【16】
マーティンは代官の脱税を調べるためにやってきた諜報のできる監査局員だった。そういう人、実在するんだね。
当然だが、リッジウェイ商会は商会なので、メイはアディソン商会側から攻めようとしていた。だが、マーティンがいるなら代官側から攻めることができる。
「俺がいれば公的文書を発行できる。いや、自警団の捜索が入ったっていうから焦ったぜ」
マーティンとメイが互いの情報を開示しあっている。マーティンは弁護士のジョナスに話を聞いたらしいが、彼は何も答えられなかった。メイの「知らなければ答えようがない」が証明された形である。それで、マーティンは直接乗り込んできたわけだけど。
「全体の状況を見て、密輸は事実であるし、現物も見ている。麻薬も入ってきているようだし、せめて通商路の封鎖をしたいのだけど、証拠も権力もなくて」
「それは俺にも無理だ。ってことは、証拠を突き付ける方が早いな」
「もう答えは出ているのに面倒くさい」
「みんながみんな、お嬢様のように頭がよいわけではないんですよ」
あきれたようにダニエルが苦笑しながら言った。散々付き合わされている彼は、メイの奇行を受け流せる域に達していた。
「っていうか、実際のところ、俺が来なかったらどうしようと思ってたのよ?」
それはルーシャンも気になるところだ。書類の精査の手伝いの手を止めて、ルーシャンもメイを見る。
「どう、と言われても困るけど、事実に至る経緯を書いた文書を組合とアディソン商会に突き付けて、さらに新聞に掲載しようかと思っていた。それが難しいようなら、扱っている美術品の一部に『贋作』が混じっていることを指摘しようと思っていた」
アディソン商会は扱っている商品が幅広い。もとはリッジウェイ商会と近い、美容化粧品などの販売をしていたようだが、他に装飾品、ひいては美術品に近いものの販売もしている。自警団が持ち帰った工芸品も、アディソン商会にあるのなら目立たなかっただろう。外国の商品も多く、ちなみに、メイが気にしていた鉛白交じりと思われるおしろいを販売していたのもこの系列の店だ。
「姉さん……そういうの、見てわかるの?」
「美術品と言っても、ティアラだね。自然石の宝石を使っているという触れ込みだったが、光の反射具合から、人口石の可能性が高い」
「……わぉ」
ルーシャンはそれ以上言葉が出てこなかった。マーティンは感心したようで、「その能力、監査局にもほしいなぁ」とうなずいている。メイは肩をすくめた。
「あなたの主にも勧誘をかけられたことがあるけど、断っているから駄目だよ」
「さすが主様。そして、残念だ」
主たるウィリアム王子があきらめているので、マーティンもそれ以上は勧誘してこなかった。時間がない、と言うのもある。
かなり無茶をするつもりだったようなので、マーティンが尋ねてきてくれて助かった。彼は情報を持っているメイを引き込んで楽をしたかったようだが、逆にルーシャンたちも助かっている。
「それで、だけど。財務省の監査員も、商業監査員も、今こっちに向かってる。メイたちが声をかけたのは商業の方だけだろうけど、あいつらがウェストブルックに行くっていうなら、脱税も関係して何か動いたって思われた。だから、財務省も向かっている」
「……そういうこと、私たちに言ってもいいの?」
胡乱気にメイは尋ねたが、マーティンはあっけらかんとして「言わないと、話し合いがしにくいからな」と応じた。
「証拠がつかめることがわかっているから、財務省の方は強制的に館に捜査に入る。ああいうやつは不正の証拠を残してるもんだから、すぐにお縄に着くことになるな。それに、ここから回収された麻薬も、メイの見立てでは代官のところにあるんだろ。完璧だね」
完璧に犯罪でお縄にできる、と言いたいのだろうか。おそらく。
「自警団とやらにも話を聞きたいねぇ。ほぼ代官の私兵じゃん」
場合によってはそう言うこともあるだろうが、通常民間で組織されるもので、法的権力がないのが自警団だ。その組織は団員たちの良心によるところが大きいのである。
「思うのだけど、代官の息子は下級貴族の娘と縁談が持ち上がっていたという話だ。それも何か法に抵触しているのではない? どうやら爵位を金で買うような形をとったようだけど、だからと言って、娘を平民の身持ちの悪い男に差し出すようには思えないのだけど」
メイのように爵位を手放すのは稀でも、貴族としてのプライドがあれば、もう少しましな相手を見つけてきたはずだ。事実上爵位を売っているので、家を乗っ取られる形にもなる。メイはそれを厭って爵位を手放したわけだが。
「姉さんが爵位を手放さなかった場合の方がましな状況になってる可能性があるのか」
「可能性の問題だけどね。うちは男爵家だったけど、資産家であったから」
姉の言葉に、『金はなくても何とかなるが、あった方がよい』と言うものがあるが、本当にそうだ。と、心底思った。
「でも、その爵位を買い取った金も、どこから出たかわからない金だと……司法省にも連絡入れるかなぁ」
面倒くさそうにマーティンが言ったが、その場で手紙を書きだしたので、知らせは入れるのだろう。
これで、証拠さえそろえば多方面から刺せる状態になったわけだが、その証拠の入手が難しい。
「……ルー」
「いやな予感がするけど、何?」
「アディソン商会のお嬢様と代官の息子、どっちがくみしやすいと思う?」
「ちょ、急に黒いこと言うのやめて!」
それが彼女の仕事ではあるが、基本的に温厚なメイが黒いことを言い出すのが怖い。メイはひじ掛けに肘をつき、額を手で押さえてため息をついた。
「私が代官の息子に騙されたふりをするのが一番早い気もするが」
「できもしないことを言わないでよ」
「これは弟に同意。目の前に立った瞬間、動けなくなるんじゃね?」
「……」
知り合ったばかりのマーティンにもそう言わしめるので、その提案は却下だ。メイは自分の口元を覆った。
「……やはり私は戦略面が弱いな。戦術ならもう少しましな方法を取れると思うんだが」
「戦略は持ってる権力にも左右されるからな。俺も苦手だから、よくやってる方だと思うぜ」
「それもあるけど、時間が制限されているのも……もう少し猶予があれば、街の中の世論から塗り替えて、アディソン商会と代官を孤立させてそれぞれ対立させたんだけど」
「ええ~……」
なんかすごく怖いことを言われた気がする。できないだろう、と言い切れないところがメイの一番怖いところである。だが、マーティンには刺さるものがあったらしい。
「それいいじゃん。アディソン商会と代官を対立させよう!」
「もう手は打ってる。代官の方には脱税があることを、商業組合から訴えられている、と噂を流しているし、アディソン商会にはこれまでの密輸の件、麻薬のことも含めてすべてアディソン商会に押し付けるつもりではないか、と商会の従業員に心配と称して話を吹き込んである」
「え、えげつない! えげつないぞ、メイ!」
さすがのマーティンもちょっと引いたように言った。あなたもやれと言ったじゃない、とメイがあきれたように言った。
「話自体はあるのだから、すべてが嘘ではないよ。というか、むしろ本当のことしか言っていないし」
それはそうなのだが。
「……でも、それって姉さん。ダスティンのほかに情報を流している人がいるってことじゃないの」
スパイ、というほどではないと思うが。そして、その人物をメイは特定しているのだ。だから的確にそれぞれの急所を突く噂を流せる。
「いるだろうね。横の連携のためにも、そういう人物はリッジウェイ商会もほかの商会に送り込んでいるのではないかな」
「ああ、宮廷でもあるあるだな」
「実害はないから放っておいていいと思うよ。これまで流れた情報を見るに、情報を流す側の伝える情報を制限している。こちらが明らかに不利になるようなことを派に限り、そのままにしておいた方が自然だし」
確かに突然情報が流れてこなくなったら不自然だ。ルーシャンはうなずいた。メイが言うのならそうなのだろう、というこれまでの信頼の積み重ねがある。
「さて、うまく対立構造にもっていければいいんだけど」
ため息を吐いて、メイは目元を覆った。よく見れば、疲れた顔をしている。彼女が倒れる前に、ことがかたづけばいいのだが。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
そろそろ完結でしょうか。