一応の決着
ミチロにあと一歩というところで、コツコツという足音が響いた。
「はあい、そこまでよ」
現れたのはすらっとしたハイヒールを履いた女。
白いシャツを第二ボタンまで外し、体の線を浮かび上がらせるぴったりとした黒のひざ丈のタイトスカート。髪は綺麗にアップされ、メタルフレームの眼鏡をかけている。いかにも研究者っぽい雰囲気を持っていた。
突然現れた女はためらうことなく、みずきの方に向かって歩いてくる。
「お前は……」
レンジは近づいてくる女がショッピングセンターでみずきと接触した女だと気が付いた。みずきはその女を見てニコリと笑う。その態度にみずきは女と知り合いであることがわかる。
「かのえさん、なんかいい感じに効いたみたい」
「ええ、見ていたわ。流石、巫女の水ね。素晴らしいわ」
かのえと呼ばれた女は突然みずきに切りかかった。みずきはよけずにじっとかのえを見ていた。小刀がみずきの腕に傷をつけた。
「みずき!」
レンジはぎらぎらした目をかのえに向ける。かのえは喚くレンジを無視して、みずきだけを見ていた。
「痛い」
スパッと斬られて血が滴っている。みずきは斬られた細い腕を曲げて他人事のような目で傷を見ていた。ふっと自分の腕に息を吹きかける。
見ている間にもするすると彼女の傷が消えていく。血の跡がなければ斬られたなど夢だったのではないかと思うほどだ。レンジは唖然とした。何が起こったのか全く分からない。
「大したものね。関東の巫女は。この程度の傷ならすぐに治ってしまうわけね」
「おかげさまで」
「でも、石川県に加勢したのは契約違反よ?」
かのえの契約違反という言葉にみずきが首をかしげる。
「どうして? レンジはわたしのパパよ。娘がパパの応援をしてはダメとは契約書には書いていなかったわ?」
「ふふふ、そういうこと」
「わたし、パパが大好きだもの。怪我を治すのは当然でしょう?」
レンジの頭ではこの状況が全く理解できなかった。二人の会話も全く理解できない。
みずきは一体何なんだ?
そんな疑問ばかりが溢れてくるが、一つだけ確かなことがある。
「みずき、帰るぞ」
「レンジ」
そう、みずきは自分の娘だ。それだけは変わらない。ぽかんとした顔をしたが、すぐに満面の笑みに変わった。
「うん」
「ちょーっと待ちなさいよ!」
大円満で終わりそうだったところにマドカが声を上げた。
「ふざけんじゃないわよ! 人の県に来て好き勝手して!」
「あら、福井の小娘」
かのえがつまらなそうに言えば、マドカが顔を真っ赤にして癇癪を起こす。
「ここは福井よ! 簡単に帰れると思っていたら大間違いなんだから」
「はあ、面倒くさい小娘ね」
かのえがポケットから煙草を取り出した。細い、女性が好みそうなものだ。火をつけ、ふうっと煙を吐き出す。
「俺が始末する」
正常時に戻ったミチロが今までの怒りをマドカに向ける。マドカも負けずに睨み返した。
「この出来損ない新タントが」
「出来損ないですって?」
マドカの言葉に反応したのはかのえの方だった。かのえは吸っていた煙草を下に落とし、靴でもみ消す。
「出来損ないを出来損ないと言って何が悪いのよ」
マドカのミチロをバカにしたような言葉にかのえが口角を上げた。
「本当よね。何も知らない小娘がべらべらと調子に乗って。こんな出来の悪い娘を持った福井に同情するわ」
「はあ?」
「わたし達は新潟県でも最先端なのよ。そのことをよく考えることね」
興味を失ったかのえはミチロに引き上げると合図するとそのまま出て行った。追いたくともすでに部下どもが延びている状態ではマドカに止める手立てはなかった。
「ほんと、バカな女ね」
ぽつりと言ったのはみずきだ。レンジは手を繋いだみずきを見下ろした。みずきはマドカを呆れた目で見ている。
「科学研究では一番進んでいるのが新潟よ。新タントに何もつけずに放しているわけないじゃない」
「……GPS?」
「それよりももっと優秀。かのえさんの口ぶりからすると、会話も転送されるようになっているみたいだわ」
レンジは思わず天を仰いだ。レンジの理解を超える内容にぽりぽりと頭をかいた。タケヒコならいざ知らず、レンジには理解する気もなかった。
「なんですって?」
マドカが呟いた。みずきは肩をすくめる。
「よく考えてみて? かのえさん、迷わずここに来ていたでしょう? ということは明間ミチロはどこに捕らわれていたのかも把握している。その上で放置したということは、実験の情報が欲しかったのよ」
「そんな」
レンジはみずきを感心して見下ろした。
「よくわかったな」
「かのえさんとも付き合い長いから。もう一つ言えば、新タントの進化の度合いも知りたかったのだと思う」
マドカは悔しそうに唇を噛み締めた。
「そもそもあんたが余計なことをするから!」
「だって仕事だもの。水飲ませただけだし。500mL 3000円だから欲しかったら申し込んでね。お徳用ならもっと安くなるわ。通販もしているからよろしくね」
しれっと言ってのけるみずきにレンジは天を仰いだ。あの特殊な水がそんな安い金額だなんて。信じられない思いと本当だという気持ちが変な感じに混ざり合った。
何とも言えない沈黙の中、レンジが気を取りなおすように明るい感じでみずきに声をかける。
「とりあえず、石川に帰るか」
「うん。帰ったらハンバーグが食べたい」
みずきの子供らしい発言にレンジは笑みを浮かべた。
「おおそうだな。ハンバーグを食いに行こう」
喚き散らすマドカを置いて、二人は並んで歩き始めた。