蘇る英雄
「……アニール、さっきはお前の誇りを損なう言い方をして悪かった。だが、俺の心はもう闇の底に沈んでいるさ……」
冷たい壁に背を預け、月に青白く照らされた床を見下ろすトルバ。月の光を背に受け、闇の中のトルバを真っ直ぐに見るアニール。
アニールの心は落ち込んでいたさっきまでとは打って変わって、希望と勇気に満ち溢れている。今のアニールにとって、目の前のトルバもまた救うべき対象であり、またこれから訪れる試練の第一関門に過ぎなかった。
「単刀直入に聞こう。トルバ様が剣を振ろうとしないのは、悪事に加担しないためなのか?」
アニールが見つけた突破口。それは、トルバの心の枷を取り払うことだった。トルバはいま、悪事に加担をしてこれ以上人を傷つけたくないという一心で剣を握るのを拒否している。少なくとも、アニールはそう思っている。トルバが眉を斜めにし、口を開く。
「ああ。俺はお前さえも信用できない。いつだって人を傷つけようとするやつは美辞麗句を並べて兵士たちに武器を持つことを強要してくる」
トルバがアニールを睨む。だが、アニールは動じない。徐々にトルバの表情が歪む。
(この小娘、今は肝が据わっておる……!)
アニールが懐から稲を取り出す。メドゥーエクの街で育った稲だ。
「では、この稲が育った田を野盗から守ることは悪なのか? それは人を傷つけることなのか?」
「……悪ではない」
アニールの問いにトルバは躊躇いがちに答える。アニールの屁理屈ではあるが完璧な理論にトルバは抵抗できなかった。ーーートルバは凝り固まった心を無理やり穿られるような心地がした。アニールは稲をトルバの目の前に置き、質問を続ける。
「そうだろう。それはどう考えても悪にはなり得ない。では、稲を育てた者を守るのは悪か?」
「……その人たちが悪事を犯していなければ、悪ではない」
「それでは、稲を米に変えて食む者たちを守るのは悪か?」
「……違うな」
「稲を糧にして日々を生きる子供や青年、大人たちを守るのは悪か?」
「……」
徐々に声が小さくなっていくトルバ。それとは反対に、彼の手は家の床に突き刺してある彼の剣に目が行くようになっている。
(アニールの言っていることは綺麗事なのに、どうして目が動く。なぜ手が剣の方に向く?!)
トルバの心が変わりつつあるのを見て、アニールが畳み掛ける。
「確かに私はかつての大戦を知らない。だが、幼い頃に野盗に村の人が殺されたとき、私は気づいたのだ。
何も悪くない者が死ぬのは悲しいことだと。
この世界から去るべきでない者が居なくなるのはあってはならないことだと。
誰かが死ねば、親しい者の人生に空洞が生まれる。
その空洞は人の心を蝕み、悲しみしかもたらさない。
稲を育てる者も、狩りを行う者も、その者らの為に道具を作る者も、これから育ってゆこうとしている子供も、その幼き者のために知恵を伝え活かそうとする大人も、罪を犯していない者は誰一人としてこの世界から欠けるべきではない!!」
刹那、トルバの瞼が何かに弾かれたかのように開く。夜中にも関わらず、月光のほかは明かりがないにも関わらず、アニールの姿がくっきりと見えたのだ。ーーーアニールの言葉がトルバの耳の中で反芻される。誰でも少し考えれば当然のこと。だがトルバや敗残兵たちがいつしか忘れてしまった真理をアニールは説いたのだ。
いつしかトルバの目から涙が流れるようになった。手の甲で拭い、手の平を見る。トルバは、今まで後悔と罪悪感に塗れて立ち上がってこなかった自分のことをバカらしく感じるようになった。
(ーーーあ)
トルバが見るには、闇が覆っているはずのアニールの眼に二点の光が点いている。その面影に、トルバは記憶の中に残る英雄を重ねる。
(オードル? ……アニールはオードルに似ているな)
アニールとオードルは顔姿は全く似ていない。だが、心の内側はすっかり似ている。目標を決めたら真っ直ぐに向く眼差し。自分を全く疑わぬ姿勢。そして、誰かを説く時の笑顔。ーーーふたりは全く似ているとトルバが断ずる。ーーーアニールがトルバに手を差し伸べる。
「どうか私と一緒に戦ってくれないか。悪くない者たちを護るために」
トルバは差し伸べられた手をまじまじと見つめる。
(手が動かない。心が重い)
トルバは、彼自身の手に鉛の重りが括り付けられているかのように重く感じられた。心の扉が鎖で雁字搦めになっていると感じた。ーーー過去に戦争に参加した後悔と罪悪感がトルバのあらゆるところに絡んで重くしているのだ。
(……だが、ここまで言われて引くようなら俺は本当に終わってしまう。本当はもう分かっているんだ。俺は、俺は……)
腕にまとわりついた後悔、心を塞ぐ罪悪感を振り払って、トルバが腕を上げ、ーーーアニールの手を握る。
「ーーー俺は戦争に参加した罪を償わなきゃいけなかった! 世界を滅ぼしてしまった共犯者として、世界を蘇らせなきゃいけなかった! だけど15年程の月日の間、俺は後悔に押し潰されてばかりで何もしようとしなかった。もう遅いかもしれない。……でも、そんな俺にもできえうことがあるなら、今からでもできることがあるなら、それを俺はやりたい。アニール、ごめんな、若い奴ら、ごめんな。今まで立ち上がってやれなくて……」
トルバの顔が涙で塗れる。アニールは、にこりと笑ってトルバの手を握り返す。
ここに、旧エイジリア王国軍トルバ隊とトカレスカ騎士団の同盟が成り立った。
夜が明け、アニールとトルバの協議も殆どが終わろうとしている。
「アニール、さっきも言った通り俺たちは鼠衆会との戦いに限り騎士団と同盟する。鼠衆会との戦いが終わった後のことは、その時改めて考える」
「それで構わないさ。この村の村人の大半は旧トルバ隊隊員だと聞いているけど、みんな動かしたら村に誰も居なくなるんじゃないのか?」
「そこだ。メドゥーエク街にはかなりの空きがあると聞いた。……村人の殆どをそちらに移住させても問題ないか?」
アニールは少し沈黙し、首を傾げる。
「私の一存では決められないな。メドゥーエク街に戻って住民に聞いて、改めて知らせるよ。それでいい?」
「構わない。……ほかに検討すべきことはないか」
「いや。これ以上のことはまた後ほど」
アニールが再び手を差し出し、トルバが握り返す。同盟の証として握り交わす手と手が陽光に照らされて輝く。
「では、私はメドゥーエク街に戻る。トルバ隊は、準備の方を頼む」
「ああ。気を付けて帰れよ」
アニールは団員たちの待つ馬車に戻り、トルバの家はトルバ一人になる。そこへ再二の来客が訪れる。
「ーーーレイアス。昨日も来てくれたな。今日は何の用だ?」
魔女のとんがりハット。数多の魔術回路を内側に引いたロープ。かつて”氷創のレイアス”として大陸に名を馳せた女性がトルバ家の玄関に来ている。
「その様子だと立ち直ったみたいだね、トルバ」
「アニール・トカレスカの義母だったな、レイアスは。……アニールは、オードルと重なって見えた。いや、オードルすら超えうる意志の強さがアニールにはある。だからかな、俺も立ち上がろうという気持ちになれた」
レイアスは無造作にトルバの家に入ってきて、水筒を口に付ける。
「そうなんだ。じゃあトカレスカ騎士団に味方するのかい」
「ああ。俺が、いや俺たちがどこまでやれるか試すつもりだ。……あんたはどうなんだ、レイアス?」
トルバに問われたレイアスがにやりと笑う。
「我々大人世代がこの世界をボロボロにしたツケを、私の子どもたちが精算しようとしていて、あんたは罪を拭うためにそこに加わる。こうなりゃ、私だけがずっと立ち上がらん訳にもいかないでしょ」
トルバが笑う。レイアスは袋から翼状の飛ぶ道具を取り出し、背中に装着する。
「とはいえ、私なりのやり方でだがね。私はもう行くけど、トルバは必ずアニールちゃんの助けになれよ」
レイアスが飛び立ち、トルバはひとり家の前に立つ。家の前を通り過ぎようとしていた村人をトルバが止める。
「イアローイ、頼みがある。今すぐ村人……いや、旧トルバ隊隊員を全員招集してくれ」
呼び止められた村人が、旧トルバ隊、という言葉に驚き後ずさりながらも敬礼をして他の村人を呼びに走っていく。
「ーーーここから俺の第二の人生が始まる」
そう呟いたトルバの背は、真っ直ぐに立っていた。




