第三話
あったかいなぁ……すごく気持ちがいい。ふわふわした思考の中で、私はゆらゆらと漂っている。
……ッダ……エル……エルダッッ
誰かが私を呼ぶ声が聞こえる。早く起きないと。……でも、まだ寝ていたいなぁ。ゆっくりと覚醒していく意識の中、どんどん自分を呼ぶ声が大きくなっていく。
「……あれ? ここは……?」
「よかった! 気がついたんだね!」
目を開けると、飛び込んできたのはほっとした顔のお兄様の顔だった。まだ覚醒しきらない頭で当たりを見回すと、あたりは真っ白な空間が広がっていている。
「お兄様……? 私たち鏡に入ったんだよね? ここは……?」
あたりは白、白、白。6畳くらいの空間だろうか?辺りは真っ白な白い空間が広がっている。ここは鏡の中なのかな?
「あ、うん。ここは鏡の中だと思う。今アッシュが調べてくれてるけど、どこにも出口とかが無いみたいで……」
少し困ったような表情をしながらお兄様は後方に目を向ける。その視線の先にはアッシュがいて、壁をコンコンと叩いたり、押してみたりしながらこの白い空間を調べているようだった。
「アッシュ! どう? なにかわかった?」
私は起き上がり、アッシュのそばへ行くと言葉を投げ掛ける。出口もない空間何て、どうすればいいんだろう? 何か手がかりがあるといいんだけど。
「エルダ様。お気づきになられたんですね、よかった。それが、今のところ何の手がかりも無いんです。」
すみませんと少し表情を曇らせるアッシュに、そうなんだ! 私も何か探すね! と壁を探り始める。
「押して駄目なら引いてみろということわざもありますが、引くところも無いんですよね」
ペタペタと壁をさわりながら、アッシュがそんな事を呟いた。引いてみる? 逆の発想が必要なのかな?
「取っ手みたいのがあればひけるのにね! うーん……どうすればいいんだろう?」
頭で考えてもわからなくて、うーん……と腕を組んで考えてみる。なんだかこのポーズをとると浮かぶような気がするから不思議だ。
「僕は床を調べてみるね」
お兄様は私たちに声をかけると、床を叩いたりしながら探り始めた。床も何かあるかもしれない。
「わかったわお兄様! 何かあったら教えてね!」
「フェイ様、十分注意しながらお願いしますね」
「わかってる。みんな何か手がかりが見つかったら報告してね」
そう三人で声をかけあうと、私は無言で壁を探り続ける。逆の発想……逆の発想……。意外な方法が出ることに繋がるかもしれない。でも、意外な発想ってなんなのかな?
意外……意外……意外……?
「あーもうわからないやー! 案外壊れるかもしれないし、タックルとかどうかな! やってみよう! とりゃー!」
私は頭を使うのが苦手だから物理的にためしてみようと少し壁から距離をとり、掛け声をあげながら思いっきり壁に飛び蹴りをしかけてみた。鈍い音がして、壁が消失した。やったぁ!
「「エルダ(様)!?!?!?」」
アッシュとお兄様の驚いた声が聞こえる。でも遠くから……あれ? 遠くから……?
――あれ?
「落ちてる――――っ!?」
勢いよく壁をぶち破ったのはいいけど、勢いが良すぎてすごい勢いで下へと落ちていく。上も下も真っ黒で何も見えない。やばい、かも……?
*
「……ミ……ザミ」
誰かに名前を呼ばれている気がする。いつかどこかで聞いたことのある声。数少ない、私の知っている人たちは、皆他界してしまったはず。あなたはいったい、誰?
「アザミ!」
「おい、起きろ!」
「――っ!」
二人に呼ばれてハッと目が覚める。慌てて跳ね起きると、ホッと息を吐く音が聞こえた。
「よかった。目が覚めましたね……」
「ここは……?」
頭がグルグルする。気持ちが悪い。
「落ち着いてください。世界を移動した反動で混乱しているだけです。まず、ここに来るまでのことを思い出してみてください」
ハラン様に言われて、深呼吸をしながら、記憶を辿る。たしか、月の涙でできた池に、ローダンに手を引かれて飛び込んだはず。なんで飛び込んだのか。池の中に、中間の世界があると聞いたから。
そこまで思い出して、私は周りを見回す。だがそこに広がっていたのは見慣れた暗闇だった。
「私たち、騙されたの……?」
私の呟きに、ハラン様は首を傾げる。
「それが……わからないんです」
「どういうことですか」
「空を見てみろ」
ローダンに言われて、少々ムッとしながらも空を見上げ――絶句した。
「月が、ない……?」
月だけじゃない。その周りにあるはずの星もなかった。
ローダンが頷く。
「雲で隠されることはあっても、月や星の輝きが完全に見えなくなることなどなかった。ここは、裏の世界ではない」
「じゃあ、ここは……」
「太陽、と言うものも見えませんし、第一明るくもない、明かりもない。そんな中でお互いが見えている。とりあえず、裏でも表でもないのなら、消去法でここが中間の世界、なのでしょう」
「それなら、この世界に宝物が――」
ふっと私は口を閉じた。見るとローダンとハラン様も、口を閉じて険しい表情をしている。張りつめた空気に、私と同じことを二人も感じたのだとわかる。
ローダンが腰を落としたままそろりと動いて、ハラン様と私を背に隠す。その手は腰にある剣に伸びている。私は、いつでも魔法が使えるように精神を研ぎ澄ませる。
ふと風の気配を感じる。これは――。
「上!?」
「――ぇぇぇえええええええええええっ!」
私が叫んだのと、その少女が落ちてきたのは同時だった。オレンジ色のリボンが飾れた柔らかそうな金色の髪。ふわっとしたワンピースに包まれた細いからだ。首元につけている石と同じ色の瞳は恐怖の色に染まっている。というか、恐らくこのままだと、あの少女は地面に思いっきり頭を叩きつけて死んでしまうだろう。
それは反射だった。
私は手をその少女に向けて伸ばす。そして。
「風よ、少女を抱きとめてっ!」
ふわり、少女が宙に浮く。そして、私がゆっくりと手を下すと、それに合わせて少女も地面に着地した。が、力が抜けたのか、そのままへたり込んでしまう。私は慌てて立ち上がり、駆け寄ろうとする。が、ローダンに腕を掴まれた。
「離して!」
「待て」
「なに!?」
「まだ落ちてくる」
「はあ?」
間の抜けた声で返した瞬間、本当に上から人が降ってきた。もう、この空間は何が何だかわからない。
*
何がどうなっているんだろう? 呆然と今起こっていることを整理しようとする。あの白い空間の壁を突き破って、真っ黒な空間に落ちていって……。
そうしたら女性の声がして、体が宙に浮いて……で着地できて……。
目の前には、三人の人影が見えた。さっき助けてくれた人かな? お礼を言わないと……!
すっかり力が抜けた体に力を入れ、立ち上がろうとする。まず第一声はお礼よね! 挨拶は最初のコンタクトだもんね!
「あ、あの……!」
目の前の人影に声を掛けようとしたそのとき、すごい音が後方から聞こえた。
ドカアアアアアアアアアアアアアアアン!
「……エルダ様、ご無事でしたか?」
「ちょっと……! アッシュはやくおろして!」
驚いて後ろを振り向くと、いつものにっこり顔のアッシュと、お姫様抱っこをされていているお兄様がいた。
……あれ? 私落ちたときすごい勢いだったよね? 何でアッシュは無傷なの? ……考えないでおこう、うん。
「あ、うん、大丈夫! 助けてもらったの! えっと……」
私はもう一度前を向くと、三人の人影に目を向けた。二人は女性で、一人は男性みたいだ。
「さっきはありがとうございました! 本当に助かりました!」
私は急いで立ち上がり、深くお辞儀をすると、お礼を言った。
「それは失礼いたしました。私はアッシュ・キャストライトと申します。表の世界の王家に仕える騎士をしております。我が王女が大変お世話になりました。以後お見知りおきを」
アッシュが優雅な仕草で深くお辞儀をすると、周りの空気が一瞬で冷たくなった気がした。
「私は表の世界の王女のエルダ・シトリンといいます! こちらが兄の――」
「妹が大変お世話になりました。僕はフェイ・シトリンと申します。」
いつの間にかアッシュのお姫様抱っこから抜け出したお兄様が、余所行きのまぶしい笑顔を浮かべながらお辞儀をした。
黒い髪の綺麗な銀の瞳の女の子と、背の高いがっしりとした体格の男性の表情がみるみる引きつっていく。
銀の髪のどこと無く不思議な感じのする綺麗な女性はおとっりとした微笑をうかべ、私たちを見ていた。
なんとなく、なんとなくだけど黒い髪の女の子と銀の髪の女性は似ている気がする……姉妹なのかな?
なんで二人はそんな表情をするんだろう……私、何か失礼な事をしちゃったのかな……?
無言の空間で、私はただ相手を見つめることしかできなかった。
*
彼ら三人は表の世界の住人だと言った。私たちとは違う世界の住人。私の母さんと父さんが死んだ原因の世界の住人。王女と王子。どちらかが太陽の属性を持っている。太陽の属性を持つ者がいなければ、表の住人は魔法を使えない。半分の確率で先ほどのお姫様がその属性だったかもしれない。……助けなければよかった。
「それはそれは……とても高貴な方々ですわね。もしかして、宝物を探しにこちらへ?」
後ろから良く透るハラン様の声が、彼らに話しかける。キョトンとした顔のお姫様はパァッと顔を輝かせて、微笑んだ。
「そうなの! もしかして、あなたたちも?」
「ええ、そうなんです」
「じゃあもしかして、裏の世界の方々なんですか?」
「はい」
「わあ! 私、裏の世界の方とお話しするの、初めてなんです!」
キラキラとしたまぶしい笑顔。私たちの知っている星や、月なんて目じゃないくらいの輝きに、とてもじゃないが直視できなくなる。
「そう……あなたたちではないんですね」
あなたたちではない?
「へ?」
お姫様が、訳が分からないという表情をする。だが、私はもしかして、と察してしまう。
「いえ、なんでもありません」
振り向くと、柔らかな微笑みのハラン様。この人は、私の両親が関わってしまった表の住人が、この中にいるのではないかと思ったのだろうか。
ハラン様は立ち上がると歩き始めた。そのまま私とローダンの横をすり抜けようとする。
「ちょ――」
「大丈夫です。もしものときは、ね?」
ハラン様がチラリと私たちを見て意味深に微笑む。ローダンはため息を吐く。それを見て、ハラン様はもう一度微笑むと、私たちの前に立った。そしてそのまま跪く。
「ハラン様! 何を――」
「何って、表の世界の王家の方々にご挨拶をするため、跪いただけですが」
「あなただって王家でしょう!」
「そうなんですか!」
突然割って入ってきた明るい声に、私たちは顔を向ける。無邪気なお姫様は、どこか興奮気味だ。
「アッシュ! お兄様! 裏の世界の王家の方々だって! 私たちと一緒ね!」
「まあ、王家の血の者がいなければ、魔法は使えないですからね」
楽し気なお姫様にアッシュと名乗った青年が答える。
「あ、そっか!」
「エルダは抜けてるからね」
なんだこの二人は。背景にお花畑が見える気がする……。見上げると、ローダンが毒気を抜かれたような表情をしている。
「改めまして。お初にお目にかかります。私は裏の世界の第一王女、ハラン・エリンジウムです。彼はローダン・カポック。幼いころより、私専属の騎士として仕えてくれています。そしてあの少女はアザミ・サラサドウダン。最近知り合った、魔法に詳しい者です」
そしてハラン様は顔をあげる。
「無礼を承知で申し上げます。裏の世界の住人は、表の世界の方々に対して、あまり良い印象は持っていません。なによりも、太陽を失ってしまったことが大きいのだと思います。私はこの事実を、とても悲しく受け止めています。だからどうか、裏の世界にも太陽が巡るように、協力をしていただければと思います」
綺麗な銀髪が汚れるのも気にせずに、ハラン様は額を地面につける。
「ハラン様……」
「……」
ハラン様だって高貴な方だ。そんな人が頭を下げる。私のときは、私が一応は被害者だったから加害者としての謝罪だった。だけど今回は違う。私たち裏の世界の住人を背負った上でのこの姿はとても、綺麗だった。
ああ、この人はきっと、王になる。女性だから女王なのだろうけども。どこかでそんな予感がした。
*
綺麗な銀の髪の女性、ハランさんが跪き、言った言葉に私は唖然とした。
裏の世界の住人の人達が、表の世界を良く思っていないだなんて全く知らなかったから。
アザミさんとローダンさんが、引きつった表情を浮かべていた理由がやっと理解できて、自分の無知さに恥ずかしくなった。
「そんな、顔を上げてください! 私は表の世界の方々には詳しく無いですけど、昔から夜の世界にあこがれていました! 夜を取り戻したいのはこちらの世界も一緒なんです! ですから、裏の世界の方々の気持ちもわかるつもりです……。お互い協力しあいましょう! 二つの世界に太陽と月をとりもどすために!」
私は笑顔でそう言い切った。笑顔は人を惹きつけ、説得する力を持っていると聞いたとこがある。
争いなんかはしたくない。出来れば仲良くなりたいし、平和に二つの世界に太陽と月が戻ってほしい。
「ありがとうございます」
ハラン様は顔を上げ、立ち上がり凛とした笑顔で言った。その笑顔が素敵で、綺麗な人だなあとつい見つめてしまう。
「では、これからよろしくお願い致します」
「こちらこそ! よろしくお願いします!」
スッと差し出された手に、自分の手を差し出そうとしたその時――。
「皆様、中間の世界へようこそ。表と裏、二つの世界が手を取り合ったとの事で、第一の試練は突破したものとみなします」
ふいにどこからかそんな声が聞こえた。この声は……?
「!? あなたは……誰ですか……?」
無機質で感情が感じられない女性の声。あたりを見回しても私たち六人以外の人影は見当たらない。
「私は何者でもありません。強いて言うなら……あなたたちに試練を与える者です」
何者でもない……? 試練を与える者……? いきなりの出来事に頭が混乱する。
「早速、第二の試練を与えます」
突然降ってわいた声は、そう告げる。第二の試練……? 一体これからどうなるんだろう?
裏の世界の方々に、無機質な声の主。様々な出会いがあり、進んでいく。
何だろう、不謹慎だけど……わくわくする!
私はそんな高揚する心を感じながら、第二の試練の内容に耳をかたむけた。