最終話 とあるネカマヒーラーの想い
涼二はかれんと別れてログアウトした後、すぐにレオンハルトへトークアプリでメッセージを送った。内容は3日後に2人でヴァンパイアロードを討伐すること。しばらく返信はなかった。しかし、翌日の朝にようやく返事が来た。内容は肯定。
それを見た瞬間、涼二は覚悟が決まった。全力で準備をして、全力で戦い、全力で楽しむ。そう誓った。そのため、しばらくゲーム内でとあるスキルを目標値まで育てることにした。
開催されているレイドイベントに片端から参加し、ひたすらにスキルを鍛える。フレンドリストはあえて見ないようにしていた。もしかしたらレオンハルトもログインしているのかもしれないし、ログインしていないのかもしれない。気になるのも事実であったが、今、中途半端にレオンハルトと会って話をするのは何か違うような気がしていた。
それを二日間、それぞれ一日中行った。その結果、スキルも目標値に到達した。夏休みも間もなく終わりを迎えるが、課題はすでにこなしていた。憂いは無かった。あとは今日のボス戦だけである。涼二は気合を入れてベッドに横たわり、仮想世界へと旅立った。
見慣れた景色が今日は新鮮に感じる。いつもの噴水広場が、どこか張り詰めているように感じた。もちろん、セフィリアの緊張ゆえである。これではいけないと思い、大きく深呼吸をする。
すると、セフィリアの隣にアバターの幻影が生じ、すぐにそれは実体を伴った。レオンハルトもログインしたようだ。セフィリアが彼の顔を見るのは数日ぶりのことで、それは今までに無かったことである。やはり、新鮮な感覚がした。
「こんばんは。お待たせしました」
「僕も今ログインしたとこだよ。準備は……良さそうだね。行こうか」
レオンハルトは白銀の剣を装備していた。このゲームのヴァンパイアは銀の武器、火と水属性攻撃、そして何より神聖魔術に弱いとされている。そのためレオンハルトは弱点武器を用意してきたようだ。準備は万端のようである。
「グリフォン便を使おう」
セフィリアはそう告げて、西へ向かう。目的地は最近実用化されたグリフォン便の駅である。調教スキルによって手懐けられた、元モンスターのグリフォンの前足に籠をぶら下げ、そこに人を乗せて飛行するサービスである。ファーストワゴンという馬車システムを構築したギルドが、他のサーバーを参考にして実装したという話だそうだ。
「このあたりのマップってこうなってたんだね」
グリフォンの運送籠から遥か遠くの地表を見下ろしながら、セフィリアは感慨深げにそう言った。ベルモンテを取り囲むようにヒュームやエルファなどの5つの里が位置し、海辺にはアムールという開拓都市がある。セフィリアはまだ行ったことがないが、他にもいくつかの開拓都市が誕生していた。
「すごい景色ですね。空からこんなに見渡せるなんて」
「確かに飛行機とかじゃこうはいかないからねー。気球とかスカイダイビングなら別だろうけど」
どういう仕組か揺れも風も然程なく、快適な空の旅であった。ただ、セフィリアの心情としてはどうにも会話にぎこちなさがあり、気まずさを感じていた。
長時間に感じたそんな空の旅も終わりを迎え、とうとう血染めの王城のある森深くまで到着した。
「帰りはどうなさいますか?」
「帰還符で帰りますので大丈夫です。ありがとうございました!」
グリフォンの騎手に対してセフィリアが答える。帰還符とは先日のアップデートで追加されたアイテムであり、特定のエリアを除き、使用すれば登録した街に帰ることができる優れものである。ちなみにその符は転移魔術によって作成できるため、魔術師の金策に使われているそうだ。
「うーん、人が一杯いるね」
「ですね。でもこれだけ人がいればボスのところまで楽に行けそうです」
血染めの王城は名前の通り所々に血痕が付着したような外観をした城である。元は白亜の城だったようだが、まだらに染め上げる血痕のせいでおどろおどろしい雰囲気を醸し出していた。この城も同様に先日のアップデートによって追加されたダンジョンのうちの一つである。まだ攻略情報も出回っていないが、小さなダンジョンでトラップもなく、PTあるいはソロ向けと言われていた。
「じゃあ入ってみよっか」
そう宣言してセフィリアは城門をくぐり、城の敷地内へと足を踏み入れる。レオンハルトもすぐにセフィリアを追い抜き、先頭に立った。城内へ侵入すると、あちこちで戦闘が繰り広げられていた。吸血鬼と戦うプレイヤー達。皆が銀武器を所持した者あるいはメイジのようである。
それを素通りして2階へ向かう。2階も同様の状況であった。ただ、ヒーラーが多く見られた。Mobが常に狩られている状態なため、誰にも邪魔されることなくどんどん上階へと向かう。3階、4階と上に登るにつれて人の数が減っていき、マップ情報を見ると5階はフルメンバーのPTが数組いるだけであった。
「この階がボスエリアっぽいね」
「みたいですね。先行PTがボス部屋までの敵を倒していったようですから、リポップする前に後を追いましょうか」
「そうしよっか。急ごう」
セフィリアとレオンハルトは駆け出す。入り組んだ廊下を右に左に走り抜け、ボスの部屋を目指す。敵のいないルートがボスへのルートと思われるため、ただ走るだけであった。
「あれかな」
そしてたどり着いた大広間の壁にはいくつもの華美な扉が拵えてある。間違いなくボス部屋への入口であろう。他のPTはもう扉を潜ったようで、広間にはセフィリアたちしかいなかった。
「完全に初見のボスに2人だけで挑むことになるけど、絶対に突破するよ」
セフィリアは決意と覚悟を滲ませてそう言った。慣れ親しんだダンジョン特有の緊張感に却ってセフィリアの緊張はほぐれていた。気力が満ちている。コンディションは最高であった。
「任せてください。私も今日は負けられない、そんな気がします」
それはレオンハルトも同様のようであった。力強い返事だった。セフィリアはこの瞬間、いつもの自分たちに戻れた気がした。戦友としてのセフィリアとレオンハルト。よく分からない関係の涼二と春。今は戦友として在ることだけを考えられた。
「それじゃあ限界までバフ入れたらレオン、お願い」
セフィリアはレオンハルトと自分に強化魔術によるバフをかける。物理・魔法防御力増加、攻撃力上昇、命中力上昇、移動速度上昇などである。効果時間の短いものは採用せず、長時間保つものだけを唱えた。
「それでは、行きます」
レオンハルトが金と赤の豪華絢爛な扉を開ける。そしてセフィリアもその後を追った。
辿り着いた空間はまさに謁見の間といった様相であり、白亜の床に真っ赤なカーペット。それは真っすぐ伸びていき、その先には鮮血に染まった白と赤の玉座。
その玉座に座るは長身痩躯の男。病的に白い肌に長い銀髪が光る。赤を基調とした華美な装束を身にまとい、頭には金の王冠が乗っていた。
「ネズミ風情が我が居城に踏み入ったか。その罪、貴様らの血と命でもって贖ってもらおう」
ヴァンパイアロード――ボスであるその男が喋る。その声はよく通り、プレッシャーにセフィリアの背筋が寒くなる。しかし、前にいるレオンハルトの背中を見ているとその恐怖もすぐに霧散した。代わりに生じるはまだ見ぬ戦いへの期待、渇望。
レオンハルトが剣と盾を構えた瞬間、戦いの火蓋が斬って落とされた。
「タウント!」
レオンハルトが先制でタウントを使う。対単体近接挑発スキルのタウントは挑発スキル10で習得できる奥義であるが、隙とST効率の面で非常に優秀な技である。挑発スキルの成長に伴って効果も増大していた。
それによってヴァンパイアロードの敵意はレオンハルトに釘付けとなる。一足飛びに接近し、その長い腕を振るう。レオンハルトは無難に盾で防ぎ、カウンターの1撃を見舞う。
それは綺麗にクリーンヒットするが、ボスはそれに構わず蹴りを繰り出す。格闘タイプだろうか。セフィリアは後ろからヒールでレオンハルトの少々減少したHPを回復する。
しばらくは格闘戦がメインであった。レオンハルトはヴァンパイアロードの素早い連撃を防ぎ、避けながら反撃する。セフィリアはそれを支援するという形である。
ただ、唯一気になるのは、ボスの見た目の変化である。HPが減るにつれ、その身体が血に塗れていく。このようなシステムは他のMobには無かったはずである。セフィリアは嫌な予感がしていた。
「我に血を流させるかァ! この高貴なる我の血を!」
ヴァンパイアロードが豹変する。優男の顔はなりを潜め、目が見開かれ充血する。犬歯が伸び、凶相が露わになった。
それに伴い、出血が止まりその手に集まる。そして集められた血は凝固し、禍々しい長剣を形どった。
「ここからが本番かな。レオン! まだ様子見!」
「了解です!」
セフィリアはレオンハルトに指示を出す。まだ攻勢には出ず、ボスの行動パターンを把握する段階を維持する。強化魔術を更新し、詠唱の短い低級の神聖魔術でこまめに回復し、事故死を防ぐ。
ヴァンパイアロードの剣術にもレオンハルトは対応できていた。下段からの切り上げを盾で受け流しつつ右に移動する。そして上段に浮き上がった剣が振り下ろされるが、それは身体を半身にして躱しながら反撃を繰り出す。
今の所問題は無さそうに見えたが、突如ボスが後退した。レオンハルトが追わずにその場で身構えていると、ボスの剣が血液に戻り――放たれた。
レオンハルトは咄嗟に盾で顔を庇ったが、身体に硬化した血の弾丸が突き刺さる。ダメージはHPの三分の一程度で大したことはないが、何かがおかしい。
レオンハルトのHPがじわじわと減少していた。スリップダメージである。出血の状態異常であった。セフィリアは状態異常解除のピュリファイを唱えようとするが、その直前で思い直した。
この減少速度ならば神聖魔術のリジェネレートで持続回復させたほうが良い。被弾の度に出血が付与されるとしたら、その度に状態異常解除するよりも持続回復で補ったほうが無難であると判断した。
リジェネレートとヒールでレオンハルトのHPを最大まで回復する。ボスがまた接近戦に切り替えたため、様子見を再開する。
しばらくして分かったことは、ヴァンパイアロードの血液によって傷つけられた場合は出血の状態異常にかかるということ、そして今の所同じ行動しか取らないということである。
セフィリアは作戦を第二段階に移行することにした。
「僕が攻撃するから、レオンはタゲ維持と防御優先で!」
「えっ!? わ、分かりました!」
セフィリアは純ヒーラーであり、攻撃手段は持ち合わせていない。ただ一つ例外があった。それは神聖魔術100で習得できる範囲攻撃魔術、ディヴァインレインである。
セフィリアはここ2日、神聖魔術だけを集中して育てていた。死人の多く出るレイドイベントでひたすらリヴァイヴによってプレイヤーを蘇生し、ハイヒールとハイキュアをわざと多めに使用することで高位神聖魔術の回数を稼ぎ、スキルが上がりやすいようにしていた。
それによって100が目前となっていた神聖魔術スキルを無事にそこまで成長させることができていた。とはいえ、この攻撃魔術は普通のMobには詠唱時間と消費MPの割にダメージが出ない。しかし、このヴァンパイアのようなアンデッドモンスターには特別に効きやすいという特性があった。
「聖なる雨よ、彼の敵に洗礼を! ディヴァインレイン!」
ヴァンパイアロードの遥か高みから光が迸り、雨の如く降り注ぐ。回避困難な必中魔法によってボスのHPが目に見えて減少した。
「グアアアアア! 家畜の分際で、我に仇なすか!」
ボスの真紅に染まった瞳がセフィリアを射抜いた。レオンハルトから自分へターゲットが移ろうとしているのを悟ったセフィリアは、大きく後ろへ下がる。
その瞬間、レオンハルトが大声を上げる。
「イグニッション!」
超近接単体挑発奥義のイグニッションである。消費STが大きいが、ヘイト増加量はタウントの比ではない。手招きをするレオンハルトにボスの顔が無理矢理に向けられ、その挑発への怒りはまさに火が点く勢いであった。
そこからはローテーション地味た行動を取るようにした。ディヴァインレインからのハイヒールとハイキュア、リジェネレートと防御系強化魔術の維持。レオンハルトも防御と挑発を繰り返しボスを抑え込む。
弱点の神聖魔術によってヴァンパイアロードのHPは徐々に削れていく。戦闘開始から30分以上が経過し、ついにボスのHPは半分を切った。ここまで動きがないため、そろそろ警戒すべきだと考えたセフィリアはハイヒールを詠唱して準備しておく。
そして、その時が来た。
「全く猪口才な家畜共よ。我が眷属の猛攻を耐えられるか?」
ヴァンパイアロードの発言と共に、セフィリア達の侵入してきた背後の扉が開く。そこからは10の蝙蝠の群れが押し寄せてきた。それらは即座に人の形をとり、最も至近にいる獲物――すなわちセフィリアに狙いを定めた。
「――マズっ!」
それを見たセフィリアは前方――すなわちボスとレオンハルトの方へ全力で駆け出す。ボスのターゲットは依然としてレオンハルトのままのため、範囲攻撃以外では狙われることはない。そのままボスの背後を取り、ハイヒールを解放しながら、セフィリアは叫んだ。
「ごめんレオン! 10秒だけ後ろの奴らのタゲ全部取って!」
中々に無茶な注文をしているとセフィリアも自覚していた。ボスの相手をしながら背後の10体のヘイトを稼ぎ、耐える。並大抵の行いではなかった。
「やってみます! タウントウェイブ!」
レオンハルトがヴァンパイアロードに背を向け、背後から押し寄せる眷属達に範囲挑発奥義を叩き込む。その隙をボスが当然見逃すわけもなく、レオンハルトの背中を剣で切り刻む。
クリーンヒットによって一気にレオンハルトのHPが半分削れる。もちろんセフィリアも黙って見ているわけではない。ディヴァインレインの詠唱を始めていた。詠唱完了まで8秒。この極限状態では、あまりにも長い時間である。
あと7秒。
レオンハルトがボスの方へ振り返り、全力で右へ飛ぶ。回避。
あと6秒。
着地後の隙を2匹の下位ヴァンパイアが狙う。命中。残りHPは4割。
あと5秒。
ポーションを飲みながらショックガードを使う。下位ヴァンパイアの半数がスタンしたが、削りダメージでポーションによる回復も抑えられ、HP残量は変わらず。
あと4秒。
近づいてきたボスの剣戟を間一髪で回避するが、下位ヴァンパイアの3匹の攻撃が掠める。残りHPは3割。
あと3秒。
保ってくれ――とセフィリアが願う。上位盾術を使えばダメージは大幅に軽減できるが足を止めてしまうため、術後の隙を敵全てに叩かれることになる。そのためレオンハルトは身のこなしと行動阻害デバフ効果のある盾術でいなす必要がある。ショックガードは先程使ったためクールタイム中。残るはシールドバッシュによる吹き飛ばしだが、あれは対象が一体だけである。
どうする――とセフィリアが未来を予測していると、レオンハルトが盾を身体の前面に構えて叫んだ。
「フォートレス!」
その瞬間、レオンハルトの身体が青色の壁に取り囲まれる。幾何学的な半透明な壁は敵の攻撃を一切通さない。
それは盾術スキル100で習得できる奥義、フォートレス。3秒間だけ物理攻撃と魔法攻撃の全てを遮断する技である。使用STとクールタイムに難ありであるが、最強の防御術である。
先日セフィリアと狩りに出かけた際、レオンハルトはそれをまだ習得していなかったはずである。まさか、この3日間で彼もセフィリアと同様にスキル上げを――。
セフィリアの思考の間にも時間は過ぎ去り、3秒が経過した。詠唱が完了した魔術が解き放たれる。
「ディヴァインレイン!」
ヴァンパイア達の遥か頭上に光が集い始める。着弾まで後2秒。レオンハルトの絶対防御も効果が切れ、無防備となる。永遠に等しい2秒が待ち受けていた。
しかし、レオンハルトは冷静であった。上位の盾術はダメージ軽減率は高いが足を止め、術後の硬直が大きいというデメリットがある。しかし、あと2秒耐えきるために使う分には、全く問題がなかった。
「ヘヴィーガード!」
11体のヴァンパイアによる猛攻に対し、レオンハルトはどっしりと盾を構える。盾を構えている前面はもちろん、背中への攻撃にもかなりのダメージ軽減が適用された。残りHPは2割になる。
それでも十分であった。セフィリアの魔術が着弾し、下位ヴァンパイアの全てが消滅する。弱点攻撃によるダメージは大きかったようである。
しかし、眷属達を葬り去ったセフィリアはヘイトを大きく買ったようで、ヴァンパイアロードがセフィリアの方を振り向いた。
これはある意味チャンスでもあった。
レオンハルトはHPもSTも風前の灯。回復が必要であった。
それにセフィリアもこれまで、ただレオンハルトの戦闘風景を眺めていたわけではない。ボスの行動パターンも分析していた。
上段より迫りくるロードの真紅の剣を、身体を半身にすることで躱す。続いて凶刃が右から繰り出される前にバックステップで距離を取って躱す。
離れた距離はすぐに詰められ、勢いのままに突きが襲いかかる。それを盾で弾く。弾かれた剣が再び襲いくるが、それをショックガードで防ぐ。
一瞬ボスが硬直する隙を見てローヒールを自身にかけながらスタミナポーションを飲む。
しかし、それはセフィリアの隙にもなった。思いの外スタン解除の早かったヴァンパイアロードがセフィリアの術後の硬直を狙う。左右に連続して剣が振るわれた。
セフィリアは辛うじてヘヴィーガードを発動させたが、初撃を貰ってしまった。即座にかかる出血のデバフ。HPはまだ7割あるが、このままではスリップダメージでジリ貧である。
どうすれば――とセフィリアが焦った瞬間、待ちに待った声が聞こえた。
「イグニッション!」
走り寄ってきたレオンハルトがヴァンパイアロードを手招きする。ポーションによって最低限のSTを回復させたと思しきレオンハルトが戦線に復帰していた。
「お待たせしました!」
ボスの注意は彼に向かったが、レオンハルトのHPはいまだ2割のままである。セフィリアは自身の出血を敢えて無視して、レオンハルトにハイヒールを唱えた。
ステップ回避からのヘヴィーガードによって時間を稼いだレオンハルトのHPが8割まで回復する。次は即座にハイキュアを唱える。セフィリアのHPがみるみる削れていく。
ハイキュアによってレオンハルトのSTが全回復する。セフィリアのHPは残り2割。急いでピュリファイを唱え、出血を解除する。基本的に被弾しないセフィリアは持続回復によってヘイトを稼いでしまうよりも、状態異常解除によって根本から解決する方法を採った。また、ピュリファイの方がリジェネレートよりも詠唱時間が短いという理由もあった。
ひとまず出血の治まったセフィリアは自身のHPを回復させる。予測不能の攻撃や範囲攻撃による即死だけは免れる必要があった。
強化魔術のバフも更新し、立て直しを終える。ようやく攻撃再開である。
それから1分後、再びボスが口上を述べ始めた。それを見た瞬間、セフィリアは待機していたハイヒールを即座に解放し、ディヴァインレインの詠唱を始める。
「来るよ!」
詠唱完了まで残り5秒という所で入り口の扉が開く。現在の位置関係は扉からボス、レオンハルト、セフィリアという順番であるため、詠唱は間に合いそうであった。
最も近い位置にいるレオンハルトへ、入ってきた下位ヴァンパイアが狙いを定めた瞬間、セフィリアの魔術が彼らに炸裂する。それとほぼ同時に、レオンハルトがボスへイグニッションを行使した。
セフィリアに対して急激に上昇したボスのヘイトがレオンハルトの挑発により上書きされる。
「ナイス!」
セフィリアは自然とその言葉が口を突いて出た。レオンハルトと思考が一体になっているような感覚。互いが何をしたいかが言わなくても分かる。それを実際に実行してくれたときの感動。
今までのレオンハルトとの関係が蘇る。この瞬間、セフィリアは勝ったと確信した。
その後のボスの行動は吸血によるHP回復があったが、きちんと防御すれば吸血されないため、レオンハルトとセフィリアの二人にとっては特に問題はなかった。
「ディヴァインレイン!」
「王たる我が、このようなッ――!」
戦闘開始から約1時間半後、ヴァンパイアロードは塵となって消えた。ドロップは血染めの王冠。ヴァンパイア同様の弱点を得る代わりに、攻撃に一定確率で出血が付与されるというアクセサリーのようである。
弱点が多いために使い勝手が良いかは不明であるが、レアドロップなのは間違いないだろう。セフィリアもレオンハルトも大いに喜んだ。
「その王冠、レオンが貰っちゃって良いよ」
「良いのですか? いつものように、使わないなら換金して分配するものかと思っていたのですが」
レオンハルトが不思議そうな顔をするが、セフィリアは首を横に振って否定した。
「良いよ良いよ。ファッションコンテストのときのお返しって思ってくれれば良いから」
多分それでも釣り合わないからまた何かプレゼントする、とセフィリアが続けると、レオンハルトは破顔した。
「はい! 待ってますね!」
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ボスも倒したことだし帰還符で帰ろうかとなったその時、セフィリアは言うべきことを思いついた。
「春はさ、勇気がないって言ってたけど」
「え?」
その話を蒸し返すのに躊躇いはあった。今日まで気まずかった理由の一つとして、春に言うべきかどうか迷っていたということもあった。
それでも、今言うべきだと感じた。
「いつも、まさに今日だって春は僕を守ってくれた。たとえそれがレオンハルトとしての勇気だとしても、それはやっぱり春の勇気だよ」
「そんなっ! 守られてるのは私の方で……」
春はやはり自分の勇気に自信が持てないようである。見た目はレオンハルトであるが、その魂である春の姿が見える気がした。
「確かにそうかもね。僕は春を回復して助けてあげてる。でもそれは春が僕を守ってくれてるからできることだから」
涼二はセフィリアの中から、遥か遠くの“春”を見据えて続ける。
「だから、何ていうか、僕らはお互いに守りあってるんだよ」
「そうだとしても! そうだとしてもリアルの私は……勇気なんてこれっぽっちもなくてっ――」
春はリアルの自分に勇気がないことをこの上なく憂いている。涼二とリアルの春はまだ禄に交流を深めていない。知ったような口を出せる仲ではなかった。
しかし、セフィリアとレオンハルトとしてならば――
「春は――レオンは、僕と一緒に遊んでて楽しかった?」
「えっ……、それは……当然です! すごく、すごく楽しいです! こんなに刺激的で楽しい毎日は初めてで――」
レオンハルトは心の底から、という風に感情を吐露する。セフィリアはそれが素直に嬉しかった。彼と一緒に過ごした日々が楽しいものだったと、自分だけでなく彼も思ってくれていて。
「僕だって本当に楽しかった。一緒に歩いて、食べて、観て聴いて。勝って、負けて、守って、守られて」
だから――とセフィリアは続ける。今まで心の中で思っていたことが次々に言葉になる。今ならどんな気持ちだって言える気がした。
「僕はレオンが、春が好きだよ。僕らは対等なパートナーで、たとえ今はこの世界だけだとしても、僕らはお互いを守って、一緒に遊んで、楽しむ。そんな関係だと思うんだ」
「っ――」
「たとえリアルではまだダメダメな春かもしれない。でもこの世界のレオンも向こうの春も一緒だと思うから――。僕は君が凄い奴だって知ってるから、ただ噛み合わないだけで、リアルの君も凄いんだってそう思ってるから! だから春も、僕の我儘だけど、春も君自身を認めて欲しいんだ」
言いたいことは言った。セフィリアはレオンハルトとの関係が、リアルの春と涼二とでも変わらないと思いたかった。此方の世界で対等なパートナーなのに、彼方の世界では対等になれず、友人とも言えないような関係にはなりたくなかった。そう、つまり涼二の言いたかったことは――
「要するに、向こうの僕とも友達になろうってこと!」
言葉にすれば簡単なことだった。涼二は単に、春と仲良くなりたかっただけなのだ。一緒に同じものを観て聴いて、喜びと楽しさを分かち合いたかった。
「私だって――。私だって、涼二さんと友達になりたいです! でも私は涼二さんを守れなくて、ただ守ってもらうだけなんて、やっぱり友達だと言えないって私は思うから……」
レオンハルトのアバター越しに春が涙を流すのが見えた気がした。魂の葛藤に苛まれる春を見て涼二の出した答えは単純明快であった。
「じゃあ、待つよ。今は僕が守ってるだけかもしれないけど、いつか、全部春が僕を守って返してくれたら良いから」
問題の先延ばしである。涼二としてはそれで良いと思っていた。多少の迷惑も貸し借りも、友達なら当然のことだと心から思っていた。
「でも、いつまでも返せないかもしれませんよ。私がダメダメなままだったら……」
「いいや、できるよ。というか、僕が勝手にそう思いたいんだ。はた迷惑な期待だけど、受け取って欲しい。――だって僕たちは、パートナーだから」
涼二は最早何を言いたいのか、何を言っているのか分からないままに、感情のままに言葉を発していた。
しかし、だからこそ彼の想いは直接彼女に伝わる。
「私もセフィリアさんのことをパートナーだと思ってます! 涼二さんとだってそうありたい……でも、良いんでしょうか」
「良いよ。春なら絶対成長できると思うし、それを見届けたい」
涼二はまだ見ぬ未来を思い浮かべた。自信に溢れた春が困っている涼二を助ける。抽象的ではあるものの、実現し得る未来に思えた。
「そこまで言われたら、頑張らないわけにはいかないです。――これからも、よろしくお願いしますね!」
レオンハルトが、春が、微笑む。自信なさげで儚い笑みであったが、セフィリアには、涼二にはそれがとても頼もしく思えた。
「こっちこそ、よろしく」
そう答えて、レオンハルトと握手をする。セフィリアはかつて、ほんの数ヶ月前のことであるが、彼と初めてPTを組んだことを思い出した。
あの日を境に彼との冒険が始まった。
そして今度は彼と、そして彼女との冒険が始まる。今までも楽しかったが、それ以上に楽しい冒険が待ち受けているに違いない。そんな予感と期待を胸に、涼二も笑い返したのだった。
あと一話だけ続きます。




