表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/28

3. ヘリウムの飛行戦艦

 船底の牢に放り込まれ、両手足を壁に鎖で固定された私にできるのは、暗やみの中で泥のように眠ることだけだったが、少しまどろんだと思うころ、美しい彼女との惨めな出会いが悪夢となって出現し、何度となく苦しめられた。あこがれの火星に来て、こんなつらい思いをするのがわかっていたら……・と、何度も後悔の念が頭の中をめぐっていた。手足を固定している鎖は長さに余裕があるため、床に座ることができるのはありがたかった。

 バルスームに来てからに予定として、人里はなれた小さな村で基礎知識をつけてから、いよいよヘリウムに乗り込むつもりだったのだ。それが……・。

 

 肩をたたかれ、私の夢想は中断された。いつの間にか本格的に眠っていたらしい。放り込まれてからいったいどのくらいの時間が経過したのか? 二人の兵士により両手足の鎖を外されると、新たに手だけ手錠をかけられると、ついてくるように促された。

 おなじみの通路に出て再び上り斜面になる。本を読んでいたときにも思っていたのだが、どうして飛行船を作り上げる高度の技術があるのに、階段というものを使わないのか?

 誰も思いつかなかったというのはどう考えてもおかしかったし、それが証拠に通路のあちこちにははしごは存在しているのだ。後で聞いたことだが、これには立派なわけがあった。夜間の戦闘中に照明をすべて消すことがあるのだが、その時階段だと迅速な行動を妨げてしまうのだ。また、斜面を上りきったところには必ずといっていいほど、2つの陶器のカメがおいてあり、その中には滑りやすくて燃えにくい油が入っていた。敵が侵入し、斜面を上ろうとしたときにこのカメの油をまくと敵は容易にはスロープを上って来られなくなるという、戦略的な意味合いがあったのだ。また、斜面になっていると女子供でも段差が気にならないという利点があった。

 

 いくつかの曲がり角を曲がり、一つの部屋の入り口のドアを開けると中に連れ込まれた。すぐに、何とも言えない甘い匂いがするのに気がついた。天井の梁のフックを下ろすと、私の手錠の鎖に引っ掛け、一人がロープを巻き上げた。私の体は梁からつり下げられ、床にはつま先でどうにか立っていられる状態にまで引っ張り上げられた。

 一瞬拷問かと恐怖にかられたが、心配は杞憂に終わった。ロープの固定具合を確認した二人は、壁に固定されたカメのフタを開けると大きなハケをとりだし、中身を私の体に塗り始めた。入り口をくぐってすぐに気がついた甘い匂いの元は、すぐにこれだといやおうなしに知らされた。

 指の先から頭、胴体から足の先まで二人はまんべんなく塗りたくった。これは油の一種だが、火星の極度の乾燥から皮膚を守るために数日に一度は必要な儀式だった。もちろん、すべての人がこのように吊り下げられて強引に塗られるわけではなく、普通は霧吹きのようなもので召使にやらせているのだ。また、貴族階級はこの油に香料を入れることが許されており、一種のステータスシンボルにもなっていたのだ。

 

 まもなく自分でも気がついたのだが、この油にはもう一つ作用があり、塗った皮膚の色を強調するという特徴があった。赤色人の赤銅色はこの油を体に塗ることにより、あのように鮮やかな色になるのだ。私の場合は、ずいぶん黄色がかった茶色になっていた。儀式が終わり、渡されたタオルで体の余分な油をふき取り、切望していたふんどしにも似た腰布をもらい身に付けると、何と言えない平和な気分になった。自分がいかに今までの習慣に依存していたのかが、思い知らされた瞬間だった。最後に髪をなで上げると、油のせいでオールバックになった。筋肉のない貧弱な体は隠しようがないが、これでどうにか見られるようになった。

 

 身支度を終えた私が次に連れていかれたのは、入り口に鉄格子のはまった食堂だった。一辺が10メートルほどのその食堂には、実用本位のテーブルと長イスがいくつかあり、そこに一見して囚人か捕虜となって奴隷として使われている男達が、多数黙々と食事をとっていた。天井は低くて私でも頭がつかえそうな部屋の要所要所に、見張りの兵が長剣のつかに手をそえて立っていた。

 連れてきた兵にうながされ、入り口にある金属のトレーをとり、カウンターのところの巨大な蛇口の下にかざすと自動的に料理が押し出されて、トレーのくぼみに収まった。全部で3つほど繰り返すと、テーブルに座らされた。大きなスプーンで食べるその食事は、チーズのような乳製品の加工品のにおいがしたが、腹の減った私にはたまらないご馳走だった。おまけに、金属のゴブレットに注がれた白い酒は、何とも言えない美味だった。がつがつと食事をし、ある程度おなかの要求が満たされたころ、テーブルの上のあちこちに剣で切りつけたような、ささくれた切り傷が無数にあるのが目に留まった。ここで幾多の争いがあったことを物語る印だった。そのことに思いいたった私の食欲は、急速にしぼんでいった。


「ダダッチ!」誰かが叫んでいた。


 とたんにまわりからげらげらと笑い声が上がった。なんのことかと考えているとまた声がした。

 

「ダダッチ!」


 3回目の時、私の背中にどろりとした熱いものがぶちまけられるのを感じて、さっと後ろを振り返った。そこには、身の丈2メートもありそうな大男が立ち上がっていて、手にトレーを持っていた。天井にぶつからないように首を曲げていたが、その顔は悪意をもってにたにた笑っていた。

私が怒りながらも、意味がわからなくてきょとんとしていると、その大男は股間に手を当てて、見間違いのしようがない仕種をした。言葉が通じなくても、そのジェスチャーは私にもわかった。謁見したときの兵の誰かが、この男に私の惨めな姿を教えたのだろう。事実「ダダッチ」には隠語で「おったてや」の意味があった。

 その男はさらに言葉を繰り返し、トレーの残飯を私に浴びせようとした。普段はおとなしい私も、謁見の時のあまりの恥ずかしい思いが冷めやらない今、大男の遠慮ない侮蔑に、このときはさすがに爆発してしまった。

 

 天井につかんとする男のあごに、手錠をかけられたまま両のコブシをたたき込んだのだ。いやな音とともに男の頭は天井の板を突き破り、肩のところまでめり込み、なかば中吊りになったように片足が床から浮いてしまった。浮いていた足が2度3度けいれんをしたかと思うと、それっきりだった。

 抑えようのない怒りは一瞬で冷める。あまりにもむごい結末に茫然自失の有り様だったが、すぐに大きな騒ぎになると気がつき頭の中が真っ白になったが、不思議と体面だけは保つことができた。何事もなかったように、自分のテーブルにすわりなおすと、ゴブレットに残った酒を飲み干したのだ。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ