【4】
「里帰りって、リッジウェイの家じゃなくてブラックバーンなんだ……」
「リッジウェイにはこの前帰ったでしょ」
「だからおかしーなーとは思ってたんだ……」
ははは、と笑いながらルーシャンは旅装の姉を見た。いや、ルーシャンも旅装だが。リアン・オーダー本部のあるウィンベリーからはるばる南方ブラックバーンに来ていた。かつて、ウィンザー男爵家が治めていた港湾都市である。メイが爵位を返上したのに伴って、ブラックバーンも王家の直轄地となっている。
ベージュのトレンチコートに医療用バッグを下げて、ルーシャンはこの生まれた地に戻ってきていた。今のところ、まだブラックバーンで育った年月の方が長い。
「ここでメイさんとルーシャンは育ったんですね」
同じアルビオン国内なのにどこか異国的な雰囲気漂うブラックバーンの街並みを見て、目を輝かせたのはブルーノだ。メイとルーシャンの姉弟と、ブルーノ、そしてニーヴが今回の同行者だ。どう考えても引率はメイであるが。
「そうだね。まあ、九年も前の話だ」
……大丈夫だろうか、これ。メイの卓越した空間認識能力を信じるしかない。
「海が近いんですね」
「ブラックバーンは貿易で財を成した土地だからな。今も港は機能しているはずだけど」
メイが顔を曇らせた。正直、ルーシャンも同じ気持ちだ。メイはこの土地を手放してからも何かと気にかけていたようだが、実際に来るのは初めてなのだと言う。当然だ。彼女はこの街で顔を知られている。彼女は、領民を見捨てた領主の娘なのだ。
「こんな……こんな街だった? 僕もそんなに街を歩いたわけじゃないけど」
「お前もそう言うなら、そうなんだろうね。私の記憶よりは当てになるだろう」
ブラックバーンはいまだに港湾都市、貿易都市として機能しているから異国情緒があって、活気もあった。だが、なんとなく雰囲気がよどんでいる。うまく言えないが、少なくとも彼らの父がこの場所を統治していた時は、活気のある美しい街だったはずだ。
「ともあれ、情報収集が先だね。さすがの私も何もわからなければ動きようがないから」
メイはそう言って年少者たちをいざなう。ブルーノは「お腹がすきましたね」と笑っているが、ニーヴはメイやルーシャンの不安を受け取り、自分も不安げだ。いや、メイはよく隠していると思うが、それでも読心能力のあるニーヴには通用しないのだ。
目抜き通りを歩いて、適当な店に入った。カフェとレストランの中間のような店で、外のバルコニー席を選ぶ。昼時を少し過ぎていたので、人は多いが混んでいるわけではない。
どうせなら郷土料理を食べてみたい、というチャレンジャーなブルーノとニーヴに言われて、ルーシャンとメイが適当に注文した。
「お客さんたち、旅行の方ですか?」
料理を運んできた女性に言われ、一番近くの席にいたメイが応じた。
「ああ、まあ。今住んでいるところは違うけど、ここの出で」
「へーっ。そうなんですか。もしかして、領主様が亡くなって、街を出た人ですか?」
「まあ、そうかな」
間違いではない。領主、つまり父が亡くなって、メイもルーシャンもブラックバーンを出た。
「私もあんまり覚えてるわけじゃないですけど、大人は領主様のころが懐かしいって言うんですよね。そのころの方が活気があったって」
今が悪いわけでもないんですけど、とそのウェイトレスは話を続ける。どうやら、メイが同郷ということでシンパシーを感じてくれたらしい。
「それに、今ちょっと変なことも起きてるし」
「変なこと?」
メイが聞き返したところで、ウェイトレスがウェイターに呼ばれた。まあ、これだけ話していれば呼ばれるだろう。昼時を過ぎているとはいえ、暇ではないはずだ。
「兄ちゃんたち、悪いこと言わねぇから、帰ったほうがいいぞ」
背後の席から話しかけられたメイが振り返る。ルーシャンはメイの斜め向かいに座っているので、その中年男性がメイに話しかけたのが見えていた。
「と、言うと?」
「おっと、お嬢さんだったか。失礼。ま、悪いことは言わんよ。帰ったほうがいい。女の子を連れているなら、特に」
その男性はメイとニーヴを見て言った。メイは今回完全に男装しているが、彼女が男に見えるわけではない。メイは女性的な顔立ちなのだ。まあ、気合を入れて男装すれば、中性的な男には見える。
「それは私たちくらいの女性が何か危ない目に遭っている、ということかな」
男性は肩をすくめた。図星らしい。メイは過程を経由せずに結論を出すから、怖い。
「わかってるなら帰ったほうがいいぞ」
じゃあな、と男性は席を立った。メイは椅子に座りなおす。
「……概要は聞いてたけど、本当なんだね」
ルーシャンは唇を尖らせて言った。一応、ブラックバーンを訪ねるにあたって、概要の説明は受けていた。そもそも、メイが任務でもなければ数週間とはいえ本部を離れることは珍しい。
ここひと月ほど、ブラックバーンではグールが目撃されている。しかも、統率が取れたグールだ。メイが四度、隊員を送り込んだが、ついに解決には至っておらず、先の十二人会議で裁可を取り、本人が乗り込んできた次第である。
まず、ブラックバーン……まあ、ブラックバーンとは地域の名前で、その州都であるリンメルが主な舞台で、かつ現在ルーシャンたちがいる場所でもあるのだが、そこで失踪事件が起こるようになった。先ほどの男性が心配していたように、十代後半から二十代前半の女性が多かったらしい。まあ、同年代の男性も姿を消している。失踪事件はたびたび起こるものだが、これまで治安のよかった地域だ。頻度が急に増えたし、さらに食い散らかされたような少女の遺体が発見されたことで事件となった。一応、地元の自警団が捜査し、犯人と思われた狼が射殺されている。
だが、検分に入っていたリアン・オーダーの隊員によると、グールの可能性が高いと言うことで、メイのもとに情報が入ってきた。そこで、メイは討伐のために先も述べた通り、四度隊員を送り込んだが、不発に終わっている。会敵しても逃げられたり、群れを成しているうちの一体しか斬れなかったりした。
二陣目が失敗した時点で、メイは背後に誰か、グールを操っている者がいるのだろうと推測を立てていた。三回目、四回目についてはその確認に過ぎない。まあ、討てれば討ってしまえ、ということだったらしいが、死んでまで達成する目標ではなかったようだ。
それらを踏まえ、ルーシャンが知る中で尤も指揮能力が高いメイが直接来た。ルーシャンも兵法書を読んだことがあるから、戦力の逐次投入は悪手だと思ったし、人数は少ないが、よほどのことがなければこの三人で制圧できる。ルーシャンは頭数に入っていない。彼は医者だ。たぶん、メイが戦闘状態に入ったときに代わりに指示を出す役目を負わされて連れてこられた。しかも、ブラックバーンに土地勘がある。
先ほど男性が忠告してくれた通り、まだ失踪事件は続いているのだろう。一度、解決したとみなされたから、大きな騒ぎになっていないだけだ。
「それもどうかと思うんだけど」
「まあ、一度解決としたのに、また問題を起こしたくないんでしょ」
自警団が、とメイは言わなかったが、ルーシャンは察してむすっとする。
「姉さんが治めてたら、そんなことにはならなかったね」
「おや、責められている? そもそも、爵位を継いでいたなら、私ではなく君だよ、ルー」
責めるような口調になってしまったと自覚しているし、冷静に指摘されてやってしまったと思った。
だが、考えてしまったのだ。あの時爵位を返上せずにルーシャンが爵位を継いだとして、メイが側に残っていてくれたら、と。そんな未来も、あったかもしれないと。
「まあ、その過去を清算しに来た意味合いもある。悪いけど、付き合ってもらうよ」
「……うん」
ちょっと自己嫌悪に陥りながら、ルーシャンはうなずいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
メイとルーシャンは港湾都市ブラックバーンの出身。始まりの地でもあります。




