その剣に力は無く、故に助けを求める
鼠衆会の本拠地の個室にて、右半身が黒い痣だらけのバルド・ゴルディアがうたた寝をしていると呪術師ルラルトが余裕げに部屋に入ってきた。
「下っ端の野盗どもが功に駆られてメドゥーエク街を襲っちゃったけど、バルドの仕業でしょ」
その言葉にバルドは欠伸で応える。
「そうだな。お前には言ってなかったな」
「……なら策があってのことだね。どんな画を描いてるか、教えてくれない?」
「いいとも。……この鼠衆会はお前も知っての通り、敵に襲われようが襲われまいがもう永くない。俺は鼠衆会を抜ける。だが、抜ける前にせっかくだから鼠衆会を利用してやるんだ。ーーーメドゥーエク街の田畑を焼けば、向こうは鼠衆会を襲わざるを得ない。向こうは人手も物資も少ない。そうなれば、トカレスカ騎士団は潰れる」
「流石はバルドだね。あんたのそういうところ、見習いたいよ」
バルド・ゴルディアが妖しく笑い、ルラルトは笑みに含みを持たせる。
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メドゥーエク街では、騎士団の団員が忙しなく動いている。物資を点検する者、田畑を焼いた野盗の痕跡を追跡する者、恐怖する街人を宥める者。ーーーその傍ら、ルダーム・シェルト神社内部の騎士団本部でアニールやエルベンは厳しい表情のアルトと会話をしていた。
「やられたな、アニール団長。田畑を焼かれては、こちらが鼠衆会の討伐に行くしかない」
「そうだな。だが、我々には大きな戦をした経験がない。……アルト殿、どうかご指南願えないだろうか」
アルトはうなだれて息を吐き、尖った目つきをアニールに向ける。
「私でもこれは難しい。こちらは鼠衆会のことをよく知らない。向こうは半年前までメドゥーエク街を占拠していたんだから、この街のことをよく知っているんだろう。メルカ教団に助力を願っても、勝利の見込みは少ない」
「かといって、我々がメドゥーエク街に籠もっていても田畑をまた焼かれて、食糧が先細るばかりだ。……手詰まり、と言いたいのかアルト殿は?」
アルトは言葉に詰まり、視線を下げる。
「……アニール様、偵察に行った者の報告を待ちましょう。それで道は開けるかと思います」
だが、偵察が持ち帰ってきた情報を聞いても絶望は増すばかりだった。
「……鼠衆会の本拠地には300人超の野盗、それも防御設備を固めた砦を拠点にしている、だと……?」
報告を聞いていたアルトの声が震える。その場にいた他の団員はおろか、アニールも動揺の色を隠せなかった。
「……奇策はもう通じない。60人程度の人数で戦ったとしても、これでは負ける……」
アニールが弱々しく呟く。
「唯一我々に有利な情報は、メドゥーエク街を失ったことで鼠衆会が食糧難にあえいでいるということだな……」
エルベンがそう発言する。
「どうだろう、なんとか潜入して食糧をダメにすれば戦わなくても勝てるかも」
続けて提案するエルベンだが、アルトは首を横に振った。
「甘い、エルベン。野盗とはいえ、食糧庫の管理が緩いとは思えない。我々はひとりの兵だって惜しいのだ」
エルベンはそれ以上何も言えず、場を包む空気が淀む。その中でひとり、アニールはただただ突破方法を頭の中で考え続けている。ーーー刹那、”ある閃き”が浮かぶ。
「偵察、本拠地以外の拠点のことは調べたのか?」
「はっ。本拠地を別にすれば2つの拠点がございます。それぞれ野盗は30人、50人で支配されておりますが、住民の数は200人、300人になっております。こちらは両方とも柵で囲った村のようになっていて、攻略は比較的簡単です」
「では、その住民たちを解放して仲間を増やし、増強された戦力で改めて戦えば……!」
「アニール。無理筋だと思う。我々の動きを鼠衆会が見ていないとは思えないし、我々が出軍して移動したところを本拠地から大勢の野盗に襲われて挟み打ちになるだけだ」
「……っ。これもダメなのか……」
繰り返されるアルトの否定に、その場一同の気持ちが沈み始める。見かねたエルベンが手を叩く。
「みんな、今のところはお開きにしよう。結論はまたあとで」
思考の牢獄に囚われそうになっていたアニールがやっと一息をつく。
「済まない。策は私の方で考えておくから、アニール殿は現場の指揮を頼む」
そう言ったアルトは地図をテーブルの上に広げ、せわしなく指を這わせる。その背をみながらアニールは神社を出る。結局、その日は田畑の一部をを柵で囲んで暫定的に防御力をつけただけで終わった。
星空の中に青白い月が浮かぶ。
「まったく、月も星々も手の届かないところにある。いったいどうすれば我々の手元に収まるのだろう」
そうつぶやいたのは、神社の最上階のベランダにいるアニールだった。垂れた左目と開かれた右目の非対称な眼で空を見上げている。
「ーーーやっと騎士団を立ち上げられたと思ったのに……」
非対称な眼から涙がこぼれる。
「どうして、あまりにも強い敵が立ちふさがるんだ。勝たなきゃいけないのに、勝てないならどうすれば……っ!!!」
涙が目尻に溢れる―――寸前で、誰かの手がアニールの目を拭った。エルベンだ。やや伸びた茶髪を揺らしながらエルベンはゆっくりとアニールの隣に座る。
「まあ泣くのはあとにとっとけ。まだ勝ち負けは決まってないんだし。……とはいえ、敗色濃厚なのは変わらんか」
いつものように砕けた口調。それが今のアニールには救いになった。だが、それでもアニールの胸中には暗雲が立ち込めている。
「……エルベン。今、私は胸が苦しいんだ。ここから見渡せる街が、街に住む人々が、野盗に襲われて破壊され殺されるのが怖いんだ。恐ろしいんだ。まだ半年ほどしかここで過ごしてないけど、街の子供の笑い声が耳に馴染んで、街の男たちの仕事する後ろ姿が目に焼き付いて、街の女たちの優しさが肌に沁み込んでいる。ここの人たちを失ってしまうのが、こわい」
アニールの声が震えている。エルベンは、それを聞きながら星空を見上げる。
「変わらないな、アニールは。知っている人を失う悲しさを知ったあのころから、お前の原動力はずっとそれだよな」
何も言わず、こくりと頷くアニール。エルベンはその場に横たわり、アニールもそれにならうように横たわる。二人の距離は肌が触れ合うほどに近く、月の残照がアニールの顔を仄かに照らしている。
「いつ見ても可愛いな、アニールの顔は」
アニールの顔についた火傷痕、焼け爛れた皮膚と血の通った白い皮膚の境界線をエルベンの指がなぞる。アニールの左の頬を撫でたり、垂れた左の目の下をぐいぐいと押してみたりする。この時だけは、アニールはただの少女に戻っていた。
「おれ、ふと思ったんだけどさ」
それまで恍惚としていたエルベンが真顔になり、上半身を起こす。
「鼠集会に必ず勝たなきゃだめか?」
「は?」
アニールは思わず上半身を起こし、エルベンの顔を不思議そうに見る。
「勝たなきゃいけないだろう。勝たなきゃ人々を護れないんだぞ。どういうつもりで言っている?」
エルベンはぽりぽりと頭を掻きながら、言葉を選ぶ。
「うんまあ、それは俺もわかるんだけど、『勝つこと』だけが正しいとはどうにも思えなくてな。……アニール、俺達は本当は何がしたかったんだろう?」
「それは、大陸に秩序を……築くこと……」
アニールは答える途中で言葉に詰まる。上手く言葉にできず、瞳が忙しなく宙を泳ぐ。
ーーーアニール脳裏に遠い過去が浮かび、幼い頃の彼女自身が写る。その彼女の背後に、背に手を添える数多の村人の姿があったーーー
アニールは雷に打たれたような表情で、エルベンに顔を近づけていた。お互いの息が触れ合う距離で、しかし彼女の頭の中では男と女の関係などどうでもよくなっていた。
「……そうか、そうだった!」
大声を上げながらアニールが立つ。追いすがるようにしてエルベンも身を起こし、アニールの真意を問いただそうとする。
「いきなり立つなって! 何か思いついたのか?」
「今まで私達は鼠衆会に勝つことだけにこだわっていた。でも、今すぐ勝つ必要はない! アルト殿のところに行ってくる!」
それきりアニールはベランダを去っていってしまった。暑くも虚しい風がエルベンの前を通り過ぎてゆく。
「……ったく、アニールは変わんねえな。密会はまた今度にするか」
エルベンは今にも零れ落ちそうな星空を見あげながらアニールの背を追う。
翌朝。メドゥーエク街中の騎士団団員、アルマトを始めとする住民の一部、メルカ教団の聖僧たちがアニールの一声のもとに集まる。
「遅い。いつまで待たせるんだ、アニールとかいう小娘は」
ボルゾイ頭の大司教キティルが、尻尾を毛立たせて足を小刻みに揺らしている。
「まったく、この体たらくではメドゥーエク街からの撤退を枢機卿ユノア猊下に進言せねばならんな」
「……そうですね」
大司教の愚痴に付き合わされる聖僧は晴れない顔でゆっくりと頷く。ーーーその瞳に左半身火傷の女が映る。
「皆、待たせて済まない。先ほど、最終の打ち合わせが終わったトコだ」
アニールが団員たちの前に立ち、その背後を守るようににエルベンとアルトが立つ。
「皆の者、今回は話があって集まってもらった。鼠衆会による襲撃の件だ。単刀直入に言おう。我々は現時点では鼠衆会の本拠地への攻撃は不可能と判断し、攻撃作戦は凍結する」
静まり返っていた人の群れが、徐々に怒号で溢れそうになる。ーーーすんでのところでアニールが手を挙げて制止し、声が止む。
「だが、将来的には反撃を行い鼠衆会の根絶を行うつもりだ。今、トカレスカ騎士団には力がない。だからこそ、私は味方を増やそうと思う!」
今度は喚起と称賛の声がそこかしこから上がってくる。アニールが手を叩いて静まらせ、言葉を続ける。
「私は騎士団設立のために、今まで旅をしてきた。その道中で訪れた集落に今一度助けを求め、その代わりにその集落を護ろうと思う。皆の中からメンバーを選び、私を含めた少人数でその集落を訪れて交渉する。その間、メドゥーエク街はここに残る皆が守ってくれ」
皆の顔が決意に満ちる。騎士団としての仕事に心が奮い立つ。
「ーーーそしてメドゥーエク街のみなさん。私は誓います。味方を増やし、軍を鍛え、準備を整えたら鼠衆会を根絶する。それまで耐えてくれないか」
住民達はこれから訪れるであろう苦難を想像し、それぞれ拳を固める。その中からアルマトが現れ、アニールの前に立つ。
「ーーー私達はトカレスカ騎士団とメルカ教団に救われ、野盗から解放されました。もうあの頃には戻ろうという者はいません。耐えることが勝利のために必要なのであれば、私達は耐えます。どうか、秩序の勝利のために尽力してくださいませ」
住民達がアルマトの言葉に一斉に頷き、固めた拳を天に掲げる。アニールは微笑み、剣を高く掲げる。
「決まりだな。では、私達トカレスカ騎士団はこれより行動を開始する!」




