【2】
本日2話目。
幸い、ルーシャンは頭がいい。本人に言わせれば、頭がいいのではなく、物を覚えるのが人より得意なだけだが、とにかくリアン・オーダー医務部のやり方を大体でも覚えるのに、二日は十分な時間だった。尤も、それは情報として頭に入っているだけで、実際には違うだろうと思う。
「ルーシャンはどうしてここに来たんだい?」
マグカップに紅茶を淹れて渡してきたのは、三十前後ほどの男性医師だった。勤務経験五年以上になるベテランさんらしい。
「前に勤めていた大学病院をくびになりまして。どうしたものかと思って困っていたら、声をかけられたので」
「めちゃくちゃ怪しくなかった?」
「怪しかったです」
一応、自覚はあるのだな、と思ってルーシャンは正直に答えた。男性医師は笑って言う。
「よくそれで来ようと思ったねぇ」
「ほかに雇ってくれそうなところが思いつかなかったですし、それに、姉がリアン・オーダーに行くって言ってたのを思い出して」
「お姉さん?」
「はい」
もう八年も前の話だ。当時十二歳だった姉は、そう言ってルーシャンと弟をリッジウェイ家に預けて、ここに向かったはずなのだ。
「リッジウェイなんて名前の女性、いたかな……」
「あ、ファミリーネームは違うと思います」
結婚したとも聞かないので、たぶん名前は変わっていないだろう。姉の名を告げようとしたとき、緊急招集がかかった。
「エントランスに集まれ! けが人だ!」
ぱっとみんな立ち上がる。留守番役の一班を残し、全員がエントランスに向かった。ルーシャンも引っ張られてエントランスに向かう。確かにそこにはけが人がいた。
「え、何ですかこれ!」
「グールの討伐に行ってた一団が帰ってきたのよ。はい、ルーシャン君も頑張って」
看護師の女性に声をかけられ、背中を叩かれた。先輩医師の指示に従って順番に治療していく。曰く、「今日はきれいなけが人ばかりでよかったな」とのことだ。どういうこと。
「マスター・メイ!」
突然の大声にほとんどの顔がそちらを向いた。どの人がマスター・メイだ。
背の高い若い女性が叫んだ相手に指示を出している。その横顔を見てルーシャンは立ち上がった。
「メアリ!」
背の高い女性が振り返った。長い前髪が邪魔をして顔がよく見えないが、女性は子供のころの面影が分かりやすい。間違いない。
「メアリ!」
駆け寄って抱き着こうとしたらよけられた。ルーシャンは血で汚れていた。なるほど。
「何してるんだ、お前」
怪訝な表情で言われ、ルーシャンが口を開く前に小さな体が間に入り込んだ。小さいと言っても、ルーシャンや女性よりも小さいだけで、女性の平均的な身長はある。
「ニーヴ、大丈夫だ。ありがとう」
ニーヴと呼ばれた少女が体を避ける。だが、ルーシャンが先輩医師に呼ばれた。仕事中だった。
「後で、後で話しよう。逃げないでよ!」
「いいから早く行け」
追い払われるように患者の元へ向かう。ちらっと見ると、彼女も誰かに呼ばれたようで少女を連れてエントランスを抜けて奥に向かっていく。
「メイさんと知り合いか」
「ああ……はい」
向かい側の医師に話しかけられてルーシャンはうなずいた。その医師は患者の腹部の裂傷を固定すると言った。
「このまま固定しているから、お前が縫ってくれ」
マジか。
結局、ルーシャンがメイを捕まえられたのは翌日のことだった。しかも、向こうから声をかけられた。
「ルーシャン」
落ち着いた声に振り返ると、ルーシャンはぱっと彼女に駆け寄った。
「姉さん!」
抱き着こうとすると、今度はおでこをはたかれた。
「姉ってメイさんのことだったのか」
先輩医師に言われ、ルーシャンはうなずいた。話をしようと言ったのを覚えていて、メイの方が医務部に訪ねてきてくれたのだ。メイはメアリの愛称である。
「似てないな」
「悪かったな、美人じゃなくて」
メイが低く言った。確かにルーシャンとメイはそんなに似ていないし、十人中九人が美形だと言うルーシャンに対し、メイはよくて中の上だろう。一応、気にしているらしい。
「そう? 骨格的に血縁かしら、と思っていたけど」
そう言って通り過ぎていったのはヴィオラだ。そんなこと思うの、ドクターくらいですよ、と周りは苦笑気味だ。
「あれ、でも、メイさんってウィンザーじゃなかった? ルーシャンはリッジウェイだよね」
ふと近くの看護師に尋ねられ、ルーシャンは「自分は養子ですから」と答えた。
「旧姓はウィンザーです」
これにはいろいろと事情があるのだ。主に、目の前にいる姉のせいだが。
「ルーシャン、ここはいいからお姉さんと話してらっしゃい。メイ、むやみにキレないのよ」
「わかってる。ではドクター、ちょっと借りていく。ルー、行くよ」
「うん」
久々に愛称で呼ばれて、ルーシャンは喜んで姉について行った。
「どこ行くの?」
「私の事務室」
「へえ……?」
周囲の視線を感じる。メイと一緒にいるルーシャンを怪訝そうに見ている。
「……姉さんってさ、実は偉い?」
「まあ、それなりに偉いんじゃないか」
そっけないが、たぶん、そうなのだろうなと思った。個人で事務室をもらえるなら当然だ。
「あっ、メイ。って、誰です?」
メイの名前が書かれたドアをくぐると、金髪碧眼の美女がルーシャンを見て首を傾げた。それなりに整理されている、本の多い部屋だ。
「弟」
「え、似てない」
「美人でなくて悪かったな」
「そんなこと言ってないわ」
まあ、こんな美女が近くにいるのなら、メイが卑屈になる気持ちもわからないではない。
「初めまして。ルーシャン・リッジウェイです。姉がお世話になってます」
「ご丁寧にどうも。シャーリー・コーエンです。メイの秘書のようなことをさせてもらってます」
よろしく、とシャーリーと握手をする。簡易キッチンで紅茶を淹れ始めたメイは、自己紹介が終わったタイミングを見て言った。
「シャーリー、悪いが少し席を外してくれ。ルーと話がしたい」
「了解。アーノルドさんが呼んでたから、三十分したら声をかけるわよ」
「頼む」
てきぱきと事務やり取りをして、シャーリーは本当に出て行った。メイが「適当に座ってくれ」というので、おそらく応接用と思われるソファに座った。メイが紅茶を出してくれる。
「姉さんの紅茶飲むの、久しぶり。姉さんが作ったシードケーキ、好きだったなぁ」
「そうか」
そっけなく流された。まあ、そんな話をしに来たのではない。
「それで、お前、どうしてここにいるんだ。大学病院に勤めてるんじゃなかったのか?」
ついでのようにクッキーを食べるか聞かれて、反射的に食べる、と答えてからルーシャンは言った。
「いやあ、くびになっちゃって。困ってたら、スカウトされたんだ」
はた目にはそんなに困っているように見えなかったかもしれないが、本当に困っていたのだ、あの時。
「すっごい怪しげな勧誘だったけど、姉さんがいるところだってわかってたし、しばらく会えてなかったから顔が見れるかなって。あと、単純に仕事先を探してた」
「……」
メイはあきれたようだった。紅茶を一口飲み、それから口を開く。
「だからって、怪しげな勧誘についてくるな。誰だ、そのスカウトマンは」
自分の組織の人間を『怪しい』と言ってしまうあたりが姉らしくて、ルーシャンは笑った。
「クレイグ・ヘイリーって名乗られたけど」
「なるほど」
やっぱり知り合いらしい。まあ当然か。姉の記憶力なら、組織全員の名前くらいは頭に入っていてもおかしくない。ただし、顔と名前が一致するかは別問題である。
「でも、条件も悪くなかったし、リッジウェイのご両親も、『メアリがいるなら』って許可してもらえたから、万事問題なしだよ」
「問題しかなくないか?」
「好きなように生きろって言ったの、姉さんだよ」
「言ったが、私を追いかけてくる必要はなかった」
「僕は僕がしたいようにしただけだよ」
この議論は結論が出ないだろう。メイ自身も、自分が「好きに生きてほしい」と言ってリッジウェイ夫妻に弟たちを預けていったので、強く出られないようだ。
「僕も聞きたいんだけど、姉さん、何かあった?」
瑠璃色の瞳がルーシャンを映した。今は前髪をヘアピンで上げているので両目が見えているが、顔の右側に魔法刺青が入っている。魔法刺青だと判断したのは、その青黒っぽい文字が、魔方陣を描いているからだ。
メイは決して美人ではないが、不細工なわけでもない。栗毛というには淡い色合いの長い髪に、深い青の瞳。目元はどちらかというと優し気で、普通よりは整った顔立ちをしているだろう。
それが魔法刺青と重い髪型のせいでなんとなく陰気に見える。ここに来るまで全く笑わないのも原因の一つかもしれない。ルーシャンが覚えている姉は、よく笑う人だったと思う。
「何か、か……自分の限界を感じた、かなぁ」
「限界?」
「自分のしたいことと向いていることが一致していないってこと。私は肉体的にはぜい弱だからね」
「……そうなんだ?」
というほかになくて、ルーシャンは少し困ってしまった。
「でも、元気そうでよかった。リッジウェイの両親も心配してるから、手紙に書いていい?」
「好きにしなさい……」
一応、メイも筆不精だった自覚はあるらしく、嘆息しながらもうなずいた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
もう1話、今日中に投稿しようと思います。