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21、ナティス・オカピー

 矢も楯もたまらず駆けだしそうになる衝動を抑えるのは、並大抵のことではなかったが、傍らにいるジョン・カーターが唇をかみしめながら我慢しているのを目にして、私もぐっと飲み込むしかなかった。

 怒りにまかせてこのまま突入したら、今までの大勢の努力は水の泡になり、最悪の結末を迎えてしまうのだ。音を立てるのを恐れて、腰の剣に手をやりながらも鞘からは抜かないで、そのまま用心しながら通路を奥へと進んでいった。第9光線の発光により照らされていた通路は、我々が進むにつれて明るさが落ち、いつしか闇に包まれていた。遠くに微かに光が見えるのを目印に、突入隊はいっそうの用心を重ねながら歩を進めた。

 

 ここまで来るとさいぜんより聞こえてくるうめき声が、若い女のものであることがはっきりとわかり、一同の心をかき乱すのだった。再び灯りの中に入ったことでゴールは近いと判断した私たちは、息を止め、すり足で音を立てないように通路の終点を目指した。とうとう通路の終わりに達し、そこが一つの部屋になっているのがわかった。覗き込むジョン・カーターの肩越しに私も顔を出す。

 天井に近いところに通路はあいているらしく、この位置から見えるのは部屋の片側だけだったが、向こうの壁に3つの通路が新たにあいているのが最初に目につく。視線を下に向けると、ヴィザードの赤色人兵士が15名ほどその壁により掛かっていた。その全員が同じ方向に視線を向けていたのに気がついた私は、無意識のうちに目を動かしていた。

 

 床に毛皮のような敷物が敷いてあり、そこで男女が寝転がっていた。やりきれないような苦悶のうめきが、その女の口から絶え間なく発せられていた。よく見ると、女は口に猿ぐつわをされていて、手を背中の後ろで縛られていた。男は鎧の違いから隊長とおぼしき人物と思われるが、女が自由を利かないことをいいことに、好き勝手にいたぶっている。

「このおれ様が、最初にお前を味見してやるから感謝するんだな。いずれここから出た暁には、皇帝サ・バンは俺にどこかの都をくれると約束してくれた。そうなると、おれ様は一国の王になる。言うことを利くならお前を后に迎えてもいいのだぞ。どうする?悪い取引ではあるまい。断れば、ここにいる全員をお前一人で楽しませることになるが?」

 幸い、若い女は見たことがない顔だった。飾りを取り払われた豊かな胸に、男のごつごつした手が覆い被さり愛撫していたが、女は今の話を聞いて、激しく逃れるように身をよじった。だが、自由を奪われているのと、力の差から逃れられるすべはない。

「そうか! それがお前の答えか。ならばよかろう! ここにいる連中と、せいぜい楽しむんだな」

 男はそう言うと、身体を重ねるように姿勢を変えていった・・。

 火星全土を救うという大義名分が第一とは言っても、このような場面を見て見ぬ振りができるほど、私は大人ではなかった。嬉しいことにジョン・カーターも同じだった。どちらも何も言わずに、部屋の中に躍り込んだのだ! 

 

 ジョン・カーターは男の首根っこを鷲掴みにすると、危機一髪の女から引き剥がした。下半身が丸見えの姿の男に、私の鉄拳が炸裂した。男が壁際に吹っ飛ぶ前に、早くもジョン・カーターは剣を鞘から抜き去り、他の敵兵に立ち向かっていった。私は若い女を抱き起こすと、猿ぐつわと戒めを解いてやった。かなりのショックを受けた様子だったが、私自身、敵と相対する必要があったので優しく介抱している暇はない。彼女を背後にかくまい、剣を構えた。

 ここまでは一瞬の出来事だったので、味方もまだこの部屋には入ってきていない。先ほどの男は床に伸びたままだったが、他の兵隊達はすぐさま剣を抜いてこちらに押し寄せてきた。10数名を相手に一度に剣を交えるのは、地球人二人といってもかなり不利な状況だ。このままでは運が良くても二人のうちのどちらかが、ここで犠牲になるのは避けられないと思った瞬間、頭の中で爆弾が炸裂した。突然猛烈な頭痛に襲われ―――まるで耳の中で大きな蜂が暴れているようだ―――思わず剣を取り落とし、頭を抱えてしまった!

 部屋の中がぐるぐる回り、平衡感覚を失った私は床に倒れ、苦痛の叫びを上げ、身をよじった。かろうじて意識は保ったまま、辺りをうかがうと敵の兵士はもちろんのこと、ジョン・カーターも床で苦しみ抜いてるではないか! 

 

 奇妙なことに、先ほど助けた女だけが何事もないように立っていた。何も聞こえなかったが、女の口は歌うようにかすかに動いているのがわかった。そして、床に落ちた剣を手にすると、ヴィザードの兵士達の息の根を次々と止めていった。最後の敵が絶命したのを確かめると、今度は我々に向かってあらためて聞こえない歌を歌い始めるのだった。不思議なことに、あれほどの頭痛が嘘のように消え、身体に力がよみがえるのを感じた。ほんの数回の呼吸を繰り返す間に、元の元気な身体に戻っていく。我々が立ち上がる頃には、若い女の口はすでに閉じられていて、かすかにほほえみを浮かべていた。

 

 絶望から救い出された女の顔は穏やかさが戻っており、改めてこうして見ると、美しい顔立ちをしているのが知れる。肌の色は、赤色人のような赤銅色ではなく、どちらかといえば黄色に近く、こぢんまりとした顔の印象もあって、東洋人に近い美女だった。黒い髪を数百本の細い三つ編みにし、頭の後ろに渦のようにまとめているのが、今まで見てきた女性達とは大きく違うところか。飾りのはだけられた胸元は初々しいが、もうすでに立派な大人の体型だった。ちょっと目のやり場に困るため、彼女の胸飾りを探して手渡した。ジョン・カーターは自分の剣を拾い上げると、娘に質問を向けた。

「君はいったい、何者なんだ?」

 彼女は、半分ちぎれた胸飾りで何とか胸を隠すことに成功したが、かえってそれは胸の大きさを強調するだけの効果にしかならなかった。

「聞きおよびがないとは思いますが、わたくしはアルマダという都の最後のスレダー、ナティス・オカピーといいます。先ほどはあの男の手よりお救いくださり、アルマダの民に成り代わり感謝いたしております」

 火星シリーズは最後まで読んだはずだったが、アルマダという地名は初耳だった。また、スレダーというバルスーム語も、今の今まで聞いたことがない。ジョン・カーターと私は自分たちの素性を説明した後、アルマダとスレダーのことを質問した。

「英雄ジョン・カーターの噂は、遠く離れた我がアルマダの地にも届いておりますわ。本当にあなたがあのジョン・カーター……? 永久の昔よりバルスームには幾人もの英雄が出現し、伝説として語り継がれています。その誰よりも偉大な戦士である、現代の伝説の人。実在する人だったのですね。おお! こうして目の前にしながら、わたくしの心は認めようとしません。でも、信じないわけには行きますまい」

 ナティス・オカピーは切れ長の目をそっと閉じ、胸に手を当てるとほっと息を吐いた。

「決心がつきました。遙か祖先の時代から、アルマダの都の位置は他の部族に話すことはもちろん、わたくしたちが都の外にでることも固く禁じられてきました。そのことについて話すことは、掟に反することになりますが、あなた方と一緒だと不思議と心が落ち着きます。アルマダはここより遙かに遠く、デュホールの近くのアートリア山脈の谷の一角にあります。ここまで申しましても、あなた方は決してアルマダを見つけることはできないでしょう。都は巧妙に隠されていて、飛行船で上を通過してもわからなくなっています。まれに、旅人が旅の途中に迷い込んでくることもありますが、先ほどのように歌を歌って追い払うのです。アルマダで生まれ落ちた女性の数十人に一人の割合で、普通の者が聞き取れない、特異な音を聞き取れる者が現れるときがあります。その女性達は一般より隔離され、先輩のスレダーより歌を教えてもらうのです。すべての”歌”をマスターした歌姫だけが、スレダーの称号を得ることができるのです」


 バルスームには、我々のまだまだ知らないことが多いものだと実感した。今の話を聞いて、アルマダのように外の世界と隔絶した国が、探せばいくらでもでてきそうだ。それにしても、隠者のような生活をしているナティス・オカピーが、なぜにサ・バンの知ることになり、手に落ちたのか? 第一、アルマダの位置がわかったとしても、簡単には彼女を略奪できなかったはず。そのぐらい、あの”歌”の効果はすごかったのだ。私はその点を彼女に質問した。

「まったく寝耳に水のような出来事でした。数年前、一人の旅人が谷に迷い込んできたのです。いつものように、わたくしともう一人のスレダーは、”退却”の歌で旅人を谷より追い払おうとしました。数百の軍隊が進軍してきても”退却”の歌で、確実に谷に寄りつかないようにすることができるはずなのに、その旅人だけはかまわず谷に入ってきました。たちまち死に至る”死の女神”、眠りに落ちる”忘却”の歌も効きません」

「君たちの他に、先祖伝来の不思議な”歌”を教えてくれた先生に当たる、スレダー達は手助けをしてくれなかったのか?」

「この”歌”が歌えるのは処女に限られます。わたくしたち二人がアルマダの新たなスレダーを引き継いだとき、先代を務めたスレダーの女性達は、自分の好きな男性と結婚できる資格を得るのです。先の二人のスレダー達はその時はすでに結婚していて、処女ではなく、ただの女となっていました。どうしてそうなのかはわかりませんが、処女を失った瞬間に、スレダーの”歌”の能力は永遠に失われるのです。ですから、わたくしたちは二人で立ち向かわねばなりませんでした。ですが旅人は、耳がまったく聞こえず口も利けない身体だったのです」

 さらに話は続いた。

「旅人はとうとう数千年ものあいだ隠された、アルマダの都を見つけました。今でも後悔するのですが、その時ひと思いに、その旅人の命を奪っておけば良かったのです。男のありさまを見た国の人々は、哀れに思い、3日の間もてなしたのです。耳も口も利けないから、アルマダとスレダーの秘密は表に漏れる心配はないと考えたのですが、それでもわたくしたちスレダーの二人は、姿を見せるべきではありませんでした。なぜならその男は、人の唇の動きを目で読み、会話の一部始終を知ることが出来たのですから。

都にいた間は、そのことを我々が知ることはありませんでした。こうしてすべての秘密を握ったまま、男は谷の外に送り出されたのです。旅人は、アルマダで得た秘密を、あのサ・バンに大金と引き替えに売ったのです。数ヶ月後、ヴィザードの軍隊が大挙して押し寄せてきたとき、都の人々は旅人をあのまま帰したことを後悔しましたが、すでに遅すぎました。ソートの脂身を固めたロウで耳栓をした、兵士達の前には、わたくしたちの”歌”は無力でした。都の男達も数千年の間、敵と戦を交える必要がなかったので、戦いとも呼べない虐殺でした。生き残ったのは、谷の奥に逃げ込んだ数百人ほどでしょう。わたくしたちスレダーの二人も捕らえられ、口が利けないように詰め物をされたうえに、サ・バンに引き渡されました」

「もう一人のスレダーは……?」

 ジョン・カーターが先を促すように、もう一人のスレダーの消息を尋ねると、ナティス・オカピーの目から大粒の涙がこぼれ落ちた。こみ上げる激情に耐えられなくなったのか、顔を両の手で覆うと激しく肩をふるわせながら、すすり泣きをするのだった。ジョン・カーターは、ふるえる肩に優しく手を置き、そっと娘を支えた。彼女は大元帥の胸の中に身を預け、止めどなく泣き続けた。しばらくして、やっと落ち着きを取り戻したらしく、たくましい胸の中より自らの身体を離した。

 

「彼女……オルパ・デスリーは美しすぎたのです。アルマダの民は彼女のことを”太陽”の歌姫、わたくしを”月”の歌姫と言っていました。太陽と月、そのぐらいオルパの美しさはきわだっていたのです。サ・バンの目に留まったオルパは、すぐさま彼の私室に監禁されました。数ヶ月後に再会したときには、すでにスレダーの”歌”を歌えない身体になっていたばかりか、サ・バンの世継ぎを身ごもっていました。彼女はわたくしに泣きながら、告白してくれました。サ・バンを愛してしまったと……。でも、アルマダの国を滅ぼし、罪もない人々を虐殺した憎しみは、そう簡単に消えるものではございません。自分の体の中で日々大きくなる新たな命を実感しながら、彼女は一人で葛藤してきた様子でした。おお、わたくしになにができましょう! ただ、友の運命にさめざめと泣くだけです。

そして、あの日が来ました。ヴィザードからゾダンガへ飛行船の旅の途中に、オルパはわたくしをデッキに呼び出しました。サ・バンと婚姻の約束を取り交わした彼女には、ある程度の自由と権限が与えられていたので、わたくしも見張りから解放されて二人っきりで会うことができたのです。船はバルスームのいずこともしれない平原の上をサリアの灯りを頼りに、飛行してました。もちろん、遠くからデッキのわたくしたちは見張られていたと思います。夜の闇の中を飛行する船の上には、身を隠すところがいたるところにあります。

船首に近い、そんな灯りのあたらない場所で、オルパは泣きじゃくりながら、許しを請うたのです。この世の誰よりも憎むべき相手を愛してしまった己の心の弱さを、罪深さを許して欲しいと……・。彼女自身、サ・バンを深く愛していながら許すことが出来なかった。罪もない故郷の人々を、自らの欲望のために死に追いやった、サ・バンをどうしても許すことが出来なかったのです。暗闇の中にわずかに浮かんだ彼女の顔は、おだやかな表情だったと思います。わたくしをしっかり抱きしめると、こう言ったのです。”あとで後悔しないために、心を許してはいけない”と。その言葉を最後に、オルパは船縁より身を投げました。

わたくしは彼女がこうすることを、うすうす感じてました。今でも彼女が選んだ選択は正しかったし、そうするほかなかったんだと信じております。その知らせを聞いたサ・バンの落胆ぶりは、思いのほか大きかったようです。彼もまた、オルパを愛していたのでしょう。予想どおり、わたくしがオルパを突き落としたと思ったようです。そのことについて、わたくしもあえて否定はしませんでした。サ・バンの怒りを買ったわたくしは、親衛隊の隊長に与えられる運命を言い渡されました。そこからは、ご存じの通りです」

 ナティス・オカピーの話は終わった。火星の女性は宝石のように美しい。だが、その美しさゆえ不幸となる者も多いのだった。美しさは武器であり、同時に弱点でもある、と私は話を聞きながら思うのだった。オルパ・デスリーは不幸な女性ではあったが、ある数瞬では幸福な女性でいたのだろう。サ・バンとオルパ・デスリーの意外な話に、我々はただ沈黙するだけだった。

 

 長い話だったような気がしたが、数分の時間を裂いただけだ。悲しい話だったが、物思いに耽っている時間はない。我々には、やり遂げなければならない使命があるのだ! 

 この部屋に詰めていた兵士達は、やはり第9光線圧送トンネルからの敵の侵入を恐れ、あらかじめ用心のために配置していた見張りだった。他の者達は、神殿での最初の戦闘で見た大きなホールにいるらしい。割の合わないトンネルの見張りに回された、兵士達の隊長の不満を抑えるために、ナティス・オカピーは慰み者として与えられたようだった。

 

 彼女の話によると、この部屋に入ってきた時は3本の通路のうちの、真ん中を通ってきた覚えがあるという。その先には、サ・バンの寝室と、捕らえられた女性達が監禁された部屋が並ぶ、通路に通じている様子だった。残りの両側の2本がどこに通じているのかは、わからないと言う。初めは3手に別れて捜索を開始しようかとも考えたのだが、10名の少人数で、おまけにナティス・オカピーも一緒とあっては、バラバラになって戦力を分散するのは危険が大きすぎた。

 最初に真ん中の通路を選んだ。中にはいると、背をかがめなければ頭が天井にぶつかるくらいの高さで、中腰での歩行を余儀なくされた。通路の壁の所々にラジウムランプが埋め込まれているので、今度は真っ暗闇を進む必要はなかったが、敵にこちらの姿を発見されやすいという恐れもある。彼女を列の真ん中に入れ、一列に並びながら我々は進んでいった。

 これといった変化もないままに、100メートルも進んだろうか?唐突に天井が高くなり、目的地までたどり着いたことを知った。幅4メートル、高さが3メートルぐらいに岩盤を切り取った通路が、視界のおよぶ限り続いている。ぽつりぽつりと松明が壁に取り付けられていて、とろとろと揺れる灯りを放っていた。松明の反対側には二人の兵士が直立不動で立っていて、部屋の扉を警護していた。

 

 ここから見える範囲でも松明の明かりは数十本もあるから、これと同じなら、灯りの数の2倍は兵士がいることになる。どうしたものかと考えていた私は、傍らのジョン・カーターがすでに、長剣の鞘をはらっていることに気がついた。大元帥は戦うことを選んだ!彼の考えがわかったとき、私もためらわなかった。そっと、鞘から長剣を抜き去り右手に構えた。後ろの者もそれにならった。ナティス・オカピーは列の最後尾にポジションを移動し、準備が完了した合図に、前の兵士の肩を軽くてでたたいた。その合図は次々に前に送られ、私が最後に大元帥の肩に手を当てた。

 広い通路に飛び出した私たちは、横に二人ずつ並んで早足で最初の見張りに向かっていった。物音に気がついた見張りはすぐさま警告の叫びを上げると、剣を抜いて立ち向かってきた。

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