第一話
世界は主に二つに分かれていた。
夜が来ない表の世界と、朝の来ない裏の世界。
夜のある世界を夢見る表の世界と、朝のある世界に焦がれる裏の世界。
ある日夜を取り戻すために、朝を取り戻すために選ばれた二つの世界の使者はほぼ同時に旅に出た。
これから何が起きるのか、何も解らないまま、ただ導かれるままに旅に出る。
そんな二つの使者の物語。
*
夜が明け、朝が来る。
月が仄かに照らしていた漆黒を、太陽が明るく照らし、青空が広がる。
何百年も前に表と裏に世界が別れてから、かつては存在していた夜が無くなり、朝だけが存在する表の世界。
この世界にない夜は、どんなものなんだろう?
幼い頃から大好きなお伽噺に描かれた夜の世界は、幻想的で、美しくて、そして少し寂しそうだった。
漆黒に染まった世界を仄かな月明かりときらめく星に飾られた空。
朝の明るく全てを照らす太陽に真っ青な空、わたがしのような白い雲に飾られたこの空とどう感じかたが違うんだろう?
空気の温度は?
風の匂いは?
太陽の明るさと月の明るさの違いは?
もちろん朝の世界も大好きだけれど、夜の世界も実際に体験してみたい。
そう、ずっと思っていた。
「フェイ、エルダ、誕生日おめでとう。これで17か、月日は早いな」
「おめでとうフェイ、エルダ。あなた達も立派になったわね」
「ありがとうございます! お父様! お母様!」
「ありがとうございます父上、母上」
今日は、私と双子のお兄様の誕生日。
王の間に呼び出された私たちは、お父様とお母様からお祝いの言葉をかけられている。
17歳。
今までの歳とは違う、特別な歳。
「お前達も理解していると思うが、17になったお前たちに重要な使命を与える」
お父様の声がふっと重みを増し、真剣な表情で私たちに語りかける。
その真剣な表情に思わずぴしっと背筋を伸ばす。
横目でちらりと隣にいるお兄様の様子を伺うと、それに気づいたお兄様は、にこやかな笑顔を浮かべながら小声で「そんなに緊張しなくていいよ?」と声をかけてくれた。
その優しい声にホッとして、またお父様をまっすぐ見つめた。
「表の世界から夜が消えたのは何百年も前のことだ。しかし、表の世界に夜を取り戻す方法が代々この王家に語り継がれている。」
お父様はお母様に目線を向けると、神妙な表情で頷いたお母様が古い本を開き、読み上げる。
「王家に金の髪、琥珀の瞳の双子の男女が生まれ、17になる日に太陽の神殿にある祠に向かわせ、祠に光の力をそそげ。さすれば太陽のみが存在するこの地に、月を取り戻す道がひらかれる」
私はお兄様に視線を投げた。
私とお兄様は瓜二つ。
違うのは髪の長さと身長だけ。
金の髪に、琥珀色の瞳、顔の造りまで、まるで鏡をみたかのようにそっくりなのだから。
「この古文書に記された双子はお前達で間違えは無いだろう。17になった今日、お前たちには月を取り戻し、夜を表の世界へと呼び戻す旅に出てもらう」
お父様は私とお兄様を交互に見つめ、威厳のある声で宣言する。
「長い旅になると思います、護衛にはあなた達の騎士であるアッシュをつけましょう。もう準備は済ませているだろうけど、気をつけて向かうのよ? アッシュ、この子達をよろしくね」
お母様は私たちに近づくと、ぎゅっと手を握り、心配そうに、寂しそうに弱々しい笑顔を向け、最後に視線を後方へ向けた。
「お任せください、お妃様。このアッシュ・キャストライト、シトリン家の騎士の名にかけて命にかえてもフェイ様、エルダ様をお守りいたします」
後方に控えていた私とお兄様の専属騎士、アッシュが恭しくひざまづき、騎士の誓いをたてる。
「任せましたよ、アッシュ。フェイ、エルダ、どうか無事にもどってくるのですよ。母は祈っていますからね」
お母様は表情を和らげると、私とお兄様を二人まとめてぎゅっと抱きしめポンポンと背を叩いてくれた。
「お母様、心配なさらないで! 私、しっかり役目を果たしてきますから! お兄様もアッシュも一緒なら何も怖くないもの! ね、お兄様!」
「うん、そうだねエルダ。母上、ご心配なさらず、僕たちを信じて下さい。必ず役目を果たし戻って参ります。アッシュは腕が立ちますから信頼がおけますし」
なんとかお母様を安心させたくて、にっこりと笑顔で捲し立て、話を振ると、お兄様も笑顔で頷いてお母様に語りかける。
「……そうね、あなた達ならきっと大丈夫。本当にあなた達はそっくりね、太陽のような笑顔だわ。こんな笑顔をみせられたら、不安なんて消し飛んでしまいそうよ? それじゃあ、行ってらっしゃい」
ふふふ、とおかしそうに笑うと、お母様は私たちから手を離した。
「早速出発するのだろう、これは父と母からの誕生日プレゼントだ。二人とも手をひろげなさい」
お父様も私たちの側に歩みより、私たちの広げた手のひらに黄色の石がついたペンダントをのせた。
「シトリン家の名でもある石、シトリンだ。お守りがわりにつけていってくれ」
キラキラと輝く黄色の石。
しばらく見つめ、はっと気付きペンダントをつけると、なんだか勇気が沸いてくるような感覚がした。
「ありがとうございますお父様、お母様! 大切にしますね!」
「ありがとうございます、父上、母上、大切にします」
お兄様とそろってお礼をする。
シトリン。
私の大好きな石。
黄色に光輝く石は、元気をもらえる。
「荷物は外へまとめてあります、フェイ様、エルダ様。そろそろご出発を」
アッシュが私たちの側にひざまづき、出発の声をかけた。
そう、いかなきゃ。
夜を取り戻す旅に。
「わかったわ! ではいって参りますお父様、お母様!」
正直、わくわくしている。
まだ、見たこともないものに触れられるかもしれないこの旅に、わくわくしている。
「いって参ります、父上、母上」
「それでは、王様、お妃様、失礼いたします」
お兄様とアッシュも挨拶をし、お父様とお母様が「行ってらっしゃい」と見送るなか、王の間を後にした。
「ふっふふーん♪」
つい鼻唄を口ずさみながら門へと続く城内の廊下を歩く。
「嬉しそうだね、エルダ」
「本当に。エルダ様、ご機嫌ですね」
「うん! だってお兄様、アッシュ! この世界に夜を取り戻せるのよ! お伽噺に出てくる月や星も、実際に見れるようになるなんて、すごく楽しみだもの!」
ついにやけてしまう顔を緩めながら、歩きながらくるりと一回転をする。
浮かれてしまうのもしかたない、だってお城から出る機会なんてあまりないし、旅をするってことは、外の世界もみれて、更に夜を取り戻せたら夜の世界も体験できるんだ。
まさに一石二鳥!
なんて素敵な旅なんだろう!
「エルダ、遊びにいくんじゃないんだよ?しっかり役目を果たすことを考えないと。」
お兄様は苦笑しながら困った顔をする。
「役目はしっかり果たします! でも、わくわくが止まらないの!」
遊びじゃない事は理解しているけど、ついつい浮かれてしまう。
こればかりはしょうがないわお兄様!
「その明るいところがエルダ様の良いところですけどね?」
アッシュはいつものにこやかな表情を崩さず、私に援護射撃をしてくれた。
「ね! 私の唯一の取り柄だもの! それに、せっかくお兄様とアッシュと旅ができるんだから、しっかり楽しまないと損だと思うの! 早く行きましょ?」
私はテンションの赴くままにお兄様とアッシュの手をとって歩き出す。
「もう、しかたないなぁエルダは」
「エルダ様、そんなに急がなくても太陽の神殿は逃げませんよ?」
あきらめたようなお兄様と、アッシュののんびりした声を聞きながら、私は込み上げる楽しさにわくわくと胸を踊らせ、太陽の神殿に向かう為にひたすら二人を急かし続けるのだった。
*
目に見える物は、黒一色。冷たい床の上を、私は今裸足で歩かされている。前へ進むたびに足にある、できたばかりの傷や、ふさがりかけている傷が痛む。思わず眉間にしわを寄せてしまうが、月が形を変える頃にはこの痛みを感じることができなくなっているのだと思うと、何とも言えない虚しさが胸に広がる。
「おら、よっと」
私をここまで連れてきた男に、勢いをつけて地面に放り投げられる。反射的に身体を捻り、後ろ手に拘束されてる状態でできる限りの受け身をとる。それが気にいらなかったのか、上から舌打ちが振ってきたが気にしない。
今この男の機嫌を損ねたところで、私がこの場で殺されることに、変わりはないのだから。
私の両親は、ここ、裏の世界にとっての敵である表の世界のことを研究している人たちだった。研究、までならまだよかった。王族の方々も、敵について知りたがっていたから。両親は表の世界と裏の世界を秘密で出入りし、表の世界の人と親しくなってしまったのだ。それが王様の耳に入り、先ほど両親は罪人として殺された。本当は私も、罪人の娘としてその場で殺される予定だった。だが、なにがあったのかわからないがその場で殺されることはなかった。代わりにしばらく地下で目隠しをされたまま、牢屋の中に閉じこめられていた。
そしてそこから連れ出されて今、ここにいる。
「そんな風に人を放り投げないでください」
凛とした声が響く。女性なのか男性なのかよくわからない中性的なその声は、とても聞き心地がよく、魅力的だ。声に惹かれるようにして顔を上げるが、真っ黒な目隠しに隠されている視界に、声の主が写るはずがない。
カツンカツンと、声の主の物であろう足音が近づいてくる。
「どうせあと少しの命なんですから、どう扱ったって変わりませんって」
頭上で男が不機嫌そうな声で答える。比較的近い位置で、金属がぶつかり合う音がした。
「おい貴様。ハラン様に何という口のききかたを――」
「ローダン」
私を投げ飛ばした男よりも若い男の声。その若い、ローダンと呼ばれた男の言葉を、中性的な声が止める。
「剣を収めなさい。口のききかたなんてどうだってよいのです。それよりも……」
足音が止まる。衣擦れの音。ぴりっとした感覚が、肌をなでる。今目の前にいるであろう中性的な声の持ち主は、相当強い魔力を持っているようだ。
「あなた、自力で立てますか?」
私は返事をしようと声を出しかけて、猿ぐつわをかまされていることを思い出した。ローダンと呼ばれた男が口のききかたにこだわっていたところを見るに、おそらく相手は身分の高い方なのだろう。本来ならそういう方にはきちんと頭を下げてそれ相応の言葉で会話しなければならないのだが、声が出せないのでしょうがない。私はコクリと頷いた。
「では立っていただけますか? 立ちにくいようでしたら、膝立ちでもかまいません」
私は再び頷くと、身体を捻り、反動をつけて立ち上がる。
「ありがとうございます。肩に触れてもよいですか?」
私が首を縦に振ると、そっと両肩に手が置かれる。その手は薄い布越しに、冷たく感じた。
「あなたに魔力を注ぎます。……受け止めてください」
その言葉と同時に、ドクンと身体全体が脈打つのを感じた。ドクンドクンという脈が刻まれるごとに、相手の手が触れている部分から、何かが流れ込んでくる。おそらくは魔力だろう。張りつめた冷たさを感じると同時に、どことなく温もりも感じるそれはまるで、月のような魔力だった。
いや違う。月のような、ではない。魔力を他人に注ぐことができるのは、裏の世界では月の属性を持つ者のみとなっている。そして、月の属性を持つ者は王族にしか現れない。
つまり、今私に注がれているのは月の属性の魔力であり、その魔力を注いでいるのは、私から両親を奪った王族に他ならないということだ。
なぜ私は王族に魔力を注がれているのか。
月の属性を持つ者以外は自分の身体で魔力を生み出すことができない。そのため、一日に必要な魔力を、王族が毎朝人々へと注ぐことになっている。
確かに私は両親と一緒に逃げるとき、魔力を使い果たした。その後は一度も魔力の供給をされていない。だがそれは当然のことで、下手に魔力を与えて暴れられては困るからだ。
だからこそ、なぜ今このタイミングで魔力を注がれているのかがまるでわからない。
そこまで考えて、私はとある言い伝えを思い出した。
三人の選ばれた者が冒険の果てに何でも願いを叶えてくれる宝物を見つけて、夜しかない裏の世界に朝をつれてくるという言い伝え。
三人のうち一人は月の属性で、たしか、歴代トップの魔力の濃さだと聞いている。一般の人が受け入れられる魔力の濃度の平均を遙かに上回るそうだ。ちなみに、受け入れられる魔力の濃度より濃い魔力を注がれると、少量ならしばらく動けなくなるくらいですむが、それを越すとその濃さに耐えられずに死んでしまう。身体によいものでも、摂取しすぎると死んでしまうのと同じだ。
もしかしたら相手は、それを狙っているのかもしれない。
冒険者の残りの二人になれるのは、高濃度の魔力を受け入れられる者だけだ。逆に言えば、その二人以外は死んでしまう。
親が表の世界に興味津々だったことを除けば、私は至って普通だ。自分が冒険者になれるような特別な人間だと思ったことは一度もない。このままではこの王族に殺される。慌てて逃げようともがきかけて、私はやめた。どうせ逃げたってどこかで殺される。ほんの少しそれが早いか遅いかだけの違いで、殺される時間は変わらないだろう。それならいっそ、このまま殺された方がいい。私は流れてくる魔力を受け入れることにした。
そのまま、どれだけの時間が経ったのだろうか。
すっと私の肩から両手が離れた。
「……生きていますか?」
静かに問いかけられる。その声は不安げに震えていた。私が縦に首を振ると、目の前から安心したように息を吐き出す音が聞こえる。と同時に、驚いたように息を飲む音が二人分、聞こえた。
「彼女を拘束する物を、すべて解いてやってください」
「はっ」
「かしこまりました」
男二人が近づいてきて、縄や猿轡、目隠しを解く。口元や腕がきしむような感覚を訴える。数時間ぶりに目を開くと、そこは青白い石で出来た空間にいた。私の周りには、男が二人と、男性とも女性とも言いづらいような、中性的な顔立ちをした人が立っている。
「これで三人、そろいましたねハラン様」
白い、まるで騎士のような服装をしている男性が、中性的な顔立ちをしている人に語りかける。声からして、さきほどローダンと呼ばれた男だろう。
「俺たちの太陽を、取り戻してくれるんですね」
ローダンではない方の男性が問いかける。中性的な顔立ちの人は、しばらく考えるように両目を閉じていたが、やがて静かに息を吐き出すと、ゆっくりと目を開いた。銀色の瞳と目が合う。
「一度、父上に報告に参りましょう。共に来ていただけますね?」
どうやら私は、死を免れたらしい。目の前のこの人の魔力を、受け入れることが出来たから。……信じられないことに私が、選ばれし者のうちの、一人だから。
王族からの言葉に、拒否権はない。私は軋む身体をむりやり動かして、その場にひざまずいた。
「かしこまりました」
お城の中にある、庭と呼ぶのを躊躇するほど広い庭。その中にある小さな丘の上で、私は膝を抱え込むようにして座っている。
王様への報告は、あっけないほどあっさりと終わった。その間に、私の両親について、王様が触れることは一切なかった。
いろいろあった一日だった。本当に、いろいろあった一日だった。
兵士に追われた。両親を失った。自分もすぐにそのあとを追うのかと思ったら、助かってしまった。
朝をつれてくる、選ばれし者。
もしも本当に自分がそういった存在なら、私は復讐をしよう。
どれだけ待ち焦がれても、この世界に朝など来ないように宝物に願おう。いやいっそのこと、誰の願いも叶わないように、その宝物を壊してしまおう。
後ろから二人分の足音がする。足音は、私のすぐ後ろで止まった。
「おい」
声をかけられて、私は静かに振り向く。ローダンと呼ばれていた男と、中性的な顔立ちをした人が立っていた。
「……なにか」
ピクリとローダンと呼ばれた男の眉が動く。
「お前――」
「ローダン、やめなさい」
中性的な顔立ちの人はそう言うと、そっと私の隣に座った。
「ハラン様――」
「この丘から見る空は、綺麗でしょう?」
私は選ばれし者だったとしても、罪人の娘だ。それなのに恐らくは部屋着であろう無防備な服装で王族がその隣に座る。当然ローダンは目を剥いて名前を呼んだが、当の本人は気にせずに、私に話しかけてくる。思わず見惚れてしまいそうな笑顔を浮かべて。
私は空を見上げて初めて、この丘に来てからずっと座っていたことに気がついた。
深い黒色の空に、これでもかと言うくらい星々が散らばって、光っている。その中央で、月がじっと私たちを見守っている。
確かにこの空は綺麗だ。だけど、他の場所で見たときと変わらない気もする。
「私は、この丘から見る空が一番好きなんです。でも、できることなら月が照らす空だけじゃなくて、太陽が輝く空も見てみたい」
横を見ると、その人はキラキラとした瞳で月を見つめていた。そしてふっと私の方を向く。
「私の名前はハラン・エリンジウムです。属性は月。この裏の世界の、第一王女です。あまり公の場には顔を出さないようにしておりますから、ご存じないかもしれないですね。そして彼はローダン・カポック。私のことを、いつも守ってくれます。属性は水」
そこまで言ってから、王女、ハラン様はじっと私を見つめる。そして姿勢を正し、頭を地面に付けた。突然の行動に、私は驚いてしまう。
「ハハハハ、ハハラン様!? いったい何を――」
「あなたのご両親を死なせてしまい、申し訳ございません」
決して大きくはないが、とても力強い声だった。その声の強さ、重さだけで、この人がどれだけ申し訳なく思ってくれているのか、伝わってくる。だけど、謝られただけでは何も変わらない。両親は帰ってこない。
「その謝罪にどれだけの誠意がこもっていたとしても、それはただの謝罪で、ハラン様の自己満足でしかないことは、わかっていますか」
「おま――」
「ローダン、黙りなさい。……わかっています。人の命を二人も奪ってしまったのです」
「あれはあなたのお父上が勝手に決めたことで、あなた様は反対――」
「黙りなさい。私は何も出来なかった。見殺しにしてしまったのと同じです。もちろん、謝っただけで許していただこうとは思っていません。この罪は、必ず償います。私にはご存じの通り異母兄弟ではありますが兄上がいます。なので政治的に強い立場にはいません。だから、なんでも願いを叶える、ということは出来ません。ですが幸運にも、また異母ではありますが、来年には妹も生まれます。兄上と同じ第一王妃の子です。死ねと言われれば、死ねる、私はそう言う位置にもいます」
「やめてください。私の中では、あなたの命と両親の命、重さが格段に違います」
私の中では、今日会ったばかりの王女よりも、この年まで育ててくれた両親のほうが、命の重さはとても重い。さすがに正直に言うことは出来ないが、彼女は即座に悟ったようだ。
「そうですね。軽率すぎました。今の言葉はすべてお忘れください」
ハラン様は静かに頭を上げると、微笑んだ。感情の見えぬ微笑み。まるで仮面のようなそれに、背筋がゾクリとした。
「そういえば、あなたのお名前を伺っていませんでしたね」
「……アザミ・サラサドウダンです。属性は風」
「アザミ、これからよろしくお願いしますね。……ところで、あなたは宝物を見つけたら、なにを願うのかしら?」
「私は何も願いません。……あなたたちの願いを、悲願を、奪います」
瞬間、私の身体は地面に押さえ付けられてられていた。苦しい。私の上に馬乗りになっているのは、ローダンだ。
「どういうことだ、奪うって」
「私から両親を奪った人の願いを奪う。それだけよ。命を奪わないだけマシでしょ?」
「ローダン、おやめなさい」
「でも」
「やめなさい」
「……」
渋々と言った様子でローダンは私の上から退いた。上体を起こして私がむせていると、ハラン様が背中を撫でてくる。私はその真っ白な手を払いのけた。
「触らないでいただけますか」
静かに言うと、ハラン様はすっと後ろへ下がった。もっと傷ついた顔をするかと思ったのに、そんな表情をみじんも見せなかったことに驚いた。その態度はどこか、拒絶されることに慣れているように見えた。
「三時間後、ここを起ちます。準備ができたら、この丘に集まりましょう。……ローダン。戻りましょう」
今にも噛みつきそうな態度を示していたローダンに呼びかけて、ハラン様は場内へ戻っていった。
私はまた、膝を抱え込んで座る。持って行く物も何も、ないからだ。