19、火星の危機
どうあがいても、内部に入る手段は見つからなかった。残りの兵に戦闘態勢を維持するように命じると、私とジョン・カーターはカルド・ソルバルに会うことにした。カルド・ソルバルは私と再会したことを心より喜んでくれたが、ジョン・カーターに関しては違っていた。
「ワフーンはその昔、ヘリウムのジョン・カーターから加えられた屈辱を忘れてはいない。この異常事態でもヘリウムとワフーンは敵対していることには変わりはない」
その言葉を聞いたジョン・カーターも、さしだした手を引っ込めた。
「自己紹介させてもらうが、私はヘリウムの王子であり、火星の大元帥のジョン・カーターだ。今ではあなたが事実上のワフーンの皇帝と言っても良いだろう。改めて言うのだが、今の事態は国と国の存亡などと言う問題ではすまない。バルスーム人全体の未来が、この協力にかかっていると言っても過言ではない。それでも一時停戦してくれないのか?」
「私はだめだが、ワフーンの皇帝は一人ではない。ここにいるカイも、私同様今では皇帝の権力を持つのを忘れたわけではあるまい。カイが協力するというなら、ワフーンは少なくともヘリウムには攻撃を仕掛けることはあるまい」
理屈では分かってはいるのだが、長い間の敵対の慣習がカルド・ソルバルの身体に染みついていて、ヘリウムと同盟を結ぶのを拒んでしまうのだった。
「カルド・ソルバル、それでは私が独断でジョン・カーターと協力しても良いのだな? ワフーンはそれに従ってくれるのか?」
「ここから先は、しばらくのあいだカイに全権をゆだねようと思う。私にも休息が必要だからな。自己紹介が遅れたが、ワフーン族二人の皇帝の一人、カルド・ソルバルだ」
彼の勇気に私は感動を覚えた。言うなれば、大儀のために私がサ・バンと協定を結ぶに等しいほどの決断だったのである。むろん私は、この世が終わりになろうともサ・バンと手を組む気はさらさらなかったが……。
それから3日ほど過ぎさり、相変わらず地下神殿は我々の努力をあざ笑うがごとく、侵入をがんとして拒み続けていた。サ・バンとサヴァル・コルダンにしてやられたという思いが、我々の焦りにつながっていった。
昼過ぎに、空一面を覆い尽くす大飛行船団の出現に、現場はただならぬ空気に包まれた。その数は、ざっと見積もっても数千艘はいたろうか? 空を覆った船団の数が多すぎて、その下ではまるで夜のように薄暗くなっていた。すかさず緑色人達はラジウムライフルで応戦しようとしたが、ジョン・カーターがヘリウムの船団であることを告げると、私の命令により銃口を下げた。急造の白旗が用意されると、ジョン・カーターは広い平原に出て、大きく振り回して合図を繰り返した。やがて彼の合図を認めたのか、船団の中から旗艦と一目で分かる重巡洋艦が降下してきた。
全長が100メートルを優に越す船体の側面には、ヘリウム海軍在籍の証の派手な紋様が金の縁取りをされて描かれていた。甲板の上には厚い装甲壁に守られた重火器が20門もあり、乗組員も300名以上の最強の戦艦だった。舷側に書かれた船名は「火星のプリンセス」と読めた。堂々たるその船体が近づいて来る様を、下で眺めていると、まるで現実ではないような錯覚を覚えた。あれが火星の第8光線で空に浮いているのだと言い聞かせても、あまりのでかさに感覚が麻痺し、理性が受け付けようとしないのだ。
旗艦は広い空間を開けた草原に、平たい船底をそっと触れるように着地した。高いマストに翻る旗は、この船にヘリウム海軍の提督カントス・カンが乗船していることを告げていた。タラップが降ろされ、数名が下船してきた。その中に私はすぐにラング・ランドがいるのに気がついた。その傍らに立ち、こちらに一緒に歩いてくる男が提督カントス・カンその人なのだろうか? 私たちが何者か分かる距離まで来ると、その男は声をかけてきた。
「カオール! ジョン・カーター、ご無事で何よりでした。あなたはカイ殿ですな? 話はラング・ランドより聞き及んでおります。私はヘリウム海軍提督のカントス・カンです」
彼は私の肩に手をおくと、そう挨拶した。見た目の歳はジョン・カーターと同じぐらいかと思われたが、火星人は青年期が数百年も続くので、本当のところは分からなかった。引き締まった筋肉の様子から見て、この男が日頃の鍛錬を怠らない、軍人の中の軍人であることは知れた。短めに刈り込まれた髪は黒々していて、日に焼けた肌とともに健康そうなイメージを人に与えていたが、顔に刻まれた幾本かの深い皺は、ヘリウム海軍の総帥としての苦労のほどを物語っていた。私も彼の肩に手をおいて挨拶を返した。
「カオール! カントス・カン提督。ワフーンの二人の皇帝の一人である私カイは、ヘリウム海軍の提督に会えたことを心より喜んでいます」
そしてすぐそばに立つラング・ランドには、戦友としての挨拶を無言のうちに交わした。挨拶が一通り終わると、ジョン・カーターは家族の安否を尋ねた。
「それが、ジョン・カーター……言いにくいことなのですが、デジャー・ソリス様は2ヶ月前より行方知れずのままです。消息を絶ったあなたのことを探りに、側近だけをお供にゾダンガに向かったようなのですが、そこで足取りはふっつり消えてしまいました。真相を確かめようと、何人も密偵を潜り込ませましたが、誰一人戻ってはきませんでした。強大な軍事力を誇るヴィザード国に、憶測だけで攻め込むことも出来ずに、八方ふさがりの状態です。ご息女リア・ソリス様に関しても、良い知らせはありません。ラング・ランドよりうかがった、カイ殿とリア・ソリスのその後の脱出劇が最後の消息で、まだヘリウムには到着してません。ご子息カーソリス様も、リア・ソリス様の探索に出かけたまま、その後の連絡はありません。これが、今の現状です」
あの塔でリア・ソリスを探し当てたのは確かだったが、私を見つめる目の輝きに違和感を感じていたから、あるいは他人のそら似かと密かに思っていたのだが、ヘリウムに帰っていないところをみると、あれはリア・ソリス本人だったに違いない。それにしても囚われの人質の中にデジャー・ソリスがいたのだろうか? 状況からすると、あの中に彼女がいたと考えるほうが理屈に合っている。カーソリスのことは情報が少なすぎて、何とも判断しかねた。
我々もカントス・カンに、持っている情報のすべてを伝えた。地下の神殿を指さし、強固な地下要塞と化したこの中に潜り込めることが出来れば、すべてが解決すると言うことも伝えた。
「現実には、我々は手をこまねいているだけの状態だ。岩盤が厚すぎて、手持ちの工具では一月かかっても中に到達できないだろう。なにしろサ・バンのやつは、建設機械のすべてを一緒に持って行ってしまったからな。あの扉も厚すぎて歯が立たない。強力な爆弾で岩を破壊する手段もあるが、それでは中の人質が持つまい」
さすがのジョン・カーターもここまで語って言葉を切った。私自身、いい策は浮かばなかった。すぐこの先の数十メートル先に愛する人がいるのに、どうすることもできないのだ。今こうして思案しているうちにも、リア・ソリスやシスがサ・バンの肉欲の餌食になっていたらと思うと……。
と、その時、遠いところで雷が鳴ったような音がした。その音を聞いたのは私だけではないようで、まわりの者もその音の出所を見つけようとあちこちに顔を向けていた。しばらくして一人が叫んだ。
「ゾダンガの街を!」
確かに、ゾダンガの中心に近いところから、白い煙のようなものが上がっているのが見えた。それを見届けたジョン・カーターはカントス・カンに、至急調査するように命令を下した。旗艦から数艇のパトロール艇がすぐさま飛び立ち、目の見張るようなスピードでゾダンガに向かった。待つほどもなくパトロール艇は戻ってきたが、隊員はかなりあわてた様子で、平時とは違って荒っぽい着陸をすると息せき切って走り込んできた。
「た、大変です! ゾダンガの空気井戸が完全に破壊されています! 大量の爆薬によるものと思われます。中は広範囲に落盤をおこして、完全に空気の供給が停まってます!」
パトロール隊員の報告を聞いた我々全員の目は、知らず知らずのうちに地下神殿の方を向いていた。地下神殿の位置関係と私が聞いたサ・バンの話から、うすうす気がついていたのだが認めたくなかった火星人類滅亡のシナリオが、いま全員の頭の中で形を取った。
狂気の沙汰としかいいようがなかったが、ヴィザードのサ・バンは大気工場の空気の供給を停めて、火星人類全体を窒息死させるつもりなのだ!
我々の想像を超えた災難が訪れようとしているのが、はっきり分かった今、人質救出も大切だったが、それ以上に火星の大気をサ・バンの計略より守り抜くというのは大問題だった。
ジョン・カーターとカントス・カンは各部隊に、偵察隊を至急発進させるように命令を下した。目的地は、火星全土に配置された空気井戸の状態を確認することだ。総数124カ所の空気井戸は、大気製造工場より地下トンネルを経由して、要所の中継ポンプ施設に繋がっており、そこから四方に細いトンネルで枝分かれしながら末端の井戸に繋がっているのだ。
偵察と平行して、神殿入口の扉を突破すべく、手持ちの機械を用いての破壊作業が行われることになった。手始めに超弩級の飛行艦の主砲が、近距離で照準を合わせ発射されたが、扉はびくともしなかった。厚い装甲板も一撃で貫く威力を持つ主砲の砲撃が、ただの煙幕弾のように扉の前では無力だったのだ。
急遽ヘリウムより空輸で削岩機や工事機械が搬入され、神殿の前に集められた。この空輸作業に貴重な2日間が費やされてしまった。地下神殿がある岩盤は火星でもとりわけ固い、地球で言えば花崗岩に近い物だったので、工事は難航することが予想された。この固い岩盤に穴を開けて人が通れるようにするのは、誰が見ても容易ではないと判断できたので、一番薄いと思われる扉が選ばれたのだった。
普通、神殿や宮殿級の巨大な建造物は、100年やそこらの期間で何度も建てられる物ではないために、さすがの火星一のヘリウムの都市にも、大がかりな削岩機は用意されていなかった。サ・バンはそれらの機械を神殿の中に一緒に持ち込んだり、徹底的に破壊してしまっていた。
ヘリウムより持ち込まれた手持ちの削岩機械は、本体部分の長さが1メートル20センチほどで、幅が30センチほどの円柱状だった。最後部の30センチほどの部分が、飛行船の推進動力にも使われている、火星の地磁気からエネルギーを得て駆動するモーターに直結のエア・コンプレッサーとなっている。超小型のコンプレッサーの外見とは裏腹に、圧力20キロのエアを毎分100リットル以上、送り出す力を秘めている。
コンプレッサーから前部分は、正面から見ると中央が抜けたドーナッツ状で、厚いカバーに見える部分はエアを一時的にためる予備タンクになっている。中心部分は、排出するエアにより高速に前後運動をするピストンと、それに繋がるハンマー部分になっていた。その先のホルダー部分に鋭いピックを差し込むと、ハンマーが衝撃を伝えて岩を砕く仕掛けになっていた。ピック部分でさえ長さが70センチほどあるので、全部の長さは2メートルに近い。
機械本体には肩に掛けるベルトと、前後に取っ手がついていた。左手で前の取っ手を持ち、右手で駆動モーターのすぐの上の取っ手を持って構える。指先で可変トリガーを操作するとエアの排出弁が調整されて、スピードが調整できる仕掛けになっていた。外見からすると、削ったばかりの鉛筆をお尻から差し込んだ、細長い電動の鉛筆削り機のようだ。
ヘリウムから運び込まれた削岩機は30台だったが、試しに一台を借りてみた。幅の広い肩ベルトを左肩にたすきに掛けて、本体の主スイッチを入れると軽い振動を伴って火星モーターが回り始め、コンプレッサーがタンクにエアを充填し始めるのがわかった。取っ手を両手でつかみ、持ち上げると、ずっしりと重いが前後のバランスはいいようだ。おもむろに右手の人差し指でトリガーを押し込んでいくと、ダダダダという激しい衝撃とともに先端のピックが振動した。
私も扉の破壊作業に参加させてもらうことにし、皆と一緒に機械を肩に下げて神殿に向かっていった。万人の期待を背負い、ヘリウムの屈曲な赤色人の男が重そうな削岩機を小脇に抱えて、神殿入口に降りていく。扉の前についた私は、祈るように目を閉じて深呼吸をし、スイッチを入れた。ヒューンと言うモーターの音が次々に聞こえ、やがてそれは一大交響曲のハーモーニーのようにひとつになった。
扉の表面にピックの先を当てトリガーを入れる。とたんに激しい打撃音がみなぎり、耳鳴りがおこる。固くつかんだ取っ手に、激しい衝撃が伝わり身体全体を揺さぶる波となる。砕かれる際に生じる岩の粉を、削岩機から排出される大量のエアが巻き上げ、現場はすぐに白いもやに包まれ、食い込んだピック先端は見えなくなっていった。
機械の重さと反動に耐えるのは、予想以上に体力を使うことがわかった。気力を振り絞り歯を食いしばって、機械をさらに強く扉に押し当てる。どのくらいの時間そうしていたのだろうか? 連続駆動で、さすがの削岩機も本体が熱を持ち始めて、身体に触れる部分が我慢できないくらい熱くなっていた。トリガーを離し、機械の駆動を停める。隣で一心不乱に作業をする男の背中をぴしゃりとたたき、一時作業をやめるようにと伝えた。その無言の伝言は次々と伝わり、しばらくすると機械の音は消えた。
削岩機を空ふかしし、排出するエアで辺りにたちこめる埃を吹き飛ばす。期待しながら待つ我々の前から埃のもやもやがしだいに消え去り、扉が姿を見せ始めると、あちこちから落胆の声が漏れた。
「やはりだめだったか。サ・バンもバカではなかったということだな」
いつの間に入れ替わっていたのか、すぐ隣で削岩機を構えてそう言っているのは、ジョン・カーターだった。自分のうがった穴を確かめようと扉に手を伸ばした私は、そこに深さ2センチほどの穴を認めただけだった。すぐさま削岩機を動かそうとする男達に、私は一時休憩を告げた。これ以上の連続使用は機械の寿命を著しく縮めるだけだったし、しばらく冷まさないと熱くて持てなかった。その場に全員しゃがみ込み機械を点検すると、驚いたことにピック先端が熱で溶けて花びらのように広がっていた。これでは、岩に刺さっていかないわけだ。
「ジョン・カーター、このままがむしゃらに向かっていたら機械も人間も持ちません。3つの班に分けてみたらどうでしょう? 10台づつ削岩機を動かし、その間に他の者は機械の冷却と点検整備をするようにしたらと、思うのですが」
「今の現状からすると、その方が能率が高そうだな。開ける位置を一カ所に絞り込めば、それだけ早く作業も進むだろうし」
「それから、水の入った桶を10個ほど用意できませんか?」
ジョン・カーターは怪訝そうに眉を片方上げた。
「これを見てください! ピック先端が衝撃と摩擦の熱で、すぐになまってしまいます。熱を持たないように、時々水で冷やす必要があります」
私の提案は聞き入れられ、すぐさまソート用の水桶が10個用意された。突入口を開けるための作業者の班編制を行い、3つの班が編成され、昼夜を通じて従事することになった。扉の厚さの概算は、目撃情報から3メートルほどと思われたが、人が通れるほどの穴ができあがるまでには、どのくらい時間がかかるか見当もつかなかった。
私とジョン・カーターは後のことを部下に任せて、それ以外の解決方法を練るためにいったん現場を後にしようと、斜道を戻り始めたが、登り切ったところでちょっとした騒ぎが起こっていた。一人の小柄な男が、見張りの兵士に隠れるように、激しくまくし立てている。私たちは騒ぎの張本人に、好奇心を寄せた。見張りの兵に、泡を吹かんばかりの怒りの言葉を浴びせているのは、あのホロヴァス老人だった。この喧噪の中でも老人のキーキー声は聞き取れた。
「お前さんではらちがあかないから、責任者に会わせろと言っておるのじゃ! わしを誰だと思っている! ネスレスト・ホロヴァスじゃぞ!」
眼鏡がずれ落ち、頭から湯気が出るほどに怒り狂う、小柄な老人の扱いをどうしたものかと、見張りの兵士はほとほと困りきっている様子だった。我々が、どうした? と声をかけたときは、救いの神と、さぞかしほっとしたことだろう。
「おお! おまえさんか。やっと話のできる相手が見つかったわい」
ホロヴァスのことを知らないジョン・カーターのために、一通りのことを説明した。老人の小さな虚栄心を満足させて、怒りを静めるために”バルスーム史上もっとも偉大な設計者”という肩書きを付け加えたのは言うまでもない。ジョン・カーターが自己紹介し握手を求めると、老人は一瞬とまどった様子を見せたが、これが偉大な人物に対する敬意の表れとでも思いこんだようで、喜んで応じた。型どおり挨拶がすむと、私はホロヴァスになぜあのように怒っていたのかと質問した。
「それは怒りたくもなるじゃろうが。ここ3日ほど塔の建設はわけもなく停まったままだし、あろう事かお前さん達は、塔の基部にあたる神殿を壊そうとしているのじゃから。いったい、何を始めようとしておるのじゃ? わしには、わけがわからん」
「あなたもヴィザードの皇帝に、だまされていたのですよ。サ・バンには初めから塔の建設なんかどうでも良かったんです」
私は、この気の毒な設計者に、ことの始まりから、やさしく説明した。自分に都合のいい理想の火星世界を作り上げるために、大気工場の空気の供給を停止し、自分たちは地下の神殿に隠れて災難を免れようとしていることや、塔の建設は本来の目的である地下の避難所を、カモフラージュするための物でしかなかったことを伝えた。ここにいるヘリウムとワフーンの軍隊は、サ・バンの邪悪な目的を阻止するために、神殿の入口を開けようとしているところだと言うことも、つけくわえた。
話を聞いていたホロヴァスの表情は、途中から科学者の理性的なものに変わっていき、眼鏡の奥の目が知性の光を帯びてきた。
「ふうむ、なるほど。サ・バンの考えそうなことだわい。わしも念願の塔が建設できるとあって、不審な点には目をつぶっていたところがあったが、まさか火星人類の絶滅を狙っていたとはの……。考えてみれば、大気工場から延びる送風トンネルの近くに何かを建設するのは、数千年前からタブーとされていたから、引っかかるところがあったのじゃが。ちょっと待ってくれ……おい、図面を持ってきてくれ!」
いつもそばに取り巻いている助手達? にホロヴァスは怒鳴った。助手の一人が飛び上がるような勢いで、機材を積んだ荷車から、巻き取られた図面の束を抱えてきた。図面を受け取ったホロヴァスは、ひとつひとつを開きながら、ああでもないこうでもないと、ぶつぶつと独り言を言いながら、束をより分けていった。じれったいほど待たされたあげく、ようやく目的の図面を探し出したらしく、地面に大きく広げた。それは、建設現場一帯を広い範囲から見た、地図に近い物だった。
ゾダンガの街と大気製造工場の間に、建設中の塔の位置が印されていた。大気工場から5方向に延びる太い破線は、第9光線を各地の空気センターまで送り出すための、地下トンネルだった。サ・バンが作った地下神殿と残りの4つの寺院の位置は、その地下トンネルのすぐそばに、地図上では真上といってもいいほどの場所だった。空気工場から数キロの距離を置いて並ぶ建造物は、地図の上ではきれいな5角形を形作っている。これら5つの建造物は、トンネルを何らかの方法で遮断し、大気の合成に必要不可欠な火星の第9光線の流れを停めるために、この位置に建てられていたのだ。
ゾダンガの空気井戸は、中継ポンプの手前で破壊された。他の空気井戸はどうなっているのか? 長いこと意見を言わなかったジョン・カーターが、素朴な疑問をつぶやいた。
「サ・バンはどうやって空気を得ているんだ?」
この質問に我が柄を得たりと、得意満面の顔で老人は説明を始めた。
「神殿は、送風トンネルのすぐ下の岩盤をくりぬいたものじゃ。ちょっとトンネルに穴を開ければ無尽蔵に空気が得られる。もちろん、トンネルの中は空気じゃなく第9光線じゃ。これが宇宙のエーテルと反応を起こすことにより、大気が生成されるわけじゃが、地下施設に宇宙からのエーテルが供給されるわけはないし、何らかの方法で反応するものを貯蓄しておく必要がある。これが、あるんじゃな! 水じゃよ。水の原子核は宇宙のエーテルが寄り集まって形成されたものなのじゃ。トンネルから引き込んだ第9光線を水に通せば、簡単に人工空気を作り出すことが可能なのじゃ!」
サ・バンが、生きるために不可欠な空気を手に入れる方法があるとすれば、この方法しかなかった。大気製造工場は、外の世界でどのようなことが行われていようと、決してポンプを停めることはないだろう。何らかの疫病が蔓延して、火星上に一人も人間がいなくなっても、工場に詰めるもの達は未来永劫ポンプを動かし、整備し続けるのだ。
その後の話で、地下の送風トンネルは本管から中継ポンプ施設までは、直径10メートルもある太い管であることがわかった。ジョン・カーターが何か思いついたらしく、図面上の各位置の距離を、指で確認するようになぞった。
「大気製造工場から、本管を通って地下神殿に侵入できないものだろうか? この図面を見る限りでは、工場から神殿までは2~3キロほどしか離れていないようだ。見てくれ、他のトンネルの長さを! 他の4本は、地上からアクセス可能となる最初の中継ポンプ施設が、ここから数百キロの距離にあるが、ゾダンガのポンプ施設だけ20キロほどの距離と極端に短い。おそらくサ・バンもこの本管からの侵入を恐れて、ゾダンガの空気井戸を破壊したものと思われる。わたしの考えが正しければ、他のトンネルは破壊工作はされてないだろう。あとで地上に出るときのために、人工大気を放出できるように、一時的に送風を絶つような手段が使われているはずだ。残りの4つの建造物には、何らかのからくりが仕掛けられていて、遠隔操作によってトンネルがせき止められるようになっていたのだろう。カントス・カン、無線で大気製造工場に連絡を付けてくれ!」
命令を受けたカントス・カンは自分の船に戻り、無線で何度も大気製造工場に呼びかけたが、工場の中の者達は、ポンプが動いているのに、空気が供給されてないなどと言うことはあり得ないと聞き入れてくれず、そのうち呼びかけにも応じてくれなくなってしまった。
「ジョン・カーター! 彼らは信じてくれません! こちらからの呼びかけを罠か何かと思っている様子で、あくまでも工場には人を入れないつもりです。万事休すです!」
普段は威厳に満ちた海軍提督のカントス・カンも、このときばかりは対面をかなぐり捨てて、あわてふためいていた。あと、頼れる者は火星の大元帥のジョン・カーターしかいないのだと言うことを、隠そうともしていない。戦争はカントス・カンにとっては日常のことだったが、このように火星全土の運命がかかった事態になると、日常から逸脱した出来事となり、思考が出来なくなるのだった。私は以前にジョン・カーターが、火星の大気消失の危機を救った時のことを思い返していた。あの時確か……。
「ジョン・カーター、あなたは前に大気製造工場の入口を開いてくれた。今回も開くことが出来ませんか? もし開くことができれば、本管を伝って神殿に潜り込むことができるのでは?」
「以前使った、扉を開く暗号は覚えている。この組み合わせが変わっていなければだが……行ってみよう!」
ソートを用意する時間も惜しかったので、我々は徒歩で2キロほど離れた大気製造工場に急いだ。ほどなく、大気製造工場の建物のすぐ下にたどり着いた。すぐさまジョン・カーターは精神を集中して、9つの思考の組み合わせを建物に放射した。人間が念じる思考波が建物への入口を開く鍵となっていて、その組み合わせは9つのバルスーム文字からなっていた。このうち一つでも違っていたり、あるいは順番が狂っていると入口は開かないのだ。我々の期待に満ちた目は、壁の小さな扉がジョン・カーターの思考の鍵に答えて、内側に引っ込むのを今か今かと待ち望んでいた。だが、いくら待っても扉に変化は現れなかった。
「だめだ、組み合わせが変更されている」
疲れたようなジョン・カーターの言葉だった。その言葉に絶望の響きを感じ取った私は、建物に駆け寄ると、拳で扉をたたいた。中の者に聞こえるはずもなかったのだが、何かをせねば気が狂ってしまいそうだったのだ。敗北感が私を襲う。リア・ソリスは? シスは? もう取り返せないのか?!
そこに追い打ちを駆けるように、カントス・カンの伝令がソートでやって来て、偵察隊からの無電を伝えた。火星全土の空気井戸は例外なくすべて停止していた。数少ない火星の高地では、人々が低地への避難を開始しているそうだ。今まで気がつかなかったが、ヘリウムの艦隊のほとんどが地面に船を休めていた。地上100メートルも上空になれば、空気の減少は顕著なものとなり、そこに船をとどめることさえ困難になってきているのだ。
誰もが、あと二日ほどしか時間が残されていないことを知っていた。ここでこうしているだけで、息苦しさを覚えるほどに空気は薄くなってきている。たぶん、まともに活動できるのは、あと1日がいいところだろう。
地下神殿のそばにいれば、扉のわずかな隙間から漏れてくる空気を吸って生き延びることはできるかもしれなかったが、わずかばかりの人間が生き延びたところでどうなるものでもない。生き延びて、死んでいった者達のかたきをとるにしても、サ・バンに近寄ることもできないうちに犬死にしてしまうことだろう。あるいは、手に入れられる限りの爆薬を神殿に仕掛けて、囚われの女達を地獄から解放してやるのも一つの方法だった。もっとも、どうやっても全員死ぬことになるのだけれども……。




