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えすぷり。  作者: 佐藤三(あた)
本編
1/17

聖霊がこない夜

主人公がアホの子です。

恋愛というかスキンシップがはげしい。

 ユーリは、教会の廊下を走っていた。走るたび黒髪が揺れ、エプロンのひもが獣のしっぽのように跳ねる。その腕には、白い花が収まっていた。

「ユーリ、食器が足りないわ」

「ユーリ、メニュー表を作ってくれない?」

 同僚の侍女たちとすれ違うたび、そう声をかけられる。ユーリは答える間も無く、しきりにうなずいた。

「おまたせー!」

せかせかと広間に入っていくと、侍女仲間が呆れた声を出した。

「ユーリ、赤い花を持ってきてと言ったじゃない」

「えっ、そうだっけ。ごめん」

 ユーリはひたすら謝り、再び花をとりに向かう。走り過ぎて息が切れてきた。

「ひー、今日はとくに忙しいよう」

 そう、今日は、聖霊がこの教会に降臨する日なのだ──。




 荘厳な大聖堂にて、祈りがささげられていた。百人の修道女たちが、祭壇に向かって手を組み合わせている。

「来たれ、聖霊よ。そのルアッハにより、悪しき獣を散らせ。我々の糧となり、神の力を見せよ……」


 修道女たちが祈りを捧げているその最前列、祭壇前で書物を開く女がいた。ウエーブのかかったプラチナブロンドは背中にさらさらと落ち、白磁の肌と溶け合うようにすら見える。この世のものとは思えないほど美しい姿は、まさに聖女と呼ぶのにふさわしい。


 すでに、聖女による祈りは二時間に及んでいた。祭壇に掲げられた燭台の蝋は、すでに無くなりかけている。


「来ませんね〜聖霊」


 しびれを切らしたかのような声が、ぼそりと落ちた。祈る聖女を見つめる、騎士服の男たち。騎士たちのなかでもひょろりと背の高い青年が放った言葉であった。その隣、壮年の男が口を開く。

「聖女様の祈祷力が足りないのかもしれん」

 その言葉に、茶髪の青年が鼻白む。

「騎士団長、なんてことを言うんですか」


「リカルドの前で聖女様の悪口はいけませんよ〜バルドー騎士団長」

 からかうように言った青年に、壮年の男、バルドーが返す。

「ああそうだな、カイ。聖女様に非はない。おそらく聖霊が我々を助ける気がないのだ」

 バルドーの言葉に、リカルドが歯噛みする。

「聖霊め、聖女様に恥をかかせるとは……」

 と、聖女の祈祷が止んだ。くる、とこちらを振り向く。


「あ」

 美しい紫の瞳ににらまれて、騎士たちはいっせいに口をつぐんだ。大聖堂は音が響くので、いかに小声で話そうとも周りに聞こえてしまうのだ。


 カイが遠慮がちに口を開く。

「聖女様、休憩されたらどうですか。『影』がそうすぐ現れるってわけでもないし」

「いいえ、なりません。聖騎士には聖霊が必要なのです。聖伝にもそう書かれているのですから」

 聖女は硬い声で言い、祈祷を続ける。


 これは長くなりそうだ──騎士たちの間に諦念の空気が走った。聖霊を呼べなければ聖女とは言えない。彼女が躍起になるのも無理はないのだが。


「聖女様を信じましょう」

 リカルドが押し殺した声で言う。


「もしもの時は俺が聖霊を踏んじばってきますし」

「いや、どうやってだよ」

 カイが小声で突っ込む。そう、聖霊は現れるはず。そのためにこの過ぎ越しの日はあるのだから。

 しかしそれから二時間経っても、聖霊はあらわれなかった。



 ☆



 昼間、その荘厳な姿を人々に見せていた聖ルクラス教会は、現在闇に包まれている。その窓には、明かりがぽつぽつと見えた。

「どういうことなのよっ!」

 聖女、クリスティーナは、自室で思い切り叫んだ。あれから、結局五時間祈りを捧げたが、無駄足に終わった。 


 彼女の着替えを手伝っていたユーリは、おろおろと口を開く。

「クリスティーナさま、お、落ち着いてください」

「落ち着けですって? このままだと過ぎ越しの日が終わってしまうっていうのに?」


 このまま聖霊を呼べなければ、クリスティーナの立場がなくなってしまう。彼女はほっそりした指先を噛み締めた。

「せっかく司祭に媚びを売って聖女になったのに!」


 司祭はにやついた五〇代の男で、礼拝に来ていたクリスティーナの美貌だけを見て、彼女を聖女だと断じた。つまりはクリスティーナに聖女としての力はないわけである。


 ──ああ、クリスティーナ様が困ってる……ユーリは眉を下げてクリスティーナを見た。正直性格はいいとは言えないが、まるで天使のような美貌を持つクリスティーナに、ユーリは憧れていた。


 なにかできることはないだろうか。そんなことを考えていたら、ノックの音がした。

「クリスティーナ」


 その声に、クリスティーナがはっとする。先ほどまでの苛立ちを消し去り、美しい容姿に可憐な風情をまとわせ、戸口へと向かう。少しだけ顔をのぞかせ、扉の向こうにいた男に微笑みかける。


「ごきげんよう、司祭さま」

「クリスティーナ、少し話があるのだが」

 司祭はそう言って、ちらりとユーリを見た。クリスティーナは後ろ手でユーリをしっし、と追い払う。

「し、失礼します」

ユーリはクリスティーナの着替えを持ち、慌てて部屋を出た。


廊下を歩いて行き、階段を降りたユーリは、回廊を抜けて洗濯場へと向かう。途中、侍女仲間のミーシャとかち合った。

「ミーシャ」

「あらユーリ。今から洗濯?」

 ミーシャの視線は、ユーリの抱えている洗濯ものに向かっている。

「うん。ミーシャは? もう仕事終わり?」

「そ。聖霊降誕祭がなくなったから、一気に暇になっちゃった」

 彼女は肩をすくめ、あとでお茶しよう、と言って、手を振りながら去っていく。ユーリも手を振り返し、洗濯場へと向かった。


 ユーリが教会で侍女として働き始めたのは、七年前のことだ。早くに母を亡くしたユーリは、放浪癖のある父に育てられた。父はユーリを教会に預けたまま行方をくらまし、それ以来ユーリは教会で暮らしているのだ。


 洗濯を終えたユーリは、厨房へと向かった。お茶を淹れて、ミーシャの部屋に持っていこうと思ったのだ。厨房につくと、働いていた同僚の侍女が振り向く。


「あ、ユーリ。ちょうどよかった。クリスティーナさまにお夕飯を持っていって。食堂にいらっしゃらないみたいなのよ」

「え?」


 教会に住むものたちは、基本的に食堂で食事をする。まだ司祭さまとはなしているのだろうか? おしかりを受けていないといいけど……ユーリはトレーを持ち、クリスティーナの部屋へと向かった。





 クリスティーナは椅子に座り、司祭を見上げていた。豊かな胸元が強調されるよう、少しだけ前かがみになる。

「司祭さま、お話ってなんですの?」

 小首を傾げたクリスティーナに、司祭は厳しい目を向けた。──なによ、その目は。いつもならやにさがった目で私を見るくせに。


「わかっているだろう。聖霊を呼べなかったことについてだ」

 やはりその話か。

「ああ、そのことですの」


 クリスティーナはなんでもないように言い、椅子から立ち上がった。さらりと銀の髪が揺れる。

「どうせ誰がやっても来ませんわ」

「……いや、方法はある」

「方法?」

「ただし、禁忌の術だ。これを用いて聖霊を呼んだ聖女は、焼き殺された」


 クリスティーナは息を飲んだ。

「焼き殺された……? 聖霊にですか」

「イグニスを知っているな?」

「ええ、もちろんですわ。教会が悪徳とする存在でしょう?」

「風の聖霊を呼んだ直後にあれが現れ、聖女を焼いたのだ」

「……呼んでもいないのに出てくるなんて、面倒な存在だこと」

「クリスティーナ、もしおまえに覚悟があるのなら──」


 その時、ノックの音がした。クリスティーナはそちらに視線を走らせる。ユーリです、入ってよろしいですか? その声に、クリスティーナはぴくりと反応した。唇に弧を描き、司祭を見る。

「司祭さま、お喜びになって。「犠牲のヤギ」にふさわしい娘が来ましたわ」





 ノックするも、一向にクリスティーナからの返事がないので、ユーリは首を傾げた。

「クリスティーナさま、開けてもよろしいですか」

「ええ、どうぞ」

ドアを開けると、クリスティーナが窓辺にひとりで立っていた。こちらを振り向き、微笑む。

「お夕飯をお持ちしました」

「ありがとう。そこに置いてちょうだい」


 ユーリはトレーを置き、頭を下げて去ろうとした。クリスティーナがそれを留める。

「待って、ユーリ。あなたにお願いがあるの」

「お願い、ですか?」

 ユーリは目を瞬いた。完璧なクリスティーナが、ユーリになにを頼むというのだろう。

「そう。ここに立って」


 クリスティーナに促され、ユーリは鏡の前に立つ。

「ユーリ、あなたに、聖霊を呼ぶ手伝いをしてほしいの」

 クリスティーナはユーリの耳もとに甘く囁く。なんだかドキドキする。


「私が? でも、私にはなにも」

「大丈夫、簡単なことだから」

 クリスティーナはそう言って、ユーリにペーパーナイフを差し出した。

「あなたの血で、鏡に文字を書いてほしいの」

「ち、血ですか」

「ちょっとだけでいいのよ」


 ユーリは迷ったすえ、ペーパーナイフで自身の指を切りつけた。ぷくりと血の珠がうきあがり、つうっと地面に滴り落ちる。クリスティーナはユーリの指をとり、鏡に字を書きつけた。

ESPRIT(エスプリ)

「えす、ぷり?」

「聖霊、という意味よ。こうすれば、聖霊を呼べるらしいの」


 クリスティーナは優しく言い、ユーリの指をハンカチでそっと包んだ。端正な眉根がきゅ、と寄る。

「ごめんなさいね。あなたにこんなことをさせて」

「い、いえ!」

 ユーリは慌てて首を振った。だけど──なぜユーリの血が必要だったのだろう? 聖女であるクリスティーナの血でなければ、意味がないのでは。そんな疑問を抱いたのもつかの間。鏡がゆらりと水面のように揺れ始めた。


「!」

 ユーリは思わずクリスティーナを見る。彼女はこちらを見下ろし、芸術品のような笑みを浮かべた。鏡の中から、美しい金髪が出てくる。徐々に、徐々に、鏡の中から全身が現れた。空のような、澄んだ青の瞳。それは鏡から完全に出てくると、とん、と地面に足をつけた。


「これが、聖霊……」

 クリスティーナは目の前に現れた美男子を、目を凝らしてみている。ユーリもポカンとしながら彼を見つめた。 

 ──なんて美しいのだろう。

聖霊はユーリとクリスティーナ、二人を見比べ、長いまつげを瞬かせる。


「よくやったわ、ユーリ」

「あ、ありがとうございます!」


 憧れの聖女に褒められて、ユーリは頬を紅潮させる。クリスティーナはちら、とユーリを見て、

「聖霊、この娘を窓から落としなさい」

「へ?」


 ユーリは思わず間抜けな声を発した。いま、クリスティーナはなんと言ったのだ? 聖霊はクリスティーナに従い、無言でユーリの腕をつかんだ。


「え、や、お待ちください、クリスティーナ様」

クリスティーナは申し訳なさげに眉を下げ、

「ごめんなさい、ユーリ。あなたが聖霊を呼んだなんてみんなに知られたら、私の立場がないでしょう?」

「わ、私、誰にも言ったりしません!」

「さあ、どうかしら。口ではどうとでもいえるからね。それに、焼き殺されるよりは楽な死に方じゃないかしら」


 聖霊にずるずる引きずられ、ユーリは悲鳴を上げた。ものすごい力だ。こちらを見下ろす青の瞳には、なんの情感もこもっていなくてぞっとする。


「お願いです、クリスティーナ様、お許しください!」

 引きずられていったユーリは、開いた窓に押し付けられた。下から、風が舞い上がってきて、ユーリの髪を乱暴に撫でていく。

「っひ」


 ここから落ちたら確実に死ぬ。もがくが、聖霊が強い力で押さえつけてきた。近づいてきたクリスティーナが、やけに優しい口調で言う。

「あなたのことは忘れないわ、ユーリ」

 彼女が指を鳴らすと、ユーリの体が傾いだ。

「!」

 悲鳴すらあげず、ユーリはそのまま一気に落下していった。







 暗闇の中、ユーリの姿が完全に消えると、クリスティーナはふっと眉を下げた。

「かわいそうに……いい子だったのにね」

 それから、聖霊に向き直る。

「おまえ、名前はなんというの?」

 きわめて無表情に、聖霊は名乗った。

「ルピナス」

「そう……こっちに来なさい」


 近づいてきたルピナスの頬を撫で、クリスティーナは微笑んだ。

「本当に美しいわ……私の聖霊」

 そうして、唇を近づける。重なり合った二つの影が、そのまま寝台に倒れこんで、部屋の明かりが消えた。


 クリスティーナはクローゼットの中にいる司祭のことを思い出し、ああ、そういえばあのおっさんがいたわ、と思う。しかし、ルピナスのみずみずしい唇の感触に、どうでもいい、と思う。男が美しい女を好むように、女も美しい男を好むのだ。


 その直後、鏡の中から何かがひゅん、と飛び出し、部屋の窓から出て行った。

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