第九話 倭の五王と、日本書紀の真実
俺のマンションがある西葛西の街は、沿線都市としては、割と商店街も拓けているし、お洒落な飲食店も多い。
東京湾の埋立地にあるから地震が、怖いけど、高層マンションなら、それなりの耐震設計をしているだろうからと、考えて買った。
初期投資額は大きいが、資産価値は高い。賃貸マンションにするくらいなら、住宅ローンを使ってローン控除を受けた方が得なんだ。
一人住まいには広すぎるのだが、祐子に広い方が、資産価値が高いからと押し切られ、4LDKの部屋、しかも30階建ての最上階になってしまった。
(超予算オーバー。不動産屋は、新婚夫婦が親の援助で購入するから、資金力に問題なしと誤解したらしい。)
あいつ、『もしローンの支払いがきつくなったら、あたしが住んで、その分を負担してあげるわっ。』なんて、言いやがって、住む気満々じゃんっ。
「ねぇねぇねぇ、聞いて聞いてっ。
昨日の編集会議で、卑弥呼たんの『祐子の古代史レポート(仮称)』を報告したのよ。
そしたらねぇ、古代九州戦国時代という話に、編集部の皆が食いついて、編集長も、『ウガヤフキアエズ王朝』が出たかって、それは夢中なの。
それでねぇ、邪馬台国やそれらの王朝が滅んだ経緯を知りたいって。
だから、来週応えるわって、言っといたの。」
(おいおいっ、それ答えるのって、俺かよっ。
面倒くせぇなぁ。)
「そう、良かったね。たまには、祐子ひとりで考えてみたらっ。卑弥呼たんの本領発揮でさっ。」
「なぁにを、言ってるのかしら。晴明とあたしは、一蓮托生、一心同体でしょう。まさか、逃げるつもりじゃないわよねっ。」
げっ、一蓮托生はともかく、一心同体にはまだなってないはずだよな。はずだよな?(俺の人生に関わる、重大なことだから二度呟いた。)
「ともかく、宋に遣使を出して、『安東大将軍倭王』になったのは誰なの?」
「明らかなのは、421年〜502年に主に、宋に遣使しているけど、その時分はまだ、九州や朝鮮にあった加羅(任那)は、大和朝廷の支配下になかったということだよ。
大和朝廷が任那を支援するために、朝鮮へ出兵しようとして、北九州の筑紫国国造、磐井の乱が527年だから、その少し前からやっと、大和朝廷の支配下になったってことだよ。」
「それじゃあ、倭の5王は大和朝廷の天皇じゃないじゃないね。いったい誰なの?」
「おそらく、任那ないしは、任那の後ろ盾となっていた北九州の勢力。そこの王だろうね。」
「邪馬台国もフキアエズ王朝も、4世紀には滅んでしまってるのよね。じゃあ誰?」
「決まっているじゃないか。新勢力でも現れない限り、九州に残った勢力だろ。」
「え〜〜っ、熊襲とか隼人っ。それが倭の五王の正体なの?」
「残念ながら、証拠はないよ。なにせ、熊襲や隼人については、なんの資料も残ってないのだからね。
でも、宮崎に居た神武天皇達が逃げ出したとすれば、その勢力が一番怪しいんじゃないかな。」
「驚いたわ。邪馬台国も、倭の五王も、大和朝廷とは繋がりがなかっただなんて。」
「日本書紀や古事記を編纂した人達は、天皇県が神の子孫だと、権威付けようとしたけど、
後世と違って、中国の文献の情報なんて、手に入らなかったし、邪馬台国の卑弥呼の情報もなかったから、符合することなんかあり得ないんだよ。」