迷子
——何でこうなったんだっけ
ランタンを手に話し合う二人をぼんやり眺めながら、体育座り状態の足をさらに体に引き寄せて縮こまる。
寒い。ここは少し風が強くて肌寒い。幸いなのは長い髪を下ろしていることで首に風が当たるのを防いでくれており、今着ている衣服が袴で裾が長いことだろうか。いつの間に袴なんて着たのか、何故裸足なのか、全く身に覚えがないけれど。日本人とはいえ、袴というと記念写真とか行事とかスポーツとかくらいのみの、着慣れないものを着ていることもおかしいけれど。
裾の中に足をしまって腕を組んで小さくなる。これで少し肌寒さを凌げる。
——あの人達は誰なんだろう
少年と青年が2人。2人とも頭を丸めていて特徴は背丈と顔立ちだけ。まだ顔立ちの違いが分からず、背を向けて座っていると見分けがつきにくい。
そんなに真剣に話し合って、あのランタンが何だと言うのか。知らない内に手に持ってはいたけれど、そんなに大事なものには見えない。
ぐるりと周囲を見渡せば先程の場所からたいして移動していないことが分かる。同じ寺と思われる建物の中だ。
気付いた時にはこの建物の中だった。
そもそもは見覚えのある風景に夢の中だと気付いて、商店の通りのような場所から秘密の道を通っていつもの場所に行くところだったのに、何故こうなったのか。
しかし今思うと向かっていたいつもの場所がなんだったのかも分からない。
秘密の道が通れなくなっていたことにショックを受けたのは確かだった。その秘密の道もよく分からないのに。夢だから仕方ないのだけど。
仕方なく別の道を探そうと、誰のだか分からない結婚式らしき人集りに紛れて道を探してテラスのような所に出て…そして少年に会った。
今目の前にいる小柄な方の少年。会ったとたん私を探していたと言って、ここまで連れて来られた。なんの為に?自分の見る夢は大概めちゃくちゃだから気にしたら負けな気もする。
でも肌寒さといい板張りの感触といい、感覚がリアルすぎる。
「あの方が呼んでますよ」
盆を持った柔らかい声の女性がやってきた。同じく頭を丸めているが、体のラインや今の声からおそらく女性だろう。
女性の声に「そうだった」と短く返事をして青年が立ち上がった。
女性の盆から何かを一つ取ると、いつの間に集まっていたのか、同じ様相の幼い子ども達に渡す。
次いで立ち上がった少年も同様に子ども達に渡すと建物の中に向かって行った。
ここは外廊下だったのか。
自分はどうしたらいいのかと座ったままでいれば女性が手を引いて立ち上がらせてくれた。取り敢えず彼女の後を着いていくしかなさそうだ。
「ここに座ってお待ちください」
広間と言って差し支えない部屋に通され、座布団を示して女性は微笑みながらそう言った。
この状況で寛ぐもないけれど、先程の風通しの良すぎるところよりは断然いい環境に文句もなにもない。頷いてお礼を言いながら座布団の上に腰を下ろしてふと気づく。
この座り位置、他にも人がいる前提ではないだろうか。
目の前には壇上があるし、この広間は何なのだろう。意味があって連れてきたのだろうか。
「これを」
そんなことを考えていると、壇上前で何かやりとりをしていた少年と青年がいつの間にか目の前に屈んで、あのランタンを差し出していた。
「え、あのコレ…」
どうしたらいいのだろう。
あれだけ相談していたのだから大事なものではないのだろうか。
しかし少年はニコニコしながらさらに差し出してくる。仕方なく受け取ると、青年が横から側面の窓を指差した。
「あなたにしか開けられないらしい」
開けろということらしい。
鍵もないのに面倒な設定があるものだと頭の中でぼやきつつ、言われた通りランタンの窓を開ける。
ランタンの中には漢文のような羅列と、文字なのかも分からない模様が書かれているだけだ。
「ここに手を」
「手?中に入れるだけでいいの?」
「そう、入れれば分かるらしい」
「分かる?何が…」
疑問に思いながらもランタンの窓から中へ手を入れる。火種もない状態で手だけを入れるというのは変な状況だ。
取り合えずさっさとこのよく分からない状況を終わらせたくて言われるままに入れた手に、何かが触れた。赤子よりもさらに小さな手のような感触。
「え、なに…!?」
次いで内側に並んでいた漢字の羅列に重なるように知らない言語の文字が浮かび上がった。驚いて手を引っ込めると同時に突如ランタンの中にボッと火が灯り、勝手に窓が閉じて消失した。
「あぶな…!」
火傷するかと思った。思わず手を擦りながら消失したランタンを目で探していると、壇上に新しく知らない人がいた。
袈裟と思しき服装から住職的な人だろうか。あの子たちと違って頭髪があるので住職と断定していいのか悩んでしまう。
短い白髪に青とグレーのオッドアイ、下がった眉と目で優し気な雰囲気をまとったその人は目が合ったことでフ、と微かに笑った。
「可哀想に、罠に引っかかっちゃったんだね」
住職(仮)は開口1番、聞き捨てならないことを言った。
罠?罠を仕掛けられるような覚えはないしそんなことをする知り合いもいない。
やっぱり夢って色々めちゃくちゃだ。
何も言えずにジッと見ていれば、檀上から下りてきた住職は目の前まで来ると突然デコピンをしてきた。
「いっ」
痛みに額を抑える。私が何したって言うんだ。
「痛いでしょ」
「そりゃあ…」
あんな容赦なくデコピンされれば誰だって痛いだろう。
「なら、これは現実だ」
——なんて?
檀上に戻って座り込み、にっこり笑ってそう言った住職はどこまでも楽しそうだが、どうせ夢だと適当にここまで事を流してきた私はそうはいかない。
ここまでどうやって来たのか記憶も定かでなく、どう考えでも現実で起こりえない光景を見た。これが夢でなくなんだというのか。いや、夢だからこそ現実だと思わせようというやつなのか。
「入り口は夢だったんだけどね、君さっき罠に手を出しちゃったから反転したんだよ」
額に手を当てたまま床に視線を落として考えていると、住職が説明にしては短すぎる説明をしてくれる。
「…入り口もなにも、私はまだ夢を見ているだけのはずです。罠を仕掛けられる覚えもありません」
「夢云々はこの後嫌でも身に染みるから、それを受け入れた後にまた話そう。説明は後でも遅くない。罠を仕掛けた人はいるよ。その人に僕は協力を頼まれたからね」
「ならその人が罠を仕掛ける相手を間違えたんじゃないでしょうか」
「あのランタンね、その人が君に直接渡したものだよ。前に君が此方に来た時に」
「……は?」
また訳分からないこと言い出した。
「私はここに来た覚えがありません。この今居る建物も初めて見ますし、あのランタンは気付いたら持っていたんです。最初は持ってなかったんですから、貴方が仕組んだのでは?」
「全力で否定するなあ。ねえ、君は見た夢を全部覚えてる?細部まで把握してる?」
「夢なんて、印象に残ったものくらいしか記憶に残りませんよ。覚えていても所々あやふやなのが普通でしょう」
「だよね、君が覚えてないだけ」
「極論過ぎます」
ふう、と溜め息をついて住職は窓の外に視線をやった。それから面倒そうに再度こちらを見ると言う。
「同じ夢を見ることがあるように、同じ場所に来る夢を見ることがある。君はそういう体験があるんじゃないかな。この建物を見るのが初めてなのは当然だよ。この建物に来ること自体は初めてなのだから。此方の別の場所によく来ていたし、今回も君はそこに向かっていたはずなのを、僕が妨害してここに誘導したんだ。罠の発動条件に必要だったから」
一息に言われて、何も言えなくなった。
確かに私は何処かに向かっていた記憶だけある。そして迷子よろしくウロウロしていたところをあの子たちに連れてこられた。
そこで今更気づいた。周囲を見回すがあの子たちが居ない。
「あの子たちはさっきまでの君同様、此方の人間ではなく夢の中の人だよ。ただ、現実の体に問題があって長く眠っている子たちでね。此方が気に入ったのか居座っている。居座る代わりに君を連れてくるよう頼んであった。僕には見えるけど、此方の人間になった君にはあの子たちのような存在はもう見えない」
淡々とした説明を聞いていて徐々に不安に襲われる。
「私は今寝ているのではなく起きていて、これが現実で、もう帰れないんですか」
「…そうだね」
可哀想にね。最初と同じようにそんなことを言う。罠の協力者のくせに。
「迎えが来たようだから、文句は本人に言ったらいい。話は今度ゆっくりしよう」
「え?」
迎えってつまり罠を仕掛けた本人で犯人ということか。
こんな罠を仕掛けるなんて、過去の夢で私は何をしたんだろう。殺されたりしないだろうか。どうせ死ぬなら元の自分の居場所で死にたい。というかゲームの発売日前だったのに。楽しみにしていた映画もあったのに。食べたいコンビニスイーツがあったのに。もうすでに死んだ後のような気分になってきた。いやこれが事実なら元の世界の自分は死んだも同然である。
コンコン、と木製の引き戸をノックする音、反応を待たずに戸はすぐ開き、数名の人を後ろに引き連れて、男性が入ってきた。
入ってきてすぐ男性はこちらを見やって近づいてくる。死のカウントダウンのようで冷汗が出てきた。躊躇せず向かってくるということはこの人は私を知っているんだろうし、今回の犯人だ。この人が何をするかで私の今後が決まるんだろう。
あと数歩の距離で顔を上げていられなくなって顔を伏せた。武器を持っていることに気付いたから。銃刀法違反とかない世界か、そうか。これは殺される可能性がグッと上がったのでは。
座布団の端を掴んでじっと俯いていると、視界に相手の足が入った。もう目の前にいる。顔を上げるのが怖い。でもここから動くのも怖い。どうしたらいいのか、どうにも出来なくて、思考も体も固まってしまった。
動かない自分に反して、視界の足が隠れて膝が映る。相手が膝をついたのだ。
このまま頭を掴まれて首に刃物を当てられたらどうしよう。嫌な想像ばかり浮かんでしまう。
嫌な想像をぐるぐると巡らせていると、頬に何か温かいものが触れた。その温かさの正体が誰かの手だと気付いたのも束の間、そのまま力を加えられて顔を上げさせられる。視界には見覚えがあるような、ないような、知らない男の顔がある。
薄茶の髪と湖のような瞳を持つ男の顔はただただ私の顔を無表情で見つめていて、正しい反応が分からない。
——何か弁解した方がいいのかな
何を弁解したらいいのかも分からないけれど。
混乱した頭ですべき言動を考えていると、目の前の男の顔がふわりと、ゆっくりと笑みを浮かべた。
とても嬉しそうな笑みに、喜色を浮かべるてこういうことを言うんだろうなと現実逃避してしまった。
「また会えた」
表情と声、その一言で、目の前の男には自分への殺意はないと理解した。途端、安堵して肩の力が抜けた。が、これからが本題だ。
「あ、の」
「うん?」
「あのですね、喜んで?いらっしゃるところ大変申し訳ないのですが、どなたかと人違いされてはいないでしょうか?」
あと顔から手を放していただけないでしょうか。