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直ぐさま馬を走らせ山道をかけ登る。
右に山肌、左は崖になっていて狭い曲がりくねった道は速度が出ず、落ちる恐怖心を必死に抑えながら駆けていく。
徐々に高度が上がり崖下の景色は一面の森が広がり、木々より高い所まで来ている事に気づく。
ぐるぐると山道を走り、よく似た景色だけが視界に現れてくる。
「はぁはぁ……」
(止まっては駄目だ、止まったら終わってしまう)
どんなに辛くても疲れていても今は休めない、この状況を乗り越えてからいくらでも休めば良い、それだけを考え疲れた体にむち打って走り続けるが、後ろの兵士達は前方に陽太を捉えていて、更に速度を上げて追ってきていた。
「ああ……、あっ、ああ…………」
もう後ろから蹄の音が聞こえてくるのが分かった、地理でも馬術でも陽太に勝てる見込みもなく、じわじわと距離を詰められてくる。
走り出してからどの位の距離を逃げてきたのか一本道の山道をひたすら走り、いつの間にか山肌が左に眼下に見える景色は海になっているのが目に入った。
「待て!」
後ろからの怒号が陽太に恐怖を与える。
もう手が届くのではないかと思うほど追っ手が近くに来ているのが分かった、陽太は必死に逃げようとするが曲がり道ではどうしても先が読めないため速度が落ちてしまう、だが地理を知り尽くしている兵士達は落とすところとそうでないところを知り尽くしているので、どうあがいても捕まるのは時間の問題であった。
陽太が曲がり角に差し掛かったとき後ろの兵士がぐんぐん差を詰め陽太を追い越し道を塞いだ。
曲がり道で急停止した陽太は前と後ろを兵士達で挟まれて崖際に詰め寄られてしまう。
「おい小僧、貴様オルサの連れ子だな」
隊長格の兵士が声を上げた。
「ち、ちが……」
「ではなんで逃げる、どこの者だ、言え!」
「あ、ああ……、ぼ、僕は…………」
陽太は恐怖で声が出なかった、兵士十人に囲まれ後ろには大海原が広がる崖で落ちればひとたまりもなかった。
「いいだろう、言わぬならゆっくり尋問してやる、さぁ来い」
手を伸ばし陽太を捕まえようとする。
「うわああ、やめてぇ」
兵士の手から逃れようと後ろに下がったとき、馬が足を踏み外し崖下に落ちていった。
陽太の視界に入ったのは一面の青空から緑色の遠浅の海の色だった。
「うわああ」
陽太はもう駄目だと確信した、飛べるはずがないのに体をばたつかせる、すると手が腰に差してあったワンドに触れた。
無意識にワンドを手につかんだ陽太は必死に詠唱を唱える。
馬もろとも落下していく陽太が海面に叩きつけられようとしたとき、水面が盛り上がり水柱が陽太と馬を飲み込んだ。
水の中で衝撃が抑えられ気がついたときは水面に浮かんでいた。
「はぁはぁ、たたっ、助かった」
崖上を見ると兵士達は陽太が生きているのを見て騒いでいた。
兵士達が豆粒に見えるぐらいの高さから落ちてきたんだと思うと、陽太はよく助かったなと自分に驚いた。
騒いでいた兵士達は急いで馬に乗り込み駆け降りてくるようであった。
陽太は砂浜まで急いで泳いでいく。
一緒に落ちた馬は既に砂浜に上がっており、どこも怪我はしていなさそうで陽太が来るのを待っていてくれた。
「ありがとう、待っててくれたんだね、でも直ぐ逃げないと奴らが来ちゃう、もう少しがんばってね」
馬に乗りそのまま砂浜を走っていくが、直ぐに砂浜は途切れて岩場と切りたった崖で塞がれていた。
「こっちにいこう」
陽太は砂浜から出て木々の密集する森の中に入っていった、山で囲まれた山間部の森に入るしか道がなかった。
この森を早く抜け次の国に入れば、いくら兵士達であろうと余所の国にまで追ってこられないだろう、そう思い道無き森の中を進んでいった。
昼過ぎだというのに樹木が日光を遮って薄暗く地面まで光が届かなくて、苔や倒れた木々で歩きにくい中、動物が走り回る音があちらこちらから聞こえていた。
「ううっ、こういう雰囲気好きじゃないよ」
オルサといた森と同じようでいて何かが違う、その違いが何かは分からなかったが陽太には何かが違うように感じられた。
時折響く地鳴りのような震動が体に伝わってくる、どこから響いてきているのか森全体が震えているようで初めは地震かなと思っていたが、それは次第に大きく間隔が短くなってきていた。
「なんだろう」
近そうで遠いそんな音だった、森を抜けていくと更に音が大きく伝わり振動も強くなっていた。
抜けた先にはさっき陽太がいた山道に続く道に出てきて、山を降りた麓で兵士達が何か巨大な動物と戦っていた。
「わっ」
すかさず近くの木に身を隠して様子を窺う。
短い足に丸まった背中をしていて太く長い首、頭は大きく顔の幅もある大きな口にはたくさんの牙が見えた。
その姿はまさしく恐竜のようだった、馬の何倍もある巨体を身軽に動かし兵士達に向かって低い声で威嚇している。
兵士達も剣を抜いて恐竜を取り囲みながら応戦しているが、道ばたには兵士と馬の死体が三つと三頭転がっていた。
いずれも体に大きな歯形が残されており、馬に至っては歯形の部分から肉がもぎ取られていた。
陽太を追ってここまで山を下りてきた時に突然襲われたのか、死体の兵士たちは剣も抜かずに絶命していた。
怒号が飛び交い恐竜に切りつけながら大きく後退し、死角にいる兵士が交代で剣を振るっていくが、堅い皮膚に傷はつけたものの決定打には至らず逆に恐竜を怒らせているだけだった。
陽太は兵士達の戦いを時間が掛かると見て、街道に併走しながらて北へと森の中を進んでいき、山道に入るぎりぎりで街道に出ると、そこから一気に山道を駆け入っていく。
山道を抜けるまで止まらずに走り続け、山を二つ越えて平原に出ると村を見つけることが出来た。
そこで陽太は村人にここは何処かと尋ねてみる。
「ここはダントの村だ、ムーンバート国の一番南にある村だ」
村人から聞いた場所は既に隣の国の領土だった。
(ふぅ、これで取りあえず一安心だ)
「ところでお前さん、なんでそんなにびしょ濡れなんだ?」
「え? ああ、海に落ちちゃったんだ」
「あれま、そりゃ大変だったな早く乾かさねぇと風邪引いちまうぞ、なんなら家で乾かしていくかい?」
そう言われたがそれほど寒いわけでもなく馬に乗っていればいずれは乾くだろうと、何よりもう少し先に進みたかった。
「ありがとう、でも大丈夫、まだ先に行きたいからもう行くね」
「そうか、気ぃ付けてな」
手を振って別れると村を出た。
「もうこれで安心だね、ゆっくり旅が出来る、次の町で泊まって地図を買おう」
独り言を言いながら馬の首を撫でた。
やっとの思いで逃走劇が終わり、他の国に逃げ込めたのは運が良かったとしか言えなかった、もう少し宿屋を出発するのが遅ければ行く先々で見知らぬ子供が旅をしてるとのを怪しまれていただろうし、何よりあの国から脱出出来なかったろう。
追い込まれ崖から落ちたとき杖に触れなければ、あのまま海に落ちて海底に激突していたかもしれなかった。
しかし陽太はそこまで運が良かったと感じているわけでもなく、何よりオルサとの別れを招いてしまった自責の念のほうが強く、オルサが期待してくれた魔道士になることが最大の目的であり、なんとしてもエスタルに行く事だけが常に頭にあった、その為ならどんな困難や恥を耐える覚悟は出来ていた。
「見通しが良くて落ち着く、そろそろ夜になっちゃうね、次の町はまだ遠いかな」
平坦で短い草の生える平原の道を行く陽太の先に見えるのは、広い大地の地平線であり、どこにも建築物らしきものは見えない。
左側に見える太陽は地平線に隠れる準備をしていた、沈み始めればあっという間に姿が見えなくなるだろう、陽太は沈む前に町を見つけ出しておきたいと歩調を早めるが、直ぐに陽は傾き辺りは真っ暗になってしまった。
「もう足下も見えないや、今日はここで野宿しよう」
道も見えず地平線すらも境目が分からなくなるほどの暗闇に包まれると、馬から下りて荷物をまさぐりたき火の用意をする。
手探りで時間が掛かったが何とか火を起こす事が出来ると、平原の真っ只中に一つの明かりがぽつりと灯る。
暖を取りながら持っていた干し肉を少しずつちぎりながら口に運ぶ陽太と、隣には馬が陽太に寄り添いながら一心不乱に草を食べている姿があった。
「それにしても何もないところだね、本当にここはパンゲアなのかな、あんな恐竜図鑑でしか見たことがないような動物もいたし、でもそれだと人類なんていないはずじゃ……、元の世界に帰りたい…………とは思わないけど一人は寂しいな、君は何も言葉を返してくれないしね、へへ」
馬は我関せずにもくもくと草を食べ続けている。
「そうだ、君に名前をつけてあげなくちゃ、何が良いかな」
横になりマントに包まりながら名前を考えていると、疲れが襲ってきて落ちるように眠りについた。
夜明け前、薄明るくなってきて道が確認出来るぐらいに起きた陽太は、早速馬にまたがり街道を進み始めた。
それから数日間、平原や山を進む間にも行き交う人に何度かすれ違いはしたが、あいさつを交わすぐらいで話し込むこともなく街道を旅していた。
白々と明ける地平線からの明かりだけを頼りに、道を進んで行くと次第に緩やかな上り坂に変わってきた、小高い丘を登り切るとその向こうに町の影がうっすらと見えてくる。
町に明かりはなくまだ人々は眠りの途中なのだろう、ゆっくりと坂を下って町に近づいていくと道脇には何かの作物を作っているのか、畑からいい香りが漂ってくる。
その香りを嗅いでいるとお腹が鳴ってきた、ここ数日干し肉位しか食べていなかったのでまともな食事がしたかった。
追っ手が来ないと分かると何か美味しいものが食べたくなってくるが、時間的にはまだ早く店が開くまで待ってられなかったので、仕方なくこの町は諦めて今日中に次の町に着けるならそこで食べようと我慢をした。
町中は静けさの中に時折がさごそと微かな音が聞こえてくる、起きた人が朝の支度でもしているのだろうか、しかし家に明かりは点いていないのでどこの家から聞こえてくるのか分からない。
石造りの茶色い家が並び、特徴のない形なのでよく自分の家が分かるなと陽太は思いながら町を抜けていく。
次の町に着いた時はもう夕暮れ時になっていて、町は煌々と明かりが灯されていた。
街道沿いには等間隔にかがり火が設置されていてまるでお祭りでもあるかのように明るく、買い出しの人でごった返していた。
「うわあ、すごい人だ、ここは大きな町なんだ、外からじゃ分からなかった」
森に隠れた町は奥に行くほど広がった町並みになっていて陽太は馬から降りて並んでいるお店を見て回った。
「良いにおい、甘い香りがする」
どこの店から漂うのか、焼けた甘い香りが鼻腔をくすぐる
「そういえばこっちでまだ一度も甘いものって食べてないや、お菓子みたいなのってあるのかな」
うろうろと立ち止まっては何が売ってるのか確かめながら町の奥へと入っていった。
路地裏に目をやるとたくさん露店が並んでいるのが見えていた。
陽太は肉の焼ける香りに誘われ路地裏へと入っていくと、明かりが灯されてはいたが薄暗く道が細いので人通りも少なかった。
「この匂いだ、おじさんこれ一本頂戴」
「あいよ銀粒小二つだよ」
「うん」
袋から手渡すと大きな骨付きの焼き肉を受け取った、匂いを嗅ぐと一気にかぶりつく。
「美味しい、何の肉かわかんないけど鶏肉っぽいなあ、肉汁が溢れてくる……これは大正解だ」
嬉しそうにしたたる肉汁一滴も溢すまいと口ですすりながら食べ歩いて行く。
元の道に出て他に美味しそうな物はないか見て回り、宿に着くまでには手にいっぱいの袋を抱えて宿屋に入った。
「何から食べようかな」
袋にはお菓子類からパンに色々な肉や野菜を挟んだ物など、目についた物を手当たり次第買ってきていた。
革袋に入った飲み物を手にして一口飲んでみると、さっぱりと酸味の効いた果物のジュースが食欲をそそる。
陽太が初めて目にする物が多く、どんな味か興味津々にゆっくりと味わって食べ尽くしていく。
国を出てから初めての充実した時間を堪能し、食べ終えて湯浴みをすると久しぶりの寝台でぐっすりと気を張ることなく眠ることが出来た。
次の日もふかふかの布団が気持ち良く、食事以外一日中寝て過ごしていた。