愛しています
「ギルベルト様」
ようやく、ヴェンデルガルトがギルベルトに優しく声をかけた。ハンカチを手にするギルベルトの手を握って、椅子から立ち上がる。それに促されるように、ギルベルトも立ち上がる。
ギルベルトの視線の先には、小さくて華奢な少女がいる。まだあどけなさも少し残る、可愛らしい人だ。しかしそんな少女は、戦争に巻き込まれても臆することなくたくさんの騎士たちを己の治癒魔法で治し、バルシュミーデ皇国を滅ぼそうとした貴族たちの裏切りを見抜き救ってくれた。この小さな少女に、どれほどの勇気と知恵があったのか。
龍の魔法により、二百年という時間眠らされていて、目が覚めればメイド一人しか知らぬ地でたった一人。普通の少女なら耐えられぬ状況を、ヴェンデルガルトは笑顔でこの国に馴染んだ。国民に愛され――たくさんの騎士や王子、龍に愛された尊い女性。
ギルベルトが、唯一――生涯をかけて愛し守りたいと思った女性だ。親友と呼べるジークハルトやランドルフ、他の薔薇騎士団団長、そして彼女を眠らせた龍にも渡したくないほど愛している。再び光を取り戻した瞳で、ずっとその姿を見ていたいただ一人の存在だ。
「私……公園でギルベルト様がゾフィーア様とキスをしている姿を見て、本当に悲しくて悲しくて……胸が苦しかったです」
ヴェンデルガルトが少し震えた声でそう言うと、ギルベルトは僅かに息を飲んだ。
「ヴェンデル、それは……妬いてくれた、という事でしょうか? 私が誰かとキスをするのが嫌だと、そう思ってくださったのですか?」
ギルベルトが、普段の彼らしからぬ上ずった声でそう尋ねた。ヴェンデルガルトがギルベルトに好意を抱いていなければ、そんな事は思わないはずだ。思いがけないヴェンデルガルトの告白に、期待を込めた言葉を口にしてギルベルトはじっと彼女を見つめた。ヴェンデルガルトは自分の言葉の意味に気がついて、瞬時に頬を赤くした。そうして、恥ずかしくて慌てて小さな手で自分の顔を隠そうとする。
「隠さないでください――ヴェンデル、私の愛しい人……」
ギルベルトは、顔を隠そうとするヴェンデルガルトの手を、そっと握る。赤くなった顔を隠せなくなったヴェンデルガルトは、せめても。と、そっと瞳を伏せた。
「愛しています、ヴェンデル……信じて下さい。私は、貴女しか愛せません。貴女は、どうなのでしょう? 少しでも、このギルベルトを想って下さってくれていると……自惚れても、良いのでしょうか……?」
「……い……」
瞳を閉じたまま、赤い顔のヴェンデルガルトが微かに口を開けた。
「はい……ギルベルト様が、他の誰かとキスをするのは辛いです……」
ようやく、小さな声だがヴェンデルガルトがそう自分の想いを口にした。ギルベルトは、いつも優しく自分の傍に寄り添ってくれて、執務の合間の許された時間の中ずっと自分を守ってくれていた。穏やかな静かな愛情で、ギルベルトはヴェンデルガルトを愛してくれていた。
それを改めて知ったヴェンデルガルトは、ギルベルトが自分ではなく他の女性を同じような想いで愛するかもしれない未来が、怖くなった。ゆっくり瞼を開くと、もう見慣れたギルベルトの灰色の瞳を見返した。
「ああ、ヴェンデル……!」
ギルベルトはその言葉を聞いて、思わずヴェンデルガルトを抱きしめた。ずっと、ギルベルトが願っていた言葉だ。
「愛しています、ヴェンデル。もう、貴女以外の女性に私の唇を触れさせることは絶対にしません」
「……わ、私も……愛しています。ギルベルト様」
慣れない愛の言葉を、ヴェンデルガルトは囁くように紡いだ。その言葉に、ギルベルトがヴェンデルガルトをより強く抱きしめた――ようやく、愛しい人が自分だけのものになった喜びが、ギルベルトの胸を熱くさせていた。
閉ざされた世界にいたギルベルトを救ってくれた、唯一の存在。自分は誰かを愛することなく、皇国の為にだけ生きるのだろうと思っていた未来を変えた、かけがえのない愛しい人。
「ヴェンデル、もう一度お聞きします――私と結婚してください。これからずっと私だけに、貴女の笑顔を見せてくれませんか? 生涯、ずっと……」
抱きしめていた腕を緩めると、屈んでヴェンデルガルトの顔を覗き込んだギルベルトは三度目の求婚の言葉を口にした。目を治してくれた時の、一度目の返事を貰っていない。あの日から、色々な事が起こりすぎた。だからこそ、改めてギルベルトはヴェンデルガルトに生涯の愛を申し込んだ。
ヴェンデルガルトは、じっとギルベルトを見つめていた。金色の瞳はいつ見ても美しいと、ギルベルトは少し微笑んだ。すると、それにつられたかのようにヴェンデルガルトも優しく微笑んだ。
「はい。私を、ギルベルト様の花嫁にしてください――そうして、ずっとギルベルト様のお傍に置いて下さい。ずっと、私だけを愛してください」
「勿論です! 貴女にしか、私の愛は捧げません。ずっと傍にいます、貴女を絶対に一人にしません――ああ、夢のようです……」
ギルベルトは、優しく幼さの残るヴェンデルガルトの柔らかな頬に手を添えた。そうして、ゆっくりと唇をヴェンデルガルトの唇に触れさせた。ヴェンデルガルトは一瞬びくりと体を震わせたが、ギルベルトの細くも鍛えられた背中に腕を回して瞳を閉じた。
雲がかかっていた夜の空に、ようやく満月が姿を見せた。キラキラと、何度もキスを重ねる二人を祝うかのように。




