18、サヴァル・コルダン
私は、目の前の英雄に驚嘆の思いを隠そうともしないで、飛行船の操縦をたたえた。
「何とか成功したから良かったが、これが失敗していたら二人とも今頃、ご先祖様と呼ばれていたことだろうな。カイの地球人としての体力に賭けてみたんだ。多少、荒っぽい操縦をしても最後まで持ちこたえてくれるだろうとね。それに、時間を稼ぐにはこの方法しかなかったからな。おや、私たち二人のソートが用意できたようだ」
彼は珍しく照れていた。あの操縦を、多少と表現するのは謙遜すぎるが、ジョン・カーターにして初めて起こせる、奇跡の一つだったのだろう。「火星シリーズ」は何度も通読して、彼のやることにはどんなことでも驚かないつもりでいたのだが、目の前で実際にあんなことを見せられると、改めて真の英雄なんだなと尊敬を新たにした。
伝令からの指令が駐屯地中のワフーン族に伝わると、あたりはたちまちあわただしい動きを見せ始めた。思い思いの場所で休んでいた兵士達は、身支度を整えるとそれぞれの中隊に集合していく。眠りを覚まされて機嫌の悪いソートのいななきがあちこちでおこり、罵声や叱咤する声が飛び交う中、ある程度集合の完了した部隊から、次々に騎馬隊が出発していった。
バララックの廃都で交代を待つ人数を除けば、ここにいる兵力は600ほど。これだけの数の兵が動き出すためにはどんなに短く見積もっても、1時間ぐらいは必要と思われたのだが、バルスーム一勇猛と恐れられるワフーンの精鋭部隊は数分でやりとげ、次々と進軍していった。私たち二人もソートを手に入れると、すぐにその流れに参加したのは言うまでもない。
地球人二人の乗る火星の馬は、夜の闇の中を、矢のように疾走していった。船に近づいていくにつれ、騎馬隊の間隔は狭まり、しまいには馬と馬が身体をこするほどの密集状態となり、さすがのジョン・カーターでさえ、その間隙をぬってソートを進めていくのは困難だった。それでも我々は、目の前の兵士達を次々に追い越していき、先頭が神殿に到着する頃には進軍する隊列の中程まで上がっていた。
サ・バンの船はすでに着陸しており、舷側に掛けられた梯子から乗員が下船を始めていた。人質の女性達の姿が船の陰から現れ、抵抗もむなしく神殿の入り口に消えていくのが見えた。女性達の人数は10名足らずと思われたのだが、暗い中で距離があり、良からぬ想像力が働き、その中にリア・ソリスとシスの姿を見たような気がした。救出作戦は間に合わないのか?
同じ頃、我が軍の先頭部隊が船にたどり着いた。数百騎のソートの隊列が飛行船のまわりをあっという間に包囲する様は、兵隊アリが自分よりも数百倍も大きい獲物に群がる光景を思い起こさせた。包囲網が完成の形を取ると、その後のソートの軍列は神殿の入り口に、怒濤のごとくなだれ込んでいく。私とジョン・カーターが到着する頃には、100騎ほどが神殿内部に入っていたと思われる。
遅まきながら、船の火器が砲撃を開始した。シルエットのように黒く見える甲板の人影からすると、その数は20名足らず。初めはこちらの進軍を、食い止める気などなかったのだろう。全員がいち早く下船し、神殿内に逃げ込む算段だったのだと思われるが、こちらの動きが予想以上に早かったのと、夜の暗さで騎馬隊の発見が遅れたため、逃げ遅れてしまったのだ。
甲板から見る我々は、暗闇の中で打ち寄せる波のように見えることだろう。ヴィザードの兵はめくら撃ちをしているに違いない。太陽光線がない夜間はラジウム弾が使えず、通常の火薬の砲撃だったが、それでも着弾した周囲には、たちまち緑色人とソートの死体が築かれていった。ワフーン族は戦闘の時に鬨の声は上げるが、死の直前には無言だった。敵のめくら撃ちした砲弾に被弾し、ソートもろとも地面にくずおれ、その上を後続のソートの群が無情にも乗り越えていくが、どの戦士も悲鳴を上げることはない。
甲板の上の銃座に据え付けられた砲からの攻撃は、船の死角に入ってしまうと効果がない。船底付近に集まった緑色人は、次々にロープを放り投げて甲板めがけてよじ登っていった。乗員達は敵の乗船を阻止しようと必死で応戦するが、あまりにも人数が違いすぎた。数百ものロープが船の舷側に垂れ下がり、最強の緑色人が、殺しても殺してもよじ登っていく。数名の緑色人が甲板に到達し、力の均衡状態が崩れると、ヴィザードの乗員はあっという間に全滅した。
「地下神殿を押さえろ!」
占拠した飛行船には、おそらく人質の女性達はもういないだろうと思われたので、進軍の矛先を次の目標である神殿に向けた。神殿の本体は、建設中の塔ではなく地下にあると見当がついていたし、船から下りた一行も長いスロープを下り正面の大きな入口に消えていたので、兵士達にためらいはなかった。緑色人の先頭はすでに神殿内部に突入していたのだが、我々二人と後続の部隊も馬を下り長剣を手にし、それに続く。
入り口は高さも幅も10メートルほどで、2枚の分厚い岩戸が観音開きになっていたが、今は両方とも外側に開かれた状態だった。入口をくぐると20メートルほどの短いトンネルになっていて、そこを抜けると巨大なホールにたどり着いた。内部はラジウムランプで明るく照明されている。
この地下のホールは、固い岩盤をきれいに四角に切り取った構造になっていた。そのため石積みのようなもろさはなく、入口の扉をいったん閉めたら、厚さ10メートルもの固い岩盤に囲まれた難攻不落の要塞になるだろうと思われた。一部の者以外には地下神殿という名目の上に建設が進められていたと聞くが、壁や天井は岩盤をくりぬいた跡がそのままで、仕上げもされてない。神殿にはつきものの絵画や壁掛け等の装飾類も皆無だ。今になってみれば、違う目的のためにこの地下ホールを掘ったのは明らかだった。
無数の剣が打ち合わされる音と鬨の声に、そこで激しい戦闘が繰り広げられていることが分かった。怒濤のごとく攻める緑色人から、神殿を死守しているのはヴィザードの赤色人達だったが、力の差は歴然で、彼らが陥落するのは時間の問題だった。私とジョン・カーターが先陣に躍り出て参加しようとしたとき、突然戦闘は中断した
。
「余はワフーンの皇帝のサヴァル・コルダンだ! 戦闘をやめよ!」
巨大な洞窟のような地下のホールに響いたその声に、緑色人は剣の動きを停めたが、防御の構えは崩さなかった。ヴィザードの赤色人は、ほっとしたように奥に下がっていく。二つの勢力の間に広がった空間に、一人の緑色人が悠然と歩み出てきた。立ち止まり、ワフーンの戦士達を見渡すように一呼吸置くと、再びしゃべり始めた。
「余はサヴァル・コルダンだ。すでに聞かれただろうと思うが、先の皇帝ケルド・ワングルは、余と正式な決闘を行い敗れ去った。掟により今ではこのサヴァル・コルダンがワフーン一族の皇帝である」
そうか! この男がカルド・ソルバルの言っていたサヴァル・コルダンか! 身長はカルド・ソルバルよりもありそうだが、贅肉にたるんだ腹と、傷一つないきれいな身体からして勇猛果敢な戦士とは思えない。首から下げた干し手首の首飾りも、自分の力で手に入れたものかどうか、怪しいものだ。皇帝のイスも、何か汚い計略の末に手に入れたものだろう。ずいぶん前に別れたままのカルド・ソルバルのその後の安否が気がかりだったが、今は確かめようがない。
ワフーンの皇帝の下では第2と第3の族長が副首領としての権力の座を持ってはいたが、これで私は名実ともにワフーンで第2の権力を持つに至った。この地下神殿にサヴァル・コルダンがいるということは、ヴィザードのサ・バンと表面上の利益関係以外のつながりがあると見ても良いだろう。
「下がれ! 下がれ! 余の許可なくこの神殿に足を踏み入れることは許さん。入口の外まで下がるんだ!」
あんな男でも、一応は絶大な権力を持つ皇帝。命令一過、緑色人兵士の群は徐々に後退をはじめ、その人の波で私とジョン・カーターも何もできないままに、建物の外へと押し出されていく。我々は斜道を登り切ったところまでゾロゾロと退却させられてしまった。サヴァル・コルダンは、ちょうどうまい具合に放置された三段ほどの石のブロックによじ登り、自分の姿が全員から見えることを確かめると、再度演説を始めた。さすがにワフーン族の皇帝を狙う人物にふさわしく、その声は朗々として、広大な平原の遠くからでも聞き取れるほどの声量を誇っていた。
「静まるがいい! 見よ! 余の皇帝としての新たなる幕開けにふさわしく、今まさに日が昇ろうとしている」
遙かな地平線が明るくなりかけているところだった。しばらくすると小さな太陽の淵が顔をのぞかせ、今までの暗闇が嘘のように消え失せ、あっという間に朝になっていた。火星の大気は地球と違って薄いので、朝の曙の時間がきわめて短い。ぱっと切り替わるように、夜と昼が交代するのだった。皇帝サヴァル・コルダンにとっては、これ以上にない演出効果だった。
「余は、皇帝サヴァル・コルダンだ。ワフーンの全権を握る権利を持っている。先日よりヴィザードとワフーンは協定の関係を結んでいることは、ここにいる全員が知っているはずだ。昨夜も余は、ヴィザードの皇帝サ・バンと今後の協定の話をしていた。彼らはこれ以上ないほどの手厚いもてなしで迎えてくれた。それなのに、この有様はなんだ! いったい誰の命令でこの神殿に攻撃をかけた? 皇帝の顔に泥を塗る、この騒ぎを起こした張本人はいったい誰なんだ!?」
「それはワフーンの副首領の私だ!」
皇帝に負けじと、あらんかぎりの大声で私は叫んだ。
「そちは……族長カイ! どうしてここにいるのだ?!」
皇帝は、ゾダンガの地下牢でとっくに死んでいると思った私を見て動揺したようで、石を積み上げただけの即席の壇上でうろたえた。本来は、いるはずもない私から視線がはなせない。驚愕し、目が飛び出さんばかりの様相だ。
「教えてやろう! 私は皇帝サ・バンに謁見した帰りに、ヴィザードの裏切りにあって地下牢に放り込まれた。昨夜は危うく毒殺されそうにもなった。全員良く聞くんだ! ヴィザードの皇帝サ・バンはここにいるワフーンの戦士も含めて、バルスーム上の生命を抹殺しようと企てている。もちろん女子供の区別なしにだ。バルスームの人間すべてにふりかかる死の正体は、まだつかんでいないが、一つだけ確かなのは、この神殿に避難した者だけがその災難から逃げおおせるということだ! ワフーンの皇帝サヴァル・コルダンは我々全員を裏切ろうとしているんだ!」
私はそう叫ぶと、サヴァル・コルダンにまっすぐ指を突きつけた。さすがの勇猛果敢な緑色人達も、皇帝に対するこの告発には平素の冷静さを失い、ざわめきがおこっていた。族長以外の戦士達は、皇帝に絶対の服従を誓っていたから、副首領に私が声高に真実を述べたとしても、簡単には慣習を破ることは出来ないだろうと思っていた。そこまで私も甘い考えではなかったが、彼らに考えさせる時間が欲しかった。そうすれば、全員は無理としても、半分以上はこちらの味方に付いてくれるかも知れないと考えていたのだ。
だが、狡知にたけた皇帝は、私の唯一の弱点を見逃さなかった。その顔に狡猾な笑みを浮かぶ。
「ワフーンの戦士達よ、赤色人の成り上がり者のカイにだまされるな! いくら彼がワフーンのことを考えてるように思えても、所詮は種族の違う赤色人だ。その証拠に見るがいい!!……カイの傍らにいる赤色人の仲間は、ヘリウムの王子ジョン・カーターだ!!」
ジョン・カーターの名前は、彼らの真ん中に爆弾を投げ込んだほどの効果があった。たちまち周囲から
”あれはジョン・カーターだ!”
”一度だけ見たことがある! ジョン・カーターだ”
と同意の声が上がり始めた。
急転直下、私とジョン・カーターの立場は絶体絶命だった。これほどの人数に囲まれて、逃げることなど考えるまでもなく不可能だったし、我々を捕らえたサヴァル・コルダンが、二人の口封じのために即座に死を与えるのは間違いない。まったくうかつだった!サヴァル・コルダンがジョン・カーターの顔を知っていたとは! 以前、ジョン・カーターは短い期間だがワフーン族に拘留されたことがあった。その時サヴァル・コルダンは、後に有名になるこの英雄の顔を覚えてしまったのだろう。
手近の緑色人兵士達が皇帝の一言で迷いから冷めたのか、私とジョン・カーターを取り押さえようと詰め寄ってきた。
「待てい!」
瞬間、すべての動きが停まった。声の主を捜し出した私は、我が目を疑った。カルド・ソルバル! 盟友の出現に驚き喜んだが、すぐに彼も緑色人なのだと思い出した。皇帝の命に逆らうはずもないではないか……。彼はすかさず前に進み出ると、皇帝が立つ石の壇の前に立ち止まり、こちらに顔を向けた。彼の表情は怒り一色だった。
「ワフーンの勇敢な戦士達よ! 私が誰か分かるか? その通り、副首領のカルド・ソルバルだ! ひとつ尋ねるが、今まで私がみなに嘘を言ったことがあるか?」
すかさずあちこちから、一斉に ”ない!” と返事が返ってくる。
「そうだろう! 私カルド・ソルバルは嘘をついたことがない。その私がこれから言うことは真実だ。皇帝サヴァル・コルダンは我々を見捨て、ヴィザードの皇帝サ・バンとともにこの地下神殿にこっそりと隠れようとしている! そして残された我々を見殺しにするつもりだ!」
たちまち辺りは、蜂の巣を突っついたような騒ぎに包まれた。予期しない展開に私は仰天したが、サヴァル・コルダンのほうは心臓が口から飛び出さんばかりだったに違いない。
「だまされるな! カルド・ソルバル血迷ったのか? なんの証拠があってそのようなたわごとをほざくのか? 返答しだいではカイ同様、そちもただではすまないと思え!」
皇帝も形勢が逆転し、自分の立場が薄氷をわたるように危うくなったのに気がついて、この混乱の場を何とか自分に有利に導こうと必死の形相だ。カルド・ソルバルは臆することなく、その皇帝を真っ向からにらみつけた。
「サヴァル・コルダン! お前は我々に刺客を送って、密かに亡き者にしようとした。お前の従者のオザラを締め上げたら、すべて白状したぞ! オランガの毒を仕込んだ短剣で、カイは危うく命を落とそうとした。また、第3と第4の二人の族長が決闘した際にも、あらかじめオザラが互いの剣にオランガの毒を塗っておいたということもわかった。ワフーンの古参の戦士であり英雄であるサンド・ジンバンの時もそうだ。戦のどさくさに紛れて、密かに暗殺を謀ったようだな。そして先日の、皇帝の座を賭けた決闘でもそうだ。お前は皇帝のケルド・ワングルにしびれ薬を盛ったな! 私はその時、決闘の現場にいてすべてを見ていた。ケルド・ワングルの剣のたけは、私もほれぼれするほどの腕前だ。それが、あの時に限って身体の動きが鈍く、誰が見てもおかしいと感じた。見てしまったんだよ、私は。決闘のさなか、オザラが皇帝の飲み干した酒のゴブレットを、こっそりすり替えるのを……。これはおかしいと、彼を捕らえて拷問にかけたらすべてを白状したのだ。すべてはお前の指示で行われ、オランガの毒を使うように入れ知恵をしたのは、ヴィザードの皇帝サ・バンだとな。オザラは最後につぶやいたぞ。こんなことをしても最後には皆死ぬんだとな。お前とサ・バンの仲間を除いてな!」
さきほど私を捕らえようと詰め寄っていた緑色人兵士が、身を引いて元の位置の戻っていった。カルド・ソルバルは、私たちの絶体絶命のピンチを救ってくれたのだ。当の皇帝は壇上で落ち着きをなくし、何かの救いを求めるかのように視線をあちこちに動かしていた。従者のオザラの姿が見えないことは知ってはいたが、まさかこのように、カルド・ソルバルが身柄を確保していたとは思いも寄らなかったようだ。すべてが暴露された今、その姿にワフーンの最高権力者の威厳はみじんも見られない。
辺りに”カルド・ソルバルを皇帝に!” ”皇帝の座を決闘で決めよ!” ”サヴァル・コルダンは決闘で身の潔白を証明せよ!”との声が飛び交い始める。その声はしだいに巨大なうねりとなり、
”決闘を!”
というひとつの言葉に集約されていった。こうなると選択肢はひとつしか残されていなかった。決闘を行い、自分自身の身の潔白を己の力で証明するしかない。だが、サヴァル・コルダンには第2の選択肢があったようだ。身を翻し壇上から飛び降りると、一目散に逃走したのだ!
後ろに控えていた自分の親衛隊の隊列につっこみ、数名の兵士がそのあおりを食らってしりもちをついたが、振り返る気配も見せず、神殿の入口に向かって走り続けた。あまりのことに呆気にとられていた我々も、つかの間の後、そのあとを追い始めた。皇帝の変わり身に早さに呆然としていた親衛隊も、どっと押し寄せる兵の波に、自分たちの立場に気がついたのかすぐさま皇帝のあとを追って神殿に向かう。その少し先を行く皇帝はあわてふためき、斜道で何度もつまずき倒れながら、ひたすら入口を目指す。
と、我々の目の前で神殿の入口の扉が閉まり始めた。その巨大な分厚い観音開きの扉はゆっくり閉まっていき、きわどいところでサヴァル・コルダンは中に飛び込んだ。自分たちの目の前で扉が閉まるのを目にした親衛隊の兵士達は、先をを争うように閉まりかけた扉の隙間に群がった。だが、そこには通り抜けられるほどの隙間は空いてなかった。あわれにも、数名の緑色人が閉まる扉に押しつぶされ、断末魔の恐怖の叫びと、肉がつぶれ骨の砕けるいやな音が聞こえた。
唯一の逃げ場を失った親衛隊は、覚悟を決めて向き直り、我々と戦ったが、主を失ったことで統制を欠き、あっという間に全員が屍の山となってしまった。累々と転がる屍の山を乗り越え神殿入口を調べるが、扉の閉まった合わせ目に緑色人の数本の腕が見えるだけで、開きそうもなかった。神殿の周囲を探索し、何とか内部に潜り込める隙間でもないかと探すのだが、徒労に終わった。




