60時限目 夏休み
※この章のみ残酷な描写を含みます
苦手な方は読み飛ばして頂いても構いません
サイカは薄暗い部屋の中で蹲っていた。
足音のしない家、冷たい床、無虚な空気。
誰にも寄る辺なく、サイカは――――――喉元に包丁を突き立てた。
■■■■■
「課外補習!?」
「うむ」
水瀬校長から言われたその言葉に、俺はつい反芻して問い質した。
――――先日行われた期末試験にて、参加していない生徒が二名いたため行われるその課外補習とやらは、校長が直々に指定した課外の大規模イベントに参加しろという旨だった。
勿論、『遊戯』の授業なのだからその大規模イベントというのは当然ながらゲームに関する事柄である。あまり水瀬校長自らが俺に向かって指示をすることがなかったため、少々驚きがあった。
校長は相変わらずピシッとしたスーツで――――かと思いきや、夏らしく涼し気な印象を持つカジュアルスタイルのスーツだった。だが、相変わらず試すような視線は健在のままだ。
「参加しろって…………要は『優勝』しろってことですよね?」
「察しが良いじゃないか」
「いい加減わかりますよ……」
こんな回りくどい表現をせずにいっそ直に言ってくれれば良いものを……。大人というのはやはり面倒くさい生き物だ。
眼前の彼女はそんなことなどお構いなしに、生徒二人の情報が入ったを展開していく。
「一人は葛 星夜。彼は元々引きこもり気味な生徒だ。恐らく顔を合わせたこともないだろう。――――そしてもう一人。彼女も引きこもってはいるものの、休学という体裁は立てている。――――」
「…………?」
書面に苦い表情を向ける水瀬校長の様子を見て、疑問符を飛ばす。
一人目と同じだけならわざわざここまで分かりやすく言葉を押し込めないだろう。それに、休学というのも何か引っかかる。
これ以上彼女自身の口から言うのが心苦しくなったのか、校長は書類をこちらに差し出した。
「これは…………っ」
端正な顔で、白色に近い肌の色。茶色の髪を一つにまとめた、少し暗い印象がある女子高生だった。
そこに書かれていたのは、『双極性障害』
所謂、躁うつ病と言われるものだった。
原因や症状などは記載がなく、ただの診断結果が記されているのみ。
およそ二十代前後の若者に発症するらしい。
どのようにすれば治るのかなんてのは分からない。急にテンションが高くなる(躁状態)こともあれば自殺願望に心を侵食されることもある(鬱状態)そうだ。遊戯の履修とて、その生徒が突拍子もなく決め込んだものに過ぎず、それを無為にせんと校長も承諾したのだろう。
「って、俺はメンタルケアは門外漢なんですけど」
「分かっているとも。だから言ったろう――――課外補習に参加させろと」
「…………??」
未だに訳が分からず水瀬校長の顔をじっと見つめる。だが、これ以上は何も言わないと彼女の顔がそう言っていたため、俺もこれ以上の詮索を止めて校長室を後にした。
しかしながらどうしたものか……。
このままその娘の家に行って「さぁ行くぞー」と言った所で付いてくるとは到底思えない。
考え事をしながら、周りの景色に意識を向ける。
夏休み故に廊下は人気がない。明るいうちからここまで人通りの少ない廊下は歩いていて僅かながら哀愁を漂わせる。
耳をすませば吹奏楽部の練習する音色と、運動部の爽やかな熱い声。セミの鳴き声がより一層暑さを感じさせる。
立ち止まり、嘆息を一つ。
窓を眺めると、嫌に照りつける太陽が雲によって覆われていた。ここ最近は雨も全く降っていなかったろうから、明日以降の天気はどうなることやら。
「先生」
不意に後方から声がかけられた。中性的な声だ。
リルクだろうか。ここ数日暇を持て余しては学校に来ている俺に勝負を仕掛けては大敗を喫していたから、いい加減懲りてほしいのだが……。
そんな事を思いながら振り返って見る。
だが、そこには誰もいない。
「…………リルクか?」
問うてみても、誰も応えてはくれない。
そもそも、誰もいない。
足音がしていないのだから。
ここに近づいてくるまでの足音も、声をかけた場所から離れていくための足音も、一つとして聞こえなかった。
「……幻聴か? 疲れてんのかなぁ……俺」
疲れる要素なんて何一つ無いのだが、そう思い込まないと納得がいかなかった。
不登校の二人について考えなきゃいけないっていうのに、一体これ以上厄介事を請け負ってたまるか。
それに今声をかけたのだって本当にいるか分からないし、『遊戯』の履修者でなければ俺は顔もわからない。
頭を振って、俺はとある人物へと電話をかけつつ、そこから立ち去った。
■■■
「あのねぇ……。私は『眼科』の主治医なの。精神科や心療内科をあたって頂戴」
「っす、すみません…………」
「まぁ……、頼ってもらえるのは嬉しいけど」
症例と聞いてまず一番に頼ったのは、満弦さんだった。無理を言って昼食の時間をもらい、現在は近場の洋食店で二人きりで話している。
修学旅行の一件から、こまめに個人的に連絡を取るようになった。前までは書面でだったため、こちらのほうが何かと手っ取り早いし、こういったことも相談できる。
にしても、連絡して一時間で都合がつくとは……、思ったより仕事が苦しい状況じゃなさそうで良かった。といえど、白衣を着たまま来てしまってる。
満弦さんは話を戻し、俺に向けて提案をした。
「躁鬱なら、千鳥にでも聞いてみたら?」
「……! 確かに」
千鳥将輝……クラン『凪』のトップで、俺の生徒である鳴上雷斗の師範役でもある。マサは多数の障がいを持っていたが、それでもあぁして平気に生きているのだ。それもまぁ…………奇跡というにはおこがましいほどの絶無な確率で生活できている神の子のような人間だが。
「因みになんでアイツ生きれてるんですか……?」
「私も知らないわよ。多分、解剖したら何兆もの価値があるわよ」
フッフッフ……、と怪しい笑みを見せている満弦さん。冗談にしても笑えないので、そっとしておいた。マサの臓器は冗談抜きで常人の数十倍の価値があるだろう。
そんなことはさておき。次の相談相手も見つかった所で、昼食を食べ終わった俺達は店を出た。




