鼠衆会との決戦Ⅱ
未だ黒煙に囲まれる鼠衆会にとって、地中からの襲撃者は衝撃だった。ライティアの部下たちが待ち構えていたポイントとも違うところから、アニール・トカレスカは現れた。彼女の眼前にいた野盗のうなじから剣の切っ先が現れ、消える。後に続いて、数多の団員と聖軍兵がぞろぞろと砦内を蹂躙する。
「……屑どもが。俺はあっちを相手しなきゃならんというのに、全く……」
鼠衆会の醜態を背後にしてライディアが相対ししようとしているのは、今まさにライディアと相対すべく剣を抜いて空を飛ぶトルバだった。
「よう、久しぶりだなライティア。ーーーお前、かなり太ったな?」
「ああ、15?いや、16、それとも17年ぶりか? まあ年はいい。ーーーお前と死合うことになって残念だよ」
トルバからは闇が、ライティアからは光が溢れる。数瞬後に轟音が鳴り響き、天を光と闇が二分した。
ここにきて、人の数などは問題ではなかった。頼みの綱のライティアはトルバにつきっきりになり、統率を失った鼠衆会はただ逃げ回るのみになった。鼠衆会の敗北の運命は決定付けられた。トカレスカ騎士団にとって問題なのは、どう戦いを終わらせるか、だけだった。
「待て!! ここは通さぬぞ、十傑が一人の『天降る光のライティア』の部下の儂らが相手じゃあっ!!」
「ーーーここは我々聖軍にお任せを。騎士団は頭領の捜索を続けてください」
ライディアの部下がようやく砦内の通路で騎士団と聖軍にまみえ、聖軍の隊がそれを相手する。アナクレオニア将軍がそう伝え、アニールの隊は別の道を取る。石の階段を上がり、戦場と化した広場を見下ろしながらアニール達が部屋をひとつひとつ回る。
「さっさと頭領を見つけて勝つぞ!!」
「「「おおおーーーー!!!」」」
ーーーアニール達の熱狂を裂くように冷たい足音が現れる。
カッ、カッ、カッ。
それはゆっくりで、落ち着いた、空気を刺すような足音。
瞬間、アニールの身体中を危険信号が駆けめぐる。
今まで感じたことの無い、混沌とした黒い魔力。
「待て……」
アニールは団員を制し、ひとり先に回廊に出る。団員たちが後に続く。
白い衣に身を包んだ呪術師ーーールラルトが立っている。
「ーーーお久しぶりですね、アニール・トカレスカ。メドゥーエク街でお会いしましたね」
アニールの背筋が凍ったような感覚に襲われる。ルラルトの薄い皮の内側を”混沌”が這いずり回っている。
「ーーー何者だ、おまえ」
アニールの口から初めて出た言葉が、それだった。
「ええ、ですからルラルトです。貴女の緑髪のお友達と戦った、ルラルトですよ」
「……雰囲気が違う。魔力が違う。何をしたんだ?」
場を”混沌”の魔力が浸食し、空気が冷える。アニールの全身から汗が吹き出、構えた剣が震える。
「そんな話をする前に、まず私の話を聞いてほしいですね」
「……どういうことだ」
ルラルトは窓辺に腰掛け、自らの衣を剥がす。
ーーー傷の刻まれた柔肌が日の下に晒しだされる。
「ル・ラール国は流石に知ってますよね。なら、”歌巫女”も知ってるんじゃありませんの?」
アニールの脳裏で、オードル・フラガラハの声が蘇る。
『……歌巫女、結局救いに行くことさえもできやしなかった……! 俺の後悔は色々あるが、一番は、みんなの盾にされちまった歌巫女だ……』
アニールが心当たりがあるかのように頷くと、ルラルトが続ける。
「ーーー歌巫女となるものは、物心がついた頃から歌巫女として育てられる。他ならぬルダーム・シェルトの最上巫女によって。シェルトの練習は血を吐くほど辛かった。外の景色なんかまともに見れない、暗い建物の中で喉が擦り切れるまで歌い続け、その後に”呪術”という魔法を訓練させられる。歌巫女は歌によって、また呪術によって人々の徴にならねばならなかった。
お腹に鞭を受け、発声が悪ければ首を締められる。罪人のごとく、小さな女の子はいじめられてたんですねえ。
ーーーそして10歳の頃。フォルモ皇国の軍が大地を埋め尽くさんばかりの勢いでやってきた」
アニールは動かなかった。動けば、混沌が襲ってくる。逸る団員を制しながらアニールは彼女の言葉に注意を向ける。
「ーーーそのとき、ル・ラールの軍はどうしたと思いますか?」
「……すぐに負けたのか?」
「いいえ」
ルラルトが首を横に振り、長髪が舞う。
「逃げました。10歳の女の子と、身分の低い者だけを残して」
ルラルトがため息を吐き、自身の傷痕をなぞる。
「大変でしたよ。歌巫女は強大なことで有名だったらしいですから、残った人々からも盾にされました。はぁ、10歳の女の子はフォルモとだけではなく背後に控えてた人々とも戦わざるを得なかったんだぁ」
ルラルトの眼が一瞬、幼くなる。
「ーーーフォルモに捕らわれてからも地獄は続きました。私を捕らえていた軍が何処かの勢力に急襲を喰らって霧散。10歳の女の子はただひとり、ろくに出歩いたことのない、魔獣だらけの自然に放り出されました。
女の子は世界を呪い、魔獣に身を委ねようとしました。その時現れたのが……」
「バルド・ゴルディアだな?」
「ええ。まだ見習い時代の、ね。彼も世界を憎んでいました。半身痣の少年と10歳の少女は契を交わし、共に世界滅亡への道を歩くことにしました」
ルラルトが口を結ぶ。ーーーそして、彼女の皮膚の下に隠れていた”混沌”が右腕を紫色に覆い始める。
「ーーー見たところ、あなたは半身に火傷の痕を負っている。それで生きているということは、誰かに愛されていたでしょう」
”混沌”が渦巻き、残滓がルラルトの肩を突き抜ける。あまりの高濃度のマナに、その場の殆どの者が吐き気を覚え足場がぐらつく感覚に侵される。
「ーーー許せない。信じられない。愛を受けて育った者など、虫唾が走る。”世界”は愛を私にはくれなかったくせに」
まるで十傑のトルバのような魔力量。ーーーだが刹那、ルラルトの魔力が弾け、彼女の身体がぐらつく。
「うあっ……?! ”超異形”の魂のの魔力が……!」
魔力の制御失敗。傾くルラルトの身体。瞬間、アニールの足が床から離れる。頭が考えるよりも先に口が命令を叫ぶ。
「全員、突撃!!!」
そしてアニールが気づく。
(しまった、失敗したーーー)
ルラルトは顔を歪ませながら、暴走した”混沌”の魔力を纏め直し、足を止めぬ騎士へと手を向ける。
”混沌”が膨らみ、爆ぜる。
ーーードドドドドドド!!!
グラディールの大瀑布よりも巨きな紫色の奔流が津波のように騎士団に押し寄せる。
「うあああああああ!!」
アニールはいち早く足を止め、叫びながら円の魔力回路を宙に描き、防御魔法を展開する。紫の魔力を受けてズン、と重い衝撃が響く。
「なっ……ぎゃああああ!」
「のみっ……がああああ!!」
「なんだ……ぐふぁああああ!」
騎士団員たちが鉄砲水のような紫の魔力の奔流に飲み込まれ、アニールたちのいる回廊全てを飲み込んだ。
(ぐっ……!)
アニールはいま自分が立っている所を死守するので精一杯だった。魔力の奔流で周りが見えない中、怒涛の洪水のように重い圧力を耐え続ける。
「あ……あ”あ”あ”あ”!!」
欠けゆく魔力回路を補強しながら全身全霊、自身の魔力の全てを防御に注ぐアニール。奔流が次第に収まっていき、視界が開けてゆく。魂だけを攻撃する術だったおかげか、物は全く破壊されていない。ルラルトはアニールを睨み、再び混沌の魔力を集めようとしている。
「させるかーーー」
そう叫んでアニールが足を踏み出した途端、何かが足に当たる。
だらりと倒れて、動かない団員。周りを見れば、壁にもたれかかって身動きひとつとらない団員。目をひん剥いたまま仰向けに倒れている団員。
「ーーーえ?」
アニールは動きを止め、団員たちを見回す。だれひとりとして、二度と動くものはいなかった。
「……みんな?」
死んでいる、とアニールが気づくのに数拍かかった。魔力の身体たる魂が完全に破壊されているのだ。
「そんな、さっき逃げていればーーー」
逃げていれば? 彼らに突撃を命じたのが誰なのか自覚してアニールは顔面が凍りつき、膝が笑う。
「わた、しが死なせた……?」
敵と戦って仲間が死ぬことは、鼠衆会に街が襲われた時点で経験済みだった。だが、彼女自身の命令で人が死ぬのは初めての経験だった。まだ温かみのある肉体が何も応えないのを見て、アニールの血の気が引く。
「そ、んな……」
青い髪の少女が震え始める。正義を遂行する。秩序を取り戻す。そう気丈に振る舞っていた少女だったが、彼女の判断ひとつで仲間や守るべき人々の命運が大きく変わるのを自覚したのはここが初めてだった。
「……なんだ、たいしたことないじゃないか」
ルラルトが笑って吐き捨て、第二発の準備を始める。大きく震え始めた少女をルラルトが狙おうとした時。
ーーールツェルンハンマーが風をきってルラルトを襲う。
「! ーーーくそおっ!」
咄嗟に飛んできた武器を、混沌の魔力を溜めた右腕で弾いて防ぐ。
「誰だ、いいところを邪魔しやがって……!」
「いいところ? 団長が殺されようとしていたんだ、悪いところに決まってんだろ」
そう言って現れたのは、エルベン。彼もまた、頭領を探し回ってここにきたのだ。彼は辺りを見回し、目を見開いて拳を握り締め、弾かれたルツェルンハンマーを拾う。
「……てめえ、俺たちの仲間に手を出したな。もう後はないと思え」
エルベンが構える。ルラルトが二発目を放そうとするが。
ーーーボガァン!!!
「っあああああっ?!?!」
ルラルトの混沌の魔力が大きく暴発し、霧散する。魔力を纏めきれなくなった彼女は後退り、嘲笑する。
「……ここまでか。おい、キリガレ!!!」
ルラルトが叫ぶと同時に彼女を影が覆う。
「ーーーまたな、同じシェルトを学びし者アニール」
「待てやあっ!!」
ルラルトは影に飲まれて地面に沈み、エルベンのルツェルンハンマーが空をきる。
「……くそ、あいつに逃げられちまった。探して見つけ出さねえと。おい、アニール?」
彼が声をかけたアニールは、憔悴しきっていた。




