エルタの戦い ートカレスカ騎士団初の大規模戦闘ー
エルタの戦い。それは後の世にも語り継がれる、トカレスカ騎士団が軍隊として戦った初の戦闘。後にエルタ村と呼ばれることになる村をトカレスカ騎士団が鼠衆会から解放すべく戦った戦である。
「ーーー今回は至極単純だ。正面の柵門を突破して、村内部を蹂躙する。もちろん、罪なき村人には手を出すな」
アニール・トカレスカが先頭に立ち、後ろに控える団員たちに声を掛ける。風の強い日だった。
「ーーー突撃!!」
エルベンの号令とともに、8つの分隊に分かれた80人が剣を槍を構えて駆ける。数多の足が地面の土を踏み付けて、土埃が舞う。
柵の向こう側からビュン、ビュンと鼠衆会のほうからいくつかの矢が山なりに放たれる。だが、風にあおられてあらぬ方向へと矢が落ちてゆく。
「弓射れ!てーーーっ!」
丘の上で誰かが叫んだ。それはトルバだった。指を宙にかざして風を読み、絶好のポイントを見つけて弓隊に射らせたのだ。風の後押しを受けた矢が早く剛くなって柵の内側へと降り注ぎ、鼠衆会のほうから矢が飛ばなくなる。
(門まであと100歩! 90、80、70……!)
トカレスカ騎士団が柵門までへと駆ける。アニールは歩数を数えて、零になるまで足を必死に動かす。
(五、四ーーー)
「門は俺に任せろ! アニール、シェルトを歌え!」
騎士団が門に肉薄した刹那、エルベンが叫ぶ。
「千歌が十。ああ火を崇めよ火と共にあれ。火は万物の恐怖の具現なれど万物を誘う魅惑なりーーー」
アニールのシェルトによって空間の波長が魔力の行使に適した状態になる。エルベンは門の前で一度立ち止まり、木でできた門の表面に複雑な魔力回路を描き、自身のマナを通す。木枯らしの回路だ。アニールのシェルトの効果もあってか柵門は急速に腐り、非常に脆くなった。
「うぉーーーりゃ! 俺のルツェルンハンマーが唸りを上げるぜ!!!」
エルベンが手にする先端が鎚と槍と刃に分かれた長柄の武器の、鎚の部分を思いっきり柵門に叩きつける。腐った門はいとも簡単に吹き飛び、ーーー門に開いた大穴からは鼠衆会の野郎どもが見えた。
「ーーー総員!!! 鼠衆会野盗を確認! これより交戦に入る!!!」
アニールの一激を境に、団員たちが雄たけびを上げて空気を揺らし、大地を踏み均しながら門の内側に流れ込む。
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俺は、ハザールという人間は人と戦ったことがない。
魔獣と戦ったことはある。港町に繋がる街道の魔獣掃討作戦や、街に近づいてくる魔獣、アニール団長と共に街の外に出かけた時……。魔獣ならたくさん狩った自信がある。
だが、人に対して得物を向けたことは無い。考えることもしたくなかった。
俺はメドゥーエク街の出で、鼠衆会に支配されたことのある人間だ。だから、あいつらは憎い。
かつて、俺の目の前で俺の両親が磔にされて”捌かれた”。他ならぬ鼠衆会の手によって。野盗たちは気晴らしのつもりだったんだろう。だが、その一件で野盗は許しがたい存在になった。ーーー全員死ね、と未だに思う。
だけど、野盗を憎むとともに、得物を人に向けることの怖さも身に刷り込まれている。野盗が得物を人に突き刺すのを何度もみた。得物を突き刺された人はみな例外なく動かなくなって冷たくなり、最後には腐った。
ーーー殺してしまうと、取り返しがつかない。
「ハァ、ハァ」
槍を持つ手が震える。視界の中を憎い野盗どもがうろちょろしている。でも、本当に殺して良いのか? ーーー殺してしまって、いいのか? いくら憎い生命であっても、殺したら蘇らない。殺したら、前の半年間の日常に戻れない気がする。
気がつけば、俺の分隊は俺をほっといて先で野盗たちと刃を交えている。足が固い。右から野盗どもがやってくる。それを別の分隊が防ぐ。目まぐるしく人が刃を交わし合うこの戦場に、俺は何故立っている?
ーーーーー槍を落としそうになる。
ドサッ。
槍を落としそうになると思って向いた下に、野盗が滑り込むように倒れる。顎が砕けて顔面に穴が貫通している、そんな死体だ。
「ーーーう」
俺は、この戦場で何を思えば良い。
「うああああああああっ、あああああああ」
特に声が大きくもなく、ただ肺の奥から唸るように苦しむ。
槍を敵に向けることも槍を落とすこともできない自分が、ただ胸の奥の全てを吐き出したくなるくらい嫌いだ。
やがて全ては終わったらしい。槍を抱えながら俯く俺の前に緑髪の少年が立って、トカレスカ騎士団の勝利を教えてくれた。
「どうしたんですか、ハザールさん。何か体調が悪かったんですか?」
朗らかな陽光を受けながらウインダムズは俺の顔を心配そうに覗き込む。そんなウインダムズの手にある槍には、鮮血が滴っている。
「……ウインダムズ、殺したのか?」
「……? 敵なら殺したけど、それが?」
ウインダムズの顔に曇りはない。ああ、こいつは俺と違って精神が遥か高みにあるんだ。人を殺した位では迷わない人種がいると聞いたことがある。こいつはそんなひとりなのだろう。だから、俺はいたたまれないんだ。
「……しばらく一人にしてくれ。命令があったら呼んでくれ」
一方的に言い捨てて、俺は走り去った。
ーーー夜空。トカレスカ騎士団は解放した東の村にしばし滞在してメドゥーエク街からの補給を受けたら鼠衆会の本部に向かう。だから、俺は補給隊が来るまでの間に決断をしなければならない。敵を殺すか、トカレスカ騎士団を抜けるか。
訓練でまめができた手を見つめる。俺は今までの積み重ねを裏切ったのだろうか。後悔で胸が切なくなる。
「ーーー探しましたよ、ハザールさん」
ウインダムズ・ウィンガーディアンがやって来る。温かい茶の差し入れを持って。
「ハザールさん、何か悩んでるでしょう。……恐らく、人と戦うことに迷いを持っている」
俺の顔にはわかりやすく出ていたらしい。ウインダムスが覗き込んでくるたび、その眼から逃げてしまう。
「……なあ、人はさ、殺してしまったら、そいつはそこでオワリになっちまうじゃん」
「そうですね。殺しとはそういうものです」
「だったら、だったら……俺は、相手が悪者でも殺すことに怯んでしまう。ほんとうに殺していいのか? 殺してしまったらこいつは改心のチャンスも何もかも消え失せてしまうんだろう? 俺は……怖いよ、人を自分の手で勝手に死なすのが」
言いながら、心の芯から冷える。
「……そういう怖さの感じ方もあるんですね。僕は、僕たちの周りの人が死んで、あるいは攫われて居なくなる方が怖いです。そう考えると、僕たちを殺そうとする野盗らや魔獣を殺すことに躊躇いがなくなる。僕は、僕が守りたい人たちを守れる方の未来を選ぶ。たとえ改心のチャンスがあったとしても、僕たちの守りたいものを傷つけようとする時点で終わりです」
ウインダムスは終始柔らかい表情で語っていたが、瞳だけは笑っていなかった。身内や街の人々を思いやりながら敵には冷酷になれる人なんだ。
ーーーとても真似できない。
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夜、アニールは火に当たりながら意図的に深呼吸を繰り返し、粒立つ自分の心を抑えようとしている。
(緒戦には勝った。だが隊員があんなことになるなんて……)
トカレスカ騎士団が村を制圧した直後、新たな悩みのタネができてしまったのだ。ーーー討ち取った敵の首を掲げて英雄気取ろうとする輩が出てきたのだ。当然注意したが、戦いの直後もあって興奮状態が抜けきらなかったようでまるでアニールの言葉を聞いていなかった。現在、英雄気取ろうとした団員は拘束されている。
「難しいな……」
人々を纏め上げ、団を指揮する。それは思った以上に大変な営みだった。
「まったく、戦う前から何度も何度も思いを共有しているというのに! なぜ暴走するんだ……」
勝ったのに心が晴れない。緒戦はアニールの心に深い爪痕を残すことになったのだ。
アニールが火を見つめて気を落ち着かせようとするところへハザールがやってくる。
「アニール団長。申し出たいことがあります」
「何だ」
「本日限りでトカレスカ騎士団を退団したいのです」
アニールにはまるで時が止まったように感じられた。ハザールの言葉を耳の中で反芻して間違いではないことを確かめ、彼を見上げる。
「……何故だ」
ハザールは全てを話し、自分にこれ以上武器を持つ勇気がないと話す。「そうか」アニールは瞳を薪の影に落とし、暫く黙っていた。それから頷いて言う。
「分かった。明日帰れ。お前のような足手まとい、居ないほうが騎士団のためになる」
その声には怒気が込められ、アニールの眉間には皺が寄っている。
「分かりました。では槍をお返しします……」
アニールの目の前にハザールの槍が置かれ、ハザールは野盗の代わりに使っている建物へと向かっていった。。
「……くそおっ!」
やおら立ち上がって火のついた薪を蹴飛ばすアニール。薪は方方に散らばりながらも燻り続けている。
「これが、これが人を率いることの難しさなのか……!」
ぶつけようのない怒りを抱えていることしかアニールにできることはなかった。




