第八話 神武東征と、古代大和朝廷の真実
すき焼鍋の火を止めて、祐子は3つ目の缶ビールの、バドワイザーをグイグイ飲んでいる。
俺は、炭酸が苦手なので、ビールは1杯で十分だ。代わりに、バーボンのワイルドターキーの濃い目の水割りを、チビチビ飲んでる。
「ねぇ晴明。安芸(広島県)に数カ月、吉備(岡山県)に1年半(3年)。
これらに長期滞在ができたのは、どうして?」
「安芸は、邪馬台国の敵対勢力で、神武天皇達を支援したんじゃないかな。
吉備は、小勢力の土地を占拠したんだと思うよ。でも、土地としては、神武天皇の一族が暮らすには、不足だったんだろうね。」
「ふ〜ん。そのあと浪速国の白肩津(大阪)に停泊すると、登美能那賀須泥毘古の軍勢が待ち構えていて、敗戦するのよね。
その戦いで、長兄で大将の五瀬命は矢傷を受けてしまう。
五瀬命は、「我々は日の神の御子だから、日に向かって(東を向いて)戦うのは良くない。廻り込んで日を背にして(西を向いて)戦おう」と言い、それで南の方へ回り込んだが、五瀬命は紀国の男之水門に着いた所で亡くなってしまい、5男だった神武天皇が大将になったのよ。
このあたりは、真実よね、」
「まあ、そうだね。白肩津(大阪)では、敵勢力が多くて、攻め切れないから、迂回して背後に回ることにしたのかな。
でも、別の土地を求めることにしたとも考えられるよ。
後で勝利したから、敗戦と事実を書いたけど、再戦がなければ、歓待を受けたとか書かれていたろうね。」
「神武天皇達が熊野まで来た時、大熊が現われて、 神倭伊波礼毘古命を始め彼が率いていた兵士たちは皆気を失ってしまったとあるわ。
この時、熊野の高倉下が、一振りの大刀を持って来ると、神倭伊波礼毘古命はすぐに目が覚めて、その大刀を受け取ると、熊野の荒ぶる神は、切り倒されてしまい、兵士たちは意識を回復したとあるわ。
これはどういうこと?」
「ふむ。熊野の地元勢力が現れ、神武天皇の兵士の士気が落ちちゃったんだね。そこへ、高倉下という、神武天皇に味方する勢力が現れ、士気が戻ったというところかな。」
「そのあとは、八咫烏の案内で、熊野から吉野の川辺を経て、さらに険しい道を行き大和の宇陀に行ったの。
宇陀には兄宇迦斯、弟宇迦斯という兄弟がいて、八咫烏を遣わして、神武天皇に仕えるか尋ねさせたけど、兄の兄宇迦斯は鳴鏑を射て追い返してきた。兄宇迦斯は迎え撃つため、軍勢を集めようとしたができなかった。
そこで、神武天皇に仕えると偽って、御殿を作り、その中に押機(踏むと挟まれて圧死する罠)を仕掛けたが、弟の弟宇迦斯がこのことを報告して、兄宇迦斯は討たれた。
次に向かった忍坂の地では、土雲の八十建が待ち構えていた。そこで神倭伊波礼毘古命は八十建に御馳走を与え、それぞれに刀を隠し持った調理人をつけた。そして合図とともに一斉に打ち殺した。
その後、目的地である磐余の弟師木を帰順させて、兄師木と戦った。
最後に再び、登美毘古と戦い、そこに邇藝速日命が参上して、天津神の御子としての印の品物を差し上げて仕えた。
こうして荒ぶる神たちや多くの土雲(豪族)を服従させ、神武天皇は、畝火の白檮原宮で即位したと、こんなところね。」
「ふ〜ん。ずいぶん兄弟ばかり登場するけど、真実は兄弟じゃないね。兄というのは、部族の長だろうし、弟というのは、裏切ったの配下だね。
それに、罠を見破ったとか、宴を開いて暗殺したとか、手段を選ばず殺戮して、登美毘古に勝利したんだね。
登美毘古側は、卑怯な戦いで負けたようだね。」
「 · · · 。」
「祐子。それからさぁ、神武天皇が即位しても、大和朝廷は成立していないよね。
成立したのは、おそらく崇神天皇の在位期間中だろうと思うよ。
それまでは、一豪族として、大和朝廷の前身の勢力にいたというところだね。」
「えっ、どうして、そう思うの?」
「一つには、初代神武天皇のあと、第二代から第九代天皇までの事績の記録がなく、欠史八代と呼ばれていることは、知っているよね。
そして、第10代崇神天皇になって以後、事績が残されている。
2つ目は、天皇の諡に『神』という字が入っていること。
歴代天皇でも、諡に『神』が付けられているのは、最高の事績があったからだよ。
すなわち、崇神天皇になって初めて、政権を得て、大和朝廷としての施策ができたということさ。」
「そうか。一豪族では、事績なんて残せないね。」