第六話 神話の世界と、その真実 その2
「日本書紀や古事記の話の真偽だけど、神話の部分ってさぁ、古いことって不確かなことだから、おとぎ話のようにして、よくわからないことをぼかしたものだと思うよ。
対して、近い時代のことは、真実を知る人々もいただろうから、少しだけ、話を為政者の都合の良いように歪めた真実に近いものだろうね。
極端な偽りは、他の伝承を知る人達から、非難を受けるだろうから、都合の悪いことは、隠して書かなかっただけなんじゃないかな。」
「それって、日本書紀ばかりじゃなく『古史古伝』も、書かれた年代によっては、『真実』が含まれているってこと?」
「そうさ、日本書紀には、一書に曰くとして、風土記や、なんらかの古史古伝を引用し、他説も付記しているだろう。
その点では、学術的な記載で評価できるし、少なくとも、日本書紀が参考とした古史古伝の存在があったってことさ。」
「そのことは、理解できるわ。でも、日本には、中国から漢字が入って来るまで、文字がなかったんでしょう?
それなのに、古史古伝があるなんて、矛盾だわ。」
「古史古伝で有名なものは、奇書と呼ばれる四大古書、竹内文書や九鬼文書、宮下文書、物部文書があるし、
古伝四書と呼ばれる『ウエツフミ』(大友文書)、『ホツマツタヱ』、『ミカサフミ』、『カタカムナ』もある。
これらの古史古伝は、漢字やカナに翻訳されて伝えられているから、それ故、後世の創作で偽書とされているんだけど、神代文字として、解読されないままの文字も存在しているよ。」
「つまり、漢字伝来以前にも、文字があったってことね。」
「いつ頃から、文字と言えるものが、あったのかは定かじゃないけど、大和朝廷成立以前の日本列島は、地域ごとに小国が点在していて、言葉も文字も異なる国が、各々に歴史を作っていたのだと思うよ。」
「そんなことがあるのかしら? 他所の国と接触ぜずに、何百年も過ごすなんて。」
「祐子はさぁ、西葛西から歩いて、横浜まで行ける?」
「ばかにしないでよぅ、一日いっぱい歩けば行けるわよっ。」
「じゃあ、静岡までは?」
「えっ、歩いて行くの?」
「太古の昔は、道なんかなくて、今の何倍も鬱蒼とした山の中を、歩くことになったろうね。
神武東征の時に、天照大神の使いの八咫烏さんが、道案内をしたという話があるけど、どう案内したと思う?」
「えっ、目的地までの山間の道順案内でしょ、違うの?」
「祐子みたいな都会人には、想像もつかないと思うけど、人間は3日も水無して進めは、帰路で倍の日数もかかるし、死ぬよ。ましてや、水筒のたぐいを持っていたとしても、片道10日が精々だね。
だからね、八咫烏さんの道案内はね、途中にある川や池なんかの水場に案内したと思うよ。そうして、大和まで辿り着くことができたんだと思うよ。」
「ふ〜ん。なんか、そう聞くと説得力があるわね。」
「八咫烏さんを天照大神が遣わしたというのは、こじつけだね。単に、地元の部族を味方につけて、道案内をしてもらっただけだよ。」
「そうね。そう考えるのが現実的ね。」
「太古の昔のことだから、今の歴史解釈では、単に縄文時代と、一括にしているけれど、縄文時代は1万年もあったんだぜ。
大和時代から現代まで、2,000年なのと比べると、いくら原始時代と言えども、文明の発達がなかったとは言えないと思わないか。」
「そうね。でも遺跡なんかからは、そんな形跡が発見されていないわよ。」
「もし今、核戦争が起きて、この世界が滅んだとしよう。人類はごく少数生き残ったとして、その技術や知識は、資材もなく専門知識もなければ、数代で失われてしまうんじゃないかな。
その間、500年。いや、1,000年もあれば、跡形もなく消え去るだろうね。」
「えっ、でも古代に核戦争があったとしたら、放射能の影響で、もっと人類発展が阻害されるのじゃない?」
「さあね。放射能の世界で生き残った人類は、放射能に対する耐性を免疫として、持っているかもね。
でも、そこじゃないよ。1万年の歳月がどれだけ、文明が生まれ滅んだか、わからないと言っているんだよ。」
「わかったわ。つまり晴明の言いたいことは、縄文時代の1万年の間に、文明があった可能性があるし、文字や王国があった可能性もあるということね。」
「そうだよ。赤ん坊から、いきなり大人になる訳はないから、神武天皇の前の時代にも、それなりの王国があって不思議じゃないってことさ。」