這い寄る影
12時。
僕と浅斗は時間ぴったりに着くと、すでに門前には3人が待っていた。聞くと、30分前から待機していたらしい。早すぎるよ。その間何していたの…。
「よっしゃ!潜入開始だ!」
その合図とともに、監視カメラの位置を確認しながら横壁をよじ登る。防犯セキュリティがなってない!なんて言わないでよ?ここはど田舎のど田舎なんだから、速攻で駆けつけてくれる組織なんて浅斗の実家くらいなもんだよ。
というわけで、なんとも緊張感のない開始だけど、3人はワクワクしているのが目に見て取れる。心なしか、僕も心臓が早く打っているようだ。スリル満点のゲームみたいだ。
玄関まで到着した僕たちは、学校を見上げる。昼間とは異なる、闇を纏うその異様さに喉が鳴った。玄関のすのこを通って、土足のまま足を踏み出す。人の活気さが無くなった廊下は懐中電灯で照らしても数歩先が見えず、今まで来たことがないような場所に思えてくる。
「な、なぁ。先誰が行く?」
「お前が行けよ。言い出しっぺだろ」
「そだねー」
目の前で意味のない争いを繰り広げている3人を尻目に、さっさと浅斗が通り過ぎて行ってしまう。
「あ、ちょっと浅斗。待ってよ」
慌ててその後を追うと、後ろからもドタドタと付いてくる音がした。安堵しているようだけど、後ろは後ろで怖いと思うよ?背後から気配もなく何かに這いよられたら…。そういうと、顔を真っ青にしてした。あ、言わないほうが良かったかもしれない…。
「んー。教室は鍵かかってるし、警備とかもくるだろうから大胆には調べらんねぇな」
「そうだね。とりあえず、昨日今日で現象が起きた部分に行って見る?」
「だな」
現象が起きた箇所は全部で五ヶ所。最初は三階の廊下窓に来た。生徒の安全を考えてか、修理はすでに終わっている。
「なんか見えるか?」
浅斗が3人に聞こえないように小さな声で聞いて来た。当然、浅斗は僕が見えることを知っている。だが、目の前には誰もいない。今日もずっとそのことは気にかけていたけど、ここに近づこうとする幽霊自体がいなかったんだ。
「あ、もしかしたら」
「あ?お、おい」
僕は思い立って、件の窓を開け放ち、体を乗り出してその上下を確認する。後ろで3人が何か言っているけど、浅斗が首根っこを抑えててくれているから大丈夫だよ。
「なんかあったか?」
もしかしたら、浮遊霊がいるかもと思って見たが、見当外れだった。僕はゆっくり首を振ると、浅斗はそうか、と言って次へ向かった。窓を閉めて鍵をかける。振り返ると、3人は仲良くくっついて歩いていた。
「……怖いの?」
「はっ!?そ、そんなわけねぇだろ!」
「俺は別に…こいつがくっついて来ただけだ」
「おしくらまんじゅー」
「いや、暑くないならいいんだけど…」
声や身振り手振りが震えていたのは気にしないほうがいいのかも…。
さて、次はあの花瓶の場所。三階の最端教室、美術室の目の前にある。そこにはもう何も置かれていなかった。また割れることを避けるためだろう。ただ、その地面には、僕が触っていた彼岸花が一束落ちている。誰にも見つけられることなく、そのままになっているのか。不吉の象徴とされるその花は全部で8本だった。暗闇に淡く光る赤い模様が不気味で、なんだか嫌な感じがする。
「ねぇ、浅斗。そこ、なんか見える?」
「……いや、何にもない。なんか見えんのか?」
僕が彼岸花が落ちている床を指差し、その場所に目をこらすも、案の定何も見えないようだ。怪訝そうな顔をしてこっちを見ているのは、一応心配はしてくれているらしい。
「いや、花がね…。嫌な予感がして」
「……なーんか、お前の予感は昔から当たるんだよなぁ。嫌なヤツに関してだけ」
「……」
嫌な雰囲気だぜ、と声を下げる浅斗から視線をそらして前方を見据える。トンネルのように暗くなった廊下は、少し先がもう見えない。吸い込まれるような感覚に陥りそうで、緊張から無意識に手に朝を握った。
嫌な気のするものには触らないほうがいい。これは、僕が幼少期から学んだことだ。むやみに関わってもいいことがない。吹っ切るように、残り三ヶ所の二階へと向かおうとすると、何かつぶやきが聞こえた。
「何か言った?」
「いや?」
「なんも」
「どうした?」
「なになにー?」
確かに人の声が聞こえたんだけど、そばにいるのはこの4人だし、でも、ここにいるみんなよりもっと低音だったような気がする。
『もう…少……も……少しで…ヤツ………フ…フ』
まただ。
「ねぇ、今の聞こえた?」
「え、や、やめろよ!怖ぇだろ!!」
「あ、怖いって言ったね」
「言ったー」
「言ったな」
「なっ!?今のは違っ!!」
テンパる言い訳に自然と笑いが込み上げてくる。みんなでニヤニヤしながら笑っていると、ガタンという物音が階下から聞こえて来た。ビクッと息を飲む。顔をお互い見合わせて視線を階段へと移したが、ここからじゃ何も見えない。
「行くしかないか」
「え!い、行くのか!?」
「現象調べるチャンスだよ?」
完全に腰が引けているが、ここから帰るにしても二階を通らずにはいられない。それに、ここまで来たのに何も原因を突き止められなかったというのも味気ない気がして来たんだ。もはや、やる気が削がれている3人とは裏腹に、僕は何かに惹かれるように階段を降りる。それでも怖いものは怖いんだよね。もしかすると、なるべく固まって移動することで少しは不安が紛れるかもしれない。物音のしたあたりに近くにつれ、先ほどよりも高鳴る鼓動に合わせて、息が漏れる。暑さとは関係がない冷や汗が頰を流れる。未だに嫌な予感は消えない。
「どこから音がしたんだ…?」
「多分、そこの教室だね」
「え、そんなことがわかるのか?」
「うん、耳だけはいいから」
若干異なるが、ここで詳しい説明はしなくてもいいと思う。そこの教室は2年生の教室だった。中からは物音の他にヒソヒソと話し声が聞こえてくる。すると、隣で小刻みに震える者がいた。
「浅斗?」
「な、なんだっ」
少し震える声で返された浅斗の顔は、こわばっていて表情がなくなっていた。
「あ」
「な!なんだ!」
僕は今思い出したように、声を上げる。それに反応して飛び上がったのは後ろの3人だけではなかった。でも、なんで今まで忘れていたんだろう。
「浅斗が幽霊ダメだってこと…」
「は?」
「ほぉ?」
「へー」
「う、っるせぇな!ニヤつくんじゃねぇ!」
意外な事実だったのか、3人は目を丸くした後、ニヤニヤしだした。どうやら親近感を抱き始めたようだ。仲間を見つけて嬉しいのか、浅斗の肩をポンポンと慰めるような仕草が余計に浅斗を苛立たせている。親しみを込めておちょくるという、なんだかわけのわからない展開が繰り広げられているのに苦笑していると。
突然目的の教室の扉が勢いよく開いた。
「お、お前ら誰だ!幽霊か」
「ぎゃぁああ!」
「ぬおお!?」
そう言って飛び出して来たのは、半袖短パンといういかにも健康そうな少年だった。その手には箒を持って構えている。
「あぁ、こっちも忘れてた」
「忘れてたってなんだ!って、あれ?先輩?」
その言葉を合図に扉の後ろから顔だけをだしたのは、ショートボブの可愛らしい女子と、ロングヘアをポニーテールにまとめているキツネ目の女子生徒だった。話を聞くと、彼らも今までの現象が幽霊の仕業じゃないかと調べに来たらしい。あ、オカルト研究部の部員でもあるって言ってたっけ。
「目的が一緒なら、同行してもいいですか?人数多い方が安全ですし」
「おうよっ!俺が守ってやるぜ!」
「震えてる人は引っ込んどいてください」
「…先輩だぞぅ、俺」
「威厳の問題ですよ、威厳の」
という、後輩くんの説得により、僕らは8人に増えた。あれ?この数字、前に見たことあるような…。ま、いいかな。そのうち思い出すだろう。そこで、僕たちは二階に来たついでに、残り三ヶ所へと向かう。まずは廊下の電灯。
「ここが急に壊れたんだよな」
「うん」
「あ!あれって、先輩のことだったんですか?ある問題児が事件を次々引き起こしてるって」
「てめぇ。それ以上言ったらぶっ潰すぞ!?」
浅斗が立ち止まって、好奇心に駆られている後輩へと凄んだ。それを見て後ずさりする姿が少しかわいそうになり、彼をなだめる羽目になる。
「いいから。気にしてないよ」
「……チッ」
「ひっ」
あーあ。完全に亀裂が生まれちゃったな。3人も少し引いているようだ。こういうことに慣れていないと、免疫がないのかな。
「あ、ここだね」
「特になんもねぇな」
「うん」
「いや、どこかに何か手がかりがあるはずです!ちょっと調べて来ますね!ほら、2人とも行くよ!」
「めんどくさっ」
「なんであんたが仕切ってんのよ」
……チームワークのなさに脱力しながら、僕たちは彼らがしゃがんで手がかりを探しているのを見守っていた。だけど、そんなところには何もないと思う。というか、霊感ないとどれだけ探しても見つからないよ。現に、彼らのすぐ横に落ちている羽には見向きもしない。
あれは、あの鳥は目が四つあった。多分、幽霊の類の者だろう。僕の頭上を飛んだと思ったら急に電灯を破壊したのだ。他の件は飛ぶ必要のないものばかりだし、三階廊下の窓を割ったのもあの鳥じゃないかと思う。そして、その羽がそこに落ちている。その鳥は窓をすり抜けて飛んで行ったため、僕にはなすすべがなかったわけだ。
その羽を凝視しすぎたのか、浅斗が声をかけてくる。
「おい、大丈夫か」
「え?あ、うん。大丈夫大丈夫」
久しぶりに感じる寒気に、これ以上首を突っ込んではいけいないという本能が警報を鳴らすが、今更変えることもできない。それに、何が起こるかわからないから、余計に3人と後輩を放っては置けない。
しばらくして、何にも発見できなかったのか、後輩が肩を落として帰って来た。次にはなんかあるって、という3人の励ましに押されながら、理科室へと向かった。ここでは2回現象が起きている。実験中の不可解な破裂、僕が座っていたそばにあった実験器具が全て音を立てて割れたんだ。
さすがに破片は回収されていたが、その教室自体が今は使用禁止になっている。実際に鍵もかかっていたので、入ることはできなかったけど、入らなくてよかった。だって、明らかに黒い足跡が理科室扉へと続いていたから。それに嫌な予感を感じて、すぐに視線をそらす。
しかし、それを公開するとは思わなかった。視線を逸らした先、理科室に面する窓に映っていたのは、こちらを見つめる幽霊の顔があったのだ。
「っ!?」
ヒュッ、という息がひきつる音が喉から漏れた。声にならない叫びをあげて後ずさりをする。急激に心拍数が上がる。心臓が痛い。汗が額に浮かび上がり手には汗を握る。皮膚が寒いのか暑いのかわからない感覚に囚われた。苦しいほどの息の浅さに顔をしかめながら俯く。
「おい!どうした!」
「え?なに!」
「どこか痛いのか?」
「あ…やば…い」
心配してくれる周りには申し訳ないけど、今は答えている余裕なんかなかった。今すぐここを離れないと。危険がすぐそこまで迫っている予感が。アラームが鳴り響いている。みんなにUターンをするように声を上げるため、息を吸い込んで顔を上げた瞬間。すぐ横から窓が破壊される甲高いガラス音が響いた。
「うおっ!」
「わぁぁぁあ!!」
「キャァアッ」
急にガラスの破片を浴びせられて肌に刺激が襲いかかる。何箇所か擦り傷ができたけど、そんな事気にしている時間はない!
「え、な、なんで割れたんだ?」
「なんもないだろ…」
「な、なんなのよ!」
「見えるか?」
「う、うん。逃げたほうがいい。これ、やばいね」
そう。さっきの顔が映った窓だ。思念の強い影が写り込んだだけかなと思っていた。けど、割れた窓の奥に顔が浮かんでいたら、それはもうそいつの仕業だと思うのが自然だ。しかし周りはなんで割れたのか理解していない。いや、理解する方もする方で精神的疲労が半端ないんだけどね。
そうやってグダグダしている間に、目の前の霊はフラフラと近づいてくる。その目は充血して血走っている。物理的な攻撃とか、ついてこられたりしたら厄介なことになる。
まだこの一体なら、逃げればなんとかなると思っていた僕が甘かった。突然の耳鳴りに顔をしかめる。だんだんとひどくなる耳鳴りにある霊感のある知り合いに言われたことを思い出す。『耳鳴りがしたらそこから離れろ。霊が近くにいるサインだから』目の前にいる霊に会うまではなかったのに急になりだしたキィィンという音に焦燥感を覚える。まさか。
バリィィィィンッ
「いやぁぁ!!」
「今度は何よぉ!?」
「伏せろっ」
「なんだ!!!」
「……あ。カラス…」
絶望的なタイミングで四つ目の烏が外から窓を突き破って突入して来たのだ。