第二話
「アザミ、アザミ――」
柔らかくて優しい声。大好きな声。もう、聞くことのない声。
どうやらあのまま寝てしまったらしい。ここは絶対夢の中だ。もしくは、ハラン様に魔力を注がれたときにそのまま死んでしまって、選ばれし者云々の話は私の妄想だったのか。そうじゃなきゃこの声が聞こえるはず、無い。
膝を抱え込んでうずくまっていた私は、そっと目を開いて顔を上げた。
私の前には祖母と、幼い頃の私がいた。見た感じ、十歳くらいだろう。幼い私はぎゅっと祖母の汚れた服の袖を掴んでいる。祖母はそんな私を、私と同じ銀色の瞳で目尻にしわを寄せてじっと見下ろしている。
「どうしたんだい、寂しいのかい?」
「どうして?」
祖母を見上げて幼い私は首を傾げる。祖母が苦笑するのが幼い私の背中越しに見えた。
「母さんも父さんも、表の世界に旅に出てしまったろ? 静かだから、寂しいんじゃないかと思ってね」
幼い私が首を横に振る。
「二人が外に行くのはいつものことだもん。もう慣れたよ。それに一人じゃない。ばあちゃんがいるもん」
両親が表の世界の研究で私を置いていくのはいつものことだ。私が物心つく頃にはすでにそんな感じだった。バタバタしてると思えば二人して旅に出て、帰ってこないな、と思えば数ヶ月経ってふらりと帰ってくる。そして私にいろんな話を聞かせてくれる。表の世界の人々について、表の世界の昔話、料理、芸術、お祭り――そして太陽のお話。本当に色んなこと。自分には想像もできないようなお話をたくさんしてくれる。そのお話を聞くのが好きだった。お話を聞いているときだけは、両親がそばにいてくれたから。二人の温もりを、確かに感じることが出来たから。
「ふふ、嬉しいことを言ってくれるねえ。でもね、寂しいなら寂しいって母さんと父さんに言うのよ?」
「寂しくないったら」
「はいはい」
幼い私の強がりに、祖母はくすくすと笑う。
「そんなことよりばあちゃん! 早く魔法教えてよ! もっともっとうまくなって、次に二人に会ったとき、驚かせるんだ!」
自分の中の不安や寂しさを一生懸命振り払うように、明るくて大きな声で教えを乞う幼い私に、祖母は静かに笑う。ゆらり。祖母の姿が揺れる。
ぎゅっと幼い私は祖母に抱きしめられる。
「――ごめんね」
風が吹く。強い風。目を開けていられなくて、私は強く目を閉じた。
しばらくして風がやみ、私は目を開いた。
黒い服を着た私の背中が目の前にあった。さっきまでの幼い私よりも背が伸びている。でも身体の線はどこか頼りない。きっと十二歳の私。その黒い服には見覚えがある。そして紐で腰にくくりつけたナイフも。
裏の世界では、親族が亡くなるとそれから一年間、黒い服を着て、形見を身につけなくてはならない。私が十二のとき、祖母は寿命で亡くなった。静かな顔で。
黒い服を着た私の前には両親がいる。両親は少し屈んで黒い服を着た私に目線を合わせている。
「アザミ、本当にいいの?」
黒い服を着た私は大きく頷く。
「私、もう十二歳だよ? 自分のことは自分で出来る。だから、母さんも父さんも私のことなんか気にせずに研究頑張って!」
まだ不安そうな顔をしている両親を、グイグイと押す。
「表の世界のお話、楽しみにしてるから!」
「でも――」
「私は一人で大丈夫だったら! 心配性だなあ。ほら、いってらっしゃい!」
両親の姿が揺らめく。そして二人が消えると同時に黒い服を着た私が、ゆっくりとこちらを振り返った。堪えようとしている何かが、その表情を暗いものにしている。
「ねえ、本当に一人で大丈夫だったの?」
「……」
わからない。ただ両親がいない時間は、とても退屈な物になった。祖母の遺した本を読んで、大好きな魔法を練習して――。
「本当は連れてってほしかったくせに」
「私じゃ、足手まといよ」
表の世界の知識は、両親が話してくれるお話程度。私がいたところで二人の研究の邪魔にしかならないだろう。それだけは嫌だった。
「得意な魔法を一生懸命練習してたのは、それで認めてもらえれば連れて行ってもらえるんじゃないかと思ってたからでしょ」
「……」
「連れてってもらえなかったね。表の世界にも、あの世にも」
「そうね」
あのとき。両親が突然家に戻ってきたと思ったら、いきなり腕を引かれて私は走っていた。走りながら、表の住人と親しくなったこと、そしてそれが裏の世界の王族にばれてしまったこと、捕まれば間違いなく自分たち三人は殺されること、今からその親しくなった表の住人の場所まで逃げようとしていることを伝えられた。
状況はすごく深刻。だけど私は幸せだった。きっと二人だけならすぐに逃げられただろう。それなのに両親が私を見捨てずにわざわざ家まで戻ってきてくれたことが嬉しかった。だから私は、逃げ切るために躊躇うことなく王族からの追っ手に魔法を使った。たくさん使った。逃げ切れれば、これからはきっと三人で一緒に、両親の大好きな表の世界で暮らせる。もしも逃げきれなくても、今度は三人一緒、一人だけ残されるなんてことはない。そう信じていた。
信じていたのに。現実は、結局一人だった。
「連れてってよ……」
「言われなくても」
中性的な声。一瞬にして私の目が覚める。目の前には銀色の瞳と、白銀の糸のようなさらさらと音を立てる長い髪の毛。
私はその場から飛び退いた。その様子を見ておかしそうにハランが笑う。と、その間にローダンが割り込んでくる。
「ハラン様。不用意にこいつに近づかないでください。あなたが少しでも傷つくことがあったら、俺は後悔してもしきれない」
まるで私が殺人者かなにかのような言い方に、イラッとする。私は確かに罪人の娘ではあるし、逃げる際に人に魔法を使った。だがそれは足止めになりはしても、訓練を受けている追っ手たちの息の根を止めることには繋がらなかった。それが狙いではないのだから当然と言えば当然なのだが。
「後悔すればいいじゃない」
「なに」
ローダンの目がすうっと細くなる。眉尻に血管の線が浮く。捕まった際に没収された物は、旅に出る際に返された。その一つである腰にくくりつけたナイフに、すっと手を伸ばす。瞬間、私は地面に押さえつけられていた。頭が痛い。私は自分を押さえつけているローダンを睨みあげる。草の匂い。ローダンの肩越しに冷たい月が見える。お互いの息の音がする。
「ローダン、おやめなさい」
「なぜですか。こいつはナイフを抜こうとした」
「それはあなたが失礼なことを言うからでしょう」
「しかし――」
「では問いますが、儀式用のナイフで人を殺めることができると思うのですか」
「儀式用?」
ハラン様が呆れたような息を吐く。
「あなたは本当に、そっちの方面に疎いですよね。大きな魔法を扱うときに、集中するために道具を用いることがあるのです」
クシャクシャと音を立ててハラン様が歩いてくる。そしてしゃがむと、私の腰にくくりつけてあるナイフを、鞘から抜いた。
「その証拠に、ほら」
すーっと刃の部分に指を滑らせてから、指の腹を見せる。そこには傷一つない。
「このナイフ単体は、誰かを傷つけるためにある物ではない。まあ、そのナイフでどのような魔法を使うかにはよりますが」
「勝手に人の物に触れないでいただけますか」
「あなたが彼を挑発するからでしょう」
「返してください」
「では、私たちを仲間として見てください」
「はあ?」
私とローダンの声が重なる。ハランはにっこりと笑う。
「もちろんアザミだけではなくローダンも、ですよ?」
「何を言って――」
「私たちは選ばれし者です。この世界に住む者たちの願いを叶えるためには、私たち三人がバラバラでは話になりません」
「私は――」
「そうそう。宝物を前にしたとき、あなたがもしも皆の願いを奪うような真似をしようとしたら、私はあなたを殺します」
「――!」
「ハラン様!?」
柔らかい雰囲気を持つ王女の口からそんな物騒な言葉が出てくるとは思っても見なかったことだ。それはローダンも同じだったようで、目を見開いている。ハラン様は私たちを見て凛と微笑んだ。
「己の意志ではないとは言え、選ばれた以上果たすべきことは果たさねばなりません。それを阻もうとする者がいるのなら、排除するのみです」
「……私があなたの邪魔をするのは確実です。なら、今排除された方がよろしいのでは?」
「貴様……!」
「――っ」
私を押さえ込む力が強くなる。痛みに息を飲んだ。だが、それを気にする様子もなく、ハラン様は困った顔でため息を吐く。
「確かにそうなのですが、困ったことに言い伝えでは三人の選ばれし者が朝を連れてくると言われています。願いを叶えるまでに一人欠けるのはまずい気がするので、それができないんですよね」
そしてハラン様は綺麗に笑った。
「だからまあ、排除できるようになるまではしばらく動けないくらいの傷を負っていただくことになりますね」
「やればいいじゃないですか」
するとハラン様は首を傾げる。
「いいんですか? 動けるようになるまでローダンに背負ってもらうことになりますよ」
「ハラン様。俺が嫌です」
「私も、お断りです」
「ならば、そういったことを言うのはやめてください」
ハラン様が、ナイフを私の鞘に戻す。長い銀の髪に隠れて表情が見えない。
「せっかく助かった命なんです。大切にしてください」
ハラン様はそう言うと静かに立ち上がる。さらりと音を立てて髪の毛が揺れる。
助けてほしいなんて思ってない。
そう言い返そうとハラン様を見て、私は何も言えなかった。その表情は確かに軟らかく微笑んでいるのに、私と同じ色の瞳は痛みを耐えているように静かで苦しげだったから。代わりに私は息を吐き出した。
「分かりました。あなたたちを仲間として見れるように、努力はしてみます」
すると、ハラン様は安心したように息を吐いた。表情が少し和らいだ気がする。
「よかったです。ローダン」
「はい」
ローダンが私から離れる。私は起きあがろうとして手を突き、手首の痛みに声を漏らした。見ると真っ赤な痕になっている。あとから間違いなく痣になるだろう。小さく顔をしかめてから、私は無理矢理立ち上がった。
「そこの筋肉バカは魔法使えるんですか」
「おい、筋肉バカとは誰のことだ」
「魔法具も知らない、力の加減も出来ない人間のことよ」
「魔法具?」
ローダンの眉間にしわが寄る。私は大きくため息を吐いた。もちろん、これでもか、と言うくらい大げさに、わざとらしさを意識した。
「あっきれた。用語自体も知らないわけ?」
「アザミ、やめてあげてください。ローダンは魔力の注ぎがいが無いくらい魔法が苦手なだけなんです。でも代わりに、とても強いんですよ? 常に脊髄でものを考えているからか、何度もすんでのところで私の命を救ってくれているのです」
「いや、そんな、俺は当たり前のことをしているだけで……」
ローダンは頭をかきながら、ゆるんだ顔で笑っている。どう考えても最後の一部以外はほめられていないのに、だ。
ローダンは筋肉バカ。間違いない。ハラン様と目が合うと、にっこりと微笑まれた。なんだか、肩の力が抜ける。
「さて、少し時間が経ってしまいましたが、出発しましょうか」
「どこに行くんですか」
「月の神殿です」
私の問いに、ハラン様は答える。
「選ばれし者が集まったあと、どうすればいいのか、までは言い伝えにはなかったので、とりあえず神殿に行ってみよう、ということなのです」
「なるほど」
この世界は、城と神殿を中心として回っている。というのも、どちらかだけで世界を回すとどうしても考え方が偏ってしまうからだ。
ついでに言うと今の神殿の神官は博識だということで有名だ。その神官に、これからのことを問うのだろう。
「では、いきましょうか」
白色を基調とした部屋。出迎えてくれた神官は白い髪をうしろでゆったりと一つにまとめた知的な雰囲気の男性だった。
「お待ちしておりましたよ」
神官はそう言うと、私たちを奥の間へと案内した。複雑な模様が描かれたドアを開くと、私たちを部屋の中へ入れ、自分も入り、静かにドアを締めた。
「こちらへ」
神官の後をついて行くと、そこには大きな池があった。池には月が写っている。上を見上げると天井がない。代わりに透明な魔法の幕が張られているのが、うっすらと見える。
「この池はなんですか?」
ハラン様が問う。神官は恭しく頭を下げると口を開いた。
「この池の水は、太陽と離ればなれになってしまった月の涙でございます」
「月の涙……?」
訳が分からない、と言うようにローダンは呟く。
「太陽と月は仲の良い双子の兄妹で、表も裏も一つの世界だったときは二人とも夜明けと夕方に会うことが出来ていた。それなのに私たち人間が争いを起こしたせいで表と裏の世界が出来、太陽は表の世界に月は裏の世界に固定されてしまい、二人は離ればなれになってしまった。寂しがり屋な月は兄である太陽のことを思い、涙を流していたが、今はその涙も枯れてただ静かに、太陽の代わりに私たちのことを明るく照らし、見守っている。有名な言い伝えよ。……池があったのは初めて知ったけど」
「私も初めて知りました」
私が池の縁にしゃがみ込んでまじまじと見ていると、横にハラン様が来る。見上げると、ハラン様も興味があるのかじっと池を眺めている。その視線はなにか、別の物を見ている気がした。と思ったら、突然しゃがむと池に触れて指の先をチロッと舐めた。
「しょっぱい……」
「ハラン様、何を! 身体に毒かもしれませんのに!」
「大丈夫です、生きてますから」
「でも!」
「ま、まあまあ、ローダン殿。落ち着いてください。有害なものではないので」
「……本当ですね?」
ローダンがじっと神官を見る。神官はにこっと笑った。
「それは、水の属性を持つあなたの方がお分かりになるのでは?」
キョトンとするローダンに、私は本日何度目かの呆れた息を吐く。
「その池に触れてみてって言われてるの」
「触れて何か分かるのか」
疑わしげな目でローダンは私を見る。
「その属性を持つ者ならね。例えば私なら少しの風で、その風がどこから来たものか、人為的な物なのか、自然な物なのか、人為的な物ならそれが善意によって作られた物か、それとも悪意によって作られた物なのかを理解することが出来る。その分すごく集中力が必要になるけど、毒の有無くらいならそんなに集中力はいらないと思うから魔法初心者の筋肉バカでも分かると思うわ」
「おい――」
「ほら、ローダン。早くしないともしも池の水に毒があった場合、私が死んでしまいますよ」
ローダンはハラン様の言葉にはっとすると、池に近づいてきた。
「触れるだけ、でいいんだな」
「そうね。それで、少し集中してみて」
ローダンはそっとしゃがむと、池の面に触れた。そして目を閉じる。深い呼吸をする音が聞こえることから、おそらく魔法のイロハは知識としてあることがわかり、少しホッとする。
「……毒は、無い」
ぽつりと呟いて、ローダンは目を開いた。顔には汗が浮かんでいる。毒の有無の確認くらいならもう少し軽いと思ったのだが、魔法が苦手なローダンにはきつかったのだろう。ハラン様がふふっと笑う。
「ありがとうございます。それなら大丈夫ですね」
そしてハラン様は立ち上がると、神官に向き直った。つられて私たちも立ち上がり、同じ方向を見る。神官はそっと池の方へ手を向けた。
「池の中へお入りください」
「はい?」
私たち三人の声が見事に重なった。神官はそれに対して少しだけ笑うと、口を開いた。
「お嬢様の方は分かりませんが、博識であられるハラン様が月の涙の池の存在をご存じなかったことは無理もありません。私たち神官しかこの池の存在は知らされておらず、またこの池のことについてはあなた方選ばれし者以外に口外するな、ときつく言われておりますので」
「それはなぜですか」
「その池が、中間の世界へと繋がっているからです」
「中間の世界?」
神官が頷く。
「そこへ行けば、あなた方が探す宝物に関する手がかりを見つけられると聞いています。……私たちが聞かされているのは、そこまでです」
私たちは池を見る。
宝物を探すには、この中へ入るしかない。だけど、どのくらいの深さなのか分からないし、そもそも他の二人は分からないが、私は入浴以外で水に浸かる経験をしたことがない。
「ハラン様、いかがなさいますか」
「行きましょう」
強い瞳でハラン様は池を見つめる。ローダンはハラン様をチラリと見ると右手を差し出した。その手は私を通り過ぎてハラン様の前に差し出されている。ハラン様が首を傾げる。
「手をつないでください。もしもなにか予期しないことが起きたとき、あなたを助けるためです」
ローダンの言葉にハラン様はふふっと笑うと、その右手をとった。そして私の方に目を向ける。
「なら、彼女のことも助けてあげてください」
「別に私は自分のことくらい――」
「そうですよ。しかもこいつ死にたがりじゃないですか。そんな奴、助ける意味なんて――」
「彼女には仲間として見ることを強要しといて、あなたは見捨てるんですか?」
「いや、それ強要したのあなたですよね」
するとハラン様はついっと眉でハの字を描く。
「あなたとは幼少の頃、私の意志はあなたの意志だという契約を交わした記憶があるのですが、あれは嘘だったのですか?」
「いや、あの――」
「そうですか、あなたはそんな人だったのですね……。私はショックです。このまま身投げを、ああいいところに池が――」
「だああ、もう分かりました、分かりましたから! おい!」
「なに」
私はローダンを見上げる。見上げたその先にあった奴の顔には、デカデカと不服だと書いてある。
「こっち来い」
そう言って、自分の左側をビシッと指さす。ハラン様とのあまりの態度の違いに、私はローダンを睨んだ。本当に、誰かに助けられることは求めていない。初めての体験に恐怖と不安は感じるものの、もしものことがあれば、私は両親に会うことが出来る。ただ、それだけ。
「私は――」
「動けなくしますよ?」
ハラン様を振り向くと、にっこりと微笑まれてしまった。
「おい、時間の無駄だ、早くしろ」
渋々ローダンの左隣に立つ。腹立たしさに舌打ちをする。
「おま――」
「ほら、行くんでしょ」
私の言葉に、ローダンは無言で私の右手を握る。大きくて、硬くて、温かい手。全く違う手なのに、私は今朝の出来事を思い出した。
ばあちゃんにも、父さんにも、母さんにも置いて行かれた。家族でただ一人、私だけが生きている。そしてなぜか太陽を取り戻し、二人を奪った裏の世界に朝を連れてくる選ばれし者として、中間の世界へ行くことになる。なんでこんな世界の住人のために、私は。
「さあ、行きましょう」
ハラン様の言葉と同時に、グイッと力強く右手を引かれる。あっと思ったときには身体は宙に浮いて、そして次の瞬間硬い水面を割るようにして池の中へと沈んでいった。
*
「ねぇアッシュ! 私自分の荷物くらい持てるよ! そんなにいっぱい持つなんて大変でしょ?」
「そうだよ、アッシュ。僕もそんなに柔じゃない、エルダの分だけ持ってあげて? 自分の分は自分で持つよ」
「駄目です。お心遣いは大変嬉しいですが、フェイ様とエルダ様にお荷物を運ばせるなど、私には耐えられません。それに、このぐらいの量大したことはありませんから」
私たちの主張はアッシュの優しい口調と、柔らかい笑顔で否定されてしまった。アッシュはずるいと思う、全部笑顔一つで私たちをまるめこんでしまうんだから。
太陽の神殿への道のりはそこまで遠くなく、神殿からどこに行くのかも不明なため、徒歩で向かうことになった。
そこで問題なのは荷物だったりする。お城の城門でアッシュは私とお兄様と自分の荷物を受けとると、見たこともないような大きなリュックに全て荷物を詰め込んで、平然と背負いこんで歩き出したからびっくり。
何度も自分で持つよと主張しても、駄目ですの一点張り! あんなにいっぱい荷物を背負いこむなんて、肩を壊しかねないと心配になってしまう。
でも、かなりの量だし重さもあると思うんだけど、軽々担いで一ミリも重そうな感じがしないのは何でなんだろう? アッシュは汗一つかかずに、綺麗な姿勢のまま平然と歩いている。
「もう無駄だよエルダ。アッシュが駄目だって言ったら絶対曲げてくれないんだから。だからお言葉に甘えよう? ありがとう、アッシュ」
お兄様はクスッと笑うと、アッシュの左隣に移動して、声をかけた。
「ご理解頂きありがとうごさいますフェイ様。とんでもございません、これが私の役目ですので。そのお言葉だけで私は歓喜に満ち溢れております」
アッシュは完璧な笑顔を浮かべながら、自分の鼻をいつの間にか右手に用意していたハンカチで押さえている。
「そうよね、アッシュありがとう! でも、絶対大変になったら言ってね? 私いつでも持つ準備してるから!」
私もお兄様に習いアッシュにお礼を言って、アッシュの右隣に並んだ。
「エルダ様まで……! お二人は本当にお優しい。分け隔てなくお心を砕くその様。素晴らしいとしか言いようがありません! それにこの状況……まさに両手に花状態ですねこれが。楽園ですか、役得ですか、私は幸福者です」
何かを早口でぶつぶつと呟きながらアッシュは更にハンカチを強く握りしめつつ鼻に押し付けていた。
「エルダ、今すぐアッシュから離れて」
「どうして? お兄様?」
「いいから、大惨事になるよ多分」
グイッと腕を引かれ、不思議に思いながらお兄様の顔を覗きこむと、お兄様はいつものアレだよ、と困ったような苦笑を浮かべながら言った。
少し離れた位置からアッシュを伺うと、白いハンカチが真っ赤に染まっていた。
「あ、鼻血!」
「感動するといつもああなるよね」
うっすら涙を浮かべながらハンカチを鼻血で染める様子は、うん、ちょっとホラーだ。
「私たち、アッシュに優しくしちゃ駄目なのかなお兄様?」
「ちょっとワガママなくらいが丁度いいのかもね?」
お互いに顔を見合わせ、クスリと笑う。
「アッシュ! 早く鼻血止めないとおいていっちゃうよー!」
「申し訳ございません! 今すぐ気合いでとめますので!」
鼻血は止まったみたいで良かったけど、感動する度に血が足りなくならないのかな? そこだけが心配かも。
そんなやり取りをしているうちに、太陽の神殿に到着した。白色を基調とした神殿に入ると、外とは違う空気を感じる、澄んでいるというか。
「ようこそいらっしゃいました。お久しぶりです。フェイ様、エルダ様、アッシュ様」
出迎えてくれたのは、神殿で巫女をしているルーリエ様だった。
「お久しぶりです! ルーリエ様!」
太陽の神殿には式典のために昔から度々訪れていて、ルーリエ様はその頃からお世話になっている。私が小さい頃から太陽の神殿に仕えている偉大な巫女様で、全く昔から見た目が変わらない。
絹糸のような美しい赤の髪に、金色の瞳をしていて、すごく綺麗という言葉がぴったりの美人さんだ。
「あ、ルーリエ様! これあげる!」
アッシュの後ろに回り込み、自分の荷物をごそごそ漁り、取り出したものを差し出すと、ルーリエ様は目を輝かせた。
「!! それは、ちょこれーとですね! ありがとうございますエルダ様! 外界から閉ざされた神殿では手に入らないので……」
「ルーリエ様に会うなら絶対渡さないとと思ったんです! たくさん種類があるから、楽しんでくださいね!」
ルーリエ様はチョコが大好物なので、こうやって何度か差し入れをしている。
喜んでくれて良かった!
「アッシュ! このリュックだけ自分でもってもいい? お菓子いっぱいいれてきたから、いつでもすぐ取り出せるようにしたいの!」
お菓子と他の荷物は別々に荷造りしたから、このリュックにはお菓子しかはいっていない。
「そうですね……あまり重くないようですし、わかりました。あまり食べ過ぎてはいけませんよ? ご飯が食べれなくなりますから」
アッシュはリュックを片手で持ち、重さを確かめると、お菓子入りのリュックを私に手渡した。
「わかってるわ! ありがとうアッシュ!」
お菓子入りのリュックを背中に装備すると、さっそくお兄様とアッシュにもチョコレートを差し出す。
「はい! 二人とも糖分も大事だから食べてね、美味しいよ!」
ポカンとするお兄様と、こらえきれないように、クスクスと笑うアッシュとルーリエ様。
「……ありがとうエルダ。全く、今から大事なところなのに緊張感が無いんだから、もう」
チョコレートを受けとると、お兄様も小言をいいつつもふふふっと笑いだす。
「緊張感なんているものなの? 素敵な旅じゃない? 楽しんだ方がいいと思うわ! ほら、アッシュも食べて!」
「!? エルダさ……!?」
笑ってばかりで受け取ってくれないアッシュに、包装紙をほどいて取り出したチョコを口に突っ込んでみる。
「ね! 美味しいでしょ?」
私は満足げにアッシュに問いかけた。
「はい、とても美味しいです……! ありがとうございますエルダ様」
肩と声を震わせながらまたハンカチで鼻を押さえてアッシュはしゃがみこんだ。
「……また鼻血出さないでよ?」
「大変申し訳ございませんフェイ様、それは無理でございます。幸せすぎて血が足りません」
呆れたように呟くお兄様と、立ち上がり、若干涙目になっているアッシュ。
私、何か変なことしたかな、まぁいいか?
「ふふっ……ふっ……すみません、笑いの壺にはいってしまって……ふふっ……それでは、力を注ぐ場所へご案内いたしますので、私の後についてきてください」
ルーリエ様は未だに笑いをひきずっているようで、仕切りに笑いをこらえながら神殿の奥へと私たちを案内してくれた。
「こちらです。」
神殿の奥の入ったことの無い場所へ足を踏み入れ、ルーリエ様が指を指したのは、祠に飾られた大きな鏡だった。
「これが……光の力を注ぐ物ですか?」
「はい、こちらの埋め込まれている石に光の力を注げとこの神殿に伝わる書物には記されています」
お兄様が確認するようにルーリエ様を見つめると、ルーリエ様は真剣な表情でお兄様の問いに頷く。
「かつて、太陽と月が世界に共存していた頃、太陽と月は双子の兄妹だったそうです。人間たちが争いを起こし、表と裏の世界が二つに別れるまで、とても仲の良い二人は、夜明けと夕方に会えるのを楽しみにしていた。世界が二つに別れ、表の世界に太陽が、裏の世界に月が固定されてしまい、会えなくなった妹を思った太陽である兄が、妹の姿を忘れないようにとこの鏡を作った……と言い伝えられています。鏡に写る自分の姿が双子の妹にそっくりだから鏡を見るたびに思い出せる、と言うことなのでしょうね」
少し寂しそうにルーリエ様は鏡に目を向け、昔話を話してくれた。
「鏡に写る……自分の姿」
大きな鏡には、私、お兄様、アッシュ、ルーリエ様が写っている。
鏡の中の自分と目が合ったような気がした。
それはかすかな違和感、自分であり、自分でないような……。
ふと、その違和感の正体に気がつく。
私は鏡の中の自分ではなく、鏡の中のお兄様を見ていたからだ。
そう、私たちは、そっくりだから。
「お兄様……!」
パッと鏡から目をそらし、隣にいるお兄様を見た。
「どうしたの? エルダ、大丈夫?」
何だか急に不安になって、ギュッとお兄様の手を握ると、優しく握り返してくれる。
じんわりとした暖かさにスッと不安が消えていくような気がした。
「……ごめんなさいお兄様、なんでも、ないの」
急いで笑顔を取り繕うと、いきなり額に衝撃が走った。
「ーーー!?」
「何かあったならちゃんと言って? じゃないと、もう一回デコピンするよ?」
お兄様のはデコピンをする手の形を作りながら、有無を言わさない笑顔で笑う。
「……痛いわ、お兄様のばか……鏡を見ていたら、さっきのお話の双子が私とお兄様に重なったの、何だか不安になっただけなの」
うつむきながら、ヒリヒリする額をさすり、ポツポツと呟く。
王家に伝わる夜を取り戻す方法は、金の髪、琥珀の瞳を持つ双子が17歳になったら太陽の神殿の祠に向かい、光の力を注ぐという物だった。
双子である必要は、太陽と月の双子の兄妹が関連しているのかな? ぐるぐると色々な事を考えてしまう。
「いつものノー天気なお気楽主義はどうしたのエルダ?僕達がやらなくてはいけないことは変わらない。それが僕達の生まれたときからの使命だからね……何が起きようとも、僕とアッシュがエルダを守るよ。だから、今は余計な事は考えないで進もう」
うつむく私の頭を撫でながらお兄様は言う。
……ノー天気なお気楽主義が確かに私の悪いところであり、良いところだ。
そう、だよね、進まないと何もかも始まらないんだ。
「そうよね! 私が悩むなんて脳みそが何個あっても足りないわ! 考えるより先に行動ってことでお兄様、早くこの鏡に力を注ぎましょう!」
私はスイッチを切り替えると、勢いよく頭をあげ、お兄様をしっかりと見据える。
「それでこそエルダだ」
ふっと力が抜けたように笑うと、二人で鏡に更に近づいた。
「ルーリエ様、力はどうやって注いだらいいんでしょうか?」
くるりと鏡に背を向け、ルーリエ様に問いかける。
「鏡の右にあります太陽の形の石にお二人で手を当ててください。そして、自分の力を注ぎ込むイメージを思い浮かべてください。」
「「わかりました」」
お兄様と顔を見合わせると、二人で石に手を当てた。
光の力を注げ。
私は光の太陽の属性、お兄様は光の雷の属性。
もとを辿れば同じ属性だ、きっと大丈夫。
スウッと力が石に注ぎ込まれる感覚がして、徐々に石が光によって輝きを取り戻していく。
すると、一際白い光が弾け、鏡全体が白く輝いた。
「これは、一体どうなっているのでしょうか」
「道が開いたのです。これから長い旅になると思いますが、お二人をどうか支えてあげてくださいね、アッシュ様」
ぼんやりと白く輝く鏡を見つめるアッシュに、ルーリエ様は柔らかな表情でつぶやいた。
「もちろんです。どんな場所へでもお供させて頂きますよ」
アッシュはいつもの笑顔をうかべた。
「みなさん、その鏡は中間の世界へと続いています。表でも裏の世界でもない、中間の世界です」
ルーリエ様は鏡を指差し、中間の世界への道だと教えてくれた。
「中間の世界、そんな世界が存在していたのですね」
「どんな世界なのかな? 楽しみだね!」
「……さっきのしんみり感はどこにいったのエルダ? まぁそのほうがらしいけど」
驚くアッシュに、はしゃぐ私、やれやれと苦笑するお兄様。
外の世界を冒険出来るってワクワクしていたら、まさかの異世界へなんて、いきなりスケールの大きい大冒険になったような気がする。
不安が薄れたら、楽しみだという気持ちしか残らないのが、私の長所かもしれない。
「夜を取り戻す手がかりはそちらの世界にあるそうです。私が知っているのはそこまでですので、何もアドバイスは出来ませんが、どうぞご無事で。お三方が戻られるまで、微力ながら祈りを捧げ続けます。いってらっしゃいませ」
深々とお辞儀をしながら、ルーリエ様はお見送りをしてくれた。
「ルーリエ様にお祈りしていただけるなんて、100人力です! 絶対無事に戻ってきますね! またチョコレートをお土産に!」
私もペコリとお辞儀を返すと、自然と笑顔になる。
「ありがとうございましたルーリエ様、お祈りとても心強いです。行ってきます」
「お二人は必ず私がお守りいたしますのでご安心ください。お祈りありがとうございます、行って参ります」
お兄様とアッシュもルーリエ様に挨拶をして、お辞儀を返した。
ルーリエ様は慈愛溢れる笑顔でお待ちしていますと言ってくれる。
「じゃあ、手を繋いで行きましょう? お兄様、アッシュ! もし迷子になったら大変だもの!」
「では、私が真ん中になります。お二人とも必ず手を話さないで下さいね。お二人とも方向音痴なので迷子になられたらと思うと心配です」
「……僕はエルダより方向音痴ではないよ、多分。アッシュこそ絶対離さないでよ? エルダを迷子にしたらただじゃおかないからね」
真ん中をアッシュにして、右がお兄様、左が私。今から全く別の異世界に行くだなんて、正直あまり実感が湧かない。
今までの表の世界とはどう違う世界なんだろう?どんな出来事が待っているんだろう?
まだまだわからない事だらけで、どうしたら表の世界に夜を取り戻せるのか、何のヒントも無くて、やっぱり不安もある。
でも。
「いきましょうか、フェイ様、エルダ様」
「うん!」
「いこう!」
アッシュの掛け声と共に、鏡の中へと全員で一歩を踏み出した。
触れた時に硬い鏡の感触は無くて、入った途端に眩しい光が目の前に広がり、目が開けていられない。急にフッと意識が遠退いていく。
ーーー踏み出さなければ何も変わらない、だから、進むんだ。
眩しすぎる強い光と、暖かいような、冷たいような、よくわからない感覚に薄れ行く意識を感じながら、私は完全に意識を手放した。