【2】
前の話とこの話は読まなくても通じると思います。
後味の悪い話なのでご注意を。
ルーシャンに縋りついてきた男性、アランが騒ぐので、ギャラリーが集まってきた。曰く、妻が殺されたらしいのだ。朝起きたらリビングで妻が死んでいた。誰かが殺したのだ、と騒ぎ立てる。
ルーシャンに縋りついたのはたまたまだろうが、彼は医者だった。検死ができる。彼はニーヴと目を見合わせた。ニーヴが服の袖を引っ張る。
「うん。そうだね……」
さすがに放っておくことができずに、アランの家に向かった。彼も、ルーシャンがメイの弟であると気づいたらしい。まあ、一緒にいるのがメイの同居人のニーヴだから、気づくか。
メイの家よりは小ぢんまりとしているが、普通の大きさの家だった。アランの言う通り、奥さんのソニアはリビングで亡くなっていた。ソファに座り、ひじ掛けにもたれかかるようにして目を閉じている。脈、瞳孔を確認するが、確かに死んでいた。
「……死んでるね」
「殺されたんだっ」
アランが叫ぶが、さすがにそこまではわからない。検死してみれば何かわかるかもしれないが、最悪、解剖までしても何もわからない可能性はある。ルーシャンがサイコメトリーを行うこともできるが、これは反動がちょっと怖い。相手は死者だし。
「おーい、メイさん、連れてきたよ!」
少年の声が叫んだ。パッと見ると、まだ半分目を閉じているメイが家の中に入ってくるところだった。ニーヴが慌てて駆け寄る。ベッドからそのまま抜け出してきた感じで、部屋着だ。ルーシャンは着ていたカーディガンを脱いで姉に放った。
「姉さん、上着なよ。あと、目を覚まして」
「ん、ありがと」
あくびをしながらメイがカーディガンを羽織る。ニーヴが髪ひもを差し出している。髪もぼさぼさなのを適当に手櫛でまとめていた。
「死後どれくらい?」
メイがご遺体をざっと見て尋ねた。ルーシャンはうん、とうなずく。
「かなり硬直が進んでるから、死後七時間から九時間ってところかな」
今朝の九時半なので、亡くなったのは恐らく、真夜中。メイは「なるほど」とうなずくと、リビングを歩いて、窓を開け放った。空気を入れ替えるのかと思ったら、違った。ルーシャンはまだ姉を理解できていなかった。メイは、窓枠を乗り越えて外に出た。
「……」
ニーヴがルーシャンのシャツを引っ張る。上に着ていたカーディガンをメイに着せてしまったので、薄着なのだ。メイが薄着よりはいいかな、と思っている。
「……うん。たぶん、逃走経路を確認しに行ったんじゃないかな」
「な、なるほど……」
メイの奇行に引いていたアランがうなずいた。妻が亡くなった衝撃すら薄れさせるメイの奇行、恐るべし。そのメイが戻ってきた。窓から。今度はリビングを歩き回り、玄関扉を開けて野次馬を見渡した。扉を閉める。
「姉さん、奇行も大概にした方がいいよ」
「状況を確認しているだけだ」
まあ、メイだ、というだけで奇行フィルターがかかっている気がするのは否定できない。だが、窓から出入りするのはどうかと思う。
ざっと検死を終えたルーシャンはメイを呼んだ。彼女に検死結果を報告するためだ。メイがいる以上、この場の責任者は彼女になる。
「毒を飲んだんだ。服毒死。詳しくは解剖して胃の中を見て見ないとわからないけど……」
アランが必死に首を左右に振るのを見て、解剖はできないな、となる。大切な人の体を傷つけられたくない、という気持ちはわかる。
「……あのさ、姉さん」
医者として、気づいたことがある。うかがうように姉を見ると、メイは首を左右に振った。
「お前は言わなくていい。わかっている」
「うん……」
やはり、姉も気づいていた。おそらく、メイが気づいたのはルーシャンとは違う方面からだが、彼女がそういうのなら任せてしまった方が角が立たない気がする。
「メイさん! なあ、誰がソニアを殺したんだ! なあ!?」
アランが縋りつくようにメイに話しかけたが、ルーシャンは間に割って入る。メイが避けるようなそぶりをしたからだ。ちらりと弟を見た後、メイは口を開いた。
「まず、お前は昨晩……深夜ごろ、何をしていた?」
「ね、寝ていたと思いますが……」
「寝室はソニアとは別?」
「いえ……同じですが」
何を聞くんだ、というようにアランが答えていく。メイは淡々と尋ねた。
「ソニアが出て行くのに気づかなかったの?」
「きっ、気づきましたが、水でも飲みに行くのかと……僕を疑っているんですか!? 僕がソニアを殺すわけないでしょう!」
「別に疑っていない。事実確認をしただけだよ」
メイが手をあげて冷静に言った。ここでも動揺しないのはさすがだ。ルーシャンとニーヴは、聞いているだけなのに大声にびくっとした。
「少なくとも、ソニアが自分の意思で寝室を出たのだと言うことを確認したかった」
「……どういう意味です」
アランがメイを見つめた。メイもアランに視線を返した。二人は視線が同じくらいである。
「ソニアは自分で毒を飲んだんだ」
「嘘だっ!」
アランが大声を上げた。ニーヴがルーシャンの腕をつかむ。
「そんなはずないっ! 歌劇を見に行こうと、約束していたんだ……! 明日は何が食べたいかって話をしたんだ!」
「それでも、ソニアは毒を飲んだ。お前もわかっているだろう。深夜、この家に人が侵入することは不可能だ」
アランの証言を聞く限り、ちゃんと戸締りをしていたはずだし、この家、窓は高めだ。身体能力の高いメイはひょいっと飛び越えていったが、ルーシャンは正直、窓から出入りできるかわからない。そして、玄関と勝手口は閉まっていた。こじ開けた後もない。魔法を使えば痕跡を残さずに毒殺可能な気もするが、わざわざそんなところに労力を割かないだろう。魔法が使えるなら、もっと別の方法をとるような気がする。
よって、ソニアは自分で服毒した可能性が極めて高いのだ。ルーシャンも、抵抗した痕などがないことからそれを疑った。
「違う、違う! ソニアは殺されたんだ、あいつに……!」
なんだかまたややこしくなってきた。新しい登場人物が出てきたぞ。
「あいつに殺されたんだ! 直接手を下されたんじゃなくても、あいつが殺したも同然だ!」
ルーシャンもニーヴもさっぱりだったが、メイはそれだけで誰を指しているのかわかったらしい。息を吐いて言った。
「わかっている。他からも嘆願があった。昨日、現場を押さえたので締め上げておいた」
どうやら、メイが徹夜になったのはそれが原因らしい、と察する。アランもハッとしてメイをまじまじと見た。おそらくアランは、殺人事件だと騒ぎ立て、昨日メイが締め上げたと言う男を犯人に仕立て上げたかったのだ。
「なら……なら! ソニアは毒を飲む必要なんてなかったってことじゃないか!」
泣きわめくアランに、メイは首を左右に振る。
「それとこれとは、また別の問題だ。おそらく、ソニアはお前に対して申し訳なく思ってしまったんだ。お前を愛しているから」
姉さんにそんなことわかるの、と言いそうになったが、耐えた。メイの言葉端から察するに、ソニアはメイが締め上げたと言う男に、乱暴されたのだろう。常習犯のようだし、案外おおらかなメイがキレる案件としてはそれが一番可能性が高い。
「あなたにっ、何が分かると言うんだ!」
「わからないな。だが、そう考える方が、ソニアにとってもいいだろうと思う」
泣き崩れたアランを見下ろした後、メイはルーシャンとニーヴの背中を叩いた。
「ほら、行くよ」
「うん……」
ルーシャンもニーヴも、アランをうかがってしまう。メイは外に出て、野次馬を散らしていた。さっくりと葬儀屋の手配をしている。問題は解決したので、確かにこの先はルーシャンたちの領分ではない。
「……姉さんは、死のうと思った?」
デートどころではないので、帰路につきながらルーシャンが尋ねた。ニーヴが咎めるようにルーシャンの背でを引っ張る。メイはというと気にせず、「そうだな」と答えた。
「積極的に死のうと思ったことはないが、結果的に死んでもいいと思ったことはある」
多分、そのたびに誰かが死ねない理由を作っていたのだ。アランはソニアに、それができなかった。
「ソニアは何も悪くないのに、どれほど苦しかっただろうな」
ぽつりとメイは言った。ドアを開けて家に入るメイに、ルーシャンは思わず問いかけた。
「それが言えるのに、姉さんはジーンに何も言わないの?」
ソニアが悪くないのなら、メイだって悪くない。メイは「難しい問題だな」と言った。
「そういうことじゃないんだよ。不可抗力とはいえ、他人を受け入れてしまった自分が、隣にいてはいけないような気がするんだ。好きだから、余計に隣にいてはいけないと思う。ソニアもきっと、そうだったんだろう」
いっそ穏やかに言って、メイは「もう少し寝る」と言って寝室に上がっていった。ルーシャンはニーヴに袖を引かれる。スケッチブックが示された。
『言いすぎです』
「あー、うん。でも、ニーヴも姉さんとジーンが付き合えばいいのにって思わない?」
『思いますけど、メイを傷つけるなら駄目です』
「ニーヴは姉さんが好きだね」
当然です、と筆記体で書かれた。
『いくらメイの弟でも、メイを傷つけるならお断りだって言いました』
初めて会ったころに言われた言葉だ。懐かしい。もう半年以上も前の話だ。ルーシャンは、うん、と素直にうなずく。
「そうだね。後でごめんって言うよ」
ならよろしい、とニーヴは笑った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
メイが我が身を振り返る話として入れたのですが、後味が悪かったですね。すみません…。




