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えすぷり。  作者: 佐藤三(あた)
本編
3/17

エラそーなわんこの正体(2)

「っっ……」

 ちかちかと星が点滅し、頭がぐわんぐわん、と揺れた。脳みそを揺らしていると、ふ、と影が落ちた。

 ──なんだ、このアホすぎる娘は。

 そんな声が聞こえる。

「え?」


 ──私の姿は見えないだろう。声だけを聞け。

 ユーリはキョロキョロ辺りを見回した。何もないように思える……。しかし確かに、低く響く声は鼓膜を揺らしている。なにかがいる。が、正体がみえない。え? おばけ?


──名をなんという?

「ゆ、ユーリ」

 ──おまえに、イグニスを御することができるか?

「わからないけど、止めなきゃ……イグニスは、人殺しをしようとしてる」


 ──あれは炎の聖霊。性格は苛烈だ。飼い主以外には牙を剥き、時には殺すこともある。しかし、飼い主に足る者の言うことは聞く。

「飼い主……」

 やっぱり犬なのか。


 ──おまえに真の力があれば、何かしらの聖句であれを御することができるはず。


「え、聖句って、どんな」

 ──なんでもよい、自分で考えよ。強く御する言葉だ。よいな。では──行け。

 次の瞬間、ユーリの足から急に痛みが引いた。

「!」

 触ってみると、熱を持っていた右足がなんともなくなっている。


「治っ……た?」

 今のはなんだったのだろう。

「って、それより早く行かなきゃ」

 でも聖句って、なんにしたらいいんだろう。

「走りながら、考える!」

ユーリは起き上がり、広間に向かって走り出した。





 クリスティーナは教会内にある、広間にいた。会議は滞りなく進んでいくが、一向にユーリの死体が見つかったという話が出ない。たかが侍女といえばそれまでだが、神の領域である教会内で人が死ぬのは本来忌みごと。死体が見つかれば、必ず議題にあがると思っていたのだが……


「聖女さま?」

 声をかけられ、クリスティーナはハッとした。そうして、笑みを作る。

「はい、なんでしょうか、リカルド様」


 こちらを見つめていたのは、騎士団の団員、リカルドだった。貴族の生まれである彼は、品のある顔立ちをした中々の美青年だ。恐らくクリスティーナに気があるのだろうが、意気地がないのか一向に誘ってこない。


 ──ひと晩くらいなら付き合ってあげてもいいのだけれど。聖女がそんなことを考えているとはつゆ知らず、リカルドは瞳をクリスティーナの背後に向ける。


「その青年は?」

「ああ……」

 クリスティーナは柔らかく微笑む。

「風の聖霊です」

 言葉を放った瞬間、場内がざわめいた。神官が口を挟む。

「しかし、昨日聖霊は降臨しなかったのでは」

「ええ、昨夜、鏡から出て来たのです。私たちの祈りが通じたのでしょう」

「さすが聖女さまです!」


 リカルドが嬉しげに声を上げる。カイとバルドーは、どこか納得していないように顔を見合わせていた。

 なによ、もっと私を崇めなさいよ。クリスティーナはムッとしつつ、

「力を見せてあげなさい、ルピナス」

 ルピナスは手を突き出し、

「風よ吹け、ルアッハ」


 巻き上がった風が、書類を巻き上げ、バサバサと音を鳴らす。広間におおっ、とざわめきが起きた。リカルドは前髪を跳ねさせ、目を輝かせている。バルドーは、前髪が乱れた、と櫛で治していた。カイは飛ばすなよ、とつぶやきながら書類を拾い上げている。


 神官長がすかさずクリスティーナを褒めそやす。

「確かに聖霊の力だ。さすがクリスティーナ、君は本物の聖女だな」


 そうよ、とクリスティーナは内心でふんぞりかえった。重要なのはその言葉だ。男たちがクリスティーナを褒め称え、あげ祀る。そうでなくては聖女などなんの旨味もない──。


「どいつもこいつも、見る目のない馬鹿ばかりですか」


 いきなり広間に響いた声に、その場にいた者たちは視線を動かす。広間の壁に取り付けられていた鏡から、何かがひゅん、と出てきた。それはすたりと卓上に降り立ち、クリスティーナを睥睨する。

「どうも、偽聖女さま」


 漆黒の髪に真っ赤な瞳。長い手足は黒衣に包まれている。

 いきなり現れた美青年に、クリスティーナはあっけに取られる。こんな美形、教会にいただろうか……?

「あなたを殺しに参りました」

 その言葉に、リカルドがハッとする。


「聖女さま、伏せてください!」

「炎よ踊れ、イグニッション」

「風よ吹け、ルアッハ」

 イグニスが出した炎を、聖女の前に立ったルピナスが打ち消す。イグニスは冷たい瞳をルピナスに向けた。


「おや、偽聖女に操られている見る目のない聖霊か。曇った目を聖水で洗い流したらどうだ?」

 ルピナスは無言で手を突き出し、風を巻き起こした。ピッ、と頰を切り裂いた風の刃に、イグニスは舌打ちする。

「ちっ、うっとおしい。建物ごと焼き尽くすか」


 獣の姿になったイグニスに、ざわめきが起きた。

「あれは……」

「まさか、炎の聖霊?」

「イグニスだ!」

「騎士団、あれを狩れ!」


 イグニスはさわぐ人々を見下すようにしながら牙を剥いた。瞳に灯るのは、どこまでも冷たいひかりだ。

「やはりこの姿でなければ調子が出ないな。炎よ全てを焼き尽くせ、バーニ」

「イグニス!」


 その時、台車に乗ったユーリが勢いよく広間に入ってきた。一緒、衆目がそちらへ集まる。ユーリはその視線をものともせずに、思い切り叫んだ。

「ふせーっ!」


 その言葉に反応し、イグニスがさっと身を伏せる。それから、ハッとしたように頭をもたげた。

「はっ、私はなにを」

 台車から転がるように降りたユーリは、テーブルに乗り上げ、イグニスにしがみついた。──わ、もふもふ。そんな場合ではないのに、幸せな心地になる。


「おい、そこをどけ、それがなんだかわかってるのか!」

 リカルドが剣を突きつけながら叫ぶ。ユーリはペコペコ頭をさげながら、

「すいません、すいません、悪い子じゃないんです。ちょっと反抗期っていうかなんていうか」


「離してくださいますか、聖女さま」

 イグニスは憮然としながら言う。ユーリが抱きついているせいで、不機嫌な顔がむぎゅりと押しつぶされている。

「今からこの建物ごと焼き払うつもりだったのですが」

「なに言ってるの、だめに決まってるでしょう!」


 ユーリとイグニスのやりとりを見て、広間にひそひそと話す声が響いた。

「偽聖女とは誰のことだ……?」

「あの獣、いま侍女のことを聖女と呼ばなかったか……?」


 クリスティーナは唖然としながらユーリを見ていた。なぜあの子が。死んでいなかったのか。あの高さから落ちたら間違いなく命を落とすと思ったのに──

とにかくこのままではまずい。クリスティーナは、とっさに思いついた言葉を口にした。


「捕縛して! あの娘はイグニスと交わり、私の暗殺を企んでいたのです!」

「ええっ」

 ユーリはギョッとしてクリスティーナを見た。クリスティーナは震えながらつづける。

「ああなんて汚らわしい、獣と交わるなど!」

「し、してないですそんなこと、大体昨日会ったばっかりで」


 真っ赤になるユーリに、リカルドが剣を突きつけた。

「無関係というならどけ! 今からそれを斬る」

「そ、そんな」


 ユーリはぎゅっ、とイグニスを抱きしめた。なんだか一緒にいるうちに、愛着が湧いてきていた。あったかくてもふもふだし、よく見ると可愛い。


「殺さなくても……ちゃんと躾けますから!」

「できるものか。イグニスは炎の聖霊。その苛烈さを御することは、歴代の聖女たちにすらできなかった」


 イグニスが憎々しげに言う。

「それは、あの女たちが本当の聖女ではなかったからです。ユーリは本物だ。私もあの風の聖霊も、ユーリが呼び出したのですよ」


 再びざわめきが起きる。

「なっ……なにを言う、この犬!」

「犬ではない。噛み殺されたいんですか?」

 唸るイグニスに怯まず、リカルドは叫ぶ。

「戯言をいうな、その娘が聖女だというなら、クリスティーナ様はなんだというんだ!」

「だから偽の聖女です。何度言わせれば気がすむんだ。まったく、脳の容量が少ない人間ばかりだな」


 ──まさか、侍女が聖女?

 ──クリスティーナ様には聖なる力がないと言うのか。

 ──しかし、確かに過越の日の祈祷では、聖霊は降臨しなかった。

 ──イグニスの言うことなどあてになるものか。あれは悪徳だ。


 イグニスの発言が波紋を呼び、広間は疑問と不安の声に満たされた。クリスティーナは唇を噛む。この状況は、まずい。


「ではこういうのはどうかな」

 口を開いたのは、騎士団長のバルドーだった。

「競い合いで、それぞれの力を見せてもらう。二人の聖女には各々聖霊がついているようだから」

「でたー、団長の思いつき」

 カイがぼそりと呟く。リカルドがすかさず口を挟んだ。

「バルドー様、クリスティーナ様の力を疑うのですか!」


 バルドーは、青年の言葉に肩をすくめる。

「疑ってなどいないが、私も先日の儀式では少々退屈させられたからな」


 クリスティーナは内心で歯ぎしりした。この狸おやじめ、聖女を守るべき騎士団長のくせに何を──。クリスティーナの意を汲むがごとく、リカルドが反論する。

「教会はイグニスを聖霊だとは認めていないのですよ!」


 ──あ、そうだった。ユーリはイグニスを見下ろした。

 イグニスは赤い瞳でこちらを見上げた。その目に、ユーリが映り込んでいる。この瞳、どこかで見たことがある。教会で保護された、捨て犬だ。人間不審の目。イグニスは飼い主以外には牙を剥く──。


 それは、他の人間を信用できないからではないだろうか。さっきだって言っていた。「人間は嘘をつく」と。


 ──つまり、嘘をつかれたことがあるんだ。ユーリはごく、と喉を鳴らした。なんにしても、このままだと聖女を暗殺した罪で殺されるかもしれない。

「あ、あの」


 ユーリはちいさく手を上げ、司祭に尋ねた。

「もし私が競い合いに勝ったら、イグニスを聖霊だって認めてくれますか」

「なんだと」

「なにを図々しいことを……おまえごときが聖女さまと張り合う気か!」

 リカルドがユーリを睨みつけて、声を荒げる。ユーリはぎゅ、とイグニスを抱きしめながら、

「私は司祭さまにお尋ねしてるんです!」

「なんだとっ」

「──いいだろう」


 司祭はユーリを見据え、

「やってみるがいい。イグニスを本当に御せるならば。しかし、その犬が何か問題を起こしたり、競い合いに負けるようなことがあれば、どうなるかはわかっているだろうな」


 ユーリはびく、と震えた。イグニスがユーリの手を舐める。──大丈夫だって、言ってるのかな。勇気を奮い立たせ、

「大丈夫です、イグニスは私がちゃんと躾けます!」

 クリスティーナは心の中でキイイイ、と暴れまわり、バルドーは面白そうに口もとを緩めた。





 ユーリが広間から出ると、クリスティーナが声をかけてきた。美しい顔は、まさに聖女のごとく、慈愛に満ちている。その背後には、風の聖霊がいた。


「その、聖霊……」

「ルピナスよ」

 クリスティーナはそう答え、

「ユーリ、あなたがまさかイグニスを手なづけているなんて思わなかったわ。さっきは動揺してしまって。ごめんなさいね」

「クリスティーナ様……」


 どうして私を突き落としたりしたんですか──。ユーリが尋ねる前に、クリスティーナはにこやかに手を差し出してくる。

「競い合いなんて私はしたくはないのだけど、やるからにはお互い頑張りましょうね」

「あ、はい!」


 やっぱり、あれは何かの間違いだったのかもしれない。ユーリがクリスティーナの手を握ると、彼女はギリギリと力を込めてきた。

「いだだだだ」

「調子に乗るんじゃないわよ……おまえが聖霊を呼べたのは偶然なんだから。今に見てなさい」


 どすのきいた声で耳元に囁いたクリスティーナは、ユーリの手を離し、さっさと歩いていく。その背後を、ルピナスが音もなくついていった。


「うう、すごい力……」

半べそをかきながら手を振ると、獣姿のままのイグニスが、冷たい眼差しを向けてきた。


「普通自分を突き落とした相手と握手しますか。頭の中がお花畑なのか?」

 ユーリは毒づくイグニスの側にしゃがみこみ、うりうりと毛並を撫でる。

「だってあの人は私の主人だったんだよ。いつ見てもすごくきれいで、初めて会った時は女神さまかと思ったくらい……」


毛をもみくちゃにされつつ、イグニスが鼻を鳴らした。

「要するに顔に騙された愚か者ですね。教会のすけべじじい共と同じだな」

「そのすけべじじいには私も入っているのかな?」

 振り向くと、騎士団長のバルドーが立っていた。ユーリは慌ててイグニスの頭を下げさせる。


「バルドーさま! イグニス、謝って!」

「やめてください。じじいに下げる頭はない」

「イグニスぅ!」

「はは、いいんだ。確かにじじいだからね。ほう、これがイグニスの実体か……初めて見たな」


 バルドーはしげしげとイグニスを見た。

「中々堂々としていて、美しい獣だ」

「は、すぐに嘘をつくタイプの顔をしている。私に媚を売ってどうする気ですか、狸爺さま」


 ユーリはイグニスを喋らすまいと、口にエプロンをかぶせた。

「っぶ」

「賢い獣だ。人を見る目がある」

 バルドーは怒るでもなく、感心している。その後ろから怒れるリカルドがやってきた。

「騎士団長! なぜあの娘を庇うようなことを」


 彼はユーリに視線を移し、鋭い目を向けてくる。ユーリはびくりとし、イグニスにしがみついた。

「イグニスは騎士団の敵でしょう。それを操る娘を擁護するなど」

バルドーは鷹揚に笑う。

「まあまあ、イグニスは元々聖霊ではないか。聖女に害をなさなければ狩る必要もない」

「危険はないと言い切れますか」

「クリスティーナ様には風の聖霊がついているし、イグニスは彼女が御するらしい。それにどちらが真の聖女かはまだわからない」

「な……」


 リカルドが怒りに頰を紅潮させた。

「クリスティーナ様ではなく、そのちんちくりんが真の聖女だと!?」

「ち、ちんちくりん……」

 地味にショックを受けるユーリ。

「見る目のない愚かな小僧が。あとでほえ面をかくがいい」

 イグニスの挑発に、リカルドはまんまと乗る。

「なんだと!」

「まあまあ、落ち着けリカルド。おまえではイグニスには勝てんぞ」


 バルドーはリカルドをなだめ、

「では、ユーリ殿。また後日」

 彼を引き連れて去っていく。ユーリは二人を見送り、ため息をついた。

「はああ、リカルド様って怖い……」

「あの小僧、随分と偽聖女に入れ込んでいるようですね。特別な施しでも受けたのか」

「特別な施し?」

 ユーリがキョトンとすると、

「まあ、お子様は知らなくてよろしい」

「なによそれ、私はもう十六なんだから」

「十六だろうが十七だろうがお子様でしょう」

「犬のくせにい」


 イグニスがむっとした様子でこちらを見た。

「私は犬ではない」

「えー? さっきお座りしてたじゃない」

「ふん。──聖句を使うこと、どこで覚えたのです」

「イグニスを追いかけてる時、なんか変な声が聞こえたの」

「変な声?」

「そう。低くて良い声。イグニスを抑えるには、なんでもいいから強く御することが必要だって」

「ほう。で、伏せ、ですか」


 赤い瞳が細められる。どうやら犬扱いされるのが不服らしい。見た目が犬だから仕方ないと、ユーリは思うのだが。

「効いたしいいじゃない」

「一つよろしいか」

「は? っわ」


 いきなり人型になったイグニスに、ユーリはびくりとした。赤い瞳に見下ろされ息を飲む。首筋にかかった冷たい手に、唾を飲み込んだ。


「う、な、に」

「あなたが私を躾けるのではない。私があなたに従って差し上げるのです。私があなたを見限ったら、従うこともなくなる」

 イグニスの指さきがユーリの頰に触れた。そうして、ぐいぐい引っ張る。


「いたいいたい」

「あなたは私のものだが、私はあなたのものではない」

「何それどういうこと!?」

「すかすかの脳みそでは理解できないでしょうが、主導権は私にあるということです」

「……ああもう、いいよそれで……」

「よろしい」


 部屋に案内しなさい。尊大にイグニスが告げる。こいつを躾けるのなんか無理だ。ユーリは引っ張りつくされた頰を撫でながら思った。

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