競争
長距離走ではウサギとカメ、どちらが勝つ?
もちろん、カメだよ。と、答える人もいると思う。日本の昔話では、カメが勝ってるからね。それはウサギの慢心と油断をわかりやすく表現した話だけど、じゃあ、慢心せずに本気で走ったウサギはどうだろうか。
それはもちろん……
「ゴォォォォォォォオル!!!」
校門が閉まる直前に滑り込みでセーフとなった浅斗。生活指導の教師がそれを見て「俺を轢く気か!!」と怒鳴ってるが、門を閉める手は止まらない。
そして、浅斗は僕の前を先行していた。「のみなか」から脱兎の如く自転車に飛び乗ったかと思ったら、全速力で漕ぎだし出したからだ。僕?僕はそのコンマ数秒の間の光景に呆気にとられてたよ。
おかげで僕は今、完全に閉まった門の前で自転車を片手に立ち尽くしている。先生、チェーンキーまでかけなくてもいいじゃないですか。そんなに嫌ですか、僕を中に入れるの。
半目でじとっと先生を睨むものの、柵の向こうにいる彼はなんのそのという顔で腕を組んでいる。
「遅刻だぞ、放課後居残り反省文な」
「えー」
「えーっじゃない、遅刻表にさっさと記入する!」
「そうだぞ、遅刻はいけないんだぞ、君」
滑り込み野郎が何か言ってくる。先生に便乗すんな。ほぼ僅差でしょうが。
「あんまり調子乗るとお前も遅刻に…」
「出過ぎた真似を致しました!では、早速授業に行ってまいります!!」
腑抜けた浅斗の顔が一瞬で引き締まり、ビシッと敬礼をかましてそそくさとUターンをする。
「あ、こら浅斗、ずるいぞ!」
「また後で会おう、遅刻魔よ!」
やかましい!誰が遅刻魔かっ!
結局、先生に遅れた言い訳を延々と話し、自転車のスピードオーバーがどれほど危険かくどくどと説教されるハメになった。それは傍から見たら、柵を挟んで行われたシュールな口論だっただろう。ていうか、早く入れてよ、先生……。
「はぁ〜終わった…」
「お疲れ様」
「お前また反省文書いてんのか」
「腹減ったよー」
三者三様の応えが、がらんとした教室に響く。夕焼けの空にカーカー鳴くカラスの声が悲しさを助長している。僕は待っててくれた3人に自販で買った缶ジュースをおごって、それを持ちながら学校を出た。
パシュッという爽快な音をたてて空気が入ったジュースをあおると、蒸し暑さで鈍った体に隅々まで駆け巡る感覚に鳥肌がたった。……ちょっと大げさかな。
「っかー!うめぇ!」
「おっさんかーい」
「うるさいな、うまいもんは美味いんだよ」
「ごちそうさま」
「お粗末様。こちらこそありがとうね、待っててくれて」
「いつもいろいろ助けられてるからさ、お互い様だ」
「にしても、遅刻多いよなお前」
「んー、そうかな?」
「夜中やらしいことしてんじゃないだろうな」
「こいつが?」
「ないないー」
「…おい」
盛り上がる周りに目が死んでいくのを実感しながら坂を下っていると、ある一言で全員静まり返った。
「そういや、周防とよくつるんでるよな、朝も一緒に来てるし」
「……」
「……えーと」
「…あー。そうだね」
「そのせいで遅刻増えたとか…じゃないよな?」
「違うよ」
「即答かよ。まぁ、お前がそう言うならいいけどさ」
「何か危ないことに首を突っ込んでたりしないか?」
「しないしない、心配性だね」
「…なんかあったらちゃんと言うようにねー」
「ははっ、先生みたいだ、それ」
「体育の先生の口癖か」
「あぁ、竹爺だねー」
「歩くだけでプルプルしてるのに、体育になったらゴリゴリ指導になるの、あれどうなってんだ…」
「面白いよな」
「お前は担当じゃないから言えるんだっ!柔道とか全員が一本締めされるんだぞ!恐怖でしかない!」
「全員?女子もか?」
「平等主義だってさー」
「それは……やだな」
「だろ?!」
終着点のない会話が取り留めもなく目の前を駆け巡る。一瞬、浅斗の名前を出されてヒヤッとしたけど、何もなくてよかった。
周防浅斗。お坊っちゃんそうな苗字、名前だが、実際その通り。ただ少し違うのは、浅斗は大企業会社周防グループの息子なんかではなく、周防組組織の息子ってこと。友達が僕を気遣ってくれたのはそこが原因だ。良い奴なんだけどね…そういう家柄か、勘違いされた噂が根っこもなく闊歩してるんだ。
僕は、周防家と木彫りの家紋とともに添えられたネームプレートを見上げて、申し訳なさを噛み締めていた。友達と交差点で分かれて数十分。汗が滲み出た頃についた門の前でそれを開こうと手を伸ばす。
門に手を添えて、押そうと力を込めた瞬間、それが勢いよく引いた。手が空中を切って体勢を崩す。
「わっ!」
「おぉっとぉ」
つんのめった僕を受け止めてくれたのは、上質な繊維で織られた袴を着こなす男だった。見上げると、いかつい顔には一筋のこれまたいかつい傷跡が浮き上がっている。
「こんにちは、尊さん」
「ああ、元気有り余ってんなぁ、ウリ坊」
その声はひどく渋くて腹の底に響くものだった。鋭い目が柔らかく細められて、僕のよく知る人物に変わる。というか、なぜウリ坊…?
「ありがとうございます」
「まあ、動じねぇのは感心だが、お前さんはちょいと抜けてっからなぁ。気ぃつけろや」
「あはは、すいません」
「おぅ。俺ぁ行くが、浅斗を宜しく相手してやってくれ」
そう言うと、潔く踵を返して通り過ぎていった。堂々とした背中はいつか見た周防組組長としての威厳で引き締まっていた。し、渋い…。
「あ!やっと来たか!」
振り返ると、こちらへ駆けてくる浅斗が目に映る。その後には世話係として務めている組員の人達が続く。お互い目が合うと、よく来たなと目で笑って迎えてくれた。
「やっと、って。いつもこの時間帯だと思うんだけど」
「いいから、早く道場行こうぜ、体動かしてぇ」
「えっ、いきなり?」
「浅坊!頼んますから、会議中に抜け出さんでくださいよ!」
先程まで優しげに微笑んでた世話役さんが、眉を吊り上げて目を怒らせる。なんでこの世界の人はこんなにも迫力があるんだろうか。人生経験の違いかな。
「うるせぇ!俺は跡は継がねぇっていってんじゃねぇか!」
ああ、なるほど。跡取り問題か。たぶん、浅斗はそれが嫌で抜け出してきたのかな。んで、道場に行こうぜ、と?
「浅坊を支持する奴らも増えてきてるんですよ、それを無下にせんでください」
「だから、やだって!俺はこいつと大学出て店開くんだっ」
「なんだそれ!初耳なんですけど!?」
突然肩を組まれて店出す宣言ってどこぞのドラマ的展開だ!しかもそれ夫婦の設定だから。そんな約束した覚えない!
「何いってんです。ほら、ウリ坊も困ってますよ」
「なんで?!お前木造建築のカフェ好きだって言ってたよな?」
「言ったけど、それとこれとは別……てか、ウリ坊って何ですか」
「ほら、行きますよ!」
「ちっ、しつこい!叔父貴も出てっちまったし、俺らも外行こうぜ!」
僕の腕を引いて駆け出す浅斗。僕の質問は無視ですか。そうですか…。
「あ!こらっ!」
一斉に組員の人たちが動き出したかと思えば、その勢力はど迫力のものがある。振り返ってみると…やめといたほうがよかった。困り顔の人もいるが、なんか先頭の人が眉を吊り上げて目を鬼にしてるんですけど!浅斗と関わると碌なことがないと思っていた幼少期だが、今では慣れっこになっている。僕も十分重症なのかもしれない。
「あれ?道場はもういいの?」
「あ?ああ、走ってるし……まあよしとするか!!」
「なんでそんな偉そうなんだか」
よく知る道角をぐんぐん曲がって行って、ようやくたどり着いた場所はみんなには知られていたないであろう崩れた社が建つ緑の中だった。幸い、ここは山に近い場所にある田舎らしいので、坂道も多い分、隠れ場所も多いんだ。コンクリートで敷き詰められた道路から脇にある草葉に足を踏み入れて、獣道という道すらない場所を探ると奥に石畳の階段が見えて来るんだ。そこを登ると僕らの秘密基地となる。まぁ、勝手にその社に入っていろんな奴らから隠れてるうちに秘密基地と命名していたんだけどね。
「ここも変わらねぇな」
「小学校の頃に見つけたんだっけ」
「あぁ、なんか久しぶりな気もするけどよ」
「最近逃げるなんてしなかったからじゃない?」
そう、最近は不良でもヤンキーでも浅斗に突っかかるやつがいたのだが、その喧嘩は毎回買っている。それも、僕がいるときにばっかり遭遇するもんだから、狙ってるんじゃないかと思える頻度だ。勘弁してほしい…。
「そういうお前も、毎度十分喧嘩上等って感じじゃねえか」
「そんなわけないでしょうが!」
「ハハッ」
なんだか盛大な勘違いをされているようだが、断じて強いなんてことはない。まぁ。こんなヒョロヒョロの体では喧嘩なんてできないようには見えると思うけどね。
「それよか、本当に組継がない気?」
「…お前までそれ言うのかよ。俺は店長になりてぇんだ!」
「なんで…あ!まさかオーナーに憧れてるとか?」
「っ!?」
なんでバレたっ!?みたいな顔をするんじゃない!お前の思考回路は単純なのか。素直すぎるくらいの反応が返され、すぐさま照れたように顔をそらす。え、なにその反応。乙女じゃないんだからやめなさい。
少し寒気が肌を撫でたが、気にしないことにした。それよりも、まさか浅斗があのオーナーを目指しているとは。確かに彼はコーヒーの入れ方も様になってるし、僕ら子供にも丁寧に接してくれる優しい人だけど、彼を目指したいかと言われるとそうは思わない自分がいた。だって、別次元すぎないかな、あのクオリティーは。
オーナーと浅斗を比べるように隣に座る浅斗をてっぺんから爪先までざっと観察したけど……エプロン姿、似合わないと思う。
「おい、失礼なこと考えなかったか」
「…いやいや、そんなことはないよ」
「なんだよ!似合わないって言うのか!」
「うん、似合わないね」
「なにっ!!??」
相当ショックだったのか、驚きに目を見開いて戦意を喪失したようにうなだれる。いつもの堂々とした姿からは想像ができないような弱体化だった。意外とセンチメンタルなのである。ええと、ここは少しかわいそうになってなんとかフォローの言葉を絞り出す。
「何かの大将とかの方が合うと思うな」
「板前とかか?」
「んー、なんか違う。そんな繊細なことは浅斗にはできない気がする」
「あんだとコラァ!じゃぁ、居酒屋かっ!」
「それも…なんか違う気が」
「他に何があんだよっ!?」
「組織の大将とか…?」
ああ、それ自分で言っててしっくり来る。僕がスッキリしてるのとは反対に、浅斗はさらに頭を抱えて唸り出してしまった。そんなに嫌か、組長。あの尊さんの袴姿とか、同じく似合うと思うけどね。威厳さは別として。
がっくりしているのを見て苦笑していると、風に揺れて木々の葉っぱが揺れた。さわさわと鳴りだすそれは人の声にも少し聞こえる。見上げると、夕方になっても明るかった空が、今では白みを帯びている。そして、日が水平線に沈む眺めは圧巻だと、誰かが以前テレビで絶賛していたが、僕はこの時間帯の景色が嫌いだった。別にその眺めが嫌いというわけではない。雰囲気が嫌なんだ。例えばそう、夜に活動するものが起きて来るように、アイツらも動きだすから。
「浅斗、もう帰ろう。僕の家でもいいから」
「え、もう帰……。あぁ、そうか。よっしゃ今日泊まりな!」
「泊まるの?別にいいと思うけど、母さんからはちゃんと許可とってよ?」
「ぜってぇオッケーしてくれるって!」
今までの陰鬱さが嘘みたいに満面の笑みで立ち上がった浅斗は、早速僕の家の方へと歩きだす。空を見上げていた僕につられて今の時間帯に気がついたのだろう。この時ばかりは、浅斗の底抜けの元気さに救われる。
僕も彼を追って小走りで向かった。後ろを振り返らないように。