ヒーロー
ガバッ!!
弾けるように起き上がった僕は、跳ねる鼓動に合わせて荒い呼吸を繰り返す。汗が雫となって布団の上にポタポタと落ちた。
「あ…?ゆ、夢、か?」
思わず首をさする。頭と胴体がくっついていることに安堵感を覚えて、ホッとため息を吐く。夢で感じたあの生暖かな感触は血だったのだろうか。あそこまで鮮明な夢は初めてだった。今までも鬼気迫る夢は何度か見たが、あそこまで自分が死んだという認識はなかったから。
夏の暑さか夢見の悪さか、汗をびっしょりかいた体は気持ちが悪く、今すぐシャワーを浴びたい衝動にかられる。隣で寝ている寝相の悪い浅斗を起こさないように、彼をまたいで部屋を出た。
時計を見ると、まだ三時過ぎだった。
どっと溢れた疲労感とともに通学通路を浅斗と並んで走行する。ここはなんせ田舎道だから、道路には車なんて滅多に走らない。太陽の日差しを直に浴びながら、目を細めて自転車をこぐ。体力というより、精神力をごっそり削られた僕は、もう授業を放棄したい気分にかられる。
「お前、なんか疲れてねぇか?」
「そうだね。今日は休んでもいいんじゃない?」
「いや、大丈夫ですよ」
あれから寝付けずにゴロゴロしていたんだけど、その間自分が何をしていたのかは記憶にない。浅斗にもオーナーにも心配された。でも、夢見が悪かったからという子供じみた理由で休むのは、罪悪感が優って、笑ってごまかした。
「顔色悪いぞ」
「保健室行くー?」
「寝不足か?まーた、いやらしいこと…」
「大丈夫だよ、ありがとう2人とも」
「おいこら!スルーすんなっ!」
「あははっ」
でも、授業中でも放課後になっても、その夢の内容が薄れることはなかった。本当に寝不足だったのか、授業中にうつらうつら船を漕いでいて、先生に注意されるまで気がつかなかったこともある。四六時中眠気に襲われていたのに、急に目がさえる出来事が起こった。
それは、美術の授業中、先輩方の作品である彫刻や絵画に囲まれた教室で、水彩画を描いている時だった。
僕は、当然のごとく、みんなとは違う方向を向いて教室内の木材を見本にしていた。
「わっ!」
すると、誰かの驚嘆が背後から発せられる。思ったより大きい声に、みんなも弾かれたようにその根元へと目を向けると、女子の1人が何かにつまずいて正面から棚に激突しているところだった。
「だ、大丈夫?」
「いっ、たたたたぁ」
顔面を抑えて悶絶するのを見ているこちらまで、なんだか痛くなってしまうような光景だった。それに顔をしかめていると、彼女の頭上で何かが揺れているのが見える。え。あれって。
「先生っ」
「彫刻が!」
「みさき、危ない!!」
「え?」
周りが騒がしくなり、彼女の近くにいるものは一斉に立ち上がって彼女へと駆け寄るが、当の本人は気がついていないようだった。そのままあそこにいれば、彫刻が激突する!
僕も思わず腰を浮かして、手を伸ばす。届くはずがないし、周りのみんなも落下し続ける彫刻より間に合わないのに。僕の脳裏には不謹慎ながら、最悪の結末が浮かんだ。
どうしたら。どうすればいい。その光景がスローモーションのように見えた。せめて、時が止まれば!そんなありえないような願いに覆い尽くされる。でも、それは他のみんなも同じじゃないだろうか。直視しまいと目をそらしている生徒もいる。
なんども心の中で念じるも、願い虚しく速度は変わらない。もうだめだ、と思った瞬間にバリィンという、重い何かが割れる音と、ドンッという重りが落ちる何かが聞こえた。
そこには、このクラスに入るはずのない浅斗の姿があった。彫刻を殴った姿勢で立ち止まったまま、息を切らしている。
「あ、浅斗?なんでここに……」
「んあ?だって、もう授業終わるだろ?お前に弁当渡そうと思って待ってたんだよ。それも無駄になっちまったけどな。悪りぃ」
そう言ってため息をついた視線の先に、無残にも地面に広がる僕の弁当があった。ああ、僕弁当忘れて言ってたんだっけ。持ってきてくれたのかな。
「あ、ありがとう。……って、そんなことより!手ぇ大丈夫!?」
「あぁ、こんなもん、なんもねぇよ」
浅斗のいう通り、傷一つすらついていない。彫刻をぶん殴ったのに、頑丈さだけは相変わらずのようですね。安心した。
周りは呆然としていたが、残骸とかした彫刻を見て、先生がいち早く回復した。
「と、とにかく。授業はこれまでです!皆さんは気をつけて教室に帰りなさい。みさきさん、大丈夫?」
「……」
返事もなくボーッと浅斗を見続ける彼女は、魂が抜けたかのように座り込んでいた。浅斗は、しまったという顔をしてそそくさと教室を出ようとすると、突然彼女が立ち上がり、浅斗に向かって叫んだ。
「す、周防君!!助けてくれてありがとう!あ、あの、よよ、よかったら私のお弁当あげますから!!」
豆鉄砲を食らったかのような顔をする浅斗と、顔を赤らめるみさきさん。彼女は、メガネを掴んで恥ずかしそうに下を見つめていた。
ん?もしかしてこれって。
なんとも言えない空気があたりを包む。そんな中で、空気の読めないチャイムが割って入った。動けなかった僕らは、そのあともみさきさんが耐えきれなくなって飛び出して行くまで、硬直したままだった。浅斗も、予想外のことだったのか、ニヤニヤしているみんなに見られていることにハッとなって外へと逃げて言った。
ちょっと!甘い空気を残したまま立ち去らないで欲しいんですが!!
そして、僕は1人虚しく弁当を片付ける作業に取り掛かった。