【6】
場所としては、シズリー公爵領の田舎に位置するのに、結構な賑わいの街だった。
「姉さん、お昼何にするの?」
「何がいい?」
特に決めずに出てきたらしい。ルーシャンが笑って「姉さんのシードケーキが食べたい」というとメイは少し眉を吊り上げた。
「……今度作るから、もう少し食事っぽい提案をくれ」
うーん、と悩んだ。食べたいもの、何だろう。
「では魚のパイ包みにする」
「魚なんてあるの? ここ、内陸だよね」
湖があるから淡水魚はいるのだろうか。だが、普通に魚屋があった。傷むので後回しだが。
「魔術で保存してるんだよ。ウィンベリーは多種多様な地域の人が集まってるから、いろいろな食べ物がある」
「ああ、ニーヴもエリン出身みたいだもんね」
明らかなエリン系の名前だった。メイは歩きながら「本人は記憶がないそうだけど」と言った。ルーシャンは目をしばたたかせる。
「え、そうなの?」
「物心つく頃には、アルビオン島の孤児院にいたそうだ。私も詳しくは知らん。先天的に、話せないらしいが」
「そうなんだ……」
そう思うと、短い間でも父母に愛されて育った自分は幸せだったのだな、と思う。姉に守ってもらって、笑って生きられる。
「……メアリ」
「何」
「抱きしめていい?」
「は?」
さしものメイも何言ってんだこいつ、とばかりにルーシャンをにらみ上げた。だって、そんな気分なんだ。
「……往来ではやめろ」
「じゃあ帰ってからする」
にこにことルーシャンが言うと、パン屋に入ろうとしていたメイが変な顔になった。こういうところが残念だよなぁと思う。
「いらっしゃい。おや、メイさん。新しい恋人? ジーンの旦那はやめたのかい?」
パン屋の恰幅のいい中年の女性が、気さくにメイに声をかけた。彼女は動じずに「弟だ。ルーシャン」と簡単に紹介してくれる。
「姉がお世話になってます」
「いやいや、こちらこそ。メイさんにはひいきにしてもらって! 弟君、いい男じゃないの」
「自慢の弟だ。変なことを吹き込まないでくれ」
「あらら」
サクッと言ってのけたメイだが、テンションが一定の割にこういうノリの良いところがある。
メイが適当にいくつかパンを購入する。ルーシャンは完全についてきているだけだが、とりあえず、彼女についていけばどこで何を売っているかくらいはわかりそうだ。
「何? 弟君、遊びに来てるの?」
「いや、気づいたらオーダーで医師をしていた」
「お医者様なの! 姉弟そろって頭がいいんだねぇ」
「ルーは頭がいいな。優等生だ」
ルーシャンは曖昧に微笑む。ルーシャンが頭がいいのは事実であるし、謙遜しすぎれば嫌味になる。ルーシャンとは違う意味で、メイも頭がいい。だが、彼女はそれを「頭がいいとは言わないのだ」と言う。まあ、姉はきっと、学校にはなじめなかっただろうなぁと思う。
あれこれ聞いてくるパン屋のおかみを適当にかわし、メイが礼を言って店を出るのでついて行く。
「このパン屋は少し重めの、中身がしっかり詰まったパンを売っているな。もう一つ向こうの通りに違うパン屋があるが、そこのパンはふわふわしている」
「ふわふわ」
なんとなく硬派な話し方の姉からそんな言葉が出てきたので、半笑いで繰り返すと、頭をはたかれた。ルーシャンは背が高いので頭の位置が高いが、メイもまた長身なので普通に手が届いた。
「ちょっと見ない間に大きくなりやがって。前は私と変わらないくらいだったのに」
生まれた年的には二年差があるが、実際は十四か月しか年の差がないので、ほぼ誤差の範囲だ。しかも、最後に会ったのが五年前。ルーシャンが成長期に入る前である。メイも随分背が高くなっているが。
「これがさあ、既製品が入らなくて困るんだよ。裾と袖が足りないよね。あと、身ごろが太すぎたりとか」
ぜいたくな悩みであるが、困っているのである。メイも「気持ちはわからなくはないな」と言った。彼女も、女性にしてはかなり長身である。
「女物を着ると、なんとなくみっともないんだよな……」
「だから姉さん、男装なの」
ただスラックスを履いているというわけではなく、メイの服装は男物だった。上着も男物である。まあ、彼女の身長なら、女物で大きいものを探すより、男物を探した方が早い気はする。
と言っても、本気で男装しているようには見えなかった。胸はさらしで押さえているようだが、骨格も顔立ちも女性のものだ。比較的中性的な面差しではあるが、男に見まがうほどではない、というのがメイだ。たぶん、本気で男装すればちゃんと男に見えると思う。
「それもあるが、動きやすいからな」
「へえ……」
木や屋根に上っていた幼い彼女を思い出し、とりあえず納得することにした。
「あれ、メイちゃん。ジーンの兄さんを振っちまったのか」
魚を買いに行くと、魚屋の店主に言われた。そういえば、パン屋のおかみもそんなことを言っていた。メイはかすかに眉を顰める。
「これは弟だ。なぜみんな私の顔を見ると同じことを言うんだ……」
「そりゃ、メイちゃんが男を連れ歩いてるからみんな興味津々なのさ」
「なんだそれは」
そう言いながらメイは魚を買い上げる。生ものを買ったので、そのまま家に帰ることした。
「姉さん、恋人いるの?」
「生まれてこの方いたことがない」
「あ、うん。そうなんだ」
多分、その魔法刺青がなければそこそこモテると思うよ、と思ったが言わないでおいた。
「ルーは? 恋人はいなかったの?」
言外にいたならここに来てよかったのか、と聞かれているなと思った。ルーシャンは「うん」とうなずきながら荷物を抱えなおす。
「いたことはあるけど、大学病院をくびになったときに振られたんだよね」
「……まあそれは振られて正解だったんじゃないか」
結局その人はルーシャンの付加価値を見ていたわけで、ルーシャン自体を見ていたわけではない。姉も貴族令嬢だったのでそう言う結婚もあるのはわかっているだろうが、恋愛にまで持ち込む必要はない、と思っているのだろう。同感だ。
「うん。僕もそう思う」
だから、ルーシャンもあっけらかんとしてうなずいた。
家ではニーヴがスープを作って待っていた。メイも一緒に料理を初めて、ルーシャンも手伝おうとしたが。
「狭いから座っていろ」
と言われておとなしく座る。シンプルな家具の置かれた家の中を見回す。趣味のいい家だな、と思った。
城の食堂で食べる食事も悪くないが、ここで女性二人と食べる手料理もよかった。食べていると筆談ができないので、ニーヴが聞き役になってしまうが、姉弟の話を楽しそうに聞いていた。
「ニーヴ、ごめんね。退屈じゃない?」
デザートにトライフルが出てきたあたりでルーシャンが尋ねると、ニーヴはスプーンを口から出し、首を左右に振った。
「楽しいってさ」
「え、姉さん、精神感応能力あったっけ?」
「ないよ。二年も一緒に住んでいれば、なんとなくわかる」
そんなものか。まあ、ルーシャンもなんとなく顔を見ていれば言いたいことが分かったので、そんなものかもしれない。
「また来ていい?」
帰り際に尋ねると、メイは表情を変えずに「好きにしなさい」と言った。ニーヴが隣で期待を込めて見つめてくるので、たぶん、きっと、また来る。
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平均より大きい二人が通ります。