第十一話 とあるネカマヒーラーのレイド戦
そんな風にセフィリアが仮想世界を満喫すること一月と少し。かれこれゲームを始めてから3ヶ月近くが経過しようとしていた。リアルでは高校2年生の7月末。夏休みが始まっていた。
課題をこつこつこなしたり、リアルの友人と出かけたりもしたが、ほとんど毎日Unlimited Talesをプレイして過ごしていた。基本的には夕方以降のログインであったが、日によっては朝や昼からもプレイしていた。
そんな時間帯にログインしても、たまにレオンハルトもいることがあった。そうなると彼の職種は限られてくる。学生か夜勤かはたまた他の職業か。セフィリアはそれが少しだけ気になったが、ゲーム内で尋ねることはなかった。なんとなくリアルのことを持ち込むのは違う気がしたからである。世界観を壊したくなかったとも言えるのかもしれない。
話はさておき、3ヶ月間ほぼ毎日ログインして冒険していたため、セフィリアもレオンハルトも大抵のスキルが90に達した。特に顕著なのが、神聖魔術のリヴァイヴを覚えたことである。
この魔法はプレイヤーを蘇生することのできる魔法である。とはいえ蘇生されたプレイヤーはHPとST、MPが3割の状態で蘇るため、注意して使わなければならない魔法でもあった。
ちなみに、同様の効果をもたらす不死鳥の血というアイテムも存在するが、文字通りフェニックス種からドロップする。その種で最弱なのがレッサーフェニックスというMobであり、プレイヤーによって乱獲されているそうだ。横殴りなどのマナーの悪い行為も多発しているらしく、セフィリアは流行りが廃れるまで近づかないようにしようと心に決めていた。
「うーん」
リヴァイヴを覚えたのは良いのであるが、一つ問題があった。普通の狩りをしていてはリヴァイヴを使う機会がほとんどないため、スキル90以降から上がりづらくなったのである。スキルは現在スキル値に近い奥義や魔術を行使することで上昇していく。そのため、もっと強敵と戦う必要があった。
「ねえレオン、レイドに行かない?」
なので、セフィリアはそう提案した。
「レイドって、大勢で戦うのです?」
「そうそう。レイドボスっていう、ちょー強いボスと大人数で戦うんだ。それなら死人もHP削れる人も多いから、リヴァイヴとかハイヒール使うチャンスも増えて、スキルを上げれると思うんだよね」
セフィリアは報酬も良いらしいし、と付け加える。レオンハルトはふむふむと少し考え、その提案に乗ることにした。
「良さそうですね。手強い敵と戦えるのも面白そうです」
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というわけで、彼らは地下迷宮「ミッドガルド」へと赴いていた。最も、レイドボス討伐イベントは常に開催されているわけではない。誰かが主催者となって集会所で募集をし、参加者を集めてから出発するのである。今回セフィリア達が参加するレイドの主催者は大手ギルド「アカシックレコード」であり、転移魔術を使えるプレイヤーを擁していた。
転移魔術とは、転移に関する様々な魔術を得意とするスキルである。中でも特にエクステンドトランスミッションというスキル90の魔術が有用とされている。これは広範囲のプレイヤーを登録した地点へと転移させるという効果がある。ただし、登録には専用の指輪が必要であり、最大で10個までしか指に装着できない。
そんな不便さはあるが、それでも大規模転送は重宝される。セフィリアたちもこの転送によって、あっという間にミッドガルドへと辿り着くことができたのであった。
入り口にはおおよそ150名ほどが集まっていた。他にも複数のレイドが開催されていたため、これだけの人数が集まっているのは驚異的である。中でも主催ギルドのアカシックレコードのギルドメンバーが20名近くおり、集まった人々の先頭に陣取っていた。
すると、その中のリーダーと思しき人物が説明を始めた。
「みなさん集まっていただきありがとうございます。これから迷宮内を進んでいきますが、トラップの解除と案内は私達が務めます。遅れないように付いてきてください。もしはぐれてしまった場合は私にメールを送ってください」
それでは行きましょうと彼は告げ、各々返事をして進軍が始まった。
道中は非常に楽であった。先頭のアカシックレコードはこのダンジョンに慣れているのか、スムーズにトラップを解除してMobとの遭遇戦も迅速にこなす。流石に150人もいるため、並大抵のMobでは相手にもならない。
そして巨大な扉の前までたどり着いた。場に緊張がにじむ。
「はぐれている方はいませんか?……いないようなので、ボス戦へと移りたいと思います。注意点としては、ボスは第一形態と第二形態があります。第二形態からはエリア全域の毒を使ってきます。ポーションで治癒できないため、神聖魔術か祈祷スキルをお持ちの方は解毒の方をよろしくお願いします」
皆が頷くと、リーダーの彼ことマーギアは扉をゆっくりと押し開けた。皆でその中に入ってゆく。中は真っ暗であった。全員が侵入して数分、強化魔術などによるバフを行っていると背後の扉が閉まった。
すると広間が明るくなり始めた。光源は中央。次第にその姿が浮かび上がってゆく。
純白の鱗。一対の翼。一対の肢。竜のように鱗が逆立ち、頭部には角がある。その顎は己の尻尾を咥え込み、輪を描いていた。
異形の竜のような大蛇。禍々しくも神々しい存在。それが地下迷宮ミッドガルの主、ユルムンガンドであった。
セフィリアがその存在感に圧倒されていると、ユルムンガンドは尻尾から口を離した。そして彼らの方を向くと、大きく咆哮した。
その咆哮は吹き飛ばされそうなほど強力で――というか実際にダメージを受けていた。セフィリアのHPの2割ほどが削られた。その事実を認識した瞬間、セフィリアは冷静さを取り戻した。条件反射のように詠唱を始める。
同時に、他のプレイヤーも弾かれたように動き出した。タンクがボスへと駆け出す。アタッカーは射程まで距離を縮めつつ散開する。多くのヒーラーは周囲回復魔法を詠唱した。
レオンハルトを含むタンク達は挑発技を叩き込む。挑発スキルを育てていない者は全力の一撃をお見舞いしていた。ユルムンガンドの視線が彼らへと釘付けとなる。そして最も早く注意を引いたアカシックレコードのタンクへと噛み付いた。
彼は無事にそれを防いだ。しかし盾の上からでも無視できないダメージが彼を襲う。20%ほどが削られる。それをセフィリアが認識した瞬間、ユルムンガンドは身体をしならせ――
「レオン!」
――その強靭な尻尾が挑発技を入れた直後のレオンハルトを襲った。盾を出す暇もなく、彼はその尻尾に吹き飛ばされ、その命を消した。さらに、その攻撃がクリーンヒットしなかった者も、きちんと防げた者以外は甚大なダメージを受けて吹き飛ばされていた。
ただ幸い、彼らは吹き飛ばされたため、リカバリーが容易であった。後ろのヒーラー達が回復を入れ、セフィリアは待機させていたハイヒールをメインタンクへ撃つと、レオンハルトの死体へと駆け寄った。
即座にリヴァイヴを唱えつつ状況を見る。アカシックレコードのタンクは慣れているのか、安定してユルムンガンドをその場に固定していた。ユルムンガンドのHPも順調に削れ始めている。アタッカーの火力も十分なようであった。
「彼の者の命をここに――リヴァイヴ!」
レオンハルトの死体が輝く。すると彼の目が開かれ、即座に立ち上がった。
「すみません蘇生ありがとうございます。状況はどんな感じでしょうか」
「安定してるよ。アカシックレコードのタンクの人が上手く抑え込んでる。他のタンクはダメージを受けないようにしつつ少しずつヘイトを稼いでる感じ」
「了解です。ボスの動きをよく見てみます」
状況説明をしながらセフィリアはレオンハルトのHPとSTを回復させる。死体では気配と音だけがぼんやりと認識できる状態となるため、復帰後は立て直しが必要となる。戦況が安定しているため、セフィリアはレオンハルトにバフを掛け直しておいた。
「では行ってきます!」
そう言ってレオンハルトが戦線へ戻っていった。相手の行動パターンを確認しながら慎重に攻撃を加える。セフィリアもユルムンガンドの攻撃パターンを遠目で確認していた。
噛みつきに尻尾攻撃。前足による叩きつけに、毒のブレス。ダメージつきの咆哮。それと身体全体による締め付け攻撃。
咆哮とブレス、締め付けは盾によってガードできないようだ。当たらない位置まで回避する必要があるらしい。締め付けはモーションが長く避けやすいが、当たると瞬時の回復がなければ必殺のようで、数名死者が出ていた。
前衛に死人が出た場合は、死体から離れるようにタンクが移動する。ボスを死体から引き離したら蘇生を入れ、復帰させるという流れであった。
戦況は実に安定していた。アカシックレコードのタンクは未だ一度も死んでおらず、盾と挑発技に専念していた。ポーションを飲むと隙ができるため、それもせずにギルドメンバーからの手厚い回復によって堅実な立ち回りを取っていた。
そしてタンクがボスを抑え込んでいるためアタッカーやヒーラー、バッファーなどの後衛に被害が及ぶことは滅多にない。前衛でアタッカーを行っている者はヒットアンドアウェイの戦法によって、確実に自分に攻撃が及ばないタイミングで攻撃をしていた。最も、たまに尻尾などの範囲攻撃に巻き込まれて死んでいたが、蘇生はしやすかった。
順調にユルムンガンドのHPが削られていき、とうとう0になった。するとボスが力なく横たわり、自分の尻尾を食べ始めた。攻撃を続ける者もいたが、なにぶんHPは0なためダメージは皆無である。
ユルムンガンドが尻尾を食べ進めていると、純白の鱗が黒く変色していった。口内へ消えていった尻尾も一向に短くなる様子がない。むしろ――
「なんか、でっかくなってない……?」
――尻尾を食べるそばから、その尻尾は伸びてもいた。身体の変色が進むにつれ、伸長し、巨大化する。ついに漆黒に染まった時、尻尾から口を離した。
「来ます、第二形態です!咆哮注意!」
リーダーのマーギアがそう叫ぶ。直後に襲いかかる音と風圧による衝撃にセフィリアは耐えた。なんとか前方へ目を向けると、ユルムンガンドが背中の小さな羽で高く飛び立っていた。
「んなっ!?」
驚愕の声が漏れる。ユルムンガンドは空中で漆黒に輝き、全身から紫色の煙を吹き出した。瞬く間に広間全域が紫に侵食される。毒を受けたことを悟ったセフィリアは神聖魔術のアンチドートを唱え始めた。
その瞬間、いつの間にか地上に降り立っていたユルムンガンドが咆哮した。激しい衝撃に詠唱が中断させられる。毒によってみるみる減少していくHPを見て、焦燥に駆られながらアカシックレコードの部隊を見る。
しかし、彼らもまた同様に動揺していた。ボスの行動パターンとしては咆哮から飛翔して毒を撒き、ゆっくりと地上に降りて尻尾や噛みつき攻撃に移行する。それが今まで20回以上戦ってきたユルムンガンドの行動パターンであった。
その場合は、落ち着いて解毒しながら体勢を立て直すことができる。ただ、今回は瞬時の咆哮によって体勢を大きく崩されていた。
詠唱を再開させつつセフィリアは迷う。HPの削れ具合から察するに解毒が間に合うのは1人のみ。自分を解毒するるべきかレオンハルトあるいはメインタンクを解毒すべきか。一瞬の迷いを振り切り、瞬時に答えを出す。自分を解毒した。
そして即座にハイヒールを唱える。詠唱が終わった時、生存者は40名であった。内訳は、タンクが10名中1名、ヒーラーが30名中29名、バッファーが25名中5名、アタッカーが85名中5名であった。
セフィリアは自身のHPが毒によって7割も削れてしまったことを無視して、生き残ったメインタンク――アカシックレコードのフォート――にハイヒールを撃った。セフィリアと同じく7割が削れていた彼のHPが全回復する。
彼が生き残っている理由はおそらく、彼のギルドのヒーラーのうちの誰かが犠牲になって彼の解毒を行ったのだろう。今はタンクの維持が最優先だが、おそらくアカシックレコードのヒーラーだけで彼の継戦は可能である。
余剰ヒーラー達はタンクの蘇生を始めた。生き残った僅かなアタッカー達も攻撃はせず、不死鳥の血を用いて死者を蘇らせることに専念していた。セフィリアも同じくレオンハルトを蘇らせる。
リヴァイヴを掛けた直後、咆哮が襲ってきた。皆の動きが止まる。そしてユルムンガンドはメインタンクのフォートに身体を巻き付け――締め上げた。
マズい!セフィリアは動けない身体とは対照的に思考が加速する。硬直を狙った即死攻撃にフォートは間違いなく死ぬ。サブタンクもいないため確実に戦線が崩壊する。そうなったら全滅濃色である。幸いレオンハルトにはリヴァイヴが間に合った。彼に維持してもらうしかない!
セフィリアは蘇ったレオンハルトのHPをハイヒールによって全回復させる。ハイキュアでSTも回復させ、復帰準備を整えようとした。
しかし時間は切迫しており、フォートを絞め殺したユルムンガンドは生き残っていたアタッカーの方へと急接近していた。彼らも最低限の防御手段はあるのか、一撃は耐えていた。
このまま陣形が崩壊すれば全滅必至である。レオンハルトと他の蘇ったタンク達は即座に駆け出した。皆が一斉に挑発技を叩き込む中、レオンハルトだけは盾を構えた。
ユルムンガンドは襲っていたアタッカーからタンク達の方へと振り向きつつ、尻尾を一閃させた。準備不足のまま直撃したタンク達はほぼ全員が息絶えた。ただレオンハルトだけが、盾で防ぐことに成功した。
セフィリアはレオンハルトの回復だけを考えた。一番厄介なのは咆哮からのコンボである。それを防ぐには咆哮の前にハイヒールを待機状態にする必要がある。それを行うにはセフィリアの予測力とHPとSTの管理力、それに加えてレオンハルト自身の腕前も必要であった。
「レオン耐えて!」
レオンハルトは耐えた。噛みつきと前足を防ぎ、尻尾をいなし、毒ブレスは受けつつ挑発技を使う隙に変える。極限の集中力でミスすることなくしのぎ切る。そしてユルムンガンドが首を大きく持ち上げた瞬間、彼は全力で後ろへ飛び退った。
その直後に咆哮が広間一帯に響き渡る。辛うじてセフィリアはハイヒール待機のタイミングを合わせることに成功した。レオンハルトが開けた距離をユルムンガンドが詰め、身体を寄せる。尻尾を彼の背中から回し、締め上げる。レオンハルトのHPが瞬時に0になり――
――その瞬間、セフィリアのハイヒールがレオンハルトに直撃した。彼のHPが7割回復し、締め付けを解いたユルムンガンドの尻尾から脱出する。
咆哮の直前にレオンハルトが距離を開けたことで、ほんの僅かではあるがボスは接近する時間を要した。これにより、セフィリアの硬直解除が間に合い、回復が届いたのである。
ギリギリではあったが、これで持ち直した。レオンハルトが生存したことで周囲の立て直しの時間を稼ぐことに成功した。メインタンクだったフォートも戦線に復帰し、前衛が安定し始める。
この後はもう一度だけエリア毒からの咆哮があったが、他のヒーラーが数名犠牲になってタンクを生かすことで前線を支えた。死んだヒーラーはアタッカー達が不死鳥の血で蘇生し、あるいは生き残ったヒーラーからのリヴァイヴによって復帰することができた。
リーダーのマーギアの指示は的確で、その役割分担はすぐさま行われた。これにより、半壊はしたものの無事勝利で終えることができた。
「皆さんお疲れ様でした」
マーギアの発言に各々がお疲れ様でしたと返す。ユルムンガンドの死体が光となって弾け、参加者全員のアイテムボックスに貢献度に応じた賞金とランダムドロップが送り込まれた。皆がくたびれて座っている中、マーギアはテキパキと帰還を促す。
「それでは転移魔術を使いますので、皆さん準備をしてください」
転移魔術師が詠唱を始めると、皆が立ち上がって彼に近づく。セフィリアも近寄り、足元に巨大な魔法陣が光ったと思ったら、そこはもうベルモンテの街であった。
「皆さん今日はありがとうございました。ユルムンガンド討伐募集は定期的に行っていますので、またよろしくお願いします」
マーギアはそれと、と付け加える。
「そこのタンクのあなたとヒーラーのあなた。見た所ギルドに入っていないようですし、もし良ければ私たちのギルドに入りませんか?」
とレオンハルトとセフィリアの方を見てそう言った。セフィリアはレオンハルトと顔を見合わせる。お互い大手ギルドから誘われるとは思わなかった、という顔である。
「あー、すみません。僕は今はギルドとかは考えてませんので」
「私もご遠慮しようと思います。すみません」
セフィリアもレオンハルトもあっさり断った。マーギアも特に気分を害したということはなく、淡々と返事をした。
「そうですか。残念です。……ではお名前だけでもお聞かせ願えますか?」
「セフィリアです。こっちはレオンハルト」
「ありがとうございます。またレイドでご一緒することがあればよろしくお願いしますね」
ぜひ、と答えて彼らは解散した。いつもの広場に戻る最中、セフィリアはレオンハルトに尋ねる。
「さっきのお誘い、断ってよかったの?」
「はい。私には今のような遊び方が合っているかなと思いまして」
確かに僕もそうかもしれない、とセフィリアは思った。大手ギルドに入ってしまえば、今のようにのんびり気ままにプレイすることはできないかもしれない。まったりギルドもあるだろうが、なんとなく今はギルドに入ろうという気分ではなかった。
「そだね。僕もレオンと適当に遊んでる今のままで十分楽しいかも」
セフィリアはそう言ってレオンハルトに笑いかける。柔らかな金髪がそよ風に揺れて、きらきらと眩しい無邪気な笑顔であった。
「……はいっ。私も毎日楽しいです。それでは、また明日です」
レオンハルトは一瞬放心したように見えたが、すぐに満面の笑顔になってそう言った。確かに今日は疲れたし、もう落ちて良い頃合いだろう。セフィリアもおやすみと言ってログアウトするのであった。




