1時限目 絵に描いた校長
私立紅葉高校。
全校生徒千五〇〇人という相当大規模な高校は、設備は良く整っていて、外観だけでなく内装まで綺麗だった。
自由な校風だろうか、髪を染めている生徒や自分達で部活を多く設立している生徒達が多いらしい。
と言いつつも。俺からすれば関係者もいなければ名前も知らない学校だ。そして現在、俺は先日咲により仕立てられていた白衣を着せられ、校長室のフカフカのソファに座って机の向こうの女性の言葉を待っている。
「こんにちは。神藤先生」
「先生というには、些か早計すぎると思うんですけど」
「そこで良かったのかい。咲の弟というだけで想定はしていたが、初対面の女性に皮肉を言える辺り流石だと思うよ」
「俺は毛頭教師になる気はありませんよ」
目の前には紅茶が二つ置かれているが、手に取っているのは彼女のみ。
脚を組み眼鏡ながらに悪役に近そうな顔をして、紺色のスーツを着こなしている人。
咲と同じ年齢だというのなら二十後半といったところだろう。それにしては綺麗だと客観的には思う。
俺はこの日、正式に教師への勧誘を断るために来ていた。
「そうそう、申し遅れていたね。僕は水瀬葵。ここ───紅葉高校の校長だ。かつ、君のお姉さんと旧い仲でもある」
「はぁ」
「見事に怪訝そうな顔で何より。君の姉が大概なのだから、友人や弟も同じ気概だって何ら変わったことはないだろう?」
「あのイカれた現金と一緒にしないでください。あれは頭のネジが相当外れてるんですから」
「……ふっ、よく言う」
あの社畜はおかしい、それだけは言える。
と、校長の側から御託を切られて再度本題に移った。
彼女は先程とは脚を逆に組み、一口飲んだ紅茶のカップを置いて続ける。
「この高校は自由を規律とした学校でね。一般的な高校の教育課程とは別に、今年からは新しいコトに取り組んでいきたいと考えているんだ」
「その一環として————俺に『遊戯』の授業をしてくれと」
「うむ」
割とぶっ飛んだ教科を採用したものだ……。だが、それとこれとは俺の関わる理由がない。
俺はさっさと断ってソファから離れるつもりが満々だった。
「俺はWGSで十二分に稼いでるので金銭面には問題ありません。
その上教職に就いた経験はありませんし、何も『神藤知』でなく他のプロゲーマーでも問題がないでしょう。元より『遊戯』の教科自体に突っ込むところがありますけど」
「ふむ……断る理由は確かに揃えてくるだろうとは思っていたが……君にしては実に凡夫の発言だな」
「……?」
鋭く眼を細めてこちらを覗く校長は、溜め息を一つ吐いた。すると伸びをして、窓の方へ歩き出す。
含みのある発言に思わず硬直してしまっていた俺を差し置いて、校長は再度口を開いた。
「第一に、金銭面のことだが。当初から述べている通り君にはただ授業を請け負ってもらうために求人したんだ。誰でもいいから人材を集めて金をチラつかせてる訳ではない。
そして第二に、教職経験なんてあろうとなかろうとこの場合些事だ。……まぁそのことについては後程話そう」
「……? は、はぁ」
思わず眉間に皺が寄る。校長は俺を一瞥すると、口元を緩ませて安らかな表情をした。
まるで分り切っていることを諭すような表情で。
—――次の瞬間、鉄の板のような言葉が投げつけられた。
「元来、ゲームというのはただの娯楽を目的としていた。西洋のチェスであれ、昭和の独楽だったりね。時代が経る毎に遊び手と作り手は増え続け、盤上は立体空間、果ては仮想空間にまで及ぶ現在だ。更に適当な論文を漁れば遊戯と脳の密着性について語られ、賞金まで付き纏う一流の職業まで存在し始めた。
最早それはただの娯楽ではない。一種の社会的生存法を学ぶためのモノとも言えるのではなかろうか」
「……社会的、生存」
脳内で反芻する。
彼女の片目を閉じて俺に話しかける様は、ちょっと悪魔じみていた。
「とまぁ、言い分はこれぐらいにして。『雑多に抽出した人間が君だった。』なんていうオチもなければ興もない理由じゃなかったと言いたいだけさ。
事実、君は日本で正真正銘トップに君臨するプロゲーマーだ」
鉛のように重たい言葉は、俺の喉を通るには少しばかり時間を要した。
だけども、今この部屋にいる彼女は、本気でなんの躊躇も冗談もなく俺をスカウトしようとしている。
それだけは分かる。正直、俺自身判断が鈍りそうになるほどだ。
だが俺の考えていることとは裏腹に、彼女は嘆息を吐いた。
「だが君には少し失望したよ。ここに来る以外の選択肢などないというのに」
「…………?」
突然の失望に疑問符を飛ばす。俺が何かをやらかしたのか? いや、それで諦める女性ではないことは伝わってくる。ならば確信か? それほど十全な計画だった? いや、あの姉の考えることだ。
適当に短絡に興じただけだろう。
憮然と目先の面白い光景に……興じ———
『興じる』……? あの姉が、確信を以て……?
「君がここに来たのは相談ではない、報告だよ」
長年否が応でもとに共に過ごしてきた相手だ。おおよその考えるは想像がつく。だというのに、こんな初歩的なことに気が付かないとは……!
思わずはっとした俺は、平静さを欠けて焦ったように校長へ視線を向けた。
当然のように、校長は悪魔のような笑みで俺の顔を見ている。
もし逆に、興じることがないのなら、端からこの話をわざわざ咲から告げられることはないはずだ。
恐る恐る、目先の悪魔へ問う。
「俺が、教師にならないといけない理由が……あるんじゃないですか」
目の前に置かれた紅茶。
前日に手渡された封筒。
なにもかも、この二人の手中にあるとしたら。
「もちろん、あるとも♪」
あの時から既に俺の生活はもう崩されていたのだろう。
気持ち弾んだ声で本性をさらけ出す彼女は、俺の想定を通り越して勝手に話し始める。
「君がこの勧誘を無視した場合。君はWGSとの契約が切れる。途中で辞職した場合も然りだ。
僕が事前に先方に話を取り付けていてね、『教職とそちらの契約が両立できなかった場合、こちらの判断で契約を破棄させる』という権利を頂いた♪」
「げ、下衆……」
「賛辞をありがとう」
ハッハッハと笑う目前の悪魔に、為す術なく転がされる。
このままじゃ当分この女の言いなりになってしまう。
どうにかして、こちらを有利にさせないと……―――と。思っていたところだった。
「おっと。言い忘れていた。
《《第三に》》、これは君の株を上げるためにある。君の評価が上がれば、今後の褒賞の額も、更に知名度も上がるだろう。悪くない話さ、むしろそれが一番の決め手だとも。
君が何を望んでるか知っているしね」
「まさか――──―」
「校長としては教師になる人間のことは調べる質だからね。それは別として、僕は君のファンでもあるけど」
────この人、どこまでも食えなさそうな人間だ。特に俺の好まないタイプ。こんなのがファンとは俺も無駄に有名になったものだ……。
俺は頭を振って校長を睨めつけた。
ひょうきんな仕草に嘆息を吐く。正直分かり切っていることだったが、聞かざるを得ない質問を仕方なく投げた。
「で、採用するにあたっての条件は何ですか?」
「おぉ、君からその言葉が出てくるのはうれしいな」
「そっちの指図に嫌々乗るだけでも、もう少し優遇してくれて構わないんですけどね」
「条件はたった三つさ」
仕方なく俺は紅茶を手に取る。
ほんのりと甘く、清々しい後味が印象的な良い代物だ。喜んだ表情で彼女は俺の顔を見ていた。
けれどもそれはただの上辺にすぎず、彼女から発される言葉は変わらず軽そうで、とても────
「三つの条件とは
一つ、生徒に一敗もしないこと。
二つ、一年以内に全生徒をランキングに入れること
そして三つ。─────────────
それだけさ」
狂気に、満ち満ちていた。