【1】
お姉ちゃん側の話です。
見送られてアイヴィー城を後にしたメイ、ジーン、ブルーノの三人がシズリー公爵家の屋敷についたときは、ずいぶんと時間に余裕があった。そもそも、余裕を持って出られるようにと、屋敷で一泊する予定だった。
一泊して、さあ、出かけよう、というとき、ギルバートとセアラの三歳の息子がぐずった。
「ダニー、ね? いい子だから行きましょ」
「やだぁ!」
幼子がエントランスの床に転がって手足をバタバタさせている。セアラの息子のダニエルだ。セアラは困ったようにギルバートを見上げた。
「どうしようかしら……」
「ダニー、行きたくないなら、お前だけここに残るか?」
「やぁなの!」
ギルバートも困ってセアラと顔を見合わせた。王都に一緒に行くのだ、と話した時は楽しそうにしていたのに、直前になってぐずり始めたのである。メイも思わずジーンと目を見合わせた。無理やり連れて行くこともできるが、できればしたくない。
「あの、弟妹の面倒を見ていたので、俺が」
いつも元気なブルーノだが、さすがに今回は控えめだった。そう主張してダニエルをあやしにかかったブルーノだが、あえなく玉砕した。ぐずるを通り越してダニエルが泣き出した。
「うわぁあん!」
「ご、ごめんなさい。泣かないで!?」
セアラがさすがに、とダニエルを抱き起す。メイはダニエルの側に膝をついてしゃがみ、セアラに支えられたダニエルの顔を覗き込んだ。涙で濡れた顔をセアラがぬぐっている。
「ダニエル様は、これから私たちがどこに行くか知っていますか?」
「お前……辞めといたほうがいいんじゃねぇ……?」
ジーンが心配そうに止めにかかるが、メイはダニエルに話しかけた。ダニエルは大きな目でじっとメイを見る。
「おうさまのいるところでしょ。ぼく、しってるもん」
「そうですね。ちゃんと覚えていて、偉いです」
淡々とした顔と口調に関わらず、ほめられてダニエルは誇らしげな顔になる。セアラが驚いたように息子と友人の顔を見比べた。
「王様の住んでいるところは、王都、と言います」
「おうと?」
「そう、王都。すぐに覚えられて、ダニエル様はすごいですね」
「えへへ」
「私たちは、今から王都に行きます。その間は、ダニエル様はお父様とお母様とずっと一緒です」
「ずっと?」
「はい。ずっとです」
「……じゃあ、いく」
ダニエルがそう言ったことに、セアラがほっとして息を吐いた。ギルバートは「お見事」とつぶやいている。セアラがダニエルを抱っこしたまま立ち上がる。メイも立ち上がった。
「よし、じゃあ出発だ。うちのことは頼むな。何かあったら連絡をくれ」
「かしこまりました。お気を付けて行ってらっしゃいませ」
執事が優雅にギルバートに向かって頭を下げた。ギルバートが「おう」と答えてメイたちに並ぶ。
「助かった。ありがとうよ」
「そうか。だがまあ……たまたまだな」
メイはそう言ってエントランスを出る。馬車は、メイはシズリー公爵と別の馬車に乗る予定だったが、ダニエルがついてきてほしそうに見つめてきたので、結局一緒に乗った。ジーンとブルーノは別馬車だ。この二人、あまり相性が良くない気がするが、頑張れ。
「すっかりなついちゃって……ごめんね、メイ」
「別にかまわない」
ダニエルは揺れる馬車の中、メイの膝になつくように眠っていた。座席から転げ落ちないように手を添えて支える。
「しかし、お前が子供をあやせるとは」
ギルバートが感心したように言った。当然だが、子供をあやす機会などそうそうないので知らなかったのだろう。メイはダニエルの頭をなでながら言う。
「別にあやしたというわけではないな。言い聞かせたわけでもない。少し話をしただけだ」
「お前の感覚がよくわからん」
ギルバートの言葉を聞きながら、セアラはため息をついた。
「私たちもあまり面倒を見られないから、駄目なのかしら……」
「私に至っては数回しか顔を合わせたことがないが」
メイがシズリー公爵家を訪れるのは初めてではなかったため、ダニエルとも面識がある。ダニエルも、メイのことを認識している様子だった。
「頭のいい子なのだと思う。年齢の関係もあるだろうけど、子ども扱いされるのが嫌だったんだろ」
「ああ……」
夫婦から納得の声が上がった。メイは公爵夫妻を眺めた。
「二人を見ていると、順当にまっすぐ育ってきたんだろうなと思うよ」
「それってどういうこと?」
「お前みたいになるってことか?」
「おそらく変人と言いたいんだろうが、私が何を言われても傷つかないと思っているのなら、それは間違いだからな」
一応ギルバートにくぎを刺しておく。ギルバートは半笑いだったが、「すまん」と謝ってくれたのでとりあえず忘れることにする。
「お前ってさ、一応元貴族だろ。いくつくらいから勉強してた? 三歳には早いと思うか?」
「あんまり勉強が好きじゃないみたいなのよね……」
ギルバートとセアラの口ぶりから察するに、ダニエルの教育を始めているのだろう。シズリー公爵家ほどの上位の貴族なら、その地位と資産を維持するために、早期教育を始めるのはうなずける。ただし、相談する相手を完全に間違えている。
「三歳じゃ覚えられることにも限度があるでしょ。少しずつでいいんじゃないの」
常識的な提案をしてみると、セアラがうーん、とうなった。
「ちょっと言葉を話すのも遅かったし、心配になっちゃって」
「相談相手を間違えているとしか思えないけど、私は三つになるまで言葉を発しなかったそうだよ。これだけ会話ができていれば十分じゃないか」
えっ、と夫婦そろって目を見開いた。そんなに驚くことだろうか。発語には個人差があると思うのだが。
「ルーは私より先に話し始めたそうだ。一番下は普通だったな。だからまあ、大丈夫なんじゃないか」
「そう……そうなのね。言葉の早さって関係ないのね……メイは頭がいいもの」
「勉強ができるわけではないが」
見習うならルーシャンの方が適している。彼は一歳になる前に話し始めたので、メイはかなり両親に心配されたそうだ。
「けどお前は一般的な貴族の子弟が学ぶ知識は頭に入ってるだろ。お前の弟みたいな専門知識はなくてもさ」
「そりゃあ、一応勉強したからね」
「しかも、十二歳の時点である程度頭に入ってたってことだ。爵位を売り払ってるし、資産清算もしたんだろ」
「やり方を知っているだけだ。実際に私がしたわけではない」
しかるべきところに頼めば、やってくれることだ。最終的な許可はメイが出したことを認めるが、手続きをしたのは彼女自身ではない。……いや、爵位の返上はメイがしたけど。
「つーことは、お前は三歳から十二歳の九年間の間でそれらの知識を覚えたわけだ」
「……実際、両親は私を勉強させるのに苦労したそうだ。言葉を発するのが遅かったから、おおむねルーと同じ勉強をしていたのを覚えている」
だから年齢で比べると、同じ年齢のルーシャンの方が知識量が多かったことになる。
「私の場合はまず興味を持たせるところから始めたと言っていたな。私の父が、私から見ても変な人で、庭師に混じって庭の整備をしたり、料理人に混じって料理をしていた。それについて回っていたのが私だな」
「メイはお父様似なのね……」
セアラが遠い目で言った。それはよく言われる。
「ノエル・ウィンザー男爵だろ。会ったことあるけど、そんなに変な人には見えなかったぜ。ああ、思い出してみると、ルーシャンの外見は父親似だな。ハンサムだった」
それもよく言われていた。尤も、子供のころは可愛い、という感じだったのだが、今ではひょろりと、メイより背が高い。それでも可愛い弟には違いないが。ルーシャンはもうシスコンでいい、と思っているが、メイは間違いなくブラコンだった。
「私は肖像画でしか見たことがないわ……残念ね、そんなにハンサムなら見て見たかったわ」
「ルーを見ておけ。おそらく一致率八割だ」
それくらい似ている。
そうしてシズリー公爵夫妻の話し相手をしつつ、ダニエルをかまって、メイたちは王都ロンディニウムにたどり着いた。
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