【3】
「二人とも、ここから出ないでね。いい?」
あまりにも真剣な表情で姉がそう言うものだから、ルーシャンは思わずうなうずいた。ルーシャンが腕に抱えた弟も同じで、姉は微笑むと、「いい子」と二人の頭を撫でた。
姉は弟二人を隠したクローゼットの扉を閉めると、その前から去って行った。姿が見えるわけではないが、足音が遠ざかっていく。
「……お兄ちゃん」
「大丈夫だよ」
不安げな弟にそう言ったが、ルーシャンとて不安だった。弟をぎゅっと抱きしめて目をつむる。
廊下でちらりと見た倒れた人影。あれは、両親だった。血だらけで無残な姿ではあったが、間違いない。今日、あの服を着た両親に会っている。
先に気づいた姉のメイが、弟たちを避難させた。自分は、両親を……両親だけではない。使用人たちも殺したやつと戦うために行ってしまった。
どれくらい、弟を抱えて息をひそめていただろう。クローゼットの扉が開いて、もう駄目だ、と思った。だが、中を覗き込んだのは剣士の姿をした男だった。
「大丈夫か、坊主」
低いが、優しい声だった。二十歳をいくらか過ぎたほどのその男は、警戒するルーシャンに言った。
「お前の姉ちゃんに頼まれて迎えに来た。姉ちゃんも無事だぞ」
そう言われて、ほっとした。眠ってしまった弟を抱えてクローゼットから出る。
「姉さんは?」
「……今は会えない」
銃士に言われて、不満を持ったのを覚えている。後で聞いたところによると、魔術のみでグールと渡り合ったメイは、本人は大した怪我もなかったが、返り血がひどかったそうだ。次に姉と顔を合わせたとき、彼女はきっぱりと言った。
「ルーシャン、お前たちをリッジウェイご夫妻に預けて、男爵位は売り払う。私はリアン・オーダーに行くから、この子のこと、頼んだよ」
たったその一言で、メイとルーシャンの道は分かたれた。
△
珍しい夢を見たな、とルーシャンは天井を見上げながらぼんやり思った。実際に見てもいない、両親が惨殺される夢を見て飛び起きることはよくあるが、ここまで事実に沿った……というか、姉の夢を見るのは久しぶりだ。久しぶりというか、初めてかもしれない。
見上げる天井は最近見慣れてきた城にある私室ではなく、メイの家の客間のものだ。そういえば、昨日一緒に夕食を食べに行って、そのまま泊ったのだった。
着替えて顔を洗いに行くと、いい匂いがした。おなかがぐぅ、となる。キッチンをのぞくと、メイが朝食を作っていた。
「おはよう。姉さんが早いなんて珍しいね」
「おはよう。仕事のある日くらいはちゃんと起きる」
そりゃそうか、と笑い、ルーシャンは顔を洗いに行った。それから戻ってきて姉を手伝うことにする。
「ニーヴは?」
「庭で水やりしてる。皿を出してくれ」
「うん」
皿を取り出しながら、ルーシャンは言った。
「姉さんはさ。確かにそれほど美人じゃないけど、頭もいいし気立てもいい。……きっと、一人だったらどうにでもなったよね」
弟がいたから、彼女は財産を処分して弟を養子に出した。兄弟二人をまとめて養子に取ってくれる相手なんて、なかなかない。なんでもないことのように養子に出されたが、彼女は苦労したと思う。
そんなルーシャンの思いを知ってか知らずか、メイは「どうだろうな」とフライパンを持ち上げる。
「たぶん、お前たちがいなければ、私はその場で命を絶っていただろうな」
「……そっか」
問い詰めるようなことはしなかった。再会してから、メイの精神状態が危ういところにあると、なんとなく気づいていた。それが証明されただけだ。
スクランブルエッグに焼きトマト、煮込んだ豆などがワンプレートに盛られる。伝統的な朝食だ。早く起きたから作ったらしい。
「ルー、ニーヴを呼んできてくれ」
「わかった」
そのニーヴも、たぶん、メイのために一緒に暮らしている。世話をする相手がいる限り、メイが妙なことをすることはない。メイはいつも、人のことばかりだ。
「ニーヴ! 朝ごはんだよ!」
呼びかけると、水やりをしていたニーヴはぱっとこちらを見て如雨露を置いて駆け寄ってきた。今日もにこにこしている。あの辛気臭い雰囲気の姉と一緒にいて、こうもにこにこしていられるとはなかなかすごい。ルーシャン自身もそう思われていることを、彼は知らない。
一緒に朝食をとって、三人で城に上る。町から城まではちょっと距離がある。しかものぼり道なのでルーシャンは息が上がったが、女子二人はけろりとしたものだ。
城の前に行くと、馬車が乗りつけていた。この場所に馬車なんて珍しい。家紋のないただの馬車だったが、仕立てがいいことが見ただけでわかった。
「もう来たのか。早いな」
「え、誰?」
「もうすぐ十二人会議だからな」
それはルーシャンも知っている。四半期ごとに行われていて、前回はルーシャンがリアン・オーダーに来る直前に行われたらしい。この時ばかりは、各地に散っている会議メンバーが城に帰ってくる。その一人だろうか。
真正面につけた馬車とは違い、そばの小門から中に入ったので、馬車の主とは顔を合わせなかった。
その翌日のことである。場内で、ルーシャンは身なりの良い、明らかに貴族階級とわかる格好の女性に声をかけられた。
「あなた、ルーシャン・リッジウェイ?」
「……そうですけど」
わりに背の高い女性だったが、成人男性に近い身長のメイを見慣れているので、それほどでもなく感じる。つややかな青い銀髪に理知的なアメジストの目元。かなりの美女だ。年は、メイと変わらないくらいだろうか。
「……あまり似てないわね」
「はあ……」
ルーシャンが女性を観察していたように、女性もルーシャンを観察していたらしい。
「始めましてね。私はセアラ・シズリー。あなた、メイの弟君であってる?」
「ご丁寧に……ルーシャン・リッジウェイです。似てないし姓も違いますが、メアリの弟です。お世話になっております、シズリー公爵夫人」
リアン・オーダーを保護しているシズリー公爵夫人だった。出資者でもある。手を差し出されたので、握手をした。
「ふ~ん。弟君が来て、メイもちょっと柔らかくなったのね。なるほどなるほど」
うんうん、と一人で納得してうなずいている。この自己完結具合が、なんとなく姉と似ていた。
唐突に、ぐいっと手を引かれた。見ると、ニーヴだ。彼女は言葉を話せないので、こうして実力行使に出ることが多い。
「あら、ニーヴ」
「ど、どうしたの?」
ニーヴは何も言わずにルーシャンの手を引っ張る。セアラも「行ってみましょ」とルーシャンの背中をぐいぐい押した。
連れていかれたのは、二階のレストスペースだった。食堂ではないが、軽食や紅茶などをカウンターでもらい、設置しているテーブルで飲食ができる。オープンスペースになっていて、広めの廊下に設置してある、と言い換えてもいい。
そのレストスペースの椅子に座った女性をニーヴが指さした。セアラが「あらあら」と笑う。問題はその上品な格好の女性ではなく、その手前の討伐騎士二人か。
「ちょっと声掛けてみないか?」
「でも、そんなに美人じゃなくね?」
「おとなしそうなのがいいんだろ」
なるほど。納得した。ルーシャンは手を振って大声を上げた。
「姉さん!」
びくっと肩が震え、メイはルーシャンを見とめてほっとした表情になり、それからセアラを見とめて眉をひそめた。討伐騎士二人は無視してルーシャンは資料を読んでいた姉に近寄る。
「姉さん、その格好どうしたの。懐かしいけど」
「言い合いに負けたんだよ」
理詰めに強い姉だが、感情的な押しに弱いのでそう言うこともあるだろう。たぶん、押したのはセアラだ。
「いいじゃない。可愛いわよ」
セアラが機嫌よく言うが、メイは「可愛いかは主観によるな」と言った。ニーヴもものすごくうなずいているが。
可愛いかはともかく、ルーシャンにとってはなんとなく懐かしい姿だった。長すぎた前髪と腰近くまであった後ろ髪はバッサリと切られ、ハーフアップにされている。メガネをかけているが魔法刺青はなく、ついでにブラウスに青のスカート姿だった。ルーシャンの記憶の中では、姉はこういう格好が多かったように思う。
瑠璃色の瞳がよく見えていた。
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