【5】
リアン・オーダーに籍を置くにあたって、ルーシャンは城塞内の居住区に部屋を借りている。もともと荷物は少ないし、食堂も一日中空いているので食事にも困らない。部屋にシャワーもある。ちなみに、共用の大浴場もある。
だが、リスク分散のため、リアン・オーダーのメンバーが全員城塞内に住んでいるわけではない。城塞が落とされても外にいる人間が行動できるように、街に暮らしているものも多い。この街は城からさほど離れておらず、休日に買い物に来るオーダーのメンバーも多い。
ルーシャンの姉、メイはリスク分散のため街に家を持っている一人だった。同じ十二人会議のメンバーであるヴィオラとアーノルドも街で暮らしているらしい。
ルーシャンは街で手土産を買い、聞いた住所の家のドアを叩いた。少し大きいが、普通の家だ。メイの家である。
「姉さーん」
がちゃっとドアが開いた。姉さん、と言おうとしたルーシャンは笑顔のまま口を閉じる。大きな菫色の瞳と目が合った。
「ええっと……こんにちは」
メイと再会した時に会った少女だ。ダークブロンドの長い髪に、大きな菫色の瞳の美少女。小柄、というほどではないが、ルーシャンより顔一つ分ほど背が低い。
彼女はペコっと頭を下げた。スケッチブックを持ってきて、ページを開いて見せてくれた。
『何か御用ですか』
『耳は聞こえるので、話してくれてかまいません』
要件を尋ねられたのだ、と気づくのに少し時間がかかった。何とか笑顔を張り付けて口を開いた。
「ええっと、姉さん……メアリはいるかな。僕は、メアリの弟で、ルーシャンというんだけど」
ページがめくられる。『知っています』という文字を見せた後、違うページに何やら書き込んで見せてくれた。
『メイはまだ寝ています』
「え、そうなの?」
こっくりうなずかれる。まあ、昔から朝が苦手な人だったが、すでに人々が活動時間に入っている。また彼女が何か書き込む。
『中で待ちますか? そろそろ起きてくると思います』
「あ、うん」
勢いでうなずき、ルーシャンは家の中に入った。ごく普通の家だった。リビングに入ると、彼女が紅茶を淹れてくれたが、そこでルーシャンは彼女の名を知らないことに気づいた。
「ええと、ごめん。君は、ニーヴ、って呼ばれていたっけ?」
ショートブレッドの皿を持った彼女が固まる。それから先ほどのスケッチブックを取り出してページを開いて見せた。
『ニーヴ・マクシェインです』
「ニーヴ・マクシェイン……エリン系の名前だね」
このアルビオン島のとなりに、エリンと呼ばれる小さな島国がある。彼女はその出身なのだろう。
「僕はルーシャン・リッジウェイ。ニーヴは姉さんとこの家に住んでるの?」
こくっとうなずかれた。そうなのか。何気に面倒見の良い姉だから、そこそこうまくやれているのかもしれない。朝起きること以外は。
「そっか……姉さん、ちゃんと生活できてる? 楽しい?」
またこくりとうなずかれたが、ニーヴが何やら文字を書きだす。それを見ると、ルーシャンは声をあげて笑った。
『いくらメイの弟さんでも、メイを困らせる人はお断りです』
きりっとした表情でそんな文章を見せてくるニーヴが何やら可愛らしい。ルーシャンは笑って言った。
「姉さん、慕われてるなぁ。困らせる気はないよ。せっかく会えたから、たまには話でもしたいなって思って、押しかけてきちゃったけど」
ぱちぱちと瞬きするニーヴに、ルーシャンは言葉をつづけた。
「ニーヴは姉さんが好きなんだね。なんかうれしいなぁ」
ニーヴが猛然とスケッチブックに文字を書く。それから文章を見せてくれる。
『ルーシャンもメイが好きですか?』
「好きだよ。大好きな姉さんなんだ」
そう言ったら、姉はどんな顔をするだろう。真顔で、彼女できなくなるぞ、くらい言われそうだ。昔から、そう言うところはあった。
だが、ニーヴは顔を輝かせて、スケッチブックにメイの好きなところを羅列していく。ルーシャンも負けじと、姉との思い出を語る。そうしている間に、紅茶は冷め、メイが起きてきた。
「……何してるの?」
「あ、姉さんおはよう」
ルーシャンがにこにことあいさつをする。もうおはようの時間でもない気がするが、午前中ではある。彼の隣ではやはりニーヴがにこにこしていた。
「朝から美形の笑顔がまぶしい」
そんなことを言って、メイは一度キッチンに消えた。しばらくして戻ってくる。手に水とパンを持っていた。もう昼近いので、軽く済ませるのだろう。
「来るなら連絡をよこせ」
パンを食べつつ、メイがルーシャンに苦言を言う。いきなり来てしまったのは悪かった。
「次からはそうする。あ、手土産はニーヴに渡してあるから、後で食べてよ」
「ありがとう。というか、ずいぶん打ち解けたな……」
向かい側の席で並んでにこにこしている弟と同居人を見て、メイは軽く息をついた。
「ニーヴ、楽しかったか?」
こくんとニーヴがうなずく。ルーシャンも姉の話ができて楽しかった。
「それはよかったな。ルー、たまに話し相手になってやってくれ」
「僕は構わないよ」
詳しく聞いていないが、ニーヴは口がきけないようだ。だから、どうしても筆談になるし、会話できる相手が少ないのかもしれない。ルーシャンは待つことが特に苦にならないので、請け負った。
「それでお前は何しに来た」
「しゃべりに来た」
「……」
何言ってるんだ、みたいな目で見られたが、事実だ。ルーシャンはメイの方へ手を伸ばす。
「えー、いいじゃん。付き合ってよ、姉弟だよ」
「……まあ、好きにしなさい。お昼ご飯、食べていく?」
「食べる」
「ニーヴも、ルーシャンが一緒でかまわない?」
ニーヴの許可も出たので、ルーシャンは昼食をごちそうになることにした。メイが空になった皿とコップを持って、またキッチンに引っ込む。お嬢さん育ちの彼女だが、厨房に出入りしていたので、それなりの料理はできる。
「買い物に行ってくる。ニーヴ、留守番頼める?」
ニーヴが手をあげて了承した。ルーシャンは「ついて行っていい?」と姉に尋ねる。
「まだこっちに来てから、ちゃんと街を見てないんだ。案内してよ」
「……ま、いいだろう」
流されやすいわけではないが、メイは年下の押しに弱いところがある。こういうところが、腐ってもお姉ちゃんだな、と思う。
外に出ると言うことで、メイが着替えにいった。さすがに部屋着で外に出ないらしい。気にしなさそうなのに、ちゃんとしているところがある。くいくい、と袖を引かれてルーシャンはニーヴを見て微笑む。
「何?」
スケッチブックを見ると、『姉弟水入らずで楽しんできてください』と書いてあった。優しい子だな、と思いながら「ありがとう」と礼を言った。
「本当に、仲良くなってるな……」
上着に袖を通しながら、メイはそう言って二階から降りてきた。
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