【5】
初めてのニーヴ視点。
ニーヴは、孤児院の前に捨てられていたらしい。まだ赤子のころの話だ。だから、捨てられたのは能力とは関係ないと思う。
孤児院で育てられたニーヴは、口がきけないがゆえにほかの子供たちから浮いていた。その孤児院にはシスターがいたが、彼女も多くの子供たちを見るために、おとなしいニーヴのことは放っておくことが多かった。単純に、気味が悪かったのかもしれない。
十歳になったころだろうか。ふいに、誰かがニーヴは人の心を読むことができるのだ、と気づいた。それまでニーヴは、この能力は誰にでも備わっているものだと思っていたから、ひどく驚いた。そして、いじめられるようになった。どれだけ罵られても、ニーヴは反論できない。いっそ、耳も聞こえなければよかったのに、と思った。
孤児院のみんなが、シスターも、ニーヴを気味悪がった。心を読まれるのを恐れ、近づかなくなった。そんな生活が四年ほど続き、彼は現れた。
「初めまして。私はギルバート。君を引き取りに来た。えーっと……」
「ニーヴですわ、旦那様。ニーヴ・マクシェイン」
シスターが気持ち悪い猫なで声で言った。そう表現するのだと、ニーヴは彼に引き取られてから知った。当時すでにシズリー公爵であったギルバートは、この孤児院に読心能力者がいる、と聞いてやってきたのだと言う。
この時にはすっかり人間不信になっていたニーヴだが、ギルバートは気にしなかった。彼の周りにはいろんな意味で恐ろしい人間が多いから、心を読まれるくらいでは別に何とも思わないのだそうだ。
「それに、ニーヴは心を読んだとしても誰にも言わないだろ」
からり、と笑って、彼は本当にニーヴを引き取っていった。
それから一年ほど、魔術師の元で力をコントロールする方法を学んだ。ほかの魔術も覚えた。そして、これから一緒に暮らすんだ、とメイと引き合わされたのが今から二年ほど前の話だった。
「表情はないけど、悪い奴じゃないから。面倒見いいから、いろいろ心配をかけてやってくれ」
「やめろ」
メイは今も変わらぬ淡々とした口調でギルバートにツッコんだが、ニーヴを追い出したりしなかった。
ギルバートは、いかにも貴族、といういでたちの美青年だったが、メイは少し怖い人、というのが最初の印象だった。のちに弟のルーファスにも不評だったが、絶対に顔の右半分を覆っていた魔法刺青のせいだと思う。
第一印象に反して、メイは優しい人だった。ニーヴのつたない読み書きを見かねて、文字を教えてくれたし、魔法も見てくれた。当時すでに十二人会議のメンバーの一人として参謀を担っていた彼女は、城の側をなかなか離れられなかったが、それでもいろいろなことを経験させてくれたと思う。
「文字を覚えれば、人と意思疎通できる確率が上がる。覚えておいて損はない。算術を覚えればぼったくりに気づけるし、多くのことを知っていれば、生活の上で何かと役に立つ」
そう言って、メイはニーヴの面倒を見てくれた。ニーヴがメイを好きになるのは割と早かった。にこにこ笑ってメイに抱き着けば、抱き返してはくれなかったが頭を撫でてくれた。そんな経験も初めてで、うれしくなった。
だが、同時に怖くもあった。こんなに良くしてくれる人が、ニーヴが読心術を使えると知ったら、離れていくかもしれない。いや、メイはそんな人ではないと思うが、怖いものは怖い。
不安で不安で眠れなくなって、メイに気づかれた。根気強く話を聞いてくれたので、洗いざらい話して……正確には書いてしまった。ちょっと支離滅裂だったが、メイは言いたいことを理解してくれたようだった。
「まあ、実を言うと、読心能力があることは知っていた」
あまりにもあっさりというので、逆に驚いてしまった。気持ち悪いと思わないの、と尋ねると、どこら辺が? と言われた。
「私としては、私はあまり顔に感情が出ないらしいから、ニーヴが察してくれて助かるな、という感じなんだけど」
嬉しくて、泣いてしまった。この時、メイは初めてニーヴを抱きしめて慰めてくれた。あやしながら、メイはニーヴの秘密を聞いてしまったから、と自分の秘密を話してくれた。男性が怖いのだ、と。その理由も聞いて、ニーヴはさらにメイに抱き着いた。
ニーヴが預けられた時から、メイが実は偉い人だ、ということは知っていた。だから、戦えるようになればメイの役に立てるかな、と思い、弓矢を覚えたのはメイのところに来てからだった。これに関しては才能があったようで、なかなかの腕前だとほめられた。まあ、それでも石の色は翠だが。
そうして、メイに引き取られて二年が経とうかという頃、彼は現れた。メイの弟だと言う男、ルーシャン。何と、リアン・オーダーに医師としてやってきたのだと言う。これを聞いたとき、ニーヴは姉弟そろって頭がいいんだな、とみんなが思うことを思った。
顔も似ていないし、最初はメイの弟だとわからなくて警戒した。メイは、男の人が怖い。守らなければ、と思ったのだ。だが、ルーシャンは普通にいい人だったし、メイも弟として受け入れているようだったので、すぐに警戒を解いた。
メイとルーシャンはそんなに似ていない。髪や目の色彩はかろうじて似ているが、造作は似ていないと思った。だけど、性格はなんとなく似ている気がして、ニーヴがルーシャンを受け入れるのも早かった。メイの弟だというのも関係していたと思う。
ルーシャンは親切だった。ニーヴは会話するとき、筆談になってしまうから相手を待たせてしまう。せっかちな人だといら立たせてしまうこともあるのだが、ルーシャンはいつもニコニコとニーヴの返事を待ってくれるし、ペンが持てないときは、『はい(yes)』『いいえ(no)』で応えられる質問を投げかけてくれる。こういうさりげない気遣い方が、メイと似ている。
最初はメイのついでのように話しかけられていたのが、いつの間にかニーヴ自身に話しかけられるようになって、ニーヴも彼と話すようになった。
好きだった、と思う。例えば、真剣に患者と向き合う姿勢とか、柔らかな態度とか。誰に対しても物おじしない強いところだとか、朗らかに話しかけてくれるところだとか。些細なところをあげればきりがないが、ひっくるめて言えば、好き、という感情なのだと思う。メイに向けるのとは違う、少し苦さを含んだこの感情を、ニーヴは初めて経験した。
そうでなくても、いつか話さなければと思っていた。好きだと思うほど嫌われたくなくて、話せなくなった。メイは嫌わないでいてくれたけど、弟の方も同じかわからない。告げるのが怖くて先延ばしにしていたことが、他者によって暴かれた。
もっと早くに言えばよかったのだ。こんな苦しい思いをするくらいなら。メイが近くにいるときに言えばよかった。自分が罵られたことよりも、ルーシャンに嫌われたらどうしよう、という恐怖の方が強い。家に飛び込んでソファに丸くなったが、ルーシャンはメイから家の鍵を預かっているので中に入れるのだった。
おびえるニーヴに、ルーシャンは思いがけないことを言った。自分もサイコメトリーがあることを、言っていなかった、と。
言われてみれば、思い当たることはいろいろある。彼はとても察しがよかったが、それも、サイコメトリーによるものなのかもしれない。メイにも同じように能力があるのだろうか。
それが顔に出ていたのだろう。ルーシャンは床に膝をついてニーヴに視線を合わせたまま、首を左右に振った。
「いや、姉さんは感応系能力はほとんどないと思うよ。むしろ、予知能力系があるかもしれないけど」
それはあるかもしれない、と思うニーヴだ。むしろ自前の頭脳だけであれなら、逆に怖い。
「ちょっと元気出てきた?」
優しく微笑まれて、ニーヴは思わずルーシャンに思いっきり抱き着いた。
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