37時限目 月下、氷上の影柊
「ここ……何階層だっけ?」
「今、ちょうどこれで八層だね。ここの氷竜を倒しても、まだ二体ラスボス級が残ってる」
「嘘でしょ……。いつの間に消えたの、あの二人」
先生達はいつしか消えていた。職務放棄かよ、と思うこともあったが、何かしら意図があるのだろう。何も告げず勝手に消えることには少し思うところはあるが、こうなってしまっては致し方ない。
大問題はここが八階層であり、ここを含めてあと三体、ラスボスレベルが待ち構えているということだ。
絶望が脳裏に過ぎる。先ほどの火竜討伐は先生の独壇場で倒し切ることができていたが、今は僕と卯月さんの二人。また、氷竜は当然火竜と同じレベルの存在。卯月さんが先生と同じレベルだとは到底思えないため、より状況は最悪だ。
「やっばぁ……。どうする? 流石に引き返す?」
「うぅん…………」
この場で引き返そうものなら、今度は先生に何を言われるか分からない。それに、半分は卯月さんと僕のトップ入りを目指しているのだから、殊更逃げるわけにはいかない。それに、ただ何もしないままで、悔やむことはもう二度としたくない。
僕は意を決して卯月さんを見た。
「進もう。ここまで辿り着いたんだし、僕らならいける」
「……! うん、わかった」
卯月さんは僕の発言に押されたのか頷いてくれた。ただ、秘策はないし作戦もない。
僕は雷斗のように前に踏み出す勇気もなければ、先生のように悠然とした自信もない。
これまでは自分が一番だと思っていたのに、ふとした瞬間前に立つモノが現れて進む足を止めた軟弱者だ。ないものを不要なものと決めつけて、堕落した馬鹿者だ。そんな僕に何ができるというのか。頭に嫌な想像が過る。
「馬鹿だな……僕」
「どうかしたの? いこ?」
けど、それでも愚直に進まなければならない。そうしなければ、僕が僕として――――――――自分を嫌いになってしまうから。
僕らは次への扉を共に開けた。
■■■
――――極寒の大地。空は雪雲で覆われていて暗く、荒れる雪は轟音で声すらかき消される。これまでの経過時間の上では先駆者よりも少し早いだろうか。まだ最速クリア記録を塗り替えることはできる。といってもこれからの三連戦でほぼどうにでもなってしまうのだ。さて、どうするか。
「作戦は?」
「とりあえず、僕のアーツで認識阻害をするからそこで一撃を叩きこんで欲しい」
「わかった!」
寸分の迷いなく肯定する卯月さんに、少し気後れしてしまう。先生と同じ手法でどれだけ敵の体力を削げるかだが……元よりそれはあくまで初撃に過ぎない。一撃喰らえば敵もすぐに攻撃を始める。それに、あくまで僕の【フェイク】は視覚を騙すのみ。聴覚嗅覚に頼られたら終わりだ。考えているのも束の間、アーツをかけられた卯月さんは雪の中飛んでいった。早速一撃を食らわせる。
「くっ……!」
僕が援護射撃をしたところで付け焼刃にすらならない。善戦をしているものの、卯月さんを主戦力としている限りは到底勝てなかった。氷竜は存外応戦しており、やはり先生の戦い方を真似するだけでは勝てる未来が見えない。
このままではあと数分もしないうちに負けてしまう。卯月さんは必死に【ヒール】で自身を回復しているが、時間の問題だろう。
改めて、思考を整理した。
持てる武器を探す。長銃一つで何ができる。僕の装備品じゃ何も打開できるものがない。卯月さんの装備品は? あったらそもそも使っているだろう。卯月さんの武器で消耗させようにも当人が近づかない限り攻撃できない代物《日本刀》。アーツは? 今僕自身が彼女へ向かって使っている。彼女も然り、合わせて何かができるとは思えない。それに助け舟の先生もいない。完全に手詰みじゃないか。
どうする……どうする?
「…………っ! このままじゃ――――」
氷竜の咆哮が唸る。遠くにいる僕までが耳をやられそうなほどだ。このままでは本当に負けてしまう。雷斗のように、先生のように――――もっと強くイメージをして、もっと強くなるには――――――――もっと僕らしくあるためには。
イメージの転換。アーツの解釈。今のままでは勝てないなら、ならば。
無造作にアーツを自分自身にかけ、乗り込もうとした瞬間だった。
「アーツ」
その瞬間、僕のアーツが変化する。
雷斗は僕のアーツを使用して、大会に出ていたと聞く。その時騙していたのは【フェイク】が【ブラックアウト】に変化するもの。だがそれでは氷竜を倒すには心許ない。なぜなら視覚以外で感知できる竜を相手に【ブラックアウト】程度で適応できるわけがないからだ。
だったらどうするか――――
【フェイク】が【気配遮断】に進化しました。
「っ……!?」
「よし…………! これならイケる!!!」
意図的に進化させるなんてことは多分できはしない。が、先生の言っていたことから察するに、今この状況で進化するのは大方予想ができた。【気配遮断】……対象を相手として、聴覚、嗅覚を含む感覚全てを遮断するというアーツ。チェスやオセロのように盤面全体に影響させることは不可能となったが、今この場においては最強格に当たる強さを誇る。
【気配遮断】の効果を付与された卯月さんは、何が起こっているかもわからずに突如攻撃が外れだした氷竜へ猛攻を始める。僕の支援すらこれ以上いらないほど卯月さんの攻撃は綺麗に急所に当たり、【ヒール】の回復速度も間に合っていった。
「これで……最後!」
卯月さんの斬撃で、氷竜は苦しげな叫びを見せる。その後生気がなくなり、倒れ伏す。最終的に完封勝利を収めることに成功した。
「よっし……勝った!」
「お疲れ様! すごかったよレナちゃん! でもいきなりアーツが進化するなんて聞いてない!」
「僕としてもこれは予想外というか……あの人にしてやられたというか」
多分あの先生は分かっていた。おおよそどのような動きをすることで進化条件を満たすのか。僕は原理も理屈もなにも分からなかったが、あの人が考えてることは無条件で信じてしまう。それほどの説得力があった。勝てるビジョンを強引にでも作り出す、それがあの『ゲームの天才』と言われる所以でもある。
抱き着いてきた卯月さんにまたも顔を紅潮させてしまう。中身が男だということも気にせず抱き着く卯月さんは一体僕のことを何だと思っているのか。
「よっし! じゃあこのまま次いこー!」
「うん」
次なる扉を開けて、先に進んでいった。
それからのことは悩むまでもなかった。僕のアーツを発動させて、不可視からの攻撃を食らわせる。範囲攻撃を食らってしまうことが多少なりとあったものの、【ヒール】と僕の長距離攻撃でなんとか倒しきった。九層、十層を踏破し、やっとの思いで屋上に辿り着く。
「やった……! 踏破した!!」
「もしかしたら最速かも……!」
二人して喜ぶ。最後は鐘を鳴らせば終わりだ。毎度思うが先生はどこまで見越して僕等を動かしているのだろう。考えだしたらキリが無いとは思うものの、つい思考はそちらに寄ってしまう。
頭を振って僕はこのまま鐘を鳴らすために鐘紐の前に立った。その鐘紐の前に書いてあった石板にはとあることが書いてある。
『鐘を鳴らした者は試練の合格者と見なし、番の指輪を賞与する』
別に何も悪いことは書いていない。ただの戦利品だ。だが、それに何も思わないほど無知で無作法者ではない。その戦利品はゲーム内に一つしか獲得できない指輪であり、相手の名前も載るとの噂もつく大事なもの。そんなアイテムを卯月さんは僕とともに受け取ってよいものかと少し怖くなった。
別に何も考えず受け取ってもいい。
卯月さんに何か考えがあるなら受け取るのも止そう。
「……違うな」
いや、そんな回りくどいことを言いたいんじゃない。僕が言いたいのは―――――そうだ。
「サヤは、好きでもない相手と指輪を受け取ってもいいの?」
「…………?」
端的に言うなれば、今の僕に受け取る権利はないということだ。卯月さんは、言われた言葉の意図を汲み取り、表情を曇らせる。
「それは……どういうこと?」
「サヤは、僕が相手でいいの?」
らしくない。黙っていればなんともなかった。けど、騙しているようで、後ろめたい。今後どう付き合っていくか考えてもいない馬鹿のやることだ。
そんなことに卯月さんを付き合わせたくないし、僕だって不本意は嫌である。
悩む彼女は口を開ける。
「確かに、わたしからしたらレナちゃんは出会って間もない相手だけど」
「そうじゃなくて。女としてじゃなくて、僕に対しては、どう思ってるの?」
「っ、それは…………」
途端に言葉が詰まり、口を噤む。無理もないことだ。ここまで一度たりとも男として扱われていなかったのだから。今更になって男として見ろなんて都合の良いことを言っているのも大概だ。
「あなたのことは……何も知らないけど」
「じゃあ尚更駄目だろう」
「けど! ここまで来ちゃったんだし、今更引けない」
「今はサヤと僕の話をしてるんだ」
僕が距離を詰めると、卯月さんは―――サヤは一歩ずつ退いていく。だんだん悲しげな表情に変わり、悪いことをしている自覚もあるというのに、僕の気持ちは揺るがない。だんだんと歪む表情は、来ないでくれと訴えているようだ。
「もう一度聞くよ。なんでサヤは女の子が好きなの?」
「そ、それは…………」
詰める。到底理解できぬ言葉の上塗りを続けた彼女は、それが一枚一枚剥がされていく感覚に恐怖を抱いていた。
「わ、わたし、わたしは…………」
「ゆっくりでいい。ゆっくりでいいから、教えてよ」
「っ…………」
ただの画面の奥の相手に恐怖する姿は、とても可哀想だった。見ていて心が痛むものの、この原因は今、レナでしか聞けない。
サヤは恐る恐る、淡々と述べ始めた。
「わたしね…………前ね、彼氏が居たんだ」
「…………続けて」
「良い人だったんだよ? とっても優しくしてくれて、色んなところに遊びに行ったの。楽しかったし、嬉しかった。一生の相手だなって、幼稚な考えで思ったりもしたんだ」
「…………」
震える声で、彼女は告げる。
「でも、突然ね。わたしに対して嫌な態度になり始めたの。わたしからだんだん離れてって、ショックだった。悲しかった。わたしにはあの人しかいないって思って、今考えてみたら、その人には重たかったのかもしれない。無視されはじめて、だんだん酷いことされるようになって」
「浮気されて。捨てられて。わたしがいけないんだって。そう思ったの。そう思った方が楽だったから。そう思い込んだ方が幸せだったから。だから、誰にも迷惑かけないように生きようって、男の人を好きになるようなことも、好かれるようなこともやめようって思って」
泣き始める。震え始める。けれど彼女は、振り絞った声で続けた。
「女の子として見られないように、男の人の格好して、女の子好きになれば、男の人に相手として見られなくなるかなって思って」
「それで…………」
不器用に話す眼前の少女は、継ぎ接ぎながらもかすれた声と、涙を浮かべた最低限の笑みで僕を見る。
これまでの一挙手一投足に合点がいった。この少女は、とても嫌な思いをしたのだろう。僕では想像のつかないほど。僕が想像してはいけないほど。
それで全てをひた隠しにするためにあんなことをしていたのだ。全てが演技だと思わせられれば、当然納得がいく。
「だからね……。あなたとはやっぱりクリアできないかも。ごめんなさい。せっかく、せっかく一緒に進んできたのにわがままで――――ほんとうに、ごめんなさい」
僕の前で泣く彼女は、拭っても拭っても溢れ出す涙を堪えきれずに、座り込んでぼろぼろと流し始めた。
鐘は、鳴ることはなかった。




