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8、王女としての誇り

 あるいは、二人とも死後の世界に来ているのかもしれなかった。どうでもいいことだった。こうやってリア・ソリスを抱いていられるだけで私は幸せだった。幸せなまどろみの中で、こうやって数時間が過ぎていった。

 かすかに身動きする気配がし、ようやくリア・ソリスは目を覚ました。抱かれた腕に気がついたのか、安心したように再び目を閉じる彼女だったが、急に頭をもたげ私の顔を見た。

「気がつかれたのですね?」

 私は抱く腕に力を入れ、大きく深呼吸すると答えた。

「我々二人とも、死んであの世に来てしまったか、いまだ夢の中にいるようですね。おそく死んでしまったのでしょう。あなたは心臓も呼吸も止まっていた。一生懸命に生き返らせようとしたが、とうとうはたせなかった。そのあと私も倒れてしまったが、どうやらそのまま死んでしまったようですね。あなたがこうやって腕の中にいることが、その証拠だ。二人とも死んでしまった今なら言えます。リア・ソリス、私はあなたを……愛しています」

 彼女の目をじっと見つめ、その反応を待つ。小さなソリスはきつく目を閉じると、深く息を止めた。決心したように息を吐き出し、私の目を探るように見つめて口を開いた。

「若い女がこのようなことをすれば、殿方の心を惑わすことになるとは思ってましたが、早合点しないでください。わたくしはあなたに恋をしているわけではありません。気がついたとき、あなたはすぐそばに倒れていて、けがと疲労により生死の境をさまよっていました。キャロットのように激しくふるえているのを知り、このようなとき、わたくしにできることは傷の手当と、女の体を使ってあなたの体を温めることぐらいでした。ヘリウムの女はそのぐらいのことは皆知っているのです。わたくしはリア・ソリスと言う一人の女であると同時に、ヘリウムの王女でもあるのです。大それた・・叶わぬ希望を持ってはいけません」

「でも、あなたは死んだはずだ!心臓も止まっていたし、蘇生させようと何度も息を送り込んだがかなわなかった」

 リア・ソリスはびっくりして目を大きく見開いた。

「わたくしの唇に触れたのですか! ヘリウムの王女であるわたくしの唇に!」

 つれない態度をされて、おもしろくなかった私は、多少やけっぱちになっていたのかもしれない。自分で自分の感情を抑えることができなくなっていた。

「ええ。何度も口に息を吹き込みました。あなたはそうしないと死んでいたし、それができる人間は、好むと好まないに限らず私しかいなかったから。その際、唇も奪ってしまったかもしれない、こんなふうに!」

 私は彼女の顔をつかむと、抵抗する暇も与えずそのふるえる唇に唇を押しつけた。激しい接吻だった。彼女はそれこそ山猫のように抵抗した。身を激しくよじり、私の腕の中から抜け出そうとありとあらゆる方法であがいた。私の顔や腕や胸は彼女の指先でかきむしられたが、私は決して唇を離すことをしなかった。足を彼女の足に絡めて身動きがとれないように固め、抱きしめる腕に更に力を込めた。と……すとんとリア・ソリスの体から力が抜けて、まるで死んだようになった。力でかなわぬとわかったからだろう。そっと唇をはなすと、リア・ソリスは肩をふるわせ嗚咽しながら泣き出した。

「あなたはわたくしの思っていたような地球の紳士ではなかった。父やユリシーズ・パクストンは紳士でしたが、あなたはまるで違う。宮廷で女あさりをしている、いやしい男たちと何も変わるところがないではないですか!わたくしが抵抗しようにも、力ではかなわないことを承知で、このようなことをなされるなんて卑怯者です!」

 私は彼女の言葉の強い調子に、いささかひるんでいた。

「リア・ソリス、あなたは本当に二人とも死んでないとお思いですか?あなたを包んだ毛布が、おびただしい血潮に染まっていくのを、この目ではっきり見たのですよ」

「確かにわたくしにかぶせられた毛布は血で染まってました。でも、わたくしの体にはかすり傷一つついてませんでした。それは、あなたの左肩に受けた、銃傷より流れた血だったのです」

 そう言われてあわてて左肩を見ると、確かにライフルか機銃でできた、ただれたような傷があり、今は血が止まっていた。そうすると、心臓マッサージの時に毛布の上に広がった血は、気がつかないうちに自分の肩より腕を伝って流れたものだったのか!

 あのときは極度の興奮状態で、多少の痛みなどは感じないこともありうるだろう。二人とも死んでいるのだから、身分の違いなどあるものかと決めつけた自分の愚かさに今更ながらに気がついたが、手遅れだった。

 取り返しのつかないことを、しでかしてしまった! 

私がその腕に抱きしめて、強引に接吻したのは、巨大な帝国であるヘリウムの正当な王女。自分があこがれ崇拝している火星の大元帥のジョン・カーターと絶世の美女のデジャー・ソリスの愛娘。その唇を奪うためなら、国と国が存亡をかけて戦うほどの存在なのだった。非力で孤独な彼女を守らねばならないはずの自分が、逆に卑しめ苦しめている。

なんといういやしい男なんだ!

「ヘリウムの王女リア・ソリス。あなたを愛してるのは本当です。ですが、軽率なことをしてあなたを卑しめ、苦しめてしまった」

 私は彼女を腕の中より解放してやり、二人を包む毛布から這い出した。自分の一糸まとわぬ体を見やり、あらためてリア・ソリスが己の立場や対面を捨てて最大の効率で体温を伝えようとしたのがわかった。その恩を自分は汚してしまったのだ。沈痛な面持ちで短剣を拾いあげ、彼女に差し出した。

「あなたに働いた無礼千万な所行を償い切れるものではない。この世に私という男が生きている限り、あなたの苦しみは晴れるときはないはず。この短剣で私を消し去り、今日のことはきっぱり忘れてください!」

 彼女の前にひざまずき、短剣を鞘から抜き、切っ先を自分の心臓に当てると、覚悟を決めて目をつむった。こうなって当然なんだと、妙に静かな穏やかな気分だった。地球中のすべての男の中で、ここバルスームまで実際に来られて、絶世の美女の一人と出会うことができ、恋をしてしまった。力ずくだったが、切望してやまないその唇も奪うことができた。ここで死んでも本望だった。

 彼女が起きあがる気配が感じられ、いよいよ短剣の柄にふれるのがわかった。きつく目をつむり次の瞬間を待つが、いつまでたっても何の動きもない。

「カイ、目を開けてください」

 目の前に裸のリア・ソリスが立っていた。装飾品のたぐいをいっさいつけてない若い裸体は神々しいばかりで、直視したら目がつぶれてしまいそうな美しさに、その足下にひれ伏したい衝動を感じた。

 リア・ソリスはヘリウム、いやバルスームの宝だと思った。気まぐれな神が、このような美しい女神を創造できるとは、誰が考えつくだろう!まぶしいほどの裸体に見とれていた時間は一瞬だったと思うが、私の目にはリア・ソリスの身体のすべてが焼き付いてしまった。その反動で、自分という男の存在の無意味さに気がついた。彼女と比べたら、自分なんて存在しないも同然じゃないか! 

 永遠のヒーロー、ジョン・カーターと永遠のヒロイン、デジャー・ソリスとの間に生まれたリア・ソリスにふさわしい男は自分じゃない、と悟った。彼女を妻にもらいたいなどと、ジョン・カーターに言ったら一笑に付されるのが落ちだ。完全に役不足の自分自身に落胆した、その目に写ったのは、彼女が自分の喉元に短剣の切っ先をあてがってる姿だった。

「リア・ソリス、なにをなさってるのです?!」

 驚くほど落ち着き払った返事だが返ってきた。

「何度も言うようですが、わたくしはヘリウムの王女です。おのれ自身の自由の前に、ヘリウムに対する努めがあります。何が何でも国に帰らねばならないのです。わたくしに加えられた屈辱を忘れ去るために、この場であなたの命を奪うのはたやすいことですが、もしそうなってわたくし一人が取り残された場合、女の身でヘリウムにたどり着くことは不可能でしょう。かと言って、あなたのお力にすがってこれから旅を続けようとすれば、いつ何時、先ほどのようなことがおこるかわかりません。国にたどり着けないのなら、この身が汚される前に死ぬしか道は残されていないのです。きれいなままで死んでいった方が、ヘリウムの国民の悲しみはいくばくか少ないことでしょう」

 そう語り続けるリア・ソリスの目は真剣だった。固い決意を秘めた目の持ち主は、男ではよく見られるものだが、女でもそう言う目を持つ者がいるのを、この時はじめて知ったような気がした。

 彼女はヘリウムという国と人々を何より愛している。悔しいことだが、そこに私が入る隙間はなかった。だが、私自身、ヘリウムという国に一種の愛国心に似た感情を持ち始めているのを感じていた。

「ヘリウムの王女よ、どうか短剣をお下げください。今一度、私にあなたを守るという最後のチャンスを与えてくれませんか? どこまでやれるかわからないが、あなたがヘリウムに到着するまで全力で守り抜く覚悟です。そして、無事にヘリウムまでたどり着いた暁には、この命、あなたの自由にしてもらってもかまいません。無礼千万の数々は私の口から語られることは決してないでしょう。また、二度とあなたを苦しませることもいたしません。大それた考えもすべて捨て去りました」

 彼女の目に答え、私も真剣だった。この身がぼろ切れのようになろうとも、必ずヘリウムの宮殿に彼女を帰らせてみせると固い決意をしたのだった。リア・ソリスは短剣の切っ先を下げると、私の長剣を両の手に取り、鞘から抜いた。抜き身を私の肩にあてがうと言った。

「地球人カイ。改めてあなたに、わたくしヘリウム王女の護衛を命じます。国の民とジョン・カーター、デジャー・ソリスのためにわたくしを守り、無事にこの旅を終えることを願います」

「ありがとうございます。誓いが破れることは決してないでしょう。ヘリウム王女の護衛の栄誉、この私カイ、ありがたく拝命させていただきます」

 リア・ソリスは長剣に唇をふれると、元の鞘に戻し、私に返してくれた。そうはいっても、気まずさはたやすく消えるものではなかった。二人とも会話もないままに、黙々と身支度を整えると、飛行前にマーズ号の点検に取りかかった。

 

 なるほど、透明なキャノピーの後部上方に、数発の銃弾の貫通したあとがあった。この銃弾のどれかが、私の肩に負傷を追わせたのだ。隅々まで船体を点検すると、数発の弾丸が浮力タンクに穴を開けていることを発見した。この船はカーソリスが贅を尽くして製作した船だったので、第八光線を収めるタンクは数個に分割されていたが、その中の一カ所はだめになっていた。

 着陸してすぐにリペアキットで修繕すればよかったのだろうが、今となっては補修しても無駄なことは分かり切っていた。残りのタンクで飛べることは可能と思われたが、操縦性にどのような影響が出るのかは実際に飛んでみないとわからなかった。

 備品入れより緊急用の非常食を取り出し、二人で食べたが、2食分ほどの量しかない。ヘリウムまでは、まともな高速飛行艇だったら、残り二日ほどの距離と思われたが、今のマーズ号の状態では何日かかるかわからなかった。早急に食料を手に入れることが先決で、マンタリアの森を見つけてミルクを手に入れることがなりよりも肝心だった。

 それにしても、ジョン・カーターが火星の奇跡とたたえたこう薬の威力は大したもので、みるみるうちに傷が回復していくのがわかった。

 

 ほぼ半日の時間をかけてマーズ号の点検を終えると、いよいよ飛び立つことになった。動力を入れ、浮力レバーを徐々にあげていくが通常の位置では全く地面を離れる様子がない。4分の3ほどの位置で船が浮き上がった。通常、レバーがこの位置では飛行艇は高々度まで上昇しているはずだった。相当浮力が失われているのと同時に、船首が極端に下がっていた。操縦桿をかなり引かないと、水平にならないほどで、おのずとスピードは出せない。

 それに旗艦を脱出したときのように、乱暴な操縦も禁物だった。地球人より身体構造の弱い火星人のリア・ソリスの心臓が、加速度に耐えかねて再び停まらないとは言い切れないからだ。今度もまた、心臓が蘇生するとは限らない。

 

 太古の峡谷を抜けでるには1000メートルもの急な上昇が必要だったが、この姿勢では無理なので、峡谷に沿って徐々に高度を上げることにした。じれったいほどの高度の上がり方にいらいらしながらも、ようやく峡谷を抜け、黄色いこけの平原に出ることができた。しかし、ここへ来て飛行艇がわずか100メートルほどしか高度をとれないことが判明した。峡谷の底より高い場所にある平原の方が、第八光線の反発力が弱いと言うことなのだろう。

 幸運なことにマンタリアの森はまもなく見つかった。森の境に着陸し、船を茂みの中に隠して、まだいるかもしれないヴィザードの偵察隊に見つからないように用心した。マンタリアの木は太ければ太い方が良質の樹液がとれるが、深い森の中にはどんな危険が待ちかまえているかわからなかったので、手近の木よりミルク状の樹液を採取した。本を読んでいたときは眉唾物だと思っていたが、ほんとうに味はミルクだった。

 「火星の秘密兵器」で、タヴィアが良質のマンタリアのミルクを求めて、森の奥へ奥へと迷い込んだ理由がわかったような気がした。ミルクを飲むのに夢中になっていた我々の周囲に、たいへんな危険が迫っているのを知る由もなかった。


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