フェイタリティ・アーカイブ
情報化社会が成長期を終えるに従って、徐々にその性質は変化してきた。
かつては情報の発信にこそ価値があった。
まさしく発信者は神と同格だった。
だがSNSなどの登場によって状況は変化する。
だれもに発言権が与えられた結果、無価値や負価値の情報が目立つようになる。
根拠のない情報に踊らされる者が増え、情報に制限を課すべきという考えが増える。
それはまあ、時代の流れだから仕方がない。
特に、人や社会を傷つける言動には、より過敏になっていくだろう。
男女の恋愛を描いただけで、少数派を傷つけた。ということになりかねない。
だからといって同性同士の恋愛を書けば、今度は男女恋愛主義者が暴走する。
こうなんじゃないか。というアイデアを言っただけで「根拠は」と聞かれる。
あとから間違いだと気がついても、もう遅い。だって記録が残っているのだから。
いつまでもいつまでも、過去の私を例に挙げて馬鹿にされ続けることになる。
このまま行けば、発言のリスクは更に増していくことでしょう。
簡単に悪口も言えない世界になる。
そして民衆が声を上げられない世の中は、既得権益者にとっての理想郷である。
大戦中の日本人は、負けるだろうなとわかっていても、声を上げることは出来なかった。
声を上げた者こそが、異端として叩き潰された。
日本だけじゃない。どの世界でも、声を上げ意見を表明する者は、異端として扱われる。
なぜなら大半の幸せな奴隷にとっては、主人の下で一生を終えることこそが幸せなのだから。
さて、そこでだ。
とはいえ悪口の一つも言えない世の中では生きづらい。
かといって悪口程度で名誉毀損の汚名を受けたくはない。
ならばそれは、死者に担当してもらうのはどうだろう。
すでに死んでしまった人に、何かをさせることは出来ない。
だけど生きているうちならば、言葉を遺すぐらいは出来る。
そして人は、放っておけばいつか死ぬ。
つまり死ぬ前に、いろいろな人の悪口や、社会に対する不満を書き溜めておくのだ。
あいつのことは嫌いだとか、こんな制度はクソだとか。
それを、生前に公開することはしない。
死後に遺書と一緒に開封される仕組みを作る。
私の書いた言葉は、遺族が好きに使いなさい。
そんなことを遺書に書いておけば良い。
そして遺された人は、その言葉を使う。
そして嫌なやつが目の前にいるときに、その言葉を引用するのだ。
「死ね。お前なんか、生きてる価値もない」
「言ったことも守れないやつは死ねばいい」
「○○は、動物をいじめるクソ野郎だ」
「○○社の××という製品を使うと、肌が荒れてボロボロになりました」
私の知人がそう書いていました。
良いところは、何も間違ったことを言っていないことだ。
事実無根のデマでさえ、私が嘘をついていることにならない。
だってその嘘をついたのは、私ではないのだから。
他人の言葉を公開してはいけない。というルールは存在しないでしょ?
罪に問うというのなら、地獄にでもどうぞ。
それは私の言葉ではなく、だけど私の言いたいことが書かれている。
【あとがき】
ところで、ふと思ったのだけど。
いじめ被害で自殺した人の遺書を使って紙面を賑わすメディアも、同じことをやっているのでは?
自分たちが言いたいけど言えないことを、書きたいけれど書けないことを、自殺したAさんが書いてくれている。
あるいはそれを利用して、自分たちの金儲け、話題集めに活用出来る。
正義に駆られた薄汚いネズミどもめ……って、私の小説の登場人物が言ってました。