11、ワフーン族
緑色人の集団は、わずか200メートルぐらいにまで近づいていたが、地球人の驚異の跳躍力を持ってすれば、ものの数秒の距離でしかなかった。高さ5メートルほどのジャンプを繰り返しながら、何も考えないままに、ただがむしゃらに突っ込んでいった。
火星の馬に相当するソートは8本の足を持ち、ひずめの代わりにある平べったい足はまるでサンダルのようで、厚いコケでおおわれた平原を激しく、無音のまま疾走してきた。背中にまたがる緑色人にせき立てられて、ワニのように裂けた口からは苦しさのあまり泡を吹いている。逃走する飛行艇を撃ち落とそうと、ソートにまたがりながら数人がライフルを構えた。それらのソートの鼻先を、剣をちらつかせながらかすめて行くと、驚いたソートたちは一様に棒立ちになった。後ろ足で立ち上がったソートの動きについていけなくて背中から落馬する戦士もいたが、それでも間一髪間に合わず、一人がライフルを撃ってしまった!
緑色人は、ライフルの腕にかけては神がかり的な能力を持っている。弾の行方が気がかりだったが、それを確かめてる暇は今の私にはない。激しく動くソートの背から撃った弾が、マーズ号に当たってないことを祈るしかなかった。ソートにまたがった緑色人は頭の位置が7メートルにもなるが、私はそれを楽々越えてジャンプし、集団を右へ左へと攪乱した。
身長が5メートルにも達する緑色人の長剣は、2メートル以上もあるダンビラだが、それらが次から次に鞘から抜かれた。4本のごつい腕の戦士達は、片手に長剣と反対側に長い槍を手に、私をはたき落とそうと振り回し始めた。こうなるとジャンプしながらの空中攻撃はどうしても隙ができてしまい不利だった。
いったん彼らの背後に着地し、相手の体制が整わないうちに一番手前の戦士に斬りつけた。上体をねじり、ソートを回頭させようとしたところに攻撃を受けたその緑色人は、無理な体勢のまま攻撃を受け流そうとしたが、バランスを崩してのけぞる格好になった。私はすかさず跳躍し、その厚い胸板に剣を振り下ろした。切っ先が胸の肉を斜めに切り裂き、緑色人は声にならない叫びを上げながら、火星の馬より転げ落ちていった。深手を負いながらも、なおも立ち上がろうとするところを、とどめを刺す。
そのころには、他の馬も体勢を立て直していて、踏みつぶされないように大きく後退しなければいけなくなっていた。敵の集団のまっただ中で戦うのは非常に危険だが、混乱させる意味においては正解だった。私はいったん距離を置き、次の攻撃の目標を決めようと算段したのだが、それがいけなかった。合図の声とともに視界になにかをとらえた時には、すでに手遅れだった。10本あまりの投げ縄の輪が、私の身体をとらえ、次の瞬間自由を奪われていた。
失敗だった。彼ら緑色人は野生のソートを投げ縄で捕らえ、乗りこなし、生活の糧にしている。投げ縄は彼らにとって得意中の得意とするところであり、剣以上に効果のある攻撃手段だったのだ。
引き絞られた投げ縄はギターの弦のようにピンと張り、身体を締めつけてくる。四方から掛けられた縄は、私の身体を引きちぎりそうな力で、互いに引き合っていた。と、とてつもない笑い声が彼らの口からあふれ出した。皆一様に腹を抱えんばかりに笑い転げている。
ぞっとした。思い出したのだ。純粋な火星人が一番愉快に笑うのは、人が断末魔の叫びを上げて殺されるときなのだ。火星の乏しい資源の奪い合いを、何世代も繰り返してきた火星人達は、いつの間にか人の死を歓迎する習慣が身に付いていたのである。他人が死ねば、自分に回ってくる食料や空気が増えていく摂理。滅びつつある火星の世界には、赤色人が血のにじむような努力をして作り上げた大気製造工場があるおかげで、とうの昔に迎えていたはずの滅亡の歩みを停めていたが、いずれそれも無駄な過去の努力として記憶の彼方に消えゆく運命なのだ。
今のように笑いがあふれてるときは、必ず残忍なことが行われるのが常だった。このままソートで縄を引っ張って私の身体を四方に引きちぎるつもりか? それとももっと残酷な方法を知っているのか?
その時になって、やっとライフルを構えている者がいないのに気がついた。あの一発の弾の結果が気になったが、すでに空にリア・ソリスの乗ったマーズ号の姿は見えない。命中してないことを祈るしかない。
一人だけ鎧の飾りの違う緑色人戦士がソートより降り立った。剣を手に持ったまま近づいてくるその姿は、事前に本で読んでいてもぞっとしてしまう。大きなウリを縦にしたような頭に、ナイフで横に切った切り口のような二つの目。鼻にあたるのは2個の小さな穴だ。口は裂けたように大きく、悪夢にでてくる怪物そのままだが、さらに下顎から上に長い牙が外に飛び出していて、ほとんど目のところまで達していた。頭のてっぺん近くにはコップ状の二つの耳がついていた。肌は名の通り濃い緑色で、死体のような張りのない皮膚には毛がなかった。
鎧を子細に見ると、革の表側に大小の金属板が取り付けられていて、その一つ一つにいろいろな文様が浮き彫りされていた。鎧そのものは肩と胸当てと、長剣などを吊す腰のベルト部分ぐらいしかなかった。剣の攻撃の際の防御にはあまり役に立ちそうにもなく、ヘリウムの戦士達のように、部族や階級の違いを示すための装飾の意味の方が大きそうに感じられた。近づいてくる緑色人の巨体の歩みとともに、それらの鎧の金属板が揺れ、日光に微妙に反射して何とも幻想的だった。しかし、それらの装飾品がよりはっきりわかるようになると、背筋が冷たくなった。首よりかけている異様な装飾に目がくぎ付けとなったのだ。
干した人間の手首から先を10本ほど紐に通し、首に掛けて飾っていたのだ! 一見すると子供の手のように縮んだそれらは、みな右手だった。たぶん、幾多の戦闘で相手にした歴戦の戦士達からの戦利品なんだろうと思われた。事実、ほかの者達とくらべても、この男の干した手首の装飾は数が多かった。
いでたちは不気味ではあったが、地球人から見ても、この男には感嘆の念を覚えずにいられなかっただろう。他の緑色人達がソートより降りていなかったので、背丈は比べようもなかったが、それでも頭一つは抜きんでているのではないかと思われた。胸板も厚く、腕も他の戦士より二まわりほど太い。それより印象に残ったのは、体中にできた刀傷だ。無数の傷はずいぶん古い物から、まだ瘡蓋のとれない新しい物まで、大きさも形も千差万別だ。それに今気がついたのだが、左耳が上半分がなかった。戦闘中に敵に切り落とされたのだろうか? 彼は私の前で立ち止まると、蜘蛛の巣のように張った投げ縄の一本を握り、おもむろに口を開いた。
「カオール!勇敢なヘリウムの戦士、ジョン・カーター。一度お目にかかりたいとは思っていたが、こんなところで会えるとは思いませんでしたな」
まるで、深い洞窟の中に響く、虎のうなり声のような、ごろごろした声だった。さっきの異常なまでのサク(跳躍)を見て、バルスームの隅々まで名声とどろく「火星の大元帥ジョン・カーター」と間違われているのがすぐにわかった。このまま大元帥と思わせておこうかとも思ったが、尊敬するジョン・カーターの名声を汚すことになったら申し訳ないという気持ちが強かったし、また、火星に来てそれほどたってなかったが、自分自身も戦士としての誇りを持ち始めていたので、即座に否定した。
「残念ながらそれは人違いだ。ワフーンの戦士よ、私のサクの高さを見てそう思ったのだろうが、カイという一介のパンサン(傭兵)にすぎない」
その時、男の顔に怪訝な表情が浮かんだように思えたのは、考え過ぎか?
「一人で大群に向かってくるくだりなど、噂に聞いたジョン・カーターの悪名高い武勇通りなのだがな。このバルスームにジョン・カーターのような戦い方のできる者が、何人もいるものだろうか? それにそなたの言われた名前の”カイ”とて、バルスームの昔の言い回しの”永遠の”という意味を持つ。私にはすべてが嘘のように思えるのだが」
「どのようにとってもらっても、今言ったことは本当のことだ。私の命はそちらの手中にあるのだが、自分を捕まえた相手の名前が知りたい。それと、飛行艇はどうなった?」
「あの飛行艇はかなり離れていたが、ライフルの名手のホルファ・ファンドが目標を外すとは思えない。だが、揺れるソートの上からだから、正直言ってわからないが、後で探すつもりだ。私の名はカルド・ソルバル。”偉大な異邦人”と言う意味がある。勇敢なワフーンの第6番目の族長だ。おまえがさっき殺したアルイド・ナヴァスは私と同じ第6番目の族長だった。数日前に行われた地位をめぐっての1対1の決闘で勝負がつかなかったためだ。アルイド・ナヴァスが死んだ今となっては、おまえが私と勝負をしなければならないことになった」
カルド・ソルバルが言った意味が、頭の中で形となるまでにはしばらくかかった。リア・ソリスの乗った飛行艇の運命も心配だったが、今まさにとんでもない事態に自分が巻き込まれようとしているらしい。
目の前の緑色人の巨人と1対1の決闘をする!?
実戦できたえられた相手の、筋骨たくましい体つきがいやでも目に付いた。
「なぜなんだ? あなたと同じ位のアルイド・ナヴァスはすでに死んでいる。必然的にあなたが第6番目の族長になるのではないのか?」
「いや、それは少し違う。確かに6番目の族長は私だが、それにふさわしい強さを持ってるかの証明はできてない。ここで、みなの見ている前で、その強さを決闘をもって証明しなくてはならないのだ。これは、提案ではない。避けることのできないワフーンの掟なのだ」
「私がいやだと言ったら?」
「それは死ぬことを意味している。もっとも戦うことを選んだとしても、死ぬことに代わりはないのだろうが」
どうやら、私に残された道は決闘しか残されてないようだった。
「わかった。武器は?」
カルド・ソルバルは少し考えて、きっぱりと言った。
「素手だ」
丸腰によるとっくみあい! 緑色人と力と力の比べあいをすることを考えると、背筋に氷の固まりを入れられたように、ぞっとした。火星シリーズの中でかつて語られた、緑色人同士の決闘の場面で、敗者は、そのものすごい牙で身体を八つ裂きにされてしまった。ある意味では、それは剣を握っての戦いよりも、強い恐怖を覚えた。その時の私は、正直言っておびえていた。バルスームに来て初めて感じた、心底からの恐怖だった。
カルド・ソルバルは落ち着いた動作で、不気味な干し手首の首飾りを外し、ついで鎧を脱いだ。身につけているのは腰布だけで、裸になっていた。次に二人の戦士が私に近づき、投げ縄で身動きのとれないからだから剣とベルトを外し、同じように腰布だけにしてしまった。身につけていたものを丁重に捧げ持った二人が下がると、鋼鉄の輪のように私を縛り付けていた投げ縄の戒めが、ゆるめられた。
その時はすでに、決闘をする二人の周囲には戦士達の人垣ができていた。地球人の跳躍力をもってすれば、それらの人垣の柵は簡単に飛び越えることができただろうが、身を隠す障害物一つない平原のど真ん中から、逃げ延びることはどう考えても不可能だった。
きつく拘束されていたため、筋肉が硬直していたが、身体をほぐしながら、それでも逃走の手段がないかと周囲を見回したが、それは見込みのないことだった。これから戦うことになるカルド・ソルバルをにらみながら、戦闘に対するテンションを高めようと集中した。やけに心臓の鼓動が大きく聞こえる。激しく脈打つそれは、痛いぐらいだった。極度の緊張状態におかれた場合におなじみの、目に見えるものが色を失いモノクロになった。
カルド・ソルバルも低く身構えながら、深呼吸を繰り返していた。私も低く腰を落としながら、目は彼の大きく隆起する胸の動きに集中していた。何度か繰り返されていた深呼吸が吸い込んだところで、ぴたりと停まった。来る!
緑の巨人は、場慣れした戦士にふさわしく、反動もつけずにこちらに突っ込んできた。普通突進する場合は、どうしても後方に一度上体を起こし、反動をつけてくるものだが、それだとどうしても突っ込むタイミングが相手に見透かされてしまい、よけられてしまう。だが、カルド・ソルバルは静止した状態から無駄な動作一つ見せないまま突進してきて、4本のうちの2本を前方に、残り2本をめいっぱい広げた。万が一、相手が横に飛び退いた場合に備えての手段だろう。
私もただ突っ立って、その攻撃を待ち受けていたわけではない。策があったわけではなかったが、身体が無意識のうちに動いて、同じように相手の正面に飛び込んでいき、伸ばした手の下をかいくぐると、丸太のように転がって相手の足に身体をぶつけていった。予想もしない出来事で足をすくわれた緑色人は、たまらず地面にもんどり打ってしまった。私はすかさず立ち上がり、相手が起きあがろうと上体を起こしたところに、強烈な回し蹴りを入れた。
小さな頃にテレビでキックボクシングの試合の放送があったころ、子供達は訳も分からないまま格好いいと言うだけで、回し蹴りや、真空飛び膝蹴りのまねごとをして、仲間内でキックボクシングごっこをしていたものだったが、今まさに、私はキックボクシングごっこを火星でしていた。ただ一つ違っていたのは、本当に生死をかけていたことである。
ウリのような頭の側頭部に、もろに回し蹴りが決まった。自分の足の痛みに、後悔するほどの手応えを感じたが、相手の体力のほどがわからないため、どのぐらいのダメージを与えたのかわからない。再び起きあがろうとしたところを、もう一撃すると、カルド・ソルバルの身体はがくりと下がった。
隙を見てもう一度とねらっていたが、相手の動きは予想もつかない素早いものだった。身体をエビのようにバネにして、目にも停まらぬ勢いで反転すると、気がついたときにはその巨大な両の手が、私の胴をがっちりと捕まえてしまっていた。
カルド・ソルバルは、私を赤子のように両手でつかんだまま立ち上がると、勝利を確信したかのように高らかに笑った。私の身体は地面より2メートル以上持ち上げられ、足で蹴って抵抗しようにも、むなしく空を切るばかりだった。残り二本の腕より繰り出される強烈なパンチが容赦なく私の頭に浴びせられる。何度も強打を食らううちに、皮膚は切れ顔中が流れる流血で赤く染まっていた。目に入る血で視界がかすんできた。
私がぐったりすると、緑色人は殴ることをやめ、4つの手で私の体をつかみなおした。握る手に力を込められると息ができないばかりか、水のいっぱい入った風船が今にも破裂しそうな苦しさに、食いしばった歯の間から苦悶のうめきをあげてしまった。
その様子を見て、こことばかりにますます緑色人は力を加えてくる。私は押しつぶされそうな力の中で、あえぐことさえできずに頭はのけぞり、両の足は股とふくらはぎの筋肉が張りつめ、硬直して伸びきってしまった。両手で万力のような手を身体からほどこうとするが、初めからそんな形に彫られた石像の手のように、がんとして動かない。体中の骨がみしみしときしむ音が聞こえ、耐えきれなくなったとたん私の命は終わることだろう。
そんなとき頭に浮かぶ考えは、もう一度リア・ソリスに会いたいという切実な思いだった。彼女の乗った飛行艇の運命は? 無事にヘリウムに行き着けただろうか? それとも、不幸にもたった一発のラジウム弾が命中して墜落したのか? どうか無事でいてくれ。自分はもうこの世で会えそうもない、さようなら リア・ソリス、私のプリンセス……。
薄れゆく意識の淵にしがみつきながら、どのくらいそうしていただろう。左肩に加わった新たな激痛が再び私を現実に引き戻した。カルド・ソルバルは鋭い牙の生えた鮫のような口で私の左肩にかみついていた。そのまま本気で力を入れられていたら、肩と胸の一部はそっくり引きちぎられていただろうが、緑色人は勝利を確信してもてあそんでいた。それでも下顎の長い牙は、鎖骨の下より背中に貫通していて、ぐいっと頭を上げるだけで肉も骨も裂けてしまうに違いない。身体を近づけてきた今なら攻撃できる!
死ぬ前にせめて相手に一矢報いりたい思いで、残りの気力のすべてをつま先に込め、思いっきり腹を蹴り上げた。私の足は相手のみぞおちに、かかとまで深々とめり込んだ。かみついた口ががばっと開き、空気が吐き出されると私を締め付けていた両手が離れ、カルド・ソルバルは牙に私を刺したまま地面にどっとくずおれた。
弾みで牙より身体ははずれたが、ぼろ切れのようになった身体ではすでに動くことはできなかった。閉じた目の中に無数の光彩が踊り、早鐘のような心臓の鼓動にあわせて暗くなったり明るくなったりをくりかえしていた。意識を失う最後の瞬間にカルド・ソルバルのつぶやきが聞こえた。
「やっぱり、おまえはジョン・カーターに違いない……・」




