱えている生徒、世羅 賽花の家にやってきた俺は、何度押しても返答のないインターホンを通過して家に入った。
水瀬校長の話によると、両親は四月以降、行方が知れないという。
それ以降、塞ぎ込んでしまった世羅賽花という少女がこの家に住んでいるらしい。双極性障害と言われていたため、どうなっているかと思ったが、まさかこんな家で一人で住んでいるとは思わなかった。自活能力が並大抵の高校生にあるとは思えないし、学校にも来ていない精神不安定な状態だ。何がどうなっていても何もおかしくない。
「チッ。はやく世羅をゲームの大会に行かせねぇと……」
不自然に開いた玄関のドアに、怪しさは抱いていた。
が、それよりもゲームをさせるがために、俺は一目散に世羅がいるであろう部屋へと歩を進めていった。
家の至る所には人形が置かれていた。薄暗く陽光も入ってこない空間においてひたすら待ち構える人形に、少し気後れしてしまう。
世羅が自ら大会に参加していればそれほど幸運なことはない。だが、そんなことは到底あり得ない。
徐々に刺激の強くなる臭いに引き寄せられながら、俺は世羅のいる部屋を手当たり次第に探しに行った。
「っ残るはここしか……」
見渡す限りに人形。動きはしないものの、視線が痛い。
そして最後に残った部屋を、心して開けようとした。
――――が、その部屋にのみ、鍵がかかっていた。
葛のときのような電子ロックではなく、もっと単純な鍵でしか開かないような作りだ。
「ここにきて最後がこれかよ……」
ドアをノックして世羅に呼びかける。予想していた通り、返事はない。
そもそも、この部屋にいるかすら分からないのだ。不用心に玄関の鍵だけを開けてどこかへ外出してしまっている可能性だってあり得てしまう。
大会の参加時間は限られている。早くしないと参加すらできないという最悪の事態になりかねない。
流石に引き返そうと思い、水瀬校長に電話をかけようとしたところに、校長の方から電話がかかってきた。
嫌な予感が加速する。世羅についてか、はたまた――――
俺はブレる手で、覚悟を決めて通話ボタンを押した。
「もしもし、水瀬さん?」
『繋がってよかったよ、神藤先生。危うく咲に連絡するところだったからね』
「何あぶないことしてんすか……」
あの愚かな姉のことだから、身内の不審なことには全速力で駆けてくるに違いない。ブラコンとまではいかないものの、異様な心配をしてくるのだ。原因は知らないが……――――今はそんなことはどうでもいい。
「で、いきなりかけてくるってことは只事じゃなさそうですね。ちょっとこっちも手をこまねいてるんで、手短にお願いしたいです」
『おや、そんなに苦戦しているのかい』
「苦戦どころじゃないっすよ」
ただでさえ不法侵入の疑いをかけられてもおかしくないような状況に加えて、最悪の事態だってあり得てしまう。水瀬校長に文面通り言ったところで、カラカラと笑われるだけだろうからあまり口にしたくないが。
だが、校長の方こそ余裕のない声音で、はっきりとしたトーンで俺へ声をかける。
『こっちも、それは酷いものだ』
水瀬校長は現在、俺の代わりに大会の様子を見てくれている。もともとあの人自身が俺を使ってまで参加させようとしていたくらいだ。あの人自身も興味があったのだろう。時間を割いてまで観戦してくれている。
そこで問題があったとすれば…………おおよそ見当がつく。
『葛くんのことなんだがね』
「はい」
『あの子が――――』




