【5】
朝起きると、ニーヴが朝食を作っていた。アンジーがその様子を見ている。
「おはよう」
「おはよう、ルーシャン」
アンジーが挨拶を返す。キッチンのニーヴが顔を出して手を振ってきたので、ルーシャンも振り返した。
「アンジーはキッチンを追い出されたの?」
「そう。お客様だからって。まあ、私はそんなに料理は得意ではないけど……ニーヴもメイも、すごいわね」
「うーん、必要に迫られている気がする」
ルーシャンも大学病院時代は一人暮らしだったので、自炊くらいはできる。だが、王都はここよりも外食業が充実しているので、自炊よりも外食が多かった。アンジーもそうだろう。
「……ニーヴ、かわいくていい子ね……出し抜こうとするのが申し訳なくなるわ……」
「……それに僕は何と返せばいいのだろう」
真顔でそう言ってしまった。本当に、何と返せばいいのだろう。
窓の外を見ると、昨晩のうちに降り積もった雪で、一面真っ白だった。雪はまだ降り続いていた。
やや乱暴に庭に続くドアが開いた。驚いてアンジーと一緒に覗き込むと、ジーンがメイを抱えて帰宅した。
「お、お帰り」
「おう。湯を貰えるか? こいつ、雪の中はだしで歩いてたんだよ」
「あ、うん」
「意味が分からないわ……」
困惑しているアンジーを置いて、桶にぬるめのお湯を張って戻った。ジーンがメイをソファに座らせるので、その足元に桶を置いた。メイがそこに足をつける。
「熱い」
「ぬるいよ。何時間外にいたの」
冬の噴水に落ちて寒かったから反省したのではなかったのか。ニーヴが慌ててやってきて、シナモンを入れたホットチョコレートをメイに手渡した。料理中でもこちらの様子はわかっていたらしい。
「俺も着替えてくるわ」
そう言ったジーンも薄着だ。というか、コートはメイに着せてしまったのだろう。ジーンを見送ってルーシャンは姉に尋ねた。
「外で何やってたの?」
「いや、雪が積もってたから……」
「え、どゆこと?」
これはアンジーだ。ルーシャンたちはもう慣れているが、アンジーはメイの奇行を目にして引き気味である。リアン・オーダーに来たからには慣れてもらわねば。
「新雪が積もってたら、足跡をつけたくならない?」
「……分からなくはないけど」
困惑するアンジー。大丈夫、ルーシャンも同じ感想だ。
「姉さん、本当に奇行も大概にしなよ。風邪ひくよ」
この頃はだいぶ落ち着いてきていると思っていたのだが。というか、ジーンと恋人になったあたりからは明らかに落ち着いている。単純に、寒くなったと言うのもあるのかもしれないが。
「自分で止められたら奇行になってないよ。というか、二階の窓から飛び降りてきたジーンも大概だと思うけど」
「おい、人のいないところで言うんじゃねぇよ」
ジーンが戻ってきた。メイも着替えてくる、と足を拭いて自室に上がった。ルーシャンは今度はジーンに尋ねる。
「二階から飛び降りたの?」
「窓から見えたんだよ。薄着だしはだしだし、慌ててたんだよ」
「姉さん、何してた?」
「ただぐるぐる歩き回ってたぞ。考え事してる時のあいつの癖の一つだな」
奇行と言えばそうだが、まだおとなしい方だ。ほかにもやる人はいるし、メイがやるから奇行に見えるだけだ。それでも、雪の中はだしで歩き回るのはメイくらいだ。
「最近落ち着いてたのになぁ」
「これくらいなら可愛いもんだろ。頻度も低いし」
「ジーン、訓練されすぎだよ」
「ルーシャンも訓練されてるわよ」
いつの間にか、アンジーが朝食を出すのを手伝っている。ニーヴがぷんぷん怒ってお玉を振り上げていた。可愛い。
「姉さんもあれくらいの可愛げがいると思う」
「いきなりああなったらオーダーが地獄絵図になるじゃねぇか。昨日の爆笑もすごかったが」
「あれ、何がツボに入ったんだろう」
そうこうしている内にメイも着替えて降りてきた。
「ニーヴ、手伝えなくてごめん」
謝られたニーヴはケロッと機嫌を直して笑って首を左右に振る。ルーシャンが「理不尽」とむくれる。
「そんなもんだろ」
「ジーンも姉さんと付き合いだしてから開き直ってるよね」
「否定はしない」
もともと男前で男気もあるジーンだ。メイがかかわるとヘタレが入ってちょっと残念だったのが、開き直ったことで見えにくくなってただの男前になっている。
「……姉さんをよろしくね……」
「お前、情緒大丈夫か?」
心配されてしまった。
朝食は普通においしかった。メイの奇行の衝撃から回復したので、ルーシャンは姉に尋ねた。
「姉さん、何考え事してたの?」
「来年中に論文を提出しないと、ライセンスが取り上げられるからどうしようかなって」
「ライセンスって、魔術師の? ランクは?」
「A」
「……この姉弟、スペック高くない?」
「ツッコんだら負けだぞ」
アンジーにジーンが忠告した。
「ライセンスの更新って三年ごとだろ。お前、なんで取ったんだっけ」
「ほら、王家の直轄地の湖の中のグールを排除しようってことで、そこにはいるのにBランク以上のライセンスが必要だったんだよ。論文用の実証実験に付き合ってくれたじゃない」
「それは覚えている」
「姉さん、必要に迫られないとそういうことしないよね……」
逆に言うと、必要に迫られればできるだけの底力があるのだが。
「更新しておけばいいだろ。社会的地位って、いざというとき役に立つぞ」
「それは爵位を返上した私に対する嫌味?」
「んなわけねえだろ」
やり取りがカップルというより、熟年夫婦な気がする。姉とジーンのやり取りを聞いて、ルーシャンとニーヴは笑った。
「昨日から突っ込んでいいか迷ってたんだけど、メイがウィンザー家の爵位を返上したの?」
アンジーが不意に尋ねた。昨日から気になっていたらしい。まあ、確かにメイの話を聞いた人はたいてい気にする。
「正確には、手続きをした、というだけだね。当時私は十二歳だったから、代理人が必要で、先代のシズリー公爵に後ろ盾になってもらったし。おおよその手続きを代行してくれたのはリッジウェイ夫妻だよ」
「それ、この前僕も聞いてきたけど、確かに提出したのはリッジウェイの両親だったけど、指示してたのは姉さんらしいじゃん」
「そのころから参謀の才能の片りんか……」
「いいんだよ、もう過ぎたことは」
言いおいてメイは紅茶を淹れにいった。アンジーが眉を顰める。
「気に障ったかしら……」
「ああ、まあ、姉さんはおおよそ怒ると言うこととは無縁だから大丈夫」
超おおらかな人だ。基本的には。気難しげではあるが、性格的には温厚である。
「そうなの? ニーヴは一緒に住んでるんでしょ。怒られたことないの?」
アンジーに尋ねられたニーヴは首をかしげて考え、ややあってから首を左右に振った。ないらしい。
「僕もない気がする。父さんも怒らない人だったなぁ。笑って注意してくるタイプ」
「理詰めで説教かましてくるタイプではあるな。会議ではナイジェルと言い争ってるけど」
「その現場、ちょっと見てみたい」
似た者通しのナイジェルとは普通に言い争っているらしいので、見てみたくある。ジーンは「肝が冷えるぞ」と平坦に言った。
メイの紅茶はおいしい。おおざっぱな彼女だが、紅茶はきちんと量も時間もはかる。ルーシャンやニーヴも同じようにしているはずなのに、味が違うのだ。不思議。
「ジーンってこのまま出発?」
「おう。次会うときは、新本部だな」
「ジーンたちって、いつもどの辺に派遣されてるの」
「いろいろだな。たいてい、メイの指示通りの場所に行く。今回はティアニー草原」
「ずいぶん南だね」
それでも彼はメイを信用して行くのだ。ルーシャンがそう言うと、ジーンは気負わずに「そうだな」とうなずいた。紅茶を淹れていたメイは肩をすくめる。
ジーンもそうだが、ルーシャンたちもそろそろお仕事の時間である。
「今風邪流行ってるから、ジーンも気を付けてね。ほら、姉さんも」
「……」
「嫌そうな顔しないでよ。あ、恥ずかしい感じ?」
無言で背中を叩かれたので、たぶん図星だ。ジーンが笑って「俺も恥ずかしいからやめてやれよ」と言う。
「ジーンって、そんな感じだった?」
「いや、言わなくて後悔するくらいなら言っておこうと思っただけだな」
「……まあ、やらずに後悔するより、やって後悔しろとは言うけど」
照れはあるようだが、打ってもメイにあまり響いていない気がする。一応くっついたのだから、大丈夫なのだろうが。
それより、ルーシャンは遊んでいるニーヴとアンジーをどうやって引き離したものか考えた。一晩で仲良くなりすぎではないか……。
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