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2. リア・ソリス

 何かを感じて目が覚めた。一瞬のうちに完全に覚醒した感じだ。

 周囲の寒さというのはもちろんあるだろうが、異環境に放り込まれて神経が研ぎ澄まされた状態の時には、ほんらい眠っている防衛本能がはたらくのだろうと思うが、何らかの気配を感じて目をあけた。あたりはまだ暗く、地球の夜空から見たときとは信じられないほどの数の星空が見えた。その中に異なる動きをする、数十個のオレンジ色と赤い光点の集団を見つけた。オレンジ色の光点が前で、赤い光点が後ろの対になったその光の集団はゆっくりと天空を横切り、しだいに真上にやって来た。前後の光点の間には、背景の星をかくす楕円の黒い影が見えた。

 

 バルスームの飛行艦隊だ!

 

 そう思いつくと、今までしていたのに聞こえていなかった、低いうなりも感じられる。推進に使ってるプロペラのようなものが回ってる音が、初めはかすかに、しだいに大きく聞こえてきた。

 高度はどれぐらいだろう?かすかに見える船体は、大きさがわからない。先頭を行く飛行船が後続のものより一回り大きいのがわかり、きっとこの艦隊の旗艦だろうと思われた。

 

 その時私のとった行動は今考えても冷や汗もので、何を考えていたのかと思うが、きっと興奮の頂点に達していたのだと思う。気がついたときは大声で叫んでいた。「カオール! ジョン・カーター! デジャー・ソリス!」叫んでから、その声の大きさに自分で驚き、興奮は来たときと同じぐらいに急速に冷めていった。ヘリウムの敵国だったら、どうするんだ!あるいは、ヘリウムの艦隊だったとしても、今の自分には同じように危険な存在ではないか!

 高ぶった神経には1秒という時間がとてつもなく長く感じられ、心の中では叫んだことへの後悔と、あこがれのヘリウムのジョン・カーターに会いたいという複雑な期待感が交錯していた。飛行艦隊はなにごともなく通りすぎるかに見えたが、突然まばゆい光の柱が旗艦の舷側より地面に現れた。

 

 気づかれた!

 

 それを合図にしたかのように、ほかの船からも次から次へと強力なサーチライトが地面を照しだした。サーチライトの光の束はみるみるうちに数を増やし、全部で数百本にもなる光が地面に降りそそぎ、互いにせわしなく交差しながら探査を開始した。最初は私のところからずいぶん離れたところを探していたが、飛行軌跡を正確に逆にたどることが可能なようで、しだいに近づいてきた。その頃になると飛行艦隊はずいぶん高度を下げていたので、旗艦が長さ40メートルぐらいの巨大なもので、随員している他の船はその半分ぐらいの大きさなのがわかった。 

 

 甲板は煌々と照明がたかれていて、数多くの人員が舷側から上半身を乗り出すようにして、下をのぞき込んでいるのが見えた。どんな人種なのかは、甲板を照らす照明が逆光となり見にくかったが、少なくとも緑色人ではなさそうだった。今や、飛行船は高度10メートルそこそこを漂い、ゆっくりとこちらに近づいてくる。推進機関を低速に絞っているのにもかかわらず、今や轟音は―――騒音と言うより腹の中を揺さぶられるような低周波だ―――耳を弄せんばかりにとどろいていた。このような轟音の中で、私の叫び声をとらえたとは信じがたかったが、どう考えても探索の目的が自分なのは明らかだった。

 

 サーチライトは私の周囲数メートルを、それこそアリ一匹見逃さないかのごとく、なめていくようになった。甲板の上では人々がひっきりなしに叫んでいる。指揮をとるもの、その命令を伝える伝令、サーチライトを操作する人々の声が今やはっきりと聞こえるまでになった。見つかるのも時間の問題。

 

 サーチライトが最初に私の顔をなめたところで、もはやこれまでと私は大きく深呼吸すると、体にかぶさったコケを一気に払いのけ勢いよく立ち上がった。緊張のあまりここがバルスームなのを失念した私は、強大な地球人の筋肉の力をすっかり忘れてしまっていた。すっくと立ち上がったつもりだったが、低重力のバルスームでは勢いがよすぎたらしく、体は高々と空中に飛び上がってしまった。その時、頭上に飛行船がいなかったのは幸運だった。もし、その中の一隻でも真上にいたら、私の体は船底にたたきつけられていただろう。

 空中に飛び上がった私は、旗艦の舷側をぎりぎりに交わし、驚きあきれる甲板の人々の頭上高く舞い上がった。サーチライトの隊員は優秀だった。空中に飛び上がった私をだれ一人外すことなく、まるでサーカスの曲芸団員のごとく見事に空中に浮かんでいる姿をとらえ続けた。

 

 20メートルほどで勢いがなくなり、やがて着地したのは旗艦の甲板の上だった。多数の鞘走りの音とともに、10本近くの鋭い剣先が私ののど元に突きつけられた。抵抗するもなにも、こうなったらここは観念するしかない。

 

 そのままじっとしていると、屈曲の戦士が両側から腕をつかみ、背中の方にねじ上げた。彼らはいちように背が高く、私の背丈は彼らの肩までしかなかった。彼らの着ているものは、シーツのような一枚の大きな白い布を、肩から体に巻き付けるようにまとっていた。これは後ほど知るのだが、夜の冷気を避けるための防寒布で、普段は宝石をちりばめた腰布と、剣をつるすための肩ベルトと腰ベルトとサンダルだけの、ほとんど裸が正規のスタイルだった。

 

 甲板の集団より一人の威丈夫が進み出て私の前に足を止めると、ごつい腕を組みあわせて私を値踏みした。男がすっと手を上げると、今までざわついていた周りの兵隊の声がぴたりとやんだ。 力強いあごをした角張った顔の持ち主で、その鋭い眼光は他の者にたいして無言のうちに命令を下す男のそれだった。しばしの沈黙の後、男は口を開いたが、その声の調子は低いながらも戦場ではよく響くだろうと思われた。もちろん私には男の言ってることがほとんどわからなかった。

 そこで私は天を見上げると「ジャスーム」と何度も繰り返し、言葉がわからないと日本語でいった。男はさすがに驚いた顔をしたが、今度はゆっくりと一つ一つの単語を切るようにして、話を繰り返した。声の調子と、本の巻末にある火星用語辞典の単語のいくつかを聞き取ったので、ほんの少しは話の内容が推測できた。「ヘリウム、ドワール」と自分の胸を指さしていったので、彼はヘリウムの将校のようだ。

 

 なんという幸運か!

 

 火星に来て最初に出会った人間が目的地ヘリウムの将校とは、運がいい。将校はなんとか私とコミュニケーションをとろうとしたのだが、それより先は言葉の壁にさえぎられて、どうにも進まなかった。さすがにあきらめた男は、周りの兵隊に一言命令をくだすと手振りで私を連行するように合図をし、先にたって船室へと向かっていった。

 今まで煌々と闇を切り裂いていたサーチライトが一斉に消されると、一瞬視力を失ったが、甲板上の常備灯の明かりに慣れると船体中央の船室に入るところだった。頑丈なドアをくぐるとそこは通路になっていて、両側にいくつのも部屋が並んでいた。貴重な木で作られた船室は磨かれてぴかぴかだ。戦艦というより豪華客船のようで、ドアには意匠を凝らしたさまざまな彫刻が彫られ、ふんだんに使われている金箔と宝石がこの国の強大な力を誇示していた。

 背後のドアが閉まると、それまでのプロペラの轟音は気にならないまでに小さくなり、サンダルを履いてない私の足音と、兵隊達が歩くたびに揺れる剣をつるすための金具のかちゃかちゃという音だけが響いた。

 

 通路は徐々に上りになり、やがて一つの大きなドアの前に着いた。将校=ドワールはドアをごついコブシで大きく一回、ひと呼吸おいて2回打ち付けると一声叫んだ。中より、それに答えて声がした。ほどなくして重いかんぬきが引き抜かれる音がし、ドアが左右に開かれると、そこは豪華絢爛たる絵巻のような広間になっていた。

 高い天井からつり下げられた巨大なシャンデリアが、甲板の物々しい装甲と対極的だった。部屋全体は丸い作りで、天井もドーム状になっていて、壁には自然の風景が見事な色彩とデザインで折り込まれた壁掛けがおおっていて、一種のパノラマになっていた。目を下ろすと、部屋の奥に大きなテーブルがあり、そこに一人の人物がいた。周囲には侍女とおぼしき若い女性達が数人と、護衛の兵士が数名ひかえていた。

 

 その人物は若い女性だった。

 

 顔の色は淡い赤銅色で長くのびた髪は黒、切れ長の目の色は黒というより茶色に近く、みずみずしい唇は光に透かしたルビーのごとく赤い。自然が作りあげたとは、とても信じられないほどの美女がそこに座っていた。私の基準から見るかぎりでは、まだ16か17歳そこそこに見える。

 彼女がイスから立ち上がったとき、ほとんど裸なのにはさすがに仰天した。部屋の中が暖房されてるのには気がついていたが、まさか裸の美女が待っているとは夢にも思わなかったので、不意打ちのショックは大きかった。確かに要所要所は宝石をちりばめた装身具でかくされてはいたが、それは隠すというより持ち主を引き立てる目的で使われているようだった。立ち上がり、テーブルを回ってこちらに歩いてくる彼女を目の当たりにして、天は彼女にほかにも恵みを与えていることがわかった。少女の域を出ていない顔からは想像がつかないほど、その下の体はグラマラスで、きめの細かい肌には染み一つなかった。

 

 ドワールの前に立ち止まると彼女は、たずねるかのように何かを話した。ドワールはそれに答え、また彼女がたずねる。そんなやり取りの繰り返しが何度かあり、そのたびに彼女の顔に浮かぶ表情を私は憑かれたように見つめ続けていた。ふと気がつくと、彼女が私に向かって何か話しかけていた。悲しいかな、今の私にはその内容がわかるはずもなく、ただ首を振るだけだった。

 

 手を伸ばせば届きそうな距離で彼女の魅力的な裸体を前にして、あろうことか私の体は知らないうちに反応していた。火星の低い気圧と低重力のせいもあるのだろうが、私の性のあかしは自分でも信じられないほどになってしまっていた。思わず全身の血が顔に上ってきたが、両腕を兵士に押さえられて身を隠すこともできない。このような若くて美人を前にしては、信じられないほどの恥ずかしさだった。彼女もそれに気がついたらしく、びっくりしたような顔をすると、さっと一歩下がったが、みるみるうちに顔を赤らめた。その顔の表情が、驚愕からしだいに軽べつに変わるのを見るのは、私にとっていかにつらかったか。

 

 右手のひとふりで退室を命じられたときは、ほっとするのと同時に失意のどん底だった。今来た通路を戻り、船底に近い牢に放り込まれた私は、あまりにも惨めすぎる彼女との出会いを思いだし、ため息をつくしかできなかった。


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