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その幸せを希う  作者: 雲居瑞香
第8章【3月・里帰り】
80/124

【7】













『接触しました』


 昨晩は移動してきた日、ということで夜は休んでいたが、今日は活動している。グールは昼も夜も関係なく活動するが、その性質上、夜に遭遇することが多い。ちなみに、そう言ているルーシャンは待機中だ。宿にメイが結界を張り、彼女もニーヴもブルーノも外に出ていて、今の報告はブルーノだ。ルーシャンは手元の手帳に遭遇時間と遭遇者を書き記す。

『よし、では、手筈通りに』

『了解です』

 耳元の通信用魔法道具からやり取りが聞こえる。走る音が聞こえる。おそらく、ブルーノだ。そのまま刀を鞘走らせる音が聞こえ、戦闘に入ったのが分かる。

『ニーヴ、K‐3地点で待機。ブルーノが来る。グールを撃ち抜け』

 メイの指示に、こん、と一度通信機を叩く音が聞こえる。話せないニーヴの了承の返答だ。一度叩くと「はい」、二度叩くと「いいえ」、指示が不明の場合は三度叩く。


 とはいえ、メイがおおよその指示を出せば、後は各自判断で動ける二人だ。メイも最初の指示だけでどう倒せ、とは指示していない。なお、メイは高所から観測しているはずだ。

 風を切る音が聞こえる。刀ではなく、矢、だろうか。ニーヴの狙撃だろうか。

『グール、消滅確認。捜索を続けますか?』

『いや、今日はこれで終了とする。尾行に注意しつつ、二人とも後退してちょうだい。合流ポイントで会おう』

『了解』

 こん、とニーヴからも了承の返事。ルーシャンも張りつめていた気をほどいて息をついた。しばらくして三人が戻ってくる。窓が独特の調子で叩かれて、ルーシャンは窓を開けた。


「お帰り」

「ただいま」


 最初にメイが入ってきた。流れるような動きで部屋に入ってくる。さらにニーヴ、ブルーノ、と続く。三人とも身軽だ。ルーシャンは全員入ってきたのを見て窓を閉めると、鍵をかけた。

「どうだった?」

「遭遇しましたよ」

 ブルーノがにっこり笑って言う。笑って言うことかはわからないが。メイは容赦なくブルーノを囮に使ったが、彼なら切り抜けられると考えたからだろう。実際。

「俺が刀を振るうと、逃げの姿勢になったんですよね。メイさんの言う通りでした」

「姉さんの予測の的中率が怖い」

「いや、これは普通に考えたらわかるでしょ」

 レモン水を飲んでいたメイが不審そうに言った。まあ、時間をかければわかるかもしれない。これまでメイが派遣してきた討伐騎士たちに遭遇したグールは、どうやら討たれる前に逃げようとしている。だから討伐ミスが多かったのだ。メイが深追いするな、と言ったのもあるだろうが。

「まあ、藪をつついたから明日には何が出るか楽しみだね」

「姉さん……」

 そうですね、と応じるブルーノも含めて怖い。

















 翌日。本当にことは起こった。昼過ぎ、いわゆる目抜き通りの店が並ぶ界隈で起こった。突然、紅茶を卸していると言う小さな店舗が崩れたのだ。中の店主が怪我を負ったと言う。ルーシャンたちが駆けつけたときには、すでに人だかりができていた。

「ニーヴ。いるか・・・?」

 近くまで来たとき、メイがニーヴに問う。周囲を見渡したニーヴはついっと通りの向こうを指さす。あっちにいるのか。

「姉さん」

「大丈夫。店舗が崩れたのはカモフラージュだよ。ルー、中に入って手当てしてあげて」

「わかった」

「ブルーノ、ニーヴ」

 ルーシャンは医療用鞄を引っ提げて店舗の中に入る。メイは何やらブルーノとニーヴに指示を出し始めた。それを確認しつつ、ルーシャンは人ごみをかき分ける。


「すみません! 医者です!」


 と言うと、たいていの人は退いてくれる。半分崩れた店舗の中に入った。ちょっと驚くくらいの崩れ具合だが、大丈夫だろう。たぶん。

「大丈夫ですか」

 怪我をしている壮年の男性の側に膝をつく。頭から血を流し、腕は折れているようだった。崩れた天井の梁の直撃を受けたらしい。見えないところにも怪我があるかもしれない。

「お、お父さん」

 娘だろうか。ブルーノと同年代と見える少女が半泣きで男性に縋りつく。ルーシャンは「大丈夫だよ」と微笑む。

「君は怪我はない?」

「は、はい」

 少女がうなずくのを確認して、ルーシャンは治療に移る。男性は意識ははっきりしていた。声をかけながらてきぱきと処置をするルーシャンを見て驚いた顔をするが、その反応には慣れているので気にしなかった。医者にしてはルーシャンは若すぎるのである。

「はい、いいですよ。応急処置なので、後で病院には行った方がいいと思いますが」

 何しろ、治療道具が全部そろっているわけではないので。一応、折れた腕の骨は固定したが、ちゃんとした治療器具のそろっている病院で見てもらった方が良い。


「わかりました。ありがとうございます、ルーシャン坊ちゃん」

「えっ」


 急に名前を言い当てられて、ルーシャンは面食らった。ルーシャンという名は珍しくはないが、適当に言って当たるほど多くもない。むしろ、姉のメアリの方が言い当てられるだろう。


「違いましたか? 旦那様……ウィンザー男爵に似ていらしたので。面影もあるような」


 これは、素直に答えていいのだろうか。メイだったら適当にはぐらかしそうな気がするが、ここにいるのはルーシャンで、彼は言い逃れできない程度には父に似ている。それに、さすがに思い出してきた。彼は、ウィンザー家にいた執事の一人だ。

「……確かに、僕はルーシャンだけど」

 何か厄介ごとが起こったら姉に丸投げすることにして、ルーシャンは素直に答えることにした。メイならなんとかするだろう。

「ああ、やはり。覚えておいででないかもしれませんが、私はウィンザー男爵のお屋敷で働かせていただいていたアレンです」

「ああ、うん……覚えてるよ」

 アレンは少し複雑そうに微笑んだ。アレンの妻、確かジェシカも「ありがとうございます、坊ちゃん」と礼を言う。娘だけが戸惑ったように両親とルーシャンを見比べている。

「ご立派になられて」

「ありがとう。ほら、ゆっくり起きて」

「申し訳ありません、坊ちゃん」

「さすがにこの年で坊ちゃんはちょっと」

 ルーシャンも二十歳になったところだ。メイも『お嬢様』と呼ばれたら渋い顔をするだろう。せいぜいレディまでだ。

「内臓は大丈夫そうだけど、足は痛めてるから歩くときは気を付けて」

「わかりました」

 アレンもジェシカもうなずくのを見てから、ルーシャンは一旦外に出て姉たちの様子を確認しようとする。通信機からは、どうやら戦闘行動に入っているのはわかっていたが。

「あの、ルーシャン坊ちゃん」

「何?」

 もはや『坊ちゃん』と呼ばれるのはあきらめるしかないのだろうか。


「……メアリお嬢様はお元気でしょうか」

「……めちゃくちゃ元気だけど」


 何ならその辺にいるが、答えないでおいた。メイならうかつに情報を漏らすな、というだろう。ルーシャンがばれたのは、相手がルーシャンを知っていたのだから仕方ないが。

「そうですか……それはよかった」

「お嬢様には、領地を離れられた後もご支援いただいていて」

「あ、そうなんだ」

 知らなった。気にかけてはいるようだったが、おっとりと微笑むジェシカの言葉を聞いて、初めて知った。言っていなかった気がする。まあ、言いふらすような性格の人でもないけど。


 とりあえずその姉と合流したいと思い、店の外に出ると。

「あ、出てきた」

「確かに似てる……?」

「新しい領主様?」

「な、なにこれ……」

 店の前に人垣ができていた。いや、ルーシャンがそもそも押しのけてきたのも大勢集まった野次馬だったが、そんな人数ではない。しかも、ルーシャンにあれこれ話しかけてくる。それらを聞きとるに、ルーシャンが元領主の息子だと知って押しかけてきているようだ。初動を誤ったルーシャンはそこから動けなくなる。ここからどうすれば、と思っていると、ルーシャンは人垣の向こうに静観を決め込んでいるメイを見つけた。見知らぬ男性と一緒だ。立ち姿が妙に目を引くのだ。顔立ちは華美ではないが、姿勢がいいので遠目にも花がある。


 ではなく。


「姉さん、ヘルプ!」


 このセリフ、前にも言ったな、と思いながら、通信機の発信ボタンを押して訴えた。












ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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