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20、火星の大気工場

 無駄なあがきと知りつつ、そこにいる全員で9つの組み合わせを思考してみるが、時間ばかりが無駄に過ぎていき、徒労に終わった。さすがのジョン・カーターも「我々はまだ生きている!」と言う元気もなくなったらしい。一人また一人と地面に腰を落としていき、やがては全員が座り込んでしまった。

 

 どうやら、自分の「火星放浪記」もここまでのようだと観念し、手記の締めくくりの言葉でも考えようかとしたところに、ホロヴァス老人が到着した。地面に崩れるようにへたり込むと大の字に寝そべり、ぜいぜい激しく息を繰り返した。

「けしからん奴らだわい!……年寄りはもっと優しく扱う……ものじゃ。バルスームを救う、唯一の男かも知れないわしをおいてきぼりにして!」

 その意味ありげな言葉に、全員の目がホロヴァス老人に向く。話は続いた。

「6百年ほど前に、大気製造工場は外壁の大改修をした。そのときはわしも、まだまだ下っ端の設計士に過ぎなかった。当時なんと、奴らはこのわしに現場監督を命じたのじゃ! この屈辱的な扱いに、わしは怒った。改修の目的は、いかなる者の侵入も不可能とする外壁の建設だったが、この世に絶対という言葉は、わし以外使ってはいけないのじゃと思った。絶対倒壊しない塔とか、絶対攻略できない要塞とか……。わしが作った物以外は、絶対という言葉がつくことに我慢がならなかった。そこでわしは、ある細工をした。今でもそこから、中に潜り込むことができるはずじゃ」

 この爆弾のような発言に全員が飛び起きて、老人に詰め寄り、さまざまな質問が浴びせられる。

「待て待て! そうせかすでない。建物の後ろ側にあるはずじゃから、わしについてまいれ」

 そう言うと、ホロヴァスはくたびれて笑うようになっている足で、とぼとぼと歩き始めた。一刻を争うときに、とても待ってはいられなかった。私は老人を肩に軽々と担ぎ上げると、建物の裏側に走り始めた。

「ほほーほ! こいつは快適じゃ。それ急げ!」


 大気工場の巨大な施設の裏に回るためには4キロ以上の距離があったが、老人を肩に担いでいるとは言っても地球人の強脚を持ってすれば、ものの2分ほどの距離にすぎない。停まれと命じた場所で肩からおろすと、ホロヴァスは外壁を小さなトンカチでたたき始めた。たたいて、しきりに音を聞いている様子だった。あとから追いついた連中が見たのは、外壁をトンカチでたたいてまわる、奇妙な老人の姿だった。しばらくすると彼は首をかしげ始めた。

「……おかしいのう。確かここら辺りじゃったのだが……」

 石組み5枚ほどの範囲を言ったり来たりしながら、納得できない様子でトンカチを打ち付けていた。30分もそうしていたろうか? とうとうホロヴァスは匙を投げてしまった。

「あの秘密の入口が発見されるとは考えられないんじゃが、現実問題としてここには見つからないと来たものじゃ。建物の角から10番目の所だったはずじゃが……と、言うわけじゃな」

「どうした、見つからないのか?」

「そのとおりじゃ!」

 あるべきはずのものが見つからない。あるいは、そこにあるのに我々には見えないのか? その時、私は神の啓示のように、火星に飛来した最初の夜のことを思い出した。あの時私は、夜の寒さから身を守るために、苔を深く掘って中に身を横たえた。ひょっとして……。

 

 説明する手間をかけずに、私はホロヴァスがまさにここだったはずと、断言した場所の苔を両手でむしり始めた。一むしりで直径20センチほどの苔の固まりが放り出されていき、最下段と思われた石組みの下にもう一段が現れた。

 ここにいたり、全員が私の意図を理解した。おもむろに男達が、外壁の下の地面から苔をむしり始めた。地面の穴は広がり、その周囲には干し草の山を思わせる、むしり取られた苔の山が築かれていった。驚いたことに、新たに姿を現した石組みは最下段ではなかった。苔の下には合計4段の石組みが隠れていたのだ! 外壁の大改修の時は、周囲の苔は取り払われていたが、数百年の年月は苔に数メートルの層を作る時間のゆとりを与えていたのだった。

 

 むき出しにされた穴にホロヴァスが降りると、先ほどのようにトンカチで石組みをたたき始めた。彼はすぐにここだと、下から2段目を指さした。

「大鎚が必要じゃ!」

 地球上では絶対持てないと思われるような、巨大な鉄の大槌が用意され、ジョン・カーター自らがそれを持って穴に降りていった。ホロヴァスが後ろに下がり、いよいよ大槌が打ち込まれた。我々が予想した鈍い音ではない、ガラスが割れるような音とともに、石組みの一つが割れた。そう、文字通り割れたのだ! 石のブロックを10センチほどに薄くスライスしたタイル状の石がはめ込まれていたのだった。その奥のぽっかりと暗い穴があいていた。縦1メートル、横が2メートルほどの穴だ。

「この穴はどこに通じているんだ?」

「たしか、工場内の空調ダクトに繋がっているはずじゃ」

 言葉が終わらないうちにジョン・カーターは中に潜り込んでいた。私もためらうことなく、そのあとに続く。私の後ろにも続々とついてきたようだが、確かめている暇はない。先頭を行くジョン・カーターのすがたは、数メートルも進むと闇の中にとけ込んでしまい、見えなくなってしまった。ほふく前進する際に聞こえる鎧の金具の音だけが、唯一の頼りだったが、今のところ分岐点にはぶつかってないので見失う心配はない。

 

 人間は暗闇の中に身を置くと、音を立てないように無言になるが、このときもまさに全員が無言のままに穴の中を進んでいくのだった。数十メートルも進んだと思われる頃、穴はT字路につきあたった。

「こっちだ」

 すぐ右でジョン・カーターの声がした。再び無言の前進が続いた。いったいどこまでこの穴は続いているのか? 先ほどの穴とは違って、ここには機械油の臭いがかすかに混ざっており、よくよく注意すればかすかな機械のうなりも聞こえていた。それに、空気が濃くなっているようで、先ほどまでの息苦しさも消えていた。大気工場内とは言っても、ここは一般には禁断とされる場所。気を抜くと、どんな危険が待ちかまえているか知れたものではない。

 前方を行くジョン・カーターの姿が、かすかなシルエットになって見えてきた。どうやら前方が明るくなってきているようで、暗闇に目が慣れたせいではないようだった。

「ここからは音を立てるのは禁物だ」

 ジョン・カーターがひそひそ声で言った。どうやら、空調の出口が見えたらしい。工場内の機械の音は今やはっきりと聞こえるまでになり、前方左にダクトの吹き出し口があるのか、室内の灯りが差し込んでいた。大元帥はいったんそこを通り過ぎると、狭いダクト内で方向を変えた。たどり着いた私と二人で、ダクトの金網越しに中をうかがう。工場内に、巨大なポンプが何列にも並んでいるのが見えた。大規模なダムの水力発電所の発電タービンより遙かに大きい。ポンプのそばにいる人間の大きさから推測すると、ポンプ一基は直径が12メートルにもなろうか。そんなのが中央の通路を挟んで、両側に数十基も並んでいるのだ。もっとも火星全土の大気をここでまかなっているのだから、このぐらいの規模でないとおかしいのだが。

 

 これほどの巨大な規模なのに、工場内をいくら見渡しても、さいぜんの男の他に人間の姿は見えなかった。ジョン・カーターが意味ありげにうなずいた。私がその意味を察し、ゆっくりうなずき返すと、彼はダクトの金網に足を向け、勢いよく蹴飛ばした。金網は簡単に外れ、工場の床で大きな音を立てた。ダクトの吹き出し口から、床までは5メートルぐらいか。

 

 落下の音を耳にした男が気がついて、こちらに顔を向けたときには、私とジョン・カーターは床に着地していた。驚愕し、あんぐり口を開けたままの男の方に歩き出すと、背後でダクトから飛び降りる音が続く。外部からは侵入不可能の聖域に、突然降ってわいたように出現した私たちの存在は、男にはどのように見えたことだろう。彼は、手にバインダーとペンを持っていた。どうやら、ポンプの点検の最中だったようだ。まずは火星の大元帥が声をかけた。

「カオール! おかしな所から姿を現し驚かしてしまったようで、大変申し訳なく思っている。私はバルスームの大元帥でヘリウムの王子のジョン・カーターだ」

 恐怖と理解を超えた出来事ために、凍りついていた男の顔がぱっと明るくなった。

「ジョン・カーター、あなたでしたか! 覚えてませんか? あなたがこの大気工場の危機を救ったときに、工場内のポンプを動かしに、中に飛び込んだ技師がいたことを」

 記憶の糸をたどるように、数瞬大元帥の顔が物思いに沈んだ。

「思い出したよ。私が高速偵察艇でここにたどり着いたときは、薄い空気のせいで意識がもうろうとなっていた。これが最後の望みと、思考の鍵を使ってこの建物の入口を開いたとき、一人の男に火星の未来を託した。覚えているのはその男の後ろ姿だけだったが、君があの時の男だったのか」

 ジョン・カーターは感慨深げに男の肩に手をおくと、深くゆっくりとうなずいた。

「あの時は、ありがとう。今まで礼を言うことが出来なかったが、バルスームの全人類になり変わって、感謝の言葉を言わせてもらうよ」

 男は照れたようにはにかんだ。

「お礼だなんて……あの時あなたが扉を開けてくれなかったら、私には何一つ出来なかったでしょう。やはり、このバルスームを救った英雄は、ジョン・カーター、あなたですよ」

 二人の男はがっしりと腕を組み、互いのことをたたえ合った。

「ところで……君の名前は?」

「ハルザンです」

「ハルザン、突然ここにおじゃました理由は、再びバルスームが危機に陥ったからなんだ」

 大元帥は、ヴィザードの皇帝サ・バンがたくらんだ火星人殲滅の企てと、現在その計画が成功の一歩手前まで来ていることを、包み隠さずに話して聞かせた。若い技師は心底驚いたようだった。

「そんなはずは……。ポンプは正常に稼働しているし、どの計器も異常は示してないですよ! もし、お話のように供給ラインが途中でせき止められていたら、ここの計器に……そうか! 大気工場にある第9光線のポンプは、可動部分の全くない、電気式粒子加速ポンプとでも言うべきものなんです。屋上から収集された第9光線は、敷地の4分の3にもなる巨大なタンクに集められます。それだけで、今後1000年分も空気の供給をできるほどの量なのに、ほとんど圧力は上がりません。タンクから整列機で、第9光線はマイナスの電荷に整列されます。ポンプは圧送するというより電気的に一定の方向に流れを作るだけなのです。第9光線はポンプを出て、トンネル内にはいるとお互いの電化の反発力である程度膨張しますが、計器に変動を起こすほどのエネルギーを持ってないのかも知れません。それで、今言われるまでわからなかったのでしょう。第9光線に関しては、私も詳しいと言えるほど知識は持ってません。まったく、うかつでした」

 いくら悪知恵に長けたサ・バンでも、ここまでは知らなかったはずだ。偶然が彼に味方したとしか、言いようがなかった。


「ハルザン、前の危機の時にポンプが停まった原因は、なんだったんだ?」

 ジョン・カーターが突然話題を変えた。

「大規模な第9光線漏れがあったんですよ。宇宙のエーテルと反応した第9光線は空気を放出して消失してしまいますが、この工場内のようにエーテルのほとんどない場所に高濃度の第9光線が漏れだした場合は、大変有害なんです。ご存じかも知れませんが、我々の身体のほとんどは水で出来ています。この水というのは、実は配列の変わったエーテルそのものなんです。当然第9光線が人体に触れると、原子レベルで配列変換が生じてしまいます。私がこの工場に飛び込んだときは、緊急停止レバーにほとんどミイラ化した技師の死体が引っかかっていました。第9光線を全身に浴びた結果、身体の水分が空気に変換されたのでしょう。幸い、第9光線が漏れた配管の亀裂が緊急遮断弁のあとだったので、タンクの残りがすべて放出する事態には陥りませんでした。工場内に漏れていた量は、技師の人体のエーテルで、すべて反応しきってたようです。そうでなかったら、私が工場に一歩足を踏み入れただけで、同じ運命をたどっていたのは間違いありません」

 ハルザンの話を聞きながら、私の頭の中は「火星のプリンセス」の内容を、思い出そうとしていた。確かあの時、疑問に思っていたことは……

「ハルザン、ちょっと口をはさむようで悪いが、以前にこの工場のポンプが停まったときには、二人の宿直員の一人は、自宅の地下室で惨殺された状態で発見されているはず。その謎は解明されたのか、聞きたいのだが。おおっと! 自分のことを紹介するのを忘れていたな。ジョン・カーターに協力する、カイと言います」

「カイさん、その通りです。宿直員の一人は自宅で殺害されていました。当初は誰が殺したのかと謎だったのですが、死体の頭の中を読むことができる心理学者の見解は、我々の想像を超えていました。殺された男が最後に見た犯人の顔は、もう一人の宿直の技師だったのです! 犯人の技師は、極度のノイローゼだったようです。何が原因となったのかはわからないが、仲間に疑心暗鬼を抱くようになっていきました。一人悩むうちにとうとう発狂し、仲間を殺害し、結果を考えずに第9光線のタンクを破壊しようとした。ポンプとタンクが繋がる配管のラインを爆薬で穴を開けて、自分の身体に死が襲ってきたときに、突然正気に戻ったか、恐怖に襲われたのでしょう。そうでなければ、彼が緊急レバーを下げるはずがありませんから。でも、その時はすでに彼にとっては手遅れだったのです」

 ジョン・カーターと私は、技師を疑心暗鬼に陥れ、発狂させた原因がなにか分かっていた。発狂した技師は過去に一人の風来坊を大気工場に招き入れ、食事でもてなした。だが、風来坊はいつの間にか工場から姿を消した。扉を開く鍵となる、9つのバルスーム文字を知っているはずもない男が、煙のように消えてしまったことに、当の技師は恐れおののいたに違いない。交替するはずの仲間と二人だけしか知らないはずの”鍵”を、消えた男は使っていたのだから……。

 

 彼の疑いが、もう一人の技師に向けられたのは無理はない。そして、重い心の病に落ちていったのだ。消えた男とは、誰あろう放浪時代のジョン・カーターだったのだ。ジョン・カーターはそれについてハルザンに語ろうとしなかったし、私もあえて言うつもりはなかった。大災難とも言える、あの大気工場の機能停止が、意外な原因だったので、我々は押し黙るしかなかった。

 

 突然、場違いな声が響き渡った。

「図面を忘れていって、どうするつもりじゃ!」


 ダクトのところで怒鳴っているのは、ホロヴァス老人だった。我々が面食らって顔を見合わせていると、再び怒鳴り声がした。

「何をぼやぼやしているのじゃ! 年寄りがこんな高いところから、一人で飛び降りることができると思っているのか!」

 工場内には10名足らずの赤色人兵士がついてきていたが、ジョン・カーターの合図でダクトの下に集まり、ホロヴァスが飛び降りるのを受け止めた。飛び降りた拍子に眼鏡が外れたらしく、さかんにわめき散らしていた。

「足を動かすなと言ってるのじゃ! 眼鏡を踏んだらどうするつもりじゃ!」

 誰も彼も自分のペースに巻き込む、ホロヴァスの大騒ぎが静まるまでにはしばらく時間が必要だった。

「ホロヴァス殿、どうしてここまで?」

 その問いに老人は背筋を伸ばして、かくしゃくと答えた。

「わしが昔作ったこの通路を、どんなものかと体験したくてな。それに、お前さん達はこの図面を忘れていったのでな」

 持ってきた図面は、狭い穴をはい回る際にあちこち折れたり、皺になっていたが、大事な資料には間違いなかった。さっそく作業机とおぼしきものに上に、その図面を広げ、我々はそのまわりに輪になる。最初に私が意見を言う。

「この工場とサ・バンが潜む地下神殿は2キロほどしか離れてません。もっとも、この工場は敷地が桁違いに広いので、その広さもこれに加わりますが」

 指で神殿の位置を指し示し、ハルザンに質問した。

「この神殿と交わるラインに繋がるポンプは、どれかわかりますか?」

「第一圧送ラインですね。これは、向こうに見える一番端のポンプ4台です。一つのラインに対して4台のうち常時2台が稼働し、残りは整備と万が一のための予備となっています」

「単刀直入にうかがいますが、このポンプのラインから、地下神殿に潜り込むことは可能でしょうか?」

 彼は図面と我々の顔とポンプを交互に見ながら、長いこと思案していたが、やがて言った。

「長期間ポンプを停めて、第9光線が自然消滅しない限り無理でしょう。なぜなら、ラインのトンネルの中には、生に近い第9光線が充填された状態になっています。この工場にも一応緊急用に防護服がありますが、きわめて低レベルの場合だけ使用します。せめて空気が90%で第9光線が10%の混入レベルだったら、防護服を着用してトンネルの中を歩いていけるかも知れませんが、今の状態では5歩とは歩けないはずです」

 ここまで来て不可能とは! ここで諦めるわけには、断じていかないのだ。火星以上の人間が生存可能期間はあと2日たらず。何とか手段を講じないと……。

「トンネルに繋がっているポンプのラインのどれかを、建物の外に解放する事はできないものだろうか? そうすれば、外の気圧が下がるのを、今より遅らせることができるのではないかと思うのだが」

 誰かが言った。

「できます、できますとも! あそこに、工場の緊急用排気ダクト見えると思いますが、ポンプが異常の時はそこから第9光線を、工場の外に逃がすことができるようになっています。すぐに、ゾダンガに向かっているライン以外の4系統を排気してみましょう。」

 工場の天井には直径7メートルぐらいもありそうな、太い配管が縦横に走っていて、我々素人には、どれが排気用のダクトに繋がっているのか見当もつかなかったが、ハルザンはためらうことなく、ハンドルを回してバルブを切り替えていった。

 第9光線の流れが地下のトンネルから排気ダクトに切り替わったと言われても、音も変わらず、変化を認めることは出来なかった。だが、今や確実に第9光線は、工場の屋上より火星の大気中に大量に放出されているはずだった。人工空気の恩恵が受けられるのは、この大気工場の周辺数百キロに限られるが、火星全体から見ても、大気の気圧の低下速度は遅くなったはずだとハルザンは力説した。

 

 神殿への突入の手段が見つからないまま、とりあえず工場の扉を開放することにした。ハルザンが精神を集中すると、70メートルにもおよぶ、長い通路の向こうの扉がゆっくりと手前に動いてきて、壁の格納場所に引っ込んだ。続いて第2の扉・・第3の扉が、同じように解放されていく。すぐさま扉のハンドルを下げて、自動的に扉がしまらないように固定した。これで工場内と外との行き来が自由になった。このような処置は特例中の特例であり、普段は工場の扉が開きっぱなしになることは考えられなかった。外の見張りを置き、通用証がない者はいかなる理由であろうと、通行は許されないことになった。

 

 神殿の扉を破壊している部隊から、進行状況報告が入る。ほぼ半日で、1メートルぐらいの深さを削り取ったと言うことだった。気圧の低下で隊員達の疲労が予想以上に激しいため、さらにもう一班編制し、計画に組み込んだ。昼夜ぶっ続けでもう1日半も作業すれば、貫通できるかも知れない進み具合だった。

 ただ気がかりだったのは、サ・バンが何日間で火星全土の人間が窒息すると読んでるかだった。前回の大気工場の事故で、体力がない者は4日間ほどで帰らぬ人となったから、今回も4日か5日間ほどの時間を見ていると予想された。彼が、外の敵の死を確信したとき、中の人質の女性達に魔の手が伸びるのは必死だった。

 

 いくら、気圧の低下が遅くなったと言っても、残された時間はもう1日もないのだった。相変わらず私たちはハルザンと図面を囲んで、突入の手段が残されていないかと頭を抱えていた。やはり残された手段は、このトンネルしかないのだ。

「このトンネルから、第9光線を追い出す方法はないものだろうか? ところで、今思いついたのだが、トンネルの保守をすることはないのかな?」

 誰かのつぶやきにも似た質問に、技師はこたえた。

「ここ数百年、トンネル内の保守作業の記憶はないのですが、過去には確かにありました。その時の手順書が残っていたはずですから、探してみましょう」


 我々一同は、彼のあとについて工場内の別の通路を通り、とある部屋に入った。その部屋は巨大な書庫で、機械のマニュアル類と膨大な量の作業日報が本棚に収まっていた。火星の紙は地球の物とは製法が違うらしく、この部屋に入ったとたん、枯れ草のような臭いがするのに気がついた。まるで図書館を思わせる、その部屋は奥行きが50メートルもあり、背の高い本棚が何列も並んでいた。建物の小さな明かり取りの窓から射し込む光は、一面曇りガラス張り天井で拡散されて、書庫を無影の優しい光で満たしていた。

 数十万冊が入ると思われる本棚の半分に、作業日報が収められていた。大気工場の建設当初から順に日報が並べられているとはいえ、数万年単位の歴史ゆえ、その数は半端なものではなかった。冊子の形になった作業日報の巻頭には索引が書き込まれていたが、そこから目的とする供給トンネルの保守の記録を探し出すのは、気の遠くなる作業になった。

 伝令の兵を外に向かわせ、手空きの者をかき集め、人海戦術でトンネルに関する記述を探すことになった。初期の物となると書き込まれた文字のインクが薄れて、読みにくくなっている物もあり、その作業は予想を超えて困難の連続だった。時間が経過することによって、文字に対する集中力が無くなり、見逃しをする恐れもあった。だが、今のところやれるのは、これしかなかったのだ。

 

 焦りとは裏腹に、探索はなかなかはかどらなかった。いつしか、天井の光は日光からラジウムランプに切り替わっていたが、それすらも気がつかないほど我々は根を詰めていた。目はかすれ、頭は痛くなってきていたが、この中に必ず答えは隠されているという思いだけが、この単調な作業を続けさせていた。少しでも関連すると思われる記述があった冊子は、入口の所に集められ、その数は時間とともに増えていった。


 ハルザンはその集められた山の中から、専門家の知識を元に、探し物を絞り込んでいった。地球時間で5時間くらいが経過した頃だろうか、とうとう我々の苦労は報われることになった。

「ジョン・カーター、カイ、ありました! トンネル内に入る方法が見つかりました!」

 ハルザンの歓声が聞こえたときに私が感じたのは、歓喜でも安堵でもなく、重い疲労感だった。

「いいですか、この日報によると、どうやら模擬演習らしいのですが、万が一の時のために実際に第9光線の充填されたトンネル内で、試験的に作業が行われたようです。年代は……約4万年前となっています。これ以来、トンネル内部に入ることはなかったようで、あとの年代の物にはそのことについて触れられてもいません。たぶん、実際に必要とする作業の可能性が薄いということで、排除されたのだと思われます。これによると、その方法とは……」

 人目に付かない工場の片隅に、布のシートがかぶせられた一台のポンプが放置されていた。日々の作業の点検項目にもない、その物に関して、歴代の技師達はなんの関心も示さなかった。第9光線を送り出すポンプと比べて、半分の大きさもなかったし―――-それでも直径5メートルもあったのだが―――付近に重要な設備もなかったので、誰も気がつかないでいたのだった。

 

 数万年もの間そのままの状態で保管されていたため、かぶせられたシートを慎重に破がしたにも関わらず、かなりの埃が舞い上がってしまった。ポンプは移動用の台車の上にフレームで固定されていて、10人ほどが力を加えると押し動かすことができるのだった。地下神殿の送風トンネルに繋がるポンプの所まで移動し、稼働しているポンプはそのままに、予備のポンプのうちの1台を配管からはずした。

 

 トンネルに繋がっている4本の配管には、おのおの巨大なバルブがつけられているので、むき出しとなった配管から第9光線が逆流してくる心配はない。フランジ部分にいにしえのポンプを取り付け、50本のボルトでしっかりと締め付けて固定した。ポンプに繋がる蛇腹式の長いダクトを引っ張り、工場内から外に出し、動力線を繋げばそれで準備完了だった。文字にして説明するときわめて簡単な手順だが、ポンプの巨大さと慣れない作業ゆえ、試行錯誤の連続だった。

 あとは、今まで動いていた第9光線移送ポンプを停止し、新たに据え付けたポンプで工場の外の空気をトンネル内に送り込むだけだった。数万年も放置されてきた機械がまともに動くのかという我々の危惧は、スイッチが入れられたと同時に杞憂に終わった。

 

 ハルザンの計算によると、トンネル内の第9光線の濃度が下がるまでには、地球時間で3時間が必要とのことだったので、突入に備えて食事と休息をとることになった。私は用意された食べ物を口にして、自分が倒れる寸前まで飢えていたのに気がついたのだった。

 わずかばかりの時間仮眠した後、防護服を用意する。その数たったの10着! ジョン・カーターと私をいれれば、突入隊の人選はあっけないほど簡単に決まった。

 足先から首の所まですっぽりと白い防護服に入れ、手袋ジッパーで留めてフェイスマスクをかぶると完全に機密状態となる。剣だけは防護服の中に入れられないので手で持つことにした。腰の所に水の入ったフイルターがついていて、そこからフェイスマスクまで伸縮自在のホースがついている。呼吸をするたびにフイルターがごぼごぼと音を立てるので、ハルザンに説明を求めると、これは第9光線で満たされた場所で呼吸するための工夫された仕掛けだという話だ。第9光線が呼吸で水の入ったフイルターを通過する際に、酸素を含んだ空気に変換される。また、第9光線がない場所でも空気は水を通って鼻まで届き、排気はマスクの頭頂部のバルブから排出される。フイルターの少ない水だけで3時間の活動が可能だと、彼は説明してくれた。

 

 時計を見ていたハルザンが、突入可能の濃度に到達したことを我々に合図した。ポンプが停められ、フランジ部分のすぐそばにあるエアロックのハッチが開けられる。一度に潜り込めるのは二人まで。もちろん先陣は私とジョン・カーターだ。ハッチをくぐると、すぐに外から閉められた。完全に閉まったのを確認した後、内側のハッチを開けて、いよいよダクト内部に足を踏み入れた。

 

 外のハッチが閉まったと同時に、エアロック内は完全な闇に覆われたのだが、内側のハッチを開けた瞬間に、ダクトの内部が青い光で満たされていることを知った。用心しながらジョン・カーターが身体を中に潜り込ませていき、私もそれに続いた。二人がダクト内にはいると、エアロックの内側のハッチを閉める。5分おきに、2名ずつがこれを繰り返すのだ。

 一組、また一組と突入隊の面々が入ってくるが、荘厳な青い光に、一様に畏敬に打たれた顔をしていた。わずかに残った第9光線が、工場の外より空気と一緒に送り込まれた宇宙のエーテルに接触して、空気に転換する際におこる発光現象を目にしているのだった。

 このダクトの直径は3メートルぐらいあったが、もしこれぐらいの蛍光灯があり、その内部に入ることが出来たら、消した直後の蓄光でこれと同じような現象を体験できるかも知れない。

 ジョン・カーターは10名のメンバーがそろったのを確認した後、手で合図を送り、いよいよトンネルに向かう。我々は、第9光線と大気の混合気体に混入した異物のような存在だった。我々が体を動かすたびに、腕や足の表面に燐光のような稲妻が走った。呼吸する度に耳につくヒューゴボゴボという通気音と、青い光に包まれたまま先を行くジョン・カーターの姿に、踏み入れてはいけない神聖な領域に来てしまった時に感じる、恐れにも似た、わななきを覚えるのだった。

 

 全開されたバルブを注意しながらくぐり抜けると、ダクトは急に広くなった。後ろを振り返ると、4つのバルブの機構が見えた。このダクトに繋がっているポンプの配管だ。開いているのは、我々が通ってきた物だけだ。まもなく緩い下り斜面となり、地下にダクトが向かっているのがわかる。滑り落ちないように用心しながら、降りていくと、ダクトは急に石組みに変わった。ついに地下の圧送トンネルまで来たのだ。

 ここから数キロの距離の先に、地下神殿に潜り込める穴があるに違いないとは確信していたが、もし人が入れないような小さな物だったら、我々はどうなるのか? 考えてはいけないことだったが、そうなっても、ここで脱出できなくて死ぬのも、外で空気が無くなり死ぬのも同じことではないか。

 

 トンネル内を観察しながら進んでいくと、驚いたことに石組みの間から苔が侵入しているのを発見した。数万年の年月と自然の驚くべき力の前には、人間の作った物などは無力なんだと悟った。このまま苔が繁殖を続ければ、数万年の後にはこのトンネルを改修する必要があるなと思った。

 見る物すべてが神秘的で、我々は誰も口を利かず、ただ黙々と足を進めるだけだった。前方に、光の渦がゆっくりと動いているのを目にしたのは、突入を開始してから1時間ぐらいもたった頃だろうか。直径10メートルもあるトンネルの内部に沿って、しばらく前から空気が対流するように動いているのに気がついてはいたが、ここへ来て、その現象ははっきり認められるようになっており、内部の第9光線との混合気体が、どこか一カ所に流れていっているのがわかった。私はジョン・カーターと肩を並べながら共に歩を進め、その渦がどこに消えていくのか、期待に満ちた目で追い続ける。

 

 さらに進むと、光の渦は今や直径3メートルもの大きなチューブ状にまとまり、我々の頭上1メートルのところで身をくねらせながら躍っていた。剣でそのチューブ状の光の渦を突き刺すと、流れに乱れが生じ、新たなエーテルとの接触面の拡大で、強い稲光が連続で起こる。明るい光があっても、まったく熱は感じられない。完全な冷光である。この光の渦の流れは、トンネル内にわずかに残った余圧が、外に逃げようとして起こった現象なのだろう。

 いい加減、神殿の位置に達した地点だと思われるとき、太い光のチューブは急激に下に向きを変え、真下の穴に吸い込まれていった。トンネルの反対側からも、もう一本の光のチューブが出来ていて、二本のチューブはツタ同士が絡まるように複雑な動きを見せながら一本に合体し、その穴に続いているのだった。これこそサ・バンの地下神殿に通じる、空気取り入れ口に違いない! 

 

 期待と不安の思いで穴を調べると直径が80センチほどあり、降りていくのには問題なさそうだったので、一同胸をなで下ろした。穴のそこを調べようとして覗いてみるのだが、青白い光の他は何も見えなかった。ジョン・カーターは一同の顔を見やり深くうなずくと、穴に降りていった。少しの後、私も続いた。

 穴の表面は荒削りのままで、適当に足がかりになる出っ張りやへこみがあったので、両手を突っ張りながらだとゆっくり降りていくことが可能だった。穴の下の淵までには、ほんの3メートルほどの距離だったのだが、私にはずいぶんと長く感じられた。突然、足がかりとなる物がなくなり、縦穴の端に達したことを知る。相変わらず下方向は、青白い冷たい光のもやの中に消えていて、何一つわからなかった。

 

 上からは次の者が降りてきているから、私がここで迷っていてもしょうがない。3、2、1と頭の中で自分自身に号令をかけ、壁から手を離した。ものすごい高さから落下したような衝撃を待っていたのだが、実際はわずか2メートルほど下に床があったのだった。頭の上にまだ順に控えていることを思い出し、すぐに脇にどく。全員がそろうまでに、私たちが降り立った部屋を調べてみることにする。

 部屋全体が明るい青い光に満たされていてが、この光は空気自体が発光しているからで、特別に照明が設けられている様子はない。視界はせいぜい2メートルが限度だ。天井にあいた穴そのものは見えるのだが、天井自体は不思議なことに見えない。透明なフェイスマスクを通しての見え方が不鮮明なのに気がつき、手袋でマスクを拭くと、水滴で塗れているのがわかった。

 これは後からわかったことなのだが、部屋の天井には細かな霧状の水を噴霧するための、ノズルが無数に取り付けられていたのだ。絶え間ないノズルの噴霧により、部屋の中は濃い霧状の水滴で満たされ、トンネルより引き込まれた第9光線と反応させて、空気に変換していたのだった。

 全員がこの部屋に降り立ったことを確認し、さらに奥に向かうことにする。まっすぐ進み、突き当たった壁から手を離さないように部屋の中を一周すると、別の通路を発見した。この通路にも途中までは噴霧ノズルが取り付けられている様子で、相変わらず視界が効かなかったが、数十メートル進むと遂に霧は薄れてきた。

 

 第9光線の影響が完全になくなったと確信できる場所で、各自の防護服を脱ぎ捨て、腰に剣を下げるとようやく本来の自分に還ったような気がした。耳を澄ますと、さっきまでフェイスマスクをかぶっていて、わからなかった音がするのに気がついた。通路のずっと先から、明らかに女のものと思われる、苦悶のうめきが聞こえてきたのだ!


 思わず顔を見合わせる私とジョン・カーターだった。どちらも考えていることは一緒だった。愛する者が、サ・バンの餌食になっているのだろうか?! 救出は間に合わなかったのか?!

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