堕ちた英雄
アニールに同行して来た団員3人と案内役のトリシュルに見られながら、アニールのトルバとの交渉が始まる。
「トルバ様、1年ぶりですね。私はアニール・トカレスカ、今はトカレスカ騎士団の団長になりました。あれからトルバ様は変わっていらっしゃない様子ですね」
「……回りくどい挨拶は俺は苦手だ。要件を言ってくれ」
ありがたい、とアニールは思った。アニールとしても回りくどい挨拶は苦手だったのだ。
(今、目の前にいる男はかつての戦争で疲れ果て、戦いを厭うようになった。だが、人々が危機に陥っていることを知ればさすがに立ち上がらざるを得まい)
そう意を固め、アニールが説得を始める。
「では申し上げます。……我々トカレスカ騎士団は今、鼠衆会という巨大盗賊団に苦しめられています。この巨難を打ち払うべく、貴方やこの村の方々に協力をお願いしたい!」
トルバは目を落としてやや少し唸り、首を横に振った。
「……断る」
断られるのは想定内だった。出発の前にアルトが言っていた言葉がアニールの脳裏に蘇る。
(今のトルバ殿は、自分の力に疑問を抱いておられる。あの人の心の暗雲を払わなければ、あの人は立ち上がらないでしょう)
ーーーアニールも首を横に振る。それは、トルバが立ち上がれないことへの否定だった。
(我々の理想は、秩序の復活にある。これだけは疑問を抱くものはいない!)
その希望を胸にいだいて、アニールの眼光がトルバに向く。
「ーーー我々の活動は大陸に秩序を取り戻すことです。私はそれを信じ続けて活動を続けてきました。そしてティール港町とメドゥーエク街を野盗から解放しました。それぞれの住民からは喜ばれ歓迎されました。あのときのみんなの笑顔は忘れることができません。
今、我々は鼠衆会から人々を守らなければいけません。ですが、力が足りていないのです。メドゥーエク街を守らなければ、住民たちの笑顔が失われてしまいます。どうか、秩序と人々の幸福のために力をおかしください!」
言い切った、とアニールは思った。ここで断る人はいない、とも思った。
「断る」
だから、トルバの拒否の一言に目を丸くして口を塞げなかった。
「なぜ俺が断るのか分からないようだな。まあアルトのやつもどうにもできなかったがな」
「な、ぜ……」
狼狽えるアニール。自らの顔を手で覆うトルバ。その場には、暗くて冷たい空気が流れ込んできている。
「……なあ、アニール。きっとお前の思いは本物で、本当ならば俺はお前の思いに応えたほうが良いのだろう」
「ならば、なぜー」
「だが、できない。アニール、お前は秩序を守り、人々を救う騎士団を作りたいと言ったな」
「……はい、そうです」
「だが、お前の思いが本物だとしても騎士団がそうなるとは限らない」
トルバの声に熱がこもる。
「俺はかつて、己の力を見込まれて王国軍に『我が国の王家とその領地に住まう人々をともに守らないか』と誘われた。俺は自分の力が人々のためになるなら、と悪い気がしなかった。
だが結果はどうだ? あの戦争で我らが王国軍の十傑が一人『天降る光のライティア』が勝手に仕掛けやがって戦争が始まったのに王国はあいつを処罰せず、むしろ大量の兵士を投入して更なる侵攻を望んだ!」
ドガァン! トルバが卓を叩いて破壊する。卓の上の杯から零れ落ちた冷たい水がトルバやアニールの足元に広がる。
「俺は、俺達は、それでも王国を信じて戦った。でも略奪命令に逆らえなくて敵地の町人の首をはねたり、井戸に毒を入れてその場所を住めなくしたり……。
徐々に王国のことを信じられなくなった。命令も曖昧になってきて届かなくなってきて、そして遂に王都は戦わずに陥落した。
……俺達は王国に裏切られた。俺達があの戦争のころにやったことは悪そのものだった。数多の罪のない人々を殺した。ヴェール連合国の兵士達はな、俺達が侵攻しなければ殺されることのない命だった。ヴェールに住まう民もだ。フォルモ皇国は王国を攻めてきた立場ではあるが、彼らのことを俺は責めることはできない。
……俺の手はもう、犠牲者の血で固められて振るえられない」
トルバの言葉がアニールの胸に突き刺さって、冷たく感じられる。
「それに」
トルバの声が弱々しくなる。
「王国は、『我が国の王家とその領地に住まう人々をともに守らないか』と言っていた。でもやったのはただの人殺しだった」
トルバの顔が歪む。まるで亡霊に纏わりつかれたかのように。
「いいか、アニール。”正義”だとか”秩序”だとかいう綺麗事の言葉を信じて進んだ先には、人々が勝手な論理を振りかざして殺し合う未来しか待っていないんだ」
刹那、アニールが大きく叫ぶ。
「そんなことはない!!!」
その声は家中の物を震わせ、団員の皆が怯えるほどに大きかった。アニールは荒い息を吐きながら、眉間に青筋を立てていた。
「正義は、秩序は、貫き通せば成るものだ!!! エイジリア王国は本気で正義を成し遂げる気がなかっただけだ!!! 私達の志を貴様らの王国の腐れた誇りなどと一緒にするな!!!」
アニールの言葉に、もはやトルバへの敬意はない。対するトルバも、眉間にしわを寄せ始める。
「ーーーは? じゃあお前はそういう時代に生きたことがあんのかよ。 命令に逆らえば死、王という絶対的な権威がいた時代に。何も知らないで知ったかぶりをするな小娘。俺だって一生懸命やれることはやったんだ!!! でもどうにもならなかった!!! これが現実だ!!!」
お互いがそれぞれの態度を一歩も譲らない。見かねたレイザが大きな声を張り上げる。
「アニール団長! 口論をするためにここに参ったのですか! 違うでしょう! ここは一度引きましょう!」
言われてアニールは我に返り、目の前で怒髪天を貫くトルバに気付く。
「あ……」
(しまった。取り返しのつかないことをしてしまった。交渉相手を怒らせてどうする)
アニールの顔が青くなり、足元が覚束なくなる。交渉決裂してしまえば、街は守れないからだ。
「俺ぁ聞いてましたけど、トルバさんも悪いですよ。彼女たちの未来を勝手に決めるのはどうかと思うんですよ」
村人側のトリシュルもトルバを宥める。当のトルバも言い過ぎた自覚はあるらしく、居心地悪げに視線をそらす。
「……私達は一旦引き下がりますので、その後でもしよろしければ再度交渉の席を設けるということでいいですか〜」
アニールとトルバの両方がもの言えなくなっているのを見かねたユーアがそう提案する。
「……良いでしょう。ほら、トルバさんもこれでいいでしょ?」
トリシュルがそう決め、アニールとトルバはお互いに時間を置くことになった。トルバの家を出、アニール達は馬車に戻ることにした。その道中ずっとアニールの顔は焼けた左半分でさえも白かった。
「私は、なんてことを……」
今までアニールが怒ったことは何度もあった。だが、ここまで激しく怒ったのは今回が初めてだ.
「団長、今回は絶望的ですね」
いつになく厳しい声調でレイザが言う。アニールは力なく頷き、ただただ自分がこれから踏む地面を見下ろすのみだった。
アニール達が馬車を停めている場所に着く。アニール達に会いに来た客人がいたがアニールは面を下に向けるばかりで、客人が誰なのかも分からなかった。
「ール。アニール。騎士団を率いる者がそんな顔をするんじゃないよ」
その声で、誰が来ていたかアニールには分かった。だからこそ、彼女は顔を上げたくなかった。
「ーーーいい加減に上げな!」
アニールが顎を掴まれて強引に顔を上げられる。レイアスの顔が彼女に迫っていた。とても厳しい表情でレイアスは更に迫る。
「1年半前の覚悟はどうしたんだい!」
「あ、母さん……私、どうしよう……自分勝手な感情でトルバさんを怒らせちゃった……これじゃみんなを守れない……」
アニールの頬を涙がつたる。鬼の形相になっていたレイアスも流石に表情をかえる。
「……何があったか、まずは仲間さん達から聞かせてもらおうかね」
レイアスは団員たちを見回しながらそう言い、一通りの説明を受ける。その間、アニールは少し離れたところにある小岩に腰掛けてじっと蟻の流れを見つめていた。
「どうしよう……みんな死んじゃう……私のせいで…」
アニールの脳裏で、大勢の盗賊団がメドゥーエク街を襲い目の前で無辜の民が殺されてゆく想像が繰り返される。どれだけ完璧にシミュレートしても守りは破られて大勢の人々の胸に刃が突き刺さってゆくか、田畑が焼かれて収穫が損なわれやせ細って死んでゆくか、二通りの敗北しか思いつかなかった。
「……オードル師匠。私、どうしたら……」
今は亡き師匠の幻影に助けを求める。オードルは村で衰弱していた頃でさえ一騎当千の力を誇り、村人たちに万事の知恵を授けていた完璧な人だったから。
ーーーだが、幻影はアニールの想像を超えない。オードルの幻影がアニールに言葉を発することはなかった。
「アニール、来な。話がある」
日も落ちた頃に、レイアスがアニールのところにやって来た。項垂れるアニールに真剣な眼差しを向け、弱々しく垂れる手を握る。
「私は、団長失格だ。いや、自分の理想を叶える資格さえない。あんな言葉をかぶせてしまって、私は……」
パァン、と乾いた音が響く。アニールは痛む頬に手を当てながらレイアスを見上げる。
「立て」
ーーー丘麓とは違って冷たい風の吹きすさぶ丘の上。コプシアの花やケナフの花が咲き誇る草原の上を踏み分けてアニールとレイアスが歩く。
「……オードルの話をしよう」
ハ、とアニールが顔を上げる。オードル・フラガラハ師匠こそ、アニールが最もアドバイスを求めていた相手なのだから。
「オードルはあんた達に色んな話を聞かせていた。でも、彼の冒険の全てを話したわけじゃない。ーーーあんたがまだ知らない、私から見たオードルの話を今からする」
アニールは直感した。母レイアスはオードルの話をすることで、トルバに対処する方法のヒントをつかめ、と暗に示しているのだと。
「オードル・フラガラハは凄いやつだった。それは大陸で最強の個人だったからだけじゃない。リーダーとしての素質も他に類を見ないほどずば抜けていた。……昔話を始めよう」
アニールの顔は月の光に照らされて、少し赤みを帯びる。




