【8】
さて、ルーシャンを店舗内のけが人の治療に向かわせたメイは先に犯人追跡に向かわせたブルーノとニーヴに指示を出す。
「二体いる。一体は建物上方を移動しているはずだ。ブルーノ、討て」
『了解!』
「ニーヴは通りの近くを逃げている奴を狙撃しろ。できるな?」
こん、と『はい』の返事があった。グール二体は二人に任せて、メイは人ごみから少し離れた。あのグールを操っている奴がいるはずだ。
メイの行動が多少不審であったことは認めよう。しかし、いきなり斬りかかられるほどではないはずだ。野次馬の集団を離れたメイは、突然斬りかかられた。くるりと身をひるがえして最小限の動きで剣戟を避ける。きれいな剣筋だった。身をひるがえした瞬間にメイはすでにケースから取り出していた刀の柄に手をかける。
若い男だった。剣の切っ先を此方に向けている。今の、綺麗すぎる剣筋。旅装ではあるが高級な誂えのコート。襟元に見える徽章は。
メイは、刀の柄から手を放した。
「待ってくれ。お前、王立近衛だろう。私に敵対する意思はない」
「それを知っていると言うことがすでに怪しい!」
カッと目を見開いて、その青年は言った。そう来るか。
「見ればわかるだろう!」
「何だと!」
斬りかかられた。短気だな。いや、煽ったメイも悪いが。メイは後ろに飛び退って剣戟を避ける。近衛騎士、追いすがってくる。メイは目の前の家の外壁の出っ張りに手をかけると、そのまま屋根に飛び乗った。身体強化しているとはいえ身軽すぎるが、ツッコむものはここにはいない。
「逃げるな!」
屋根を飛び移るメイを、近衛騎士は下の通りを走りながら追ってくる。途中、少し低くなっている小屋を見つけてそこから上に上がってきた。
メイはそれなりに足は速いが、体力と筋力はない。それは自覚するところだ。魔法で対抗してもいいが、それでは相手を殺してしまう。ここに近衛騎士がいると言うことは、護衛対象の王族がどこかにいるはずだ。
とにかく、持久戦になれば負ける。そう思ったメイは、下に誰もいないことを確認して飛び降りた。衝撃を殺して着地する。同じように飛び降りてきた近衛騎士は受け身を取る。メイは間髪入れずに彼の腕を取ると。
反動を利用して近衛騎士をひっくり返し、そのままアームロックの姿勢に移った。腕と足、身体全体を使って近衛騎士を拘束し、肘を逆方向に伸ばした。近衛騎士が悲鳴を口の中で押し殺す。
「ぐ……っ! 何をする!」
「お前が話し合いに応じないからだ」
「貴様、はっきりと攻撃してきているだろうが!」
「馬鹿じゃないの。私が本気なら今頃お前、肉のかけらも残ってないよ」
ちなみに事実である。やるかどうかは別にして、メイにはそれができる。ただの人間相手であれば。
「ぐぅ……お前のようなやつを、あの方に近づけるわけには……!」
いや、だから誰だよ、その護衛対象は。メイはそのことすら把握していない。ちょっとした調べが不足していたかな、と思う。
「お前ら、何してんの」
何やら聞き覚えのある声がして、メイは視線をそちらに向けた。ひどく呆れた表情で、栗毛の精悍な面差しの貴公子がこちらを見つめていた。
「殿下! 危険ですので……!」
「いや、お前は自分の心配した方がいいと思うぜ、ジョシュ。アストレア、やってくれるなよ。そんなんでも俺の護衛なんだよ、一応」
この国の第二王子殿下、エドワードだ。お忍びで訪問していたのは彼らしい。ジョシュと呼ばれたメイが拘束している男は、彼を護衛していたようだ。
「お久しぶりです、エドワード殿下」
「おう、久しぶり。なあ、ジョシュは大丈夫なのか? 腕抜けない?」
「私のような非力な女が引っ張ったところで、人の腕は抜けませんよ」
尤も、折れるかもしれないが。
「お前、非力の意味知ってるか? とりあえず、俺の顔を立てて解放してやってくれ」
ジョシュは「自分のことは気にせず!」などと言っているが、エドワードは肩をすくめるだけだ。メイは目をすがめつつジョシュを解放する。腕を解放された彼は、短剣を腰のホルダーから引き抜くと、メイを狙ってきた。さしものエドワードも「おいっ」と声を荒げる。メイは短剣を避けると、ジョシュの背中にかかと落としを食らわせた。ジョシュが地面に顎をうつ。
「容赦ねぇなぁ、アストレア。でも今のはジョシュが悪い。こいつは大丈夫だって言ってんだろ」
「で、ですが、殿下」
「それと、殿下言うんじゃねーよ。名前で呼べよ。ああ、アストレアも頼む。お忍びなんだ」
「ではエド様」
「お、いいなそれ。ジョシュもそれで呼べよ」
メイは立ち上がるとコートの裾を払う。ジョシュも起き上がって顎をさすった。
「何なんですか、その乱暴な女は」
「人の話を聞かずに斬りかかってくるような近衛騎士に言われたくないんだけど」
「何を!」
「アストレア、煽るな。ジョシュも落ち着け」
さすがのエドワードもなだめる側に回っている。
「ジョシュに関しては、俺の命令も悪かった。すまん。ジョシュ、アストレアは母上のお気に入りだから慎んでおけよ」
「王妃様の!?」
「お前いい加減にしろ」
エドワードがついにジョシュの頭をはたいた。メイは眉をひそめて言う。
「何故彼を護衛に連れてきたのです? というか、二人ですか?」
「おう。あんまり仰々しいとばれるだろ。一番普通っぽい奴を連れてきた」
確かに顔立ちは平均的であるかもしれないが。
「問題なく職務を遂行できる騎士を連れてくるべきでは? いえ、私も怪しかったのは認めますが」
そこに、ブルーノから『グールの討伐、完了しました』という通信が入った。メイはエドワードに断って発信ボタンを押した。
「了解。お疲れ様。二人とも、合流ポイントで会おう」
通話を終えると、エドワードが「部下か」と尋ねてきた。
「ええ。これから合流します」
「よし。一緒に行こう」
「でん……エド様!」
ジョシュが咎めるようにエドワードを呼ぶ。これについてはジョシュに同意だ。だが、そう言うと思っていた。
「まあ構いませんけど。別に面白くはないですよ」
「いいんだよ。お前、土地勘あるだろ。ここの出身だもんな」
「えっ」
「九年前の話ですが」
「ええっ」
「って言っても、お前のことだから地図くらい頭の中入ってんだろ。ついでに案内してくれよ」
「エド様、私をなんだと思ってるんですか。というか、どうしてブラックバーンに? 視察ですか?」
エドワードとメイの会話の途中に驚きの声が挟まっているが、二人とも無視して歩き出す。
「俺が臣籍降下したら与えられる予定の領地候補の一つでな。一応視察だな」
ブラックバーンはウィンザー男爵家の所領だったが、エドワードは臣籍に降りても公爵だ。大公の可能性もあるが、少なくとも元ウィンザー男爵家の所領では、その地位に報いるのに足りないのは確かだ。与えられるのはブラックバーンだけではないだろう。
「……ちなみに、ご自分から言いだされたので?」
「行きたいと言ったのは俺だが、この時期にブラックバーンを提案してきたのはウィルだな」
「……」
なんだろう。作為が後ろで見え隠れしている気がする。ウィリアムならメイの動向を察していてもおかしくはない、と思ってしまった。うがちすぎだろうか。
「メイさん」
ブルーノとニーヴが駆け寄ってきた。ニーヴはエドワードとジョシュを見てメイをかばうように間に入る。
「あれ、王子様?」
「ブルーノ、エド様だよ」
「わかりました、エド様!」
「お前の部下だよな? 訓練されすぎてないか?」
一応部下という扱いでいいのだろうか。どちらかと言うと同僚というか。
「弟弟子です」
「そうだったか? この、めっちゃにらんでくる子は? 可愛い子だな」
「面倒を見ているニーヴです。まあ、妹分ですね。ニーヴ、この人は大丈夫だよ」
「おう。アストレアの顔は割と好みだが、変人はちょっと遠慮したいからな」
まだ言うか。ちなみにここまでジョシュはずっと無視されている。一応ついてきてはいるが。エドワードのコミュニケーション能力が高すぎるともいう。
「あ、あれ、どうしたんですかね」
ブルーノが示したのは、グールに建物を破壊された店の前だ。つまり、ルーシャンを置いてきた場所である。人だかりができていた。ニーヴがメイの服の裾を引っ張って手帳に書いたメモを見せてくる。『ルーがここの領主の息子だとばれたようです』と書いてあった。なるほど。
『姉さん、ヘルプ!』
通信機からルーシャンの必死な声が聞こえてきた。こんなこと、前にもあったな、と思いつつ、メイは頭だけ見えている弟を眺めた。
「放っておいていいのか? 弟じゃねーの?」
「ですね……エド様たちは下がってください」
とりあえずエドワードとジョシュを下がらせ、メイは懐から首に下げた笛を取り出した。おもむろに取り出すとそれを吹いた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ためらわなければ、メイは普通に強い。




